2012年12月14日金曜日

止まらないトイレット

とある雑居ビルでトイレに入った時の事です。
12月の寒い時期だったという事もあったのですが、そのトイレは何かうす暗く、特に隙間風が入ってくる訳でもないのですが、とても寒い、底冷えのする洋式のトイレでした。
しかし個室に入ってみると、ウォシュレットも付いていましたし、便座ウォーマーだってありました。
私は「ヒューッ」と自然と口笛を吹いていました。
この2つがあれば多少寒いのも我慢できます。

最近は贅沢になったのか、ウォシュレットとウォーマーが完備されていないトイレに入ると腹が立ってきます。
「ウォシュレットじゃないトイレなんてトイレじゃない」とさえ感じてしまうほどに、あれは素晴らしい設備です。なんなら和式トイレにもウォシュレットを付けて欲しいと真剣に思います。

用を足して洗浄ボタンを押します。
温かい温水が噴き出します。
水の太さもちょうど良いサイズです。
この水の太さにも好みというものが存在します。太さはとても大切なポイントであると思うのです。
勢いに関しては、ほとんどのウォシュレットで調整が可能ですので、好みの強さに調整できますか、太さは調整ができません。
以前、とある有名芸能人のお宅へお邪魔した際、ウォシュレットの水のサイズが非常に細く、しかも勢いがマックスに調整されていて、思わず「いたぁっっ」と叫んだ事があります。
「あの人こんなんが好みなんや」と関心しました。
私はあまり細いサイズは好みではありません、太めの方が好きなのです。なので水圧をかなり弱くしてその場を乗り切ったのです。

今回のこの雑居ビルのトイレのウォシュレットは、なかなか満足度の高いものであると思った矢先の出来事です、そろそろ温水を停止しようと停止ボタンを押してみるのですが、温水が止まらないのです。
「ん?あれ?」
何度も停止ボタンを押します。
しかしいっこうに温水が止まらないのです。
「え?え?うそやろ?」
全く止まる気配がありません。
それどころか、温水が徐々に冷水に変わってきたのです。
「え?やばい、マジやばい、冷たい」
この冷水のウォシュレットほど精神的肉体的ダメージの大きいものはありません。
ものすごく嫌な気持ちになってきました。
どうしたらこのピンチを乗り越えられるのでしょうか。
このまま立ち上がったらどーなるのでしょうか。スーツに水がかかってずぶ濡れになるのでしょうか、勇気がなくてそれも出来ません。
とにかく停止ボタンを何度も何度も押す事しか私にはできなかったのです。
長時間冷水の当たり続ける感部は、冷えて完全に凍傷状態です。
このままでは感部が壊死してしまいます。
なんとか腰をずらして的を外してはみるのですが、それでも周辺さえも凍傷の可能性があります。
このまま一生ここで冷水を浴び続けなければならないのでしょうか。
そんな人生なんて嫌です。
誰かを呼ぶわけにもいきませんし、とりあえず冷や汗をと脇汗を大量にかきながら、停止ボタンを連打し続けました。

15.8分程が経過したでしょうか、そろそろ感部(臀部)に限界を感じ始めた頃にやっと水が止まりました。
長い長い私とトイレットとの死闘が幕を閉じたのです。

私は「ヒューッ」と自然と口笛を吹いていました。
そして何食わぬ顔をしてトイレを出たのです。

2012年12月7日金曜日

ノックは無用

トイレに入っていると、コンコンとノックをしてくる人がいます。
わざわざノックをしなくても、ドアの表示で入っている事はわかるはずです。なのにコンコンとノックをしてくるのです。
あれは入っているのかどうかの確認ではなく、あきらかに「はよ出ろや」という催促なのだと思います。
しかし催促されても途中で中断するわけにもいきません。
仕方ないので「わかっとる」という意味をこめてコンコンとノック返しをするのです。

これまでの私は、前述の通りノックとは入っているかどうかの確認のためのものだと理解して生きてまいりました。
なので赤く表示されていれば、どこか違うトイレを探します。
そのまま待っていて、空いてすぐ入ったとしても、前の利用者の残臭はとてもつらいものです。
だから一度も催促した事はないのです。
そもそも、便器に座った状態で、ドアにすぐ手が届く構造なら、ノック返しも簡単でしょうが、和式のしかもドアが後方になるような構造だった場合に気の毒です。
催促ノックをした事で、焦らせて途中で出てこられても申し訳ないです。
どーせなら立ち去ってあげて、スッキリ出させてあげたいと思うのです。
だから催促ノックはやめてください。

2012年12月5日水曜日

貸切り

先日とある飲食店から相談がありました。
大阪市内にある10卓40席ほどの小さなお店です。
そのお店に、平日の夜、20人の予約が入ったそうです。
飲食店にとって平日夜というのはなかなか苦戦しているところが多く、20人なら常連客様用の席も確保できるので、迷惑がかからないだろうと快く予約を受けたそうです。

ところが予約の時間になると、当初の予定の20人が30人となり、その後もどんどん人が加わり、最終的に40人にまで膨れ上がり、満席となってしまいました。
確かに平日に満席となるのは大変有難い話なのですが、いつも来られる常連客様を通す席がありません。
予約受付時と、ご来店後に何度か席を1つでも開けておいて欲しいとお願いしたそうですが、「俺はそんなん聞いてへん」とキレられ、受け入れてもらえなかったそうです。
案の定、その後ご来店になられた数組のお客様は満席のためにお断りしたそうです。
しかし、その40人のお客様のうち半数の20人程度のお客様が、水でいいとご注文をされなかったらしいのです。
そのお店の平日夜の平均的な売上は5~7万程度、客単価は平均1800円です。
ところがその日の売上は2万だったそうです。
40人のうち20人がお酒なしの食事のみ、客単価1000円弱だったという事になります。
しかも貸切状態であったために、他のお客様は一切お通しできていません。
飲食店は、昨年の実績やここ数ヶ月の動向などを元に平均的な売上を基準にしてスタッフの人数を決定します。食材の仕入れも同じです。
この日は人件費、仕入れ原価ともに完全に赤字となってしまいました。
これは飲食店にとって致命的な現象です。

この団体は、その後も定期的に月1回ご来店になるそうで、どーやって相手を不快にさせず断ればいいのかという相談でした。

話を聞いていると、どーもその団体の関係者が、私の古くからの友人かもしれないと思ったので、早速電話してみる事にしました。
するとやはり関係者だったらしく、事情を説明し、せめて1人1品以上のオーダーをして欲しいと伝言してもらう事にしたのです。
友人は快く引き受けてくれました。
その後すぐに当の本人から私に電話がかかってきました。
少しキレた口調で彼が言います。
「あっこいっつも暇そうにしてるから行ったってんのにどーゆー事なんすか?」
どーやら依頼した友人から怒られ、気を悪くしているようです。
私はもう一度最初から説明致しました。すると
「それはもう俺らにきて欲しくないという事を言いたいわけ?」
「いえいえ、もう一度言いますが、せめて1人1品はオーダーしていただきたいのです」
彼は理解したのかしてないのか、「わかりました」と電話を切りました。
その後はご来店になられてないという事です。
きっと気を悪くされたのでしょう、しかし赤字にまでして受け入れる事はできません。

我々は貸切という事について簡単に考えがちですが、飲食店側のこういった事情についても、ある程度の理解が必要なのです。

2012年10月20日土曜日

B型

B型の人のイメージ 「マイペース」「無神経」「自己中」「脳天気」
B型の人には申し訳ありませんが、殆どの人はこう思っています。
決して悪く言っているのではないのです。
B型以外のほぼ全員がこう理解しているのですから仕方ありません。

先日、とある友人Aが、私の目の前でその友人Bと喧嘩を始めました。
(ちなみに友人AはA型、BはB型です)
Aが一方的にBに泣きながら文句を言っています。
Bは困った表情でAに謝っています。しかしAはやめません。泣きながら延々とBに文句を言っています。
事の発端は、Aの友人Cの事でした。(Cの血液型は不明)
Cは自己中心的で、身勝手でいい加減な人です。その身勝手なCがAを攻撃、AはCと縁を切ったのです。
本来この図式を理解していれば、私なら今後のAとの付き合いが大事な場合はCとは付き合いませんし、仮にCと付き合いがあったとしても、Aを尊重してAには内緒にします。
ところがBは、Cとの付き合いを止めず、またその事を無神経にもAに事細かに伝えたのです。
Aからすれば、いい気分がするはずがありません。
何故そんな無神経なのか、もうこちら(A)とは付き合いをやめるつもりなのかと延々とBに文句を言うA。
しかしBはB型です。
B型の人を悪く言うつもりはありませんが、こういった繊細な部分を理解できないのがB型です。
良い部分も沢山あるのですが、こういった人間関係の細かな感情は、B型には理解できる能力は備わっていません。これは仕方ないのです。いくら説明しても、B型には絶対に理解できない部分なのです。
結局Bは逃げるように帰っていきました。
Aが散々言い放った事は、まず間違いなくBには理解できていないでしょう。
「なんでこんなに怒られてるのか。みんな仲良くしたらいいやんか」
ぐらいしか思っていないはずです。

B型の人は、たびたびこういった事で人を傷つけます。
しかしまったく悪気はありません。
最初はまるで悪意や何か意図する事があってそういう対応をするのかと思い、周囲の人は、傷ついたりショックを受けたりるすのですが、相手がB型であるとわかった瞬間に、すべてが諦めに変化し、許されてしまうのです。
それはまるで子供のようにです。
子供は複雑な大人の感情や人間関係の構図など理解できません。
理解できませんから相手を傷つけるような事は平気で言います。
しかし言われた側も、相手が子供なので傷ついたとしても諦めます。
B型はこれと同じなのです。
ある意味、得な血液型と言えます。
本来なら人を傷つけたりショックを与えたなら、キチンと謝罪した上で、今後同じ過ちを起こさぬようにしなければならないのですが、B型だけは絶対に理解できないので許されて(諦められて)しまうのですから。

今回の喧嘩も、結局最後は 「まぁB型やからしゃーないけどな」
で終わりました。
私の周りには不思議とB型の人が多いのですが、ほぼ全員こういう感じの人です。
血液型など関係ないとも言いますが、こればっかりは大いに関係があると思います。
B型を理解して、上手に付き合ってあげてください。


2012年9月3日月曜日

接客業

先日、とある田舎のラーメン店での出来事。
実はそのお店には既に何度も訪れていたのですが、ここ1~2ヶ月は何度行っても入店を断られ続けていました。
勿論、閉店間際に行くからなのですが、過去に訪問した時の記憶から、22:30閉店だったように記憶しておりましたので、22時に行けば大丈夫であろうという事から、ここのところ何度も22時に行っては、「もう終わりました」「スープが売り切れました」と言われ続けていたのです。
もっと早く行けばいいのですが、仕事でどうしても22時前にはなってしまいます。
さすがにこう何度も断られると行く気さえ失せてくるのですが、この地域にはこの時間、他に開いているお店が無いという事もあって、今回は予め予約をする事としました。

21時に訪問し、22時前には伺う事を伝えます。
店 「いやぁもう売り切れたんすよ」
私 「ちょ、まだお客さんいますやん」
店 「いやもう無いんです」
私 「はぁ?」

あきらかに迷惑そうな対応でした。
単純に来てほしくない、そう受け取れたのです。
確かにここのところ連続して続いている入店拒否も、来てほしくないのなら納得がいきます。
さっさと閉店して、早く家に帰りたいのでしょう。
さすがに腹が立ちました。

実はこのお店のオーナーは、古くからの友人です。早速電話してみる事にしたのです。
私 「こんなんゆーねん、どーおもう?」
オ 「は?マジすか!あの店長今月いっぱいで辞めるんすよ」
私 「そーなん、ほんでテキトーにやってんやろな」
オ 「ちょっとガツンと言いますわ」

10分程して、店長が店を飛び出してきました。
店 「すみませんでした!本日22時前に大丈夫です!」
私 「は?いけるんかいな、最初からいいーな」

それからというもの、いつ行っても普通に入店できます。
閉店時間を過ぎていて、アルバイトが私たちを追い返そうとしても、奥から店長が走って出てきて、どーぞどーぞと招き入れてくれるのです。
まさか私がオーナーと繋がっているとは思わなかったのでしょう、しかしここまで対応が変わると逆に可哀想になってきます。
なのでいつも「サーセンサーセン」と言いながら、ペコペコでラーメンをいただいております。

世の中が不景気になり、どこの飲食店でもお客様獲得の為に必死になっている昨今、必死なのは経営者ばかりで、働いている従業員なんてこんなものなのです。勿論、経営者感覚で一生懸命に頑張っているスタッフも居ます。居ますが、あきらかに少数だと思います。
みんなしんどいのです、しんどいから閉店間際に来る客は迷惑なのです。
早く家に帰りたいのです。帰って風呂入ってビールでも飲みたいのです。
しかし、そんなお店は徐々に客足が離れていって、いつか閉店します。閉店して働く場を失うのは自分なのに、きっと会社が次のお店を用意してくれると勝手に思い込み、みんなテキトーにやるのです。
この店長のように、もう辞めるからと、テキトーにやるのもどうかと思います。
辞めるのなら逆に一生懸命やって、おしまれて辞めるべきです。
会社から引き止められるぐらいの辞め方をしないと、ただの負け犬ではないでしょうか。

月が変わり、新しい店長が来ているのだろうと、そのお店に行ってみましたが、彼は辞めずに居ました。
そしてこれまで以上に、最高の笑顔で迎え入れてくれたのです。
ひょっとしてやる気になったのか、たまたま次の店長が決まらずに、いるだけなのか、聞いてないのでわかりませんが、私はこの店長に、ここで頑張ってほしいと心から思いました。
ここで花を咲かせて、自信を持って次のステップに上がってほしいと願うばかりです。


2012年8月20日月曜日

逮捕

先日、突然警察から電話がかかってきました。
聞くと、どーやら私に対して被害届が出ていると言うのです。
「な、なんやてぇ!逮捕!?」
詳しく聞くと、先週末に私がとあるガソリンスタンドで窃盗をしたというのです。
一体何の事なのかサッパリわからず、「はぁ?はぁ?はぁ?」と連呼していたのですが、警察官はスルーです。
真剣に捜査している様子が伝わってきましたので、こちらも真面目に向き合う事にしました。
私の犯行の様子がキッチリ防犯ビデオにも写っているというのですから驚きます。
ひょっとして夢遊病のように知らない間に忍び込んだのでしょうか。
それとも俺って実は多重人格者?
様々な疑いが脳裏をよぎります。
するとその警察官が、窃盗したのはガソリンだと言います。
警察が言うその日、確かにそのガソリンスタンドで給油した記憶が蘇ってきました。
そしてそのまま支払いをせずに私が立ち去ったと言うのです。
私は、そんなはずはないとレシートを探してみましたが、見つかりません。
どうやら本当にガソリンを窃盗してしまったようです。
しかしそのガソリンスタンドにも問題はあります。
通常は先に機会にて支払いを済ませ、そして給油というのが一般的なセルフガソリンスタンドのスタイルですが、ここは後払いなのです。
これまでにも何度か、支払いを忘れかけて戻った事があります。
考えていると無性に腹が立ってきたので、早速ガソリンスタンドに電話してみました。

私 「なんですぐに追いかけてくれなかったんすか?」
GS 「追いかけましたが追いつけなかったんです」
私 「こんなんしょっちゅうあるでしょ」
GC 「はい」
私 「こっちも故意じゃないねんから今すぐ支払いに行きますわ」
GS 「いや警察に出頭してもらわないと困ります」
私 「いやいや、故意じゃないゆーてるやん」
GC 「警察へ行ってください」

既に被害届を出してしまっているので、警察へ行って罪を償って下さい。と言わんばかりの対応でした。
正直、私を犯人というカテゴリーに入れているのがヒシヒシと伝わってきます。
警察署へ出頭し、担当の管轄派出所の人が来るまでの間、代わりの警察官と時間を過ごします。
この警察官も私を疑っているのがわかります。
確かに支払いを忘れた私が悪いのですが、それは故意ではありませんし、スタンド側にも絶対に落ち度があるはずです。
しかもスタンド側も「しょっちゅうある」と認めています。
10分程して、管轄派出所のイケメン警察官が到着しました。
私の他に合計4人の警察官がいる部屋で、取調べが開始します。取調べは2時間ほどかかると言われました。
開始してすぐにイケメン警察官が言います。

イ 「わざとじゃないでしょ?」
私 「当たり前です」
イ 「ですよね、見たら分かります」
私 「あっこタチ悪いんちゃいますん」
イ 「そーなんすよ」
私 「こなもんしょっちゅうあったら警察も他の仕事でけへんのちゃん」
イ 「そーなんです、一日中毎日こんなんやってるんですわ」
私 「文句言いーな」
イ 「いや何回も言うてるんですけどね、機械の入れ替えにお金かかるゆーて・・」
私 「ちゅーか被害届を受けんかったらええやんか」
イ 「今までは派出所に来たら受けずに確認しとったんですわ」
私 「ほぉ」
イ 「せやけど今回は直接こっちの警察署にいかれとるからね」
私 「かなんな、ちゅーかマイクでもつけたらええのにな」
イ 「それも何回も言いました」
私 「しかもこんなんされたら俺もうあっこ二度と行かんで」
イ 「かわっとるでしょ」
私 「ほんで今から何するん」
イ 「いや、もう今回はいいですわ」
私 「え、ほま?」
イ 「支払いだけ行ってもろて後はこっちで処理しときますわ」
私 「わーい」
イ 「すみませんわざわざ」

というわけで、取調べ後5分で開放されたのです。
その後ガソリンスタンドに支払いに行き、イケメンの待つ派出所に領収書を届け、全てが終わったのです。
しかしこうしている間にも同様の被害者(まぁ加害者にもなるわけですが)が続々と誕生しているのかと思うと、いてもたってもおられずペンを取ったわけです。
後払いのセルフ給油所は、本当に恐ろしいところです。
わざわざ犯人を作るような、まるでオトリ捜査のような、そんな印象を受けました。
ひょとしたら被害届けの提出数で、ボーナスの査定が上がるというシステムなんじゃないかと思うほどです。いやきっとそうです。
皆さんも充分に注意してください。
後払いの給油所だったら、迷わず立ち去る事をオススメします。

もう絶対イカンッ





2012年7月27日金曜日

言葉の力

成功を目指す人が、自身で自分をマインドコントロールする最も簡単な方法として、言葉で自分を洗脳するという方法が一般的に知られています。
心で思うのではなく、「私は絶対に成功する」と言葉を発することで、その言葉が自分の耳や皮膚から体内に浸透し、成功する自分になっていくというものです。

また、特定の人を「好き」と言い続けると、本当に好きになるというのも、これと同じ作用なのかもしれません。
演技でラブシーンを何度も演じると、本当に相手を好きになってしまうというのも納得できます。
言葉とは不思議なものです。

逆に「嫌い」と言い続けると本当に嫌いになっていきます。
私の知人に、会うたびに特定の人の陰口を言っている人がいます。
彼は私にだけではなく、周囲のほとんどの人に同じ陰口を言います。もう何年も言い続けています。
陰口を言う真理としては

(1)直接言う勇気がないので影で文句を言う。
(2)文句を言う事で、その内容について自分はできているというアピール。
(3)自分がいかに被害者であるかという事を訴えて、同情をかう。

などが挙げられますが、彼はまさにこれすべてに当てはまると思います。
周囲の人は皆うんざりしています。こういう話は聞くだけで体力が奪われるのです。
当初は解決策などをアドバイスしていましたが、人の話なんて全く聞く耳をもっていませんので、みんな途中で諦め、「また始まったか」と、右耳から入れて左耳から出すという風になっていくのです。
私は基本的にスルーしていますが、彼はどんどん新規開拓(言う相手を増やしている)しているので、被害者はどんどん増え続けています。
そしてその話を聞いた人も同じ事を言っていたと違う人に話します。
勝手にどんどん仲間を増やしていっています。
名前を使われた本人はそんなこと一言も言っていなくても、親身に陰口を聞いただけで勝手に仲間にされてしまうのです。

彼は日々人の悪口を言い続ける事で、完全に「言葉による自身の洗脳」を行い、その相手のことを物凄く嫌いになっていったのでしょう。
最初は「気に入らん」程度だったはずです、ところが何年も言い続けたことで大嫌いになったのです。
本当に言葉とは恐ろしいものです。

疲れてもいないのに「しんどいわー、しんどいわー」と言う知人がいます。
それを言う事で、不思議と周囲の人も疲れてきます。
何度もそれを指摘していますが、無意識のうちに口から発してしまっているようです。
その人も同様に、「しんどい、疲れた」と言う事で、自分をその言葉で洗脳し、本当に疲れてしまうのでしょう。ひょっとすると病気になってしまうのかもしれません。
言葉とは本当に恐ろしいものです。

このように言葉とは本当に恐ろしくもあり、また便利なものでもあるのです。
言葉の持つ力をよく理解して、自分を良い方向に洗脳することが、大切なのではないでしょうか。





2012年7月13日金曜日

立場

一般社会、特に仕事上に於いて、人にはそれぞれ立場というものがあります。
上司と部下、先輩と後輩、客と店員などなど。
この立場という存在は、非常に不思議なものです。

仕事ができない上司と、できる部下の場合。
できない上司ができる部下に立場を利用して偉そうにものを言います。
なぜ能力の低い人に偉そうに言われなくてはならないのでしょう。
やがてこのできる部下は会社を辞めます。
立場を利用して偉そうにするクズのような人間のせいで、会社は優秀な人材を失う事となります。
ただ単に早く会社に入ったというだけの上司はもう会社には必要ないのです。

先日ある友人から聞いた話。
その彼は、普段店舗にて販売に携わる仕事をしているからこそ、プライベートはクレーマーになるのだと言います。
彼は様々なお店に行っては、アラを見つけて散々文句を言い放つのだそうです。
しかし何のためにそうするのでしょうか。
ただ単にストレス発散に利用しているようにしか思えません。
客という立場を利用して、弱い物いじめをする卑劣な人間にしか見えません。

以前、取引先のメーカーで働いていた人がいました。
彼は私からすれば仕入先の人、彼からすれば私は重要なお客様です。
ところがその後、彼はそのメーカーを退社し、不動産会社に入社したのです。
その不動産会社が、とあるゼネコンに発注した仕事を、私の会社で担当することになりました。
工程会議に出席した私は、いつもの通りゼネコンの担当者に理由もなくえらそうに言われるわけですが、その場に施主として登場したのか彼だったのです。
ゼネコンは業者には意味もなくえらそうにしますが、施主にはペコペコです。
その施主である彼が私にペコペコなのですから、ゼネコンも急に態度を変えペコペコになったという事がありました。
立場が変わっただけでこうも周囲が変化するのかという事を痛烈に感じた瞬間でした。

会社や組織というものは、その人個人の人格や人柄に全く関係なく立場というものを作ります。
立場を手に入れた人は、どんなにいい人でもよほど注意をしておかないと、周囲からチヤホヤされることでだんだんと舞い上がり、つけあがっていくものです。
立場があればあるほどに、下の人には腰を低く丁寧に、そして親切にしなければならないのです。
立場で人を動かすのではなく、人柄で人を動かさなければならないのです。
立場で無理やり人を動かしても、心までは動かせません。
その事に気づかない人は、その企業や団体から外れたときに、はじめて自分が無力である事に気づかされるのです。
どんな立場の人も、その立場でモノを言わず、個人の人柄を磨き、個人としてモノを言う事が重要だと思うのです。









2012年6月27日水曜日

ホームレスのオッチャン

毎朝の5kmのコース上に3人のホームレスなオッチャンが居ます。
去年の夏は4人いましたが、冬に2人に減って、今現在は3人となっています。

1人は橋の下のブロックと橋の隙間から足だけが見えているオッチャン。
ここは寝室で、毎朝8時にすぐ近くの屋根付きベンチへ移動します。
ベンチ横には飲み水用の蛇口があって、彼は毎朝ここで1時間以上かけて洗濯や洗顔を行います。
見た事はありませんが、きっと毎日全身を洗っているのだと思います。
きっとこのオッチャンは綺麗好きなのでしょう。
8時以降ともなると結構な人通りがあるはずですが、皆このオッチャンから目をそらして通り過ぎて行きます。

もう1人は夏場だけ出現するオッチャン。
ホームレスなのかホームレスではないのかハッキリわかりません。
川沿いより一段上の屋根付きベンチに居ます。
このオッチャンの特徴は、常に何人かの友人らしき人物と居る事です。常時3人は居ます。
オッチャンが3人も4人も集まって何をしているのかサッパリわかりませんが、たまに皆で掃除をしていたりと、不思議な団体です。生活用品的なビニール袋がいくつも置いてあり、見る限りホームレスであると理解しています。ここの屋根付きベンチは20人ほどが座れる大きさがありますが、このオッチャンらが占領しているために、一般人は利用できません。
一度近くまで行ってみましたが、明らかに生活臭がしますので、まるで他人の家に立ち入るような錯覚に陥り、誰も中へは入れないのだと思います。

もう1人のオッチャンは、橋の下に家財道具一式と、布団のスペース等を一列に並べているオッチャンです。





















昨年秋ごろから、毎朝挨拶をかわしています。
私はいつも音楽をガンガンに聞きながら通り過ぎますので、オッチャンが何を言っているのかはわかりませんが、毎朝ここに立っていて、私が通り過ぎる時に何かを言いながらペコッと会釈してくるのです。
私もペコッと会釈します。
立ち止まって会話してもいいのですが、もしもここで人間関係ができてしまったら、きっと私の性格上、毎朝何か食料を届けるようになってしまうのではないかという不安から、挨拶だけの関係を続けているのです。
彼だけは季節に関係なくいつもここにいます。
ところがここ1ヶ月間、毎日寝ているのです。もちろん寝たままなので、挨拶することもありません。
ひょっとしたら病気なのでしょうか、いやそれとも既に死んでいる?
様々な憶測が脳裏を過ぎります。
私は毎朝そんな不安にかられながらも、オッチャンの横を通り過ぎて行ったのです。

そんなある日、いつもの橋の下へさしかかった際、とても元気そうなオッチャンを見かけたのです。





















しかも誰か来ています。
オッチャンは体育座りのまま笑顔でその友人らしきオッチャンと会話していました。
私はホッと胸を撫で下ろし、笑顔で通り過ぎて行ったのです。
ここのところ、なぜか早起きしていたせいで、オッチャンが目を覚ます前に通り過ぎていたのでしょう。
なんとなく安心しました。








2012年6月22日金曜日

姫路モダン

粉もの文化は地方により異なります。
お好み焼が地域によって大きく異なるように、モダン焼も地域によって様々なスタイルが存在するのです。


















一般的な大阪のモダン焼は
・キャベツと卵を混ぜた生地を鉄板に流し(お好み焼のベース)焼きます。
・その上に焼そば用の麺を乗せます。
・具材(豚肉やすじ肉)
・片面が焼けたら裏返し、両面をしっかりと焼きます。

















先にお好み焼を焼いてからそばを乗せますので、下半分はお好み焼となっています。


















姫路モダン
・キャベツや豚肉を入れた焼そばを最初に焼きます。
・鉄板に薄く生地をひき、その上に完成した焼そばを置きます。
・上から薄く生地をかけ裏返し、両面を焼きます。
・最後に片面に卵を貼りつけ完成です。


















卵を貼り付けないパターンの姫路モダン(十十)
ベースがお好み焼ではなく焼そばなので、大阪風のようにお好み焼は出てきません。















こちらは卵を貼り付けたパターンの姫路モダン(喃風)

卵を貼るか貼らないかや、キャベツのサイズの違いだけで、
基本はほぼどこのお店でも同じような姫路モダンが出てきます。
実は、この大阪風モダンも、姫路モダンも、使用している具材は
ほぼ同じなのです。
ただ、入れる順番が異なるだけなのです。
入れる順番が異なるだけで、ここまで違う商品ができるというのも
面白い話ですね。
大阪から観光で姫路へ来られた方が、お好み焼店でモダン焼を注文し
「こんなもんモダン焼ちゃう!」
と怒られたという話はしょっちゅう耳にします。
美味しいんですけどね。

姫路モダンは、姫路及び姫路周辺の地域のお好み焼店でいただけます。




2012年6月15日金曜日

人は嘘をつきます。
何故人は嘘をつくのでしょうか。
嘘をつく理由を考えてみました。
・保身のため
・見栄を張るため
・人を陥れるため
・笑いを取るため
・人を傷つけないため

「嘘をつかない正直な人が理想です」
と言う人がいますが、果たしてそうでしょうか。
人との人間関係を構築するためには、嘘も時には必要な場合が存在します。
先ほどの嘘をつく理由の最後2つに関しては、まさにそれに当たります。

笑いのための嘘
少し大げさに話を盛る事で、その場を明るくしたり、人をリラックスさせたり、笑顔が生まれたりするのであれば、そんな嘘も素敵だと思います。

人を傷つけないための嘘
何でもかんでも正直に言うことで、相手を苦しめたり傷つけたりするのであれば、相手を気遣った嘘も必要となります。
こういう嘘がつけない人は、「正直な人」というよりも、「人を気遣えない自分勝手な人」という印象の方が強くなります。

いずれも自分のためではなく、相手のためにつく嘘です。
これを否定してしまっては、良い人間関係を構築できるわけがありません。
良い嘘と悪い嘘、これらを全てひっくるめて「嘘はアカン」なんて言ってはいけないのです。

2012年6月5日火曜日

人間関係の始まり

人間関係の始まりは、自己紹介からといえます。
お互いが自分の名を名乗り、どこの誰であるか、簡単なプロフィールを添えて紹介するのです。
プロフィールを省略する意味も含めて、名刺を渡すという行為も、自己紹介の場に於いて非常に有効な手段です。
簡単なプロフィールの書かれたカードは、相手の手元にも残り、後日連絡を取る場合などに非常に便利なツールとなります。
仕事が絡む場合は、逆に名刺がないと失礼にあたります。
名刺も渡さずに、名前を名乗られたとしても、ハッキリ言って覚えられません。
なのに名刺もなく名前さえも名乗らない相手となんて絶対に仕事なんてしたくありません。
それくらい、初対面の相手との常識、礼儀として、自己紹介は重要なプロセスなのです。
勿論例外もあります。先に意気投合してしまって、後から自己紹介をする。
同じ境遇に置かれた人達が、名を明かさぬままに過ごす事も珍しくはありません。が、その場合も必ず後から自己紹介という行為に至り、その後親交が深まる、人間関係が構築されるわけです。
いずれにしろ、順番が前後する場合もありますが、他人と付き合いをしていくのであれば、必ず通らなければならない行為である事は間違いありません。

私は友人・知人と複数名で同席する場合、この紹介というプロセスを非常に重要視しています。
他人と他人の間に入って仲を取り持つわけですから、最初が肝心です。
これまでにも何百人という人達を紹介してきました。
友人を人に紹介する場合、少しティーアップしたメッセージを添えて紹介するようにしています。
その方が、紹介される側が気持ちいい(心地よい)からです。
また紹介された側も、この出会いの期待度が上がりますし、会話も弾みやすくなるからです。

ところが、この紹介という事をしない人がいます。
なぜ紹介しないのか私には全く理解できません。
紹介をしないという事は、基本的にこちらに紹介したくないのかと思ってしまいます。(本当にそうかもしれません)もしくは紹介できない何か複雑な理由があるのかもしれません。
もしくはただの気のきかない無能な人なのでしょう。
カップルで歩いている時に、彼(彼女)の知人に道端でばったり遭遇した場合、そこで自分を紹介されなかったら、会話中に一体どんな対応をすればいいのか物凄く困ります。逆に何故自分を彼(彼女)だと紹介できないのかと相手に不信感を抱く原因にもなります。
カップルでなくても、友人の関係でもこういう事は結構起こり得ます。
紹介したくないのであれば、わざわざこちらから会話する必要もありませんし、会話したいとも思いません。
紹介されないまま、お互いに距離を縮められないままの関係。
実は、そんな人が今、私の周囲に何人か居ます。
やはりある知人を通じて紹介されないまま知り合った人達です。
1度も紹介されぬままに、何度も顔を合わせているうちに、見慣れてしまった不思議な関係です。
勿論名前も何も知りません。
往々にして相手は私の名前を知っている事は多いのですが、こちらは紹介もされていないので、わかるはずもありません。
何回も顔を合わせているので、自然と会話もします(こちらからは絶対にしませんが)が、毎回「誰やねん」と思いながら会話するのです。
そもそも誰かわからないままに会話するのは非常に苦痛です。非常に疲れるのです。
なので極力会話はしたくはありません。会いたくもありません。
今更自己紹介なんてしたくもありませんから、今後一生その人と人間関係が深まる事はないでしょう。
こういった問題を引き起こした一番の要因は、最初の出会いなのです。
最初に紹介者が、一言お互いを紹介し、自己紹介の場面を作ってくれていれば、こんな事にはならなかったはずです。
そのたった一言が足りないばっかりに、2人の人間関係が成立しない事を決定付けてしまったわけです。
この事の重要性が解らない大人が存在することに腹立たしさを覚えます。
きっと社会経験が無い、または無いに等しい、もしくは複数での人付き合いの経験が無い人なのでしょう。
紹介というプロセスを踏まない事で、相手がどんな気持ちになるか理解できない人。
すなわち人の気持ちがわからない人。
私はそういう人達をこういう風にカテゴリわけをしています。

2012年5月28日月曜日

立ちション禁止 推進編

以前、立ちション禁止というコラムを書きました。
立ちションは軽犯罪法違反となる行為であるという内容でした。

参考→ 殿のコラム:立ちション禁止

ところが、今回は、私が立ちションを推進してしまったというお話です。
先日、いつものコースを走っていると、前方に、半笑顔でこちらを見て口をパクパクさせている60歳前後のオッチャンが見えました。
私はいつも、音楽をガンガンに聴きながら走っていますので、何を言っているのかはわかりませんでしたが、明らかに私に向かって何かを言っているようです。
私は誰か他の人に話しかけているのではないかと後方を確認し、私である事を確信した後に、イヤホンを外し、オッチャンの話を聞くことにしました。

お 「すみませんすみません」
私 「あはい」
お 「どっかこのへんにトイレはないですか」
私 「トイレ?」
お 「もう限界なんです」
私 「あー、あの向こうに見えてる2本目の橋のへんにあったかも」
お 「遠いですね」
私 「せやね」
お 「もう限界なんです」
私 「ほならあっこらへんでしい、な、な、」
お 「え?いいんですか?」
私 「そなもんしゃないがな、限界やろ?」
お 「限界です」
私 「だーれもけーへんか見といたるわ、な、な、」
お 「すみませんすみません」

私は、その場でだれも来ないかを監視しながら、用を足すオッチャンの背中を見守り続けました。

私 「ながっっ」
お 「すみませんすみません」

2012年5月23日水曜日

ええかげんな人

ええかげんな人=いいかげんな人。適当な人。曖昧な人。

世間では、この「ええかげんな人」は信用されなかったり、相手にしてもらえなかったりと、あまり良い印象はもたれていません。
しかし何事に対してもええかげんな人って、果たして存在するのでしょうか。
何でもキッチリしておかないと気がすまないという人でも、どこかええかげんな部分があるのではないでしょうか。
逆に、どこかええかげんな部分がないと疲れてしまいますし、人間らしさがないような気がします。
人はそれぞれ「ええかげんな部分」や「キッチリしている部分」「可愛い部分」「厳しい部分」など、沢山の表情を持ち合わせている生き物です。
その部分の比率によって、その人の全体的な印象が決まるのではないでしょうか。
例えば、キッチリ度90%、ええかげん度10%を持ち合わせている人が居たとして、たまたま10%しかないええかげんさが露出したシーンを目撃した人は、その人をええかげんな人と捉えるでしょう。しかし実際は、キッチリ度が90%もあるので、多くの人はキッチリした人と受け取っているはずです。
深い付き合いのない人間関係に於いて、人によって受ける印象が大きく異なるというのは、こういった事が原因と考えられます。
どんな人でも深い付き合いをしてみないと、実際はどんな人物なのか判断できないという事です。

では、深い付き合いとは一体どんな付き合いなのでしょうか。

「毎月1回、飲みの席で会う人。もう5年以上の付き合いになる。」

これは深い付き合いとは言えません。
いくら5年以上の付き合いがあったとしても、同じシチュエーションで何回も会うだけでは、他の側面は見えてきません。
よく、いくら仲の良い友人だったとしても、一緒に働いたり同居すると嫌な部分が見えてくると言いますが、まさにこれです。
5年以上酒の席で意気投合した仲間だったとしても、一緒に仕事をしたり、一緒に何かプロジェクトを実行したりしてみないと、本当の姿は見えてこないわけです。
仲の良い恋人同士が、結婚という2人でのプロジェクトを実行する際に、今まで見えてなかった側面が露出して、破局してしまうなんてよくある事です。これも同様のことが言えます。
逆に、普段一緒に仕事をしていたり、一緒に何かに取り組んで、お互いに様々な側面を理解した上での人間関係というものは、かなり強固なものとなります。
このように、友人でも、恋人同士でも、上司と部下でも、様々なシチュエーションを経験した上で、相手がどんな人物なのかを判断すべきだという事です。
側面だけ見て「あの人はええかげんな人」と決め付けてしまうのは危険な事なのです。

2012年5月16日水曜日

ハシガー

飲食店に於いて、1軒にとどまらず何軒もハシゴしたがる人種、ハシガー。
軽く1品だけ食べてサッと席を立つ。
軽く1杯だけ飲んでサッと席を立つ。
そしてそれを何軒も繰り返すのです。
彼らは決してグルメブロガーではありません。時間がないので一晩で何軒も訪れて、一晩で1週間分のネタを収集するグルメブロガーとはまた異なる人種なのです。
サッと食ってサッと帰る事にロマンを感じている人達なのです。
ハシガーは熟年層に多いのも大きな特徴です。
もしくはそんなハシガーに連れまわされた、ハシガーに憧れる30代後半以上の人達です。

そんなハシガーの1人、Mさんの同行取材に成功しました。
Mさんは現在51歳、ハシガー歴10年というベテランハシガーです。
彼との待ち合わせは20時、繁華街のコンビニ前で集合し、すぐ近くの居酒屋へ入りました。
アテ3品付きのビールセットなるものをオーダー、Mさんの「いつものやつしてや」の一言でこれが席へ運ばれてきます。
「ワシはな、この店はこれしか注文した事ないんや」
得意げに話すMさん。
するとビールを飲み干し、アテにほとんど手をつけてない状態で、早くも席を立とうとするのです。
「いこっ、次いこっ」
「しゃーけどまだ食うてませんやん」
「ええからええから、次で食うたらええから」
私たちはビールを飲んだだけで席を立ちました。
これならビールセットではなく、ビールだけを注文したら良かったのではないでしょうか。
Mさんが言います。
「ビールだけやったら悪いヤン」
なるほど、さすがに1000円ぐらいは使わないとお店に申し訳ないという考えのようです。

次に訪れたのは焼肉店、生ビール、キムチ、塩タン、ホルモンを注文。
私が肉を焼こうとすると「ええからええから」とMさんが焼いてくれます。
彼はハシガーであり焼肉ブギョーでもあったのです。
しかも食べる分だけ焼くのではなく、全部ドバッと網の上に置いてしまう方のタイプの焼肉ブギョーだったのです。
このタイプのブギョーは非常に迷惑なのですが、文句を言うと今後連れてってもらえないので、焦げないように黙ってサッサと食べなけれはなりません。
私がトイレに立った間に会計が済まされていました。この辺りのスマートさがハシガーの大きな特徴でもあるのです。

次に入ったのは、女の子が常時10人ほど居るというそこそこ大きめのラウンジ。
ここでも水割りを1杯だけ飲んで次の店に向かいます。
本当はこのお店で歌を歌いたかったというMさん。
しかし先客が盛り上がっていたためにサッと店を出たというのです。
ハシガーは自分が主人公にならなければ面白くない人種のようです。

次のスナックはママと20代アルバイト女子の計2人の小さなお店。先客は居ませんでした。
ここでMさんは3曲を熱唱、水割りを4杯いただきました。
このお店がもっとも滞在時間の長いお店となりました。
やはり他に客が居なかった事で、自身が主人公となれた事が大きな要因だったと思います。

その後、私たちは水割り半分程度で店を出るスタイルで、スナックを2軒ハシゴし、最終ラーメン店でビールとラーメンで締めたのです。
この日実に4時間で7軒のお店をハシゴした事になります。
しかし何故こんなにも次々と店を変えるのでしょうか。
Mさんにそのあたりを聞いてみました。

私 「しゃーけどころころ店変えていそがしですね」
M 「これが俺のスタイルや」
私 「なんでころころ変えますん」
M 「そなもんたまには顔出したらな悪いヤン」
私 「悪い?」
M 「せや、ちょっとでもええから顔を出して安心さしたらなアカンがな」

どーやら定期的に少しでもいいのでお店に顔を出す事で、お店への貢献をしているというのがMさんの答えでした。
確かに短時間に数多くのお店に顔を出すためには、こういう方法しかありません。

私 「普段からずっとこんな感じなんすか?」
M 「せや」
私 「誰とでも?」
M 「誰とでもちゃう、特定の人とだけや」

どーやら後輩や部下との会食時のみ、ハシガーになるようです。
結局のところ、後輩や部下にエエカッコしたい為に取る行動というのが真理のようです。
ハシガーしている自分に酔いしれているのでしょう。
横から見ていて、そんなにカッコエエとは思わないのですが、しかし自分がハシガーとなって、後輩を連れまわすイメージをした時、何となくその気持ちもわかるような気がしました。
私も立派なハシガーになれるのでしょうか。

2012年5月13日日曜日

クレーム営業

知人から、とある新ブランド立ち上げに際して、営業面で力を貸してしてほしいとの依頼があり、快く引き受けました。
そのブランドは、地域密着型で商品も素晴らしく、将来性も非常に高いものでした。
私のできることなんて限られていますが、それでも前向きに協力したいと強く思えるものだったのです。

お披露目会に出席して1ヶ月ほど経過したある日、ある友人から「クレーム営業されて困ってる」と相談を受けたのです。

私 「クレーム営業?なんじゃそら」
彼 「うちの○○は最低やゆーてクレーム電話があったんです」
私 「ほうほう」
彼 「だから謝罪したんです」
私 「うん」
彼 「ほんならその人「だからうちの○○を買え」ゆーんですわ」
私 「なんやて?」
彼 「サイテーでしょ」
私 「そらクソやな」
彼 「クソ以下でしょ」
私 「どんなやっちゃんねん」
彼 「○○っちゅー人ですわ」
私 「えー、」

なんと前述の新ブランドの代表者だったのです。
私はその相談してきた彼にも、以前から新ブランドの話はしていたので、物凄く恥ずかしくなりました。
そして何故か私が彼に謝罪するはめになったのです。
一体何故そんな営業をするのでしょうか。
私は新ブランドの営業マンでもなんでもありません、完全なボランティアです。
信用だけで人に紹介しているのです。
その協力者の信用を、完全に喪失させるような事をしてしまっては、協力なんて出来るはずがありません。
その後は当然ですが、全く人にはススメていません。
モノはいいのでしょうが、後で信用をなくすのが怖いのです。

営業は信用が一番です。(価格競争は別として)
信頼できる人がススメるから購買意欲が沸くのです。
信用や信頼は、時間をかけて築き上げていくものですが、崩れるときは一瞬です。
そして一度崩れた信用を取り戻すには、また膨大な時間を費やさなければならないのです。
今回の人は、そんな事は一切理解できないのでしょう。
協力を依頼してきた知人や、沢山の協力者が存在する事が、逆に彼にとってマイナスに働いているのでしょうか。(苦労なく売れるので)
いずれにしても、悲しい話です。


2012年5月1日火曜日

会議マニア

会議が好きで好きでたまりません。
会議は毎日でもやりたいです。
会議なら何時間でもできます。
会議資料作成の為に業務の殆どを費やします。
会議の為に日々仕事をしているようなものです。

そんな会議マニア、結構います。
会議病とも呼ばれているこの人種は、殆どが中小企業の社長またはそれに近い役職の人です。
会議マニアの周囲には、大勢の会議嫌いの人達がいます。
会議マニアのせいで、会議が大嫌いになってしまった可哀想な人達です。
そもそも会議は必要なのでしょうか。
業務内容により多少異なりますが、商品企画会議や営業戦略会議等のように多くの意見を集め決定するための会議は必要です。何事も1人の意見よりも、より多くの人の意見を取り入れた方が良いに決まっています。
また士気を上げるために定期的な会議を行う事も重要だと思います。
いずれも会議の目的があって、会議終了時にはその目的が達成されている事が条件となります。
前述の場合なら、商品や戦略が決定している事がゴール。
後述の場合なら、社員の士気が上がっている事がゴールとなります。
しかし以下のような目的の会議も数多く存在します。

・社長自身が安心(業績)したいために行う不安材料消去会議。
わざわざ会議にしなくても個別の報告で事足ります。
・部下に自身の知識や経験などを語りたいために行う自己満足会議。
ここ最近飲みの場にも付き合ってくれるような社員がいないので、自分の武勇伝を
聞かせる場所が無く、会議をそれに利用するパターン。物凄く迷惑です。
・部下にヤル気を起こさせるために一方的に喋る洗脳会議。
上司が一方的に喋っただけでヤル気になるような部下は、すぐにヤル気をなくします。
部下にヤル気を起こさせるには喋りではなく仕組みが必要なのです。
これも上記と同様に無駄な時間となる場合が殆どです。

私自身が、これまでの社会経験の中で、出席してきた数多くの会議の殆どが、上記のような会議でした。
部下は、一方的に喋る上司のつまらない話を延々と黙って聞くだけの会議です。
またこんな会議を行う人に限って、6時間とか8時間とか信じられないほどに長い会議を行うのです。
長い会議のほとんどは、無駄話がダラダラと続くだけの会議です。
当然つまらないので物凄く眠くなります。
眠くなってウトウトしていると、上司の目にとまり、給料の査定に影響が出ます。
しかし本来なら、そんなつまらない我慢大会のような会議を主催している側が悪いわけで、
部下がウトウトし始めたら、自分の話がつまらないという事を察しなければいけません。
うたた寝する部下が悪いと決め付ける人は何の成長もないのです。
何でも人のせいにして責任逃れするだけのつまらない人なのです。
そんな人に部下がついていくわけがないのです。

会議なんて短時間でサッと終わらせて、さっさと業務に戻った方が、よほど業績アップにつながるのに。
会議を行う事で安心するのは物凄くナンセンスな事だと思います。
しかもこんなダラダラした会議を週に何度も行うようでは、仕事をする暇さえありません。
会議マニア、本当に恐ろしい病気です。
感染しないように注意しておいてください。
見かけたらすぐに通報した方が良いでしょう。

2012年4月30日月曜日

流血のコンビニエンス

三宮で散々飲んだ帰り道、とぼとぼと歩道を歩いていた時のことです。
いや、かなり酔っていましたので「とぼとぼ」ではなく「ふらふら」です。
目は半分以上ふさがり(元々私の目は人の半分ほどの開口部ですので、この時は一般的な人の1/4以下の開口部に相当すると思います)真っ直ぐに歩いているつもりでも、勝手に右へ左へと足が進み、まさに千鳥足状態だったと思います。
何故か両手は「前へならえ」状態で、人から見ればキョンシー的なスタイルだったと思います。
「ミ、ミズ、ミズクレ」とぼそぼそとつぶやいていたかも知れません。
なぜそう思うのかというと、そのセリフがその時のポージングにまさにピッタリだと思うからです。
10分ほど歩いた時、事件が起こりました。
三宮の歩道には、数多く街灯が立っています。
私はその街灯に全く気付かず、真正面から激突したのです。
額を街灯に強打した私は、その場に真後ろにぶっ倒れ、後頭部を歩道に強打しました。
手は前へならえのままの状態です。
しかしあまりにも酔っていたせいか、たいした痛みも感じず、1~2分そのまま歩道に仰向けの状態で、足を交互に動かしながら倒れていました。
通行人はみんな気付かぬフリをして、チラ見しつつ通り過ぎて行きます。
数分後、私は両手をパタリと地面に落とし、足の動きを止め、大の字となりました。
そして何事も無かったようにムクリと起き上がり、コンビニエンスストアえと向かったのです。
さすがに額が割れるように痛いので、バンドエイドを買おうと思ったのです。
5分ほど歩き、コンビニエンスストアに到着しました。
深夜とはいえ、週末のコンビニエンスは人で溢れていました。
私が入店すると、全員がこちらを凝視しました。
正確に言うと、数人が私を見てギョッとした顔をしたので、それに気付いた周囲の人が皆こちらを凝視したという感じです。全員がピタッと動きを止めていました。
まるで時間が止まったかのように感じるコンビニエンスストア。そんな印象でした。
私は日用品コーナーへ進みながら、ふと窓ガラスにうつった自身の姿に仰天したのです。
額から大量に流血し、顔は真っ赤。ワイシャツも上部は血で赤く染まっています。
その姿を見て初めて、皆がこちらを凝視している意味を理解できたのです。
理解できたと同時に、物凄く恥ずかしくなりました。
「これだけ流血しているのに、バンドエイド1個をレジへ持っていって変に思われないだろうか」
そんな思いが脳裏をよぎります。
しかし今ココで動きをやめるわけにもいきません。
逆にバンドエイドではなく、缶コーヒーやヤンジャンを買うのも変です。
私は何事もなかったかのように、バンドエイド1箱を手に取り、レジへ並びました。
そして精算を済ませると、皆の見守る中、そそくさと店を出たのです。
店を出ても、物凄い人の数の視線を、背中に感じました。
私は迷いましたが、そのまま出口すぐのゴミ箱前へ移動し、バンドエイドを1枚、箱から取り出し、額へ貼ったのです。
血ですぐに剥がれ落ちる事はわかっていましたが、貼るしかなかったのです。


2012年4月8日日曜日

手すりを持つ女

何故35歳を過ぎた女性は、助手席上部の手すりにつかまるのでしょうか。
昔、オカンを助手席に乗せると、必ずといっていいほどに助手席上部の手すりをシッカリと握っていました。
聞くと「あんたの運転が怖いからや」と不機嫌そうに言いましたが、他の人の運転の時でもいつも握っていたのです。
その後20年間、独自の調査を行い、35歳以上の女性は助手席の手すりにつかまることが判明したのです。
また、すれ違う車の目視による調査でも、ほぼ前述に当てはまる女性が手すりを持っていました。
老化によりホルモンのバランスが崩れ、安定感が悪くなり、車の揺れに対応できないので手すりを持つのでしょう。あくまでも仮説ですが。
どんなに綺麗でオシャレでクールな女性でも、助手席で手すりを持っていたら、それだけで笑えてきます。
決して悪い意味ではありません。何となく間抜けな感じがして笑えるのです。
以前、顔やファッションだけでは老化は隠せないというコラムを書きましたが、まさにコレも同様に、手すりを持つことで年齢がバレてしまうという事を言いたかったのです。

2012年4月5日木曜日

イラチさん

いつもイライラしてせっかちな人をイラチさんと呼んでいます。
イライラはいけません、イライラする事で人に八つ当たりしてしまったり、揉め事の原因になる事が多いからです。
イラチさんがいるだけで、周囲の人まで気分が悪くなったりします。

先日、帰る方向が同じある友人と一緒に帰る事になりました。
一緒にといっても車はそれぞれ別、2台あります。
私は、いつもなら自分のいつものお気に入りルートを走行するのですが、その日は何となく友人のルートで(後方を走行して)帰ってみることにしたのです。
基本的にただ帰るだけで、別に急いでるわけではありません。
しかも時間は深夜1時、渋滞も勿論ありません。
なのにその友人は、クネクネと裏道ばかりを走行するのです。
どうやら赤信号につかまるのが物凄く嫌なようで、信号のたびに手前の路地に入るという運転を何度と無く繰り返すのです。
いつもの私のお気に入りルートなら、確かに信号は8回通過しますが、曲がるのは3回、一旦停止は0回、この時間だと5~6分で到着します。
しかし赤信号を避けてクネクネと走行する今回のルートでは、信号は4回と少ないものの、トータル9回も曲がり、一旦停止も7回と大変忙しい走行となったのです。
走行時間もひょっとしたら長かったのではないかとさえ感じたのです。
そんなに赤信号につかまるのが嫌なのでしょうか。
気になったのでメールしてみました。

「ややこしい帰り方やなキミ」
「あはは(´▽`)ノ」
「曲がりすぎや」
「たぶんそー思ってるやろとおもた」
「まっすぐかえりーな」
「寄り道はしてへんもん」
「そらそやけれども」
「やろ?(^-^)/」
「信号ぐらい多少ひっかかってもええがな」
「あは、わかってるやん」
「イラチかいな」

赤信号にひっかかる数が少ないだけで、走行距離や、停車発進数の多さから燃料の消費・タイヤの磨耗、そして走行時間まで、全てにおいて無駄なルートでした。
しかも路地裏を走行する事で、交通事故の可能性も高くなります。
やはりイラチはいけません。
基本的にイライラ予防にはホルモンバランスを整えるビタミンBやカルシウム、またカルシウムの吸収を助けるビタミンDの摂取をオススメしています。

2012年3月15日木曜日

黒靴下の恐怖

黒い靴下。
基本的に私は黒靴下を履きます。
もうずっと黒靴下を履いています。
黒以外は履かないと決めているわけでもありませんが、黒または黒に近い濃い色の物を好んで履いているのです。
がしかし、黒靴下には副作用があります。
私は長年この副作用に悩まされ続けながら、今もなお黒靴下を履き続けているのです。
私はこれまで、この副作用について誰にも話した事はありません。
ずっと自分の胸の中に留め続けて生きてきたのです。

黒靴下を脱ぐと、必ずといっていいほど黒い毛玉が足裏に大量に付着しています。
これが副作用の正体です。

黒靴下を脱ぐシーン、例えば病院の場合。
白いシーツのベッドに黒靴下を脱いで横たわるように云われ、云われるがまま横たわった際に、シーツにベットリと足裏に付着していた黒い毛玉が付きました。
それを見た時、とても恥ずかしくなった事、今も鮮明に憶えています。

黒靴下を脱ぐシーン、例えば足つぼマッサージの場合。
友人が足つぼのマッサージ店をオープンした際、私にもマッサージをしてくれるというのでやってもらった時の事です。本来なら黒靴下を脱いでから、まず足湯に入って足裏を温め、その後マッサージが始まるのですが、その時は足湯を省略し、すぐにマッサージをしてもらったのです。その時私の足裏を見た友人が言いました。
「きったないなあ」
私は今もこの言葉が脳裏に焼きついています。

それ以来、私は黒靴下の副作用を、自分だけの悩みとして封印し続けて生きてきたのです。
帰宅後すぐにシャワーを浴びる場合を除いて、まずは服を脱ぎそして黒靴下を脱ぎます。
その際、自分の足裏の黒い毛玉が床に付着する事を恐れて、脱いですぐに足裏を洗います。
前面所でハンドソープで洗うのです。
手も同時に洗えますので、一石二鳥であると毎回実感しながら洗うのです。
しかしこの歳になって、果たしてこの抱え続けてきた悩みが、私だけの悩みなのかと思うようになりました。
ひょっとすると同じように悩んでいる人が沢山いるのではないか、そんな風に思えるようになったのです。
そこで勇気を振り絞って、何人かの友人に聞いてみました。
すると皆、恥ずかしがることなく、簡単に同意してくれたのです。
私は、長年ひとりで悩み続けてきた事が馬鹿馬鹿しく思えました。
しかし私ほどに悩んでいる人はいませんでした。
やはり私のように過去の恥ずかしい経験が、トラウマにはなっていないので、あまり気にせずに過ごしているのでしょう。
ひょっとすると、人前で黒靴下を脱ぐ経験があまり無いのかもしれません。
前回もお話致しましたが、私は酔うと靴下を半分脱ぎます。
酔うと靴下を半分脱ぐ行為、半ソックス男である事を告白いたしました。
半分だけ脱ぐのが気持ちいい、そんな風にお伝え致しましたが、実は全部脱ぐと、この黒靴下の副作用が露出してしまう恐怖から、無意識に半分に留めている、そんな可能性も実は否めないのです。
もちろん、黒靴下の素材や足裏の湿度等によって、毛玉の量には変化はあるでしょう。
長年の経験から、黒靴下が安物か高価な物かがそれを左右しているという事もありません。
私と同様に、これまで黒靴下の副作用に悩まされ続けていた皆さん。
これからは皆同じなんだと思ってください。
恥ずかしがる事はありません。
正々堂々と、自信満々に黒靴下を脱ぎましょう。
本日をもって、黒靴下の副作用は、完全に市民権を得たといっても過言ではないのです。

2012年3月13日火曜日

メンタルマネジメントセミナー

メンタルマネジメントとは、自身の感情をコントロールし、潜在能力を引き出す事を言います。
何故か今、私の周囲には、このメンタルマネジメントセミナーに参加している又は参加したいという仕事に燃えている20代後半から30代前半の人が沢山います。
いずれも会社や上司からススメられてセミナーを受けている、又は今後受けるという人達です。
企業側からすれば、油ののってきたこの年代の人にセミナーを受けさせて、ヤル気になってくれればいいという考えなのでしょう。
私も20代前半の頃、自分の意思でですが、こういったたぐいのセミナーに散々参加いたしました。高価な参加費を支払い、日帰りだけでなく1泊や2泊以上というセミナーも受講した経験があります。
しかし、いくら参加してヤル気満々になったとしても、下界に降りてから自分でコントロールできなければ、すぐに元の生活(元の考え)に戻ってしまうものです。
紙ふうせんと同じで、何回も手で上へ弾かないとすぐに落ちてきてしまいます。
本来なら、そういったセミナーを受ける前に、自身で強い目標を掲げ、それに向かって必死に行動しているという状態があった上で、壁にぶち当たったり問題が生じて悩み苦しみ、そしてセミナーに参加して解決の糸口を掴むというのが正しいセミナーの使い方だと思うのです。
目標や夢も明確じゃないのに、単にセミナーに参加しても意味はありません。
だからみんなヤル気が維持しないのです。
本来、明確な目標があればそういったセミナーに参加せずともヤル気は維持できるものなのです。
もしも自社の社員や部下をセミナーに参加させようと思うのならば、まずは経営者や上司が、部下に明確な夢や目標を持たせるというアクションをしっかりと行った上で、参加を促すべきです。
中には毎回参加しているという人もいました。セミナーに参加することに意義を感じてしまって、頭でっかちになってしまい、行動が伴わないという人です。そんな人を山のように見てきました。
夢や目標に向かうために、自分を奮い立たすために参加するはずが、参加する事で自分が成功すると勘違いしてしまっているのです。
あくまでもセミナーの目的は自身を行動にかきたてるヤル気です。
行動を起こさなければ全く意味の無いものとなります。
もしもセミナーに参加して、ヤル気が出たのならば、まずすべき事、それはスケジュールを埋める作業です。
ヤル気があるうちに1ヶ月先までビッチリとスケジュールを埋めます。
埋めてしまえば後はヤル気があろうが無くなろうが予定をこなすだけです。
1ヶ月といわず、半年でも1年先でもかまいません。
長ければ長いほど良いと思います。
明確な目標があれば本来はヤル気はなくなりませんが、定期的に自分の目指す地点に到達している人(成功者)と会う事をオススメします。
会って同じ時間を共有するだけで充分ヤル気が出てきます。
わざわざメンタルセミナーに参加しなくても目指すゴールがしっかりしていればこれだけで明日からまた頑張れるのです。
それが自身の上司や経営者であればもっと最高です。
もっと言うと、上司や経営者が社員の目指す姿であれば、こういったセミナーに参加させる必要は全くないという事なのです。
目標となる人と一緒に働く(時間を共有する)だけで、社員はヤル気満々になるのです。

2012年3月10日土曜日

半ソックス男

何故酔っ払うと靴下を脱ぎたくなるのでしょうか。
しかも半分だけ。
全部脱いでしまうのはダメなのです。全部脱いでしまうと靴下を忘れて帰る原因になりますし、次履くときに大変です。じゃーくさいのです。
だから半分だけ脱ぐのです。
半分だけ脱ぐと、靴下が前にダラーンとなります。
歩く時はお殿様のように靴下を跳ね上げて歩きます。
冷たい床に足裏半分が触れて気持ちいいのです。
お酒を呑むと血行が良くなり身体が熱くなります。
きっと足裏も熱くなって、冷たい床が恋しくなるのでしょう。
靴下の半分脱ぎ、これを半ソックスと呼びます。
自分が半ソックス男であると気付いたのは20代前半の頃。
よく人から注意を受けました。
その後何年かが経過して、同じように酔うと半分だけ靴下を脱ぐ半ソックス男が他にも存在する事を知りました。
同じような人が居るという事に深く感銘をおぼえたのです。
その後、半ソックス男を見つけるたびに、心を動かされたのです。
全部脱ぐ派も居ます。がしかし、全脱ぎ派には心を許す事はできませんでした。
やはり男は半ソックス。
隠していたが実は自分も半ソックスはであるという人は、名乗り出てください。
もう半ソックスを恥ずかしいと思わなくても良いのです。
これからは堂々と半ソックスでいいのです。
我々は既に市民権を得たのです。

2012年3月7日水曜日

かさぶたを剥がす女

かさぶた(瘡蓋)は動物の生体保護現象の1つ。
主に傷口の出血を止める目的の過程で発現する。
医学領域では痂皮といわれる。

先日、左足を負傷した事をつぶたいた時の事。

R 「かさぶたになったら教えてね~」
私 「えー、どないするん、」
R 「もちろん!!剥がすの━━★(〃ω〃)エヘ♪」
M 「ワタシも寄せてくださーい!」
私 「((((;゚Д゚)))))))ちょっ、」
R 「一緒に剥がしましょ━━♪(^-^)人(^-^)ね━━♪」
私 「((((;゚Д゚)))))))イヤーーー」

人のかさぶたを剥がしたいなんて一体どういう心境なのでしょうか。

R 「剥がした時に皮膚が再生されててピンク色のうっすいツルツルの皮膚にゾクゾクする~♪再生されて無くて血が滴るのも棄てがたいけど(笑)」
M 「すばらしく同意が出来るのは何故でしょう・・・笑」
私 「(((((((( ;゚Д゚)))))))ガクガクブルブルガタガタブルガタガクガク」
R 「自分のではなく人のカサブタに萌ますよね━━♪」
M 「人のってのが魅力的☆」
私 「((((;゚Д゚)))))))狂っとる、」

私は、自分のかさぶたでさえ絶対に剥がしません。
完全に皮膚が再生されてポロッと勝手に落ちるまで、絶対に剥がさないのです。
完治しかけているのに、剥がした事で再度出血したらもう一度ふり出しに戻ってしまいます。
まして人のかさぶたに触れる事なんてできません。
痛かったら可哀想です。

こんな女子2名とのやり取りを、とある文系女子に相談してみました。

私 「こんなんゆーねや、かなんやろ」
K 「えー、アタシも剥がしたい」
私 「はぁ?はぁ?はぁ?」
K 「剥がそ剥がそ、みんなで剥がそ」
私 「((((;゚Д゚)))))))イヤーーー」

一体全体世の女子はどうなってしまったのでしょうか。
みんなドSなのでしょうか。

私 「ドエスか実際問題!」
K 「えー、楽しいヤン」
私 「剥がすという行為ちゃうがな、剥がされる人の感情を考えてみーな」
K 「気持ちいいんちゃん」
私 「いやあぁぁぁゆーて嫌がってる姿を見て萌えるんか」
K 「それがええんヤン」
私 「畜生やな実際問題」

恐ろしい世の中になったものです。
クワバラクワバラ
ナンマイダーナンマイダー

2012年2月22日水曜日

恋愛相談 50代男性編 【実践編】

すっかりファッションリーダーと化した50代男性の恋愛相談ですが、外見ばかり磨いても結局は何の進歩もありませんでした。
いや外見を変化させる事で、自分に自信がつき、少しは良い方向へ進むのではないかという私の考えが甘かったのかもわかりません。
もっと本質の部分を強化しなければならない、そんな思いから、今回は実践トレーニングを交えての体験型恋愛相談というスタイルをとってみました。

私 「最近どないですの」
彼 「なーんもええことないわ、だーれも声かけてくれへんし」
私 「まだ逆ナン待ちしてますん」
彼 「せやけど僕が声かけたかて「なんやこのオッサン」ゆわれるだけやで」
私 「どんな事言おうおもてますん、まずは挨拶だけでもええやんか」
彼 「挨拶しても次が続かんがな次が」
私 「とりあえずは相手を褒めたらええんやんか、髪型でも服でも」
彼 「僕人を褒めたりようせんわ」
私 「なんやて?見たまま言うだけやん」
彼 「人を褒めるようなキャラちゃうもん」
私 「なんのキャラですの、そーゆーたら俺の事も褒めたことないよな実際問題」
彼 「僕それだけは苦手やねん」

50年以上生きてきて、まともに人を褒めた事がないというから驚きです。
そもそも彼は企業のオーナーですから、沢山の社員をかかえています。
社員をさえ褒めた事がないなんて、社長として失格ではないでしょうか。
とりあえず人を褒める練習が必要であると判断し、2人の行きつけのカフェーにて、20代女子スタッフに練習台になってもらう事にしました。
5人いる女子スタッフを順番に我々のテーブル席に呼びつけ、私の見守る中、彼女たちを褒めてもらうという方法です。
彼女たちには、理由は告げていません。

1人目の24歳の女子がやってきました。
彼女はモデルのようにスラッと背が高く、誰もが振り返るほどの美人です。
ここでは名前をEちゃんとしましょう。

E 「どーしたんですか?」
私 (彼のほうを注目)
彼 「、、、、(彼女と俺をチラチラ)」
E 「????」
私 「はよ言いーな」
彼 「せやかて何をゆーたらええんよ」
私 「何ていっぱいあるがな」
彼 「、、、、(彼女と俺をチラチラ)」
私 「何をしとんねや」
E 「なんですかぁ?」
私 「ええわええわ、ごめ。ごめ。ありがとうな」

彼女は不思議そうに帰っていきました。

私 「何をやってるんすか」
彼 「せやかてそなもん急に褒められるわけないやんか」
私 「ほならいつやったら褒めれんねん」

2人目の21歳の女子がやってきました。
彼女はボーイッシュな感じのショートヘアの似合う美人です。
ここでは名前をYちゃんとしましょう。

Y 「こんにちわお久しぶりです」
私 (彼のほうをガン見)
彼 「、、、、(彼女と俺をチラチラ)」
E 「何かありました?」
彼 「、、、、(彼女と俺をチラチラ)」
私 「はよ言いーな」
彼 「せやかて何をゆーたらええんよ」
私 「何ていっぱいあるがな」
彼 「、、、、(彼女と俺をチラチラ)」
私 「何をしとんねや」
E 「なんですか?」
私 「ええわええわ、ごめ。ごめ。ありがとうな」

結局その後の3人にも、彼は全く同じ対応をし、このトレーニングは終了しました。
彼女たちには後で事情を説明し謝罪いたしました。
事情を理解した彼女たちはその後、いかに褒めてもらう事が嬉しいか、またどんな些細な事でも気付いて、さりげなく褒めてくれる人の事は、やはり印象に残るものであるという話を直接してくれました。
しかし彼は「なかなか簡単にはできないと」言うばかりでした。
最後レジでも同様の課題を与え、後方から見守っていましたが、結果は同じ。
結局この日彼は、誰一人褒める事ができなかったのです。

それから一週間後、彼と会った時の事です。

彼 「そのネクタイええやんか」
私 「おっ!!褒めとるし」
彼 「えへへへ」
私 「ええがなええがな、それでええがな」
彼 「せやけどちょっと色がアカンわ」
私 「ほっといてくれ!」
彼 「そのスーツにその色のネクタイは合わへん」
私 「ただのファッションにうるさいオッサンやん」

しかし、あれから彼は「常に人を褒める」という意識を持って過ごしているようです。
まだまだ恥ずかしそうではありますが、女子に対しても褒め言葉が言えるようになったと言います。
一歩ずつですが、確実に彼は進化しつつあります。
今後も彼の変化に目が離せません。

■前回までの恋愛相談
恋愛相談 50代男性編 【続編】
恋愛相談 50代男性編
恋愛相談 20代女子編


殿にチップ→ 19A7a15L8ZHdfeBjwW8TM82cHiBKxu7YPB

2012年2月19日日曜日

お客様はカミサマ

お客様は神様です。
その思いが日本の商売の基本になっていて、世界的に見ても日本のお店の接客は素晴らしいと言われる所以となっているのだと思います。
客はお金を払うのだからお店にとっては神様、お金を払う客がいないとお店はやっていけません。
しかしお店はお金を受け取るかわりに商品やサービスを提供します。
客はその商品やサービスを欲しいからお金を払います。
ということはこの関係は50/50(フィフティフィフティ)ではないでしょうか?
お店側が客を神様と思う事は大切です。感謝の気持ちを忘れてはいけません。
しかし客の自分が神様だと思ってはいけないのです。
客も商品やサービスを提供してくれるお店に感謝しないといけないのです。
お互いが感謝しなければならない関係なのです。
(この場合、商品やサービスに他にはない魅力があるという根拠が必要ですが)
(根拠に関してはまた次回触れます)

意味も無くお店や業者などにえらそうに言う人がいます。
自分がお金を払う立場の場合は、自身を神様だと思っている人です。
コンビにでもガソリンスタンドでも飲食店でも、店員には完全に上から目線で言葉を発します。
相手がペコペコしてきたら余計に調子に乗ってえらそーな口をきくのです。
そんな人に限って自分よりも目上の人(上司など)にはペコペコなのです。
俗に言うクソです。クソのような人間です。チンカスとも言います。
私の周囲で何人か、そういう部類の客(以後クソと呼ぶ)を「二度と来るな」と追い返す気持ちのいい飲食店の店主がいます。
クソは追い返されて当然だと思います。
しかし最近は、そんなクソがネットを使って自分を正当化し、飲食店を誹謗中傷するという事案が増えてきました。
多くの人の目に触れるネットで誹謗中傷した場合、お店は多くの損害を蒙ります。
お店側は完全に被害者となります。
そうなった場合、被害をこれ以上受けないために、クソに対しても我慢してペコペコしなければならなくなるわけです。
飲食店以外の商売の場合は、ここまでの被害はないでしょうが、いずれにしてもクソが絶滅しない限り、なかなか50/50(フィフティフィフティ)の関係と言える時代は来ないように思うのです。

2012年2月16日木曜日

分割食べ

誰もが1度は経験してるという分割食べ。
ただ単に食べるだけの食事ではなく、食べるという動作にも楽しみを見出すことのできる画期的な食し方として分割食べは存在します。

なんといっても基本の分割食べはアポロです。

口の中にほりこんで、イチゴチョコとチョコをキレイに歯で割っていただきます。
なぜ分割するのか、それはわかりません。
幼少期、誰から教えられたわけでもなく、誰もが本能的にアポロはこう食していたはずです。
これはきっと私たち人間の本能なのかも知れません。
ただ、ほとんどの人が分割後そのまま食べてしまいますので、こういう風に一旦外へ取り出すことがありません。
取り出すことで、どれくらいキレイに分割されたかがわかりますので、みなさんも一度取り出して切り口などを目視してみてください。

※アポロも種類によって分割できないものもあります。ご注意下さい。




ミルクレープ分割食べ。

比較的誰もが経験しているといえばこのミルクレープの分割食べ。
1枚1枚丁寧にはぎとり食します。
ある意味、はがしたい真理を抑え、一気に縦に切断し食べるのがミルクレープの醍醐味なのですが、やはり人の本能であるこの分割食べは、チロルに続く分割食べの横道なのではないでしょうか。












ポッキーの分割食べ。(正式には分割舐め)

ポッキーはチョコレートの部分だけをキレイに舐めてプリッツ化します。
全てプリッツ化したものを丁寧に箱に戻し、それに気付かぬ誰かがプリッツだと思い食べたら上級者といえます。
丁寧に時間をかけて舐めないと、傷がついたり折れたりと、非常に繊細な作業となります。
また、時間をかけすぎたり強く舐めすぎると、本体が溶けてキレイなプリッツが完成しません。
作業中は、口の周辺に非常に多くのチョコが付着する事が想定されます。
なるべく誰も見ていない場所で分割舐めする方が、良いと思います。







チロルチョコレート分割食べ。(正式には分割舐め)

チロルの分割食べも定番中の定番ですね。
噛みたいという心理を極限まで抑え、最後まで舐めきる忍耐力が必要です。
チロルの場合、写真ようなゼリー状の物の他に、クッキータイプも存在します。
クッキータイプは上記のポッキーと同様に、舐めすぎると溶けるという性質がありますので、より繊細で丁寧な作業となります。
クッキータイプの方が上級者といえるでしょう。











カプリコ分割食べ。

カプリコは周囲の部分をキレイに食べきる事で分割食べが完了します。
写真の通り、最後失敗し折れてしまいました。
舐めるのではなく前歯で少しずつ削り取るという方法ですので、これはこれで非常に高度なレベルを要求される分割食べといえます。
カプリコに関しては、再度リベンジしたいと思います。












小枝分割食べ。(正式には分割舐め)

小枝の抹茶タイプを分割食べしました。
正直満足のいく分割食べとはなりませんでしたが、何事もチャレンジ精神が必要です。
小枝のように初めから難航することが予測されるものほど、後の達成感を夢見て燃え上がるのではないでしょうか。














LOOK分割食べ。(正式には分割舐め)

これはかなりの上級者向けの分割食べです。
LOOKの中身はクリーム状です。
かなり慎重に作業をすすめないとすぐに溶けてしまいます。
しかし完成したときには最高の達成感が味わえます。
そして自身が分割食べの上級者であることの満足感が得られるのです。
この写真を見ていただいてもお解かりのように、決して完璧な分割とはいえない形状となってしまっています。
私自身、このLOOKでまだまだ未熟者である事を自覚いたしました。







キットカット分割食べ。

これまでの前歯で削る作業と舌で舐めきる作業の両方のテクニックを使用して完成するキットカットの分割食べ。
単純に舐めているだけでは中のウエハースがすぐに溶けてしまいます。
さらに手で持った部分のチョコがすぐ溶け始めますので、非常に慎重に作業をすすめないと完成しません。
写真のように、これも私自身が非常に多く事を学べる分割食べとなりました。










シュークリーム分割食べ。

シュークリームが好きすぎて、しかもカスタードクリームが好きすぎて、幼少期はいつもシューだけを先に食べ切り、最後にクリームを一気に食べるという方法をとっていました。
当時はまさかこれが分割食べだとは思ってもいませんでしたが、今考えれば立派な分割食べです。
やはり人は本能的に分割食べを行っているのでしょうね。
しかし底の部分のシューに関しては、手で持って食べるという性質上、どうしても残さないといけません。
それだけがどうしても満足できない部分でもあるのです。







バウムクーヘン分割食べ。

簡単なようで非常に難しいのがバウムクーヘンです。
これまでに何度と無く様々なバウムにチャレンジしてまいりましたが、どれひとつ成功せず、半ば諦めかけていた時に、原宿のバウムマニア仲間から教えていただいたこのカーべカイザーのバウムでなんとか5割は達成したという写真です。
少しずつ少しずつ、前歯で外側から食べて行きます。
ここまでに何分の時間を要したでしょうか。
人並みはずれた精神力や忍耐力が必要となります。








天津飯分割食べ。(正式には半分食べ)

これは番外編ともいえるのですが、天津飯やオムライス、チャーハン、カレーなどは何故かキレーに半分を食べてから全てを完食してしまうのです。
これはカップタイプのアイスクリームでも同じ。
私自身、一体なぜそうしてしまうのか、正直わかりません。
これもきっと人間の本能なのでしょう。
半分食べというカテゴリーで考えていましたが、これも分割食べの一種ではないかという声を元に、分割食べの番外編として位置づけています。










このように様々な分割食べを紹介してまいりましたが、あくまでもこれは私個人の特別な心理ではなく、ほとんどの人の心の奥底に眠る深層心理であるという事です。
実際に2006年に作成したmixi内の分割食べのコミュニティでは、非常に多くの方々から賛同をいただいています。
これからも様々な分割食べにチャレンジしてまいりたいと思います。
では失礼します。

※一部お見苦しい写真、また写真データが古い等の見ずらい画像お許し下さい。

2012年2月6日月曜日

初夢

普段から眠りが深いせいか、夢を見る事なんてもう何年も無かったのですが
(いや現実には見ているのかもしれませんが覚えていません)
今年明けて2度も見てしまいました。
しかも1月1日と2日連夜で。いわゆる今年の初夢です。
1日は今年入ってから連絡が取れなくなった女性の夢。
2日は今年入ってから連絡が取れなくなった男性の夢。
その後ピターッと夢は見ておりません。
ちゅーか見た時点では音信不通になったと自覚しておりませんでしたので、今思えば何かのお告げだったのでしょうか。
毎日胸が痛いです。

2012年1月19日木曜日

恋愛相談 50代男性編 【続編】

以前、恋愛相談を受けた50歳代男性から、その後も何度となく同じ相談を受けてまいりましたが、あれから8ヶ月が経過しました。
あれから彼は、すっかりファッションリーダーとなってしまったのです。
彼は毎月毎月メンズファッション雑誌を4冊購入しています。
そして隅から隅まで読破し続けています。
今では私の方がファッションについて教えてもらっている状態です。
そして毎日1時間のトレーニングを怠らず、15kgのダイエットに成功。
アランミクリの眼鏡をTPOに合わせてかけ(4個を使い分けています)
全身ポールスミスでコーディネイト。
裏地が花柄のスーツに身を包み、これまで地味めなタイしか自分には合わないと主張していた8ヶ月前が嘘のように、派手なネクタイをつけています。
ランコムのクリームを毎日塗りたくって美白も怠りません。
エステにだって通っています。
外へ出るときは日焼け止めクリームを怠りません。

私 「しゃーけどすっかりファッションリーダーですやんか」
彼 「そんなことあるかいな」
私 「去年のセンセとは別人ですやん」
彼 「明日はバーニーズ・ニューヨークに買いもん行くねん」
私 「ファッションリーダーやなあ、しゃーけど実際かっこええですわセンセ」
彼 「自分ぐらいやでそんなんゆーてくれるのん」
私 「んなことないでしょ」
彼 「ほんまやがな、痩せてもなんもええことないわ」
私 「みんな痩せたなゆーて言うでしょ」
彼 「だーれもゆーてくれるかいな、オバハンぐらいやがな」
私 「オバハンでも言われたら嬉しいやんか」
彼 「イランわ、なんも嬉しないわ」
私 「誰にゆーてほしいん」
彼 「そら20代の女子やがな」
私 「まだそれゆーてますのん」
彼 「そなことゆーたかて言われたいんやもん、しゃないがな」
私 「ゆわんでもみんな思ってるて」
彼 「あーあ、痩せても服変えてもだーれも声かけてくれんわ」

すっかり外見は別人になりましたが、どうやら中身は何も変わってないようです。
しかも20代の女子からの逆ナン待ちというから凄い人です。

私 「そなもん自分から声かけんと20代女子が来るわけないですやん」
彼 「それができたら苦労せーへんちゅーねん」

いくら痩せてオシャレになっても、自分自身に自信がない為に、自分の好みである20代女性からのアプローチを待ち続けていると言います。
そもそも若いイケメンでもそう女性から声をかけられるものでもありません。

彼 「あーあ、お祓いでもいこかな」
私 「なんですのお祓いて、そなもん神社の金儲けでしょ」
彼 「こないだボクの知り合いが2人もお祓いしてもーて幸せになっとんねや」
私 「なんやて?」
彼 「あれごっつ効くらしで」
私 「ほんまですの、センセ行って良かったら俺かていくわお祓い」

結局どっちが相談しているのかわからなくなってきたので、この辺で恋愛層相談は終了しました。
今後の彼の変化に注目です。


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2012年1月18日水曜日

味覚

人によって味覚は大きく異なります。
同じものを食べても美味しいと感じる人もいれば、不味いと感じる人もいます。
天下一品のこってりラーメンに対する反応は、その分かりやすい例です。
あれほど好き嫌いのハッキリわかれるモノは無いと思うのです。
それはまるで喫煙者と非喫煙者とのバトルにも似ています。
意見がわかれる事は理解しているものの、やはり不味いと言われるとガッカリしますので、初テンイチの人と一緒に、こってりを食べる時は緊張します。
そして「美味しい」と言われると歓喜し、同じ感性(味覚)であった事に感謝するのです。

先日、とある友人とたまたま通りかかって入った中華料理店。
780円のランチメニューをいただきました。
しかしあまり私達の口には合わず、完食せずに店を出たのです。
完食せずに店を出るという事は滅多にないのですが、この時はさすがに全部食べる事ができなかったのです。
店を出た後、友人が言いました。
「ひどかったな、もう二度とイカン」
「まぁまぁええがな、そんな時もある。せやけど中国人の店主は一生懸命やったがな」
「あの味はアカンやろ、つぶれたらええのに」
「かめへんがな、オッチャン頑張っとったがな」
別に接客が悪かったわけでもなく、料理が遅かったわけでもなく、ぼったくられたわけでもなく、店が汚かったわけでもありません。
ただ単に味が口に合わなかっただけなのです。
むしろ店主の接客は、カタコトの日本語で一生懸命頑張ってる姿に好感さえ持てました。
単純に口に合わなかっただけで店がつぶれたらいいと願う心理が私には理解できません。
いやお店側からこちらに対して悪意でもない限り、つぶれて欲しいなんて思わないのが普通ではないでしょうか。
嫌ならもう行かなければいいだけの話なのです。
逆に、もしも機会があれば(迷惑でなければ)私なりに色々とアドバイスしてあげたいとさえ思います。
 飲食店の繁盛するしないの理由は、味だけではありません。
居心地の良さであったり、立地、価格、接客サービスなど様々な要因によって決まります。
お店は、繁盛とまでいかなくても、維持継続するだけでも家賃や仕入れ、人件費、光熱費など、莫大な費用がかかります。
このお店は少なくともこの場所で数年は営業しています。
という事は、よほど蓄えがある場合を除いて、維持継続できるだけのお客様が入っているという事になります。
であれば、味だけではない(味も好みなので一概には言えませんが)他の何か理由があると考えられるのです。
なのに一個人が口に合わなかっただけで、簡単にそんな事を言うべきではないという事です。