2014年5月27日火曜日

ハナクソ

鼻くそをほじっていると、何故か鼻くそが奥の方にドンドン逃げて行きます。
人は皆、それを追いかけ、必死で指を突っ込み、手を変え指を変え、なんとか爪の先に引っ掛けて取り出そうとするのです。
死闘の結果、見事鼻くそを取り出せた時は、何とも言いようのない達成感が得られます。
その時の鼻くそが大きければ大きいほど、より大きな達成感が得られるわけです。
逆に逃した場合の失望感はハンパないものがあります。
もう少し爪を伸ばしてさえいれば、取り逃がす事はなかったのにというお便りも多くいただきます。
勿論、逃した場合の最終手段としては、ティッシュで勢いよく鼻をかみ、鼻息で鼻くそを外に飛ばし出すという方法を取るのですが、しかしその場合の達成感は、死闘の結果、見事指でほじくり出した場合とは、比較になりません。
しかし一体何故鼻くそは逃げるのでしょうか。
そもそも何処へ逃げるのでしょうか。
鼻の奥に鼻くその巣があって、そこへ逃げ隠れさえすれば、捕らえられずに済むというゼブラゾーンがあるのかもしれません。
実際に、取り逃がした上に、鼻をかんでも出てこなかったという体験談は、数多く寄せられています。
ゼブラゾーンまで必死で逃げ切った鼻くその達成感も、きっとハンパないものがあるのでしょう。
21世紀、今後も人間と鼻くそとの死闘は、繰り広げられていくのだと感じています。

ラーメンの汁

ラーメンのスープを飲み干す人。
ラーメンのスープを残す人。
世の中には2種類の人がいます。
ほとんどの人はスープを残します。
正確なデータは持っていませんが、体感では9割以上の人がスープを残している印象があります。
勿論、残す量は人それぞれですが、キレイに飲み干す人は、あまり見た事がありません。
では味噌汁はどうでしょうか。
味噌汁はほとんどの人が飲み干します。逆に汁を残す人は見た事がありません。
玉子スープも、玉子だけ食べてスープを残す人は見た事がありません。
では何故ラーメンなら汁を残すのでしょうか。
ラーメンスープという名前ならみんな飲み干すのでしょうか。
「身体に良くないので」
ほとんどの人はこう言います。
身体に良くないというのは、何か有害物質でも含まれているのでしょうか。
スープが身体に悪いのであれば、スープ無しと注文したらどうでしょうか。
「太るので」
これもよく聞きます。
太るという人は、週に何回ラーメンを食べるのでしょう。
毎日なら間違いなく太ります。
しかし週に1回も食べないはずです。
なのにそれだけで太るというのなら、普段一体どんな食生活をしているのでしょうか。
「スープを残すのがマナー」
そんなマナーいつからあるのでしょうか。
ちっともカッコイイとは思いません。

そもそもラーメンというものは、麺と具材とスープで構成されています。
全部が合わさってラーメンなわけです。
どれか一つでも欠けたら、それはラーメンではないのです。
世の中に、こんなにもスープを残す人が多いのであれば、いっそのことラーメン店は、スープを少なくすればいかがでしょうか。
通常の半分か1/3ぐらいの量でいいじゃないですか。
それだけ原価率も下がります。
毎回毎回大量に残されたスープを捨てるのは、心苦しいはずです。
以前、とても美味いラーメン屋があると友人が連れて行ってくれたのですが、彼は美味い美味いとラーメンをすすっていたのに、最後に大量にスープを残したのです。
私はその時、彼は美味い美味いと言いながら本当は美味くはなかったのだと受取りました。
美味しかったらスープは残さないはずです。
それともここのラーメンの麺だけが美味いのだと言いたかったのでしょうか。
私はよほど不味くない限り、スープは残しません。
だって美味しいんですもん。
そんなにスープを残すのなら、油そばか焼そばを食べればいいのです。
それとも、つけ麺を注文して、割りスープをオーダーしなければいいのです。
本来のラーメンが食べたいのなら、スープもキチンと飲み干してほしいものです。

食べ方

料理にはそれぞれ正しい食べ方なるウンチクがあります。
それは誰かが決めたもので、それをキチンと守って食べるというのがツウとなるわけです。

ラーメンはまずスープをすすってから麺を食べる事になっています。
私は絶対に麺から食べます。
スープより先に麺を食べたいのです。
そして最後までレンゲは使わずに食べたい派です。
たまに麺から食べていると、食べる順番が違うと指摘する人がたまにいますが、そんな人とは二度と食事はしたくはありません。

蕎麦の正しい食べ方は、つゆに半分だけつけてズズッと勢いよくすすります。
薬味は蕎麦に乗せたりつゆに混ぜたりせず、箸でつまんで蕎麦と交互に食べるというものです。
しかし私は蕎麦はつゆに全部つけます。
つゆの着いてない半分の部分が先に口に入るのが嫌なのです。
関西風のつゆなら少し甘いので、関東人のように半分しかつけないなんてイキがる必要ないのです。

ポタージュはすすらずに、スプーンですくって食べます。
パスタはスプーンは使わずにフォークで丸めて食べます。
寿司は手で持ってネタに醤油をつけて食べます。
カレーは混ぜずにライス側からカレー側へと食べます。
お好み焼は箸を使わずにコテだけで食べます。
焼肉はドバッと乗せないで1枚ずつ焼いて食べます。

世の中には食べ方に関する決まり事が蔓延しています。
そんなものはいちいちキチンと守る必要なんてないのです。
食べたいように、好きなように食べれば良いのです。
但し、本来の正しい食べ方を理解した上でという条件です。
うっとおしい誰かに食べ方を指摘されたとしても、そこで動揺するような事のないように。
「わかっとる!ほっといてくれ!」
とキチンと言い返せるようにお願いします。

2014年5月18日日曜日

遠慮しぃ

遠慮しぃ=よく遠慮する人
基本的にO型の女子は遠慮しぃですが、この遠慮というものが、果たして相手にどういった印象を与えているのかを、キチンと理解した上で遠慮しないと、逆効果になる場合があるのです。
基本的に遠慮しぃの人は、相手に申し訳ないのでと、気を遣って遠慮しています。
これは相手の人に対しての気遣いですので、悪意がある訳ではありません。
がしかし、相手から気を遣われると、こちら側も気を遣ってしまうというのが人間の本能です。
人間関係が構築されたという事実を測る一つの目安が、相手に対する遠慮というものが無くなった状態とするならば、遠慮をしている限りは、本当の意味で相手を信頼していないとか、甘えられないという風に捉えられてしまいます。
相手を気遣って遠慮しているのに、相手にそんな風に捉えられてしまっては、もともこもありません。
かといって、図々しすぎるのもどうかと思いますので、信頼している相手には、適度に甘えてみるべきなのです。
昔、営業の仕事をしている時、これを痛烈に感じた出来事がありました。
ある客先の担当者(50代男性)が嬉しそうにこう言うのです。
「○○社の○○ちゃん(20代女子)に、ぶどう狩りのチケットを取ってくれと頼まれたんや」
この担当者は明らかに、頼られた事を喜んでいたのです。
私はその時にハッとしました。
仕事に無関係であるプライベートの相談をお客様にする事で、他の営業マンよりも一歩リードしたわけです。
自分の孫のような歳の女の子に、プライベートな相談をされる。
これはオジサン心をくすぐられる高度なテクニックといえます。
ある意味甘えているわけです。
勿論、人を見てやらないといけませんが、この場合は大成功だったはずです。
その後、彼女はその会社と何千万もの商談を決めました。
当時その彼女が、そのテクニックを理解した上で、戦略的にやっていたのならば凄い事ですが、実際はどうかわかりません。
それから私は、たびたびこういった「甘え」を戦略として使用しています。
たまに度を越して、厚かましいと思われているかもわかりませんが、遠慮ばかりしていたのでは絶対に成し遂げる事ができなかった多くの人間関係を築き上げる事ができました。
人にもよりますが、ほとんどの人は、仲の良い人から頼られたいと思っているはずです。
これからはO型女子も、遠慮ばかりしていないで、どんどん甘えてみてはいかがでしょうか。

追伸、ちなみにO型女子は内弁慶です。外で遠慮ばかりしているので、身内には逆に甘えすぎな傾向にあります。

ゆとり少女

とある満員電車での出来事です。
目の前に立っている20歳ぐらいの品のなさそうな女子2人組が会話しています。

「晴れた時に家にいたくないんだよね」
「あー、わかる」
「だってさ、なんでこんな晴れてるのに家にいなくちゃいけないの?ってなっちゃうじゃん」
「あー、わかる」

どないやねん!!!
晴れた日に家にいたくない理由になってへんがな!!!
あーわかるしか言わない相手も何故そこをつっこまないのでしょうか。
しかもわかるて、わかったんかいっっ!!

「あたしさ、カードもってないの」
「あー、わかる」
「持ちたくないんだよねカード、だって重いしさ」
「あーわかる」

どないやねん!!!
重いてどんなカードやねん!!!
あーわかるしか言わない相手も何故そこをつっこまないのでしょうか。
しかもわかるて、わかったんかいっっ!!
ゆとり女子かB型女子かアスペルガー女子か知りませんが、ちょっとおもろかったです。
ありがとうございました。

敗北感

ホテルをチェックアウトし、とぼとぼと駅に向かって歩いていると、駅前の居酒屋に行列ができていました。
見ると1日限定20食のお得なランチがあるらしく、そのランチ目的の行列ができているようです。
普段から、わざわざ並んでまで食べたいという欲求はないのですが、ただ駅に近いし、なんとなく並んでみたのです。
15分程すると、中から店員が出てきて、ランチの説明をはじめました。
そして限定20食のランチ用の整理券を順番に配りはじめました。
「あらま!私が最後?申し訳ないわぁw、後ろの人可哀想ww」
目の前に1人で並んでいる婦人が、こちらをチラチラ見ながらそう言いました。
どうやら丁度私が21人目だったようです。
後方に並んでいたうちの何人かは、20食が完売となった時点で、帰っていきました。
私は、別に限定ランチじゃなくても、何でも良かったのです。
なので単に席予約だけをし、営業開始まで待つ事になりました。
待っている間、先ほどの婦人の言葉が脳裏を旋回します。
「後ろの人が可哀想www」
可哀想なん?俺
何でも良かったのに、可哀想と言われてしまうと、何か損したような気分になってきます。
私はこの時、何故か敗北感を感じていました。
営業時間となり、整理券を持った人がぞろぞろと入口へ集まりはじめました。
私のように整理券を持っていない人は少数でしたが、持っている人、持っていない人が混合で、受付に集まり、順番に席へ案内されて行きます。
整理券を持っている人は、予め既に料理がセッティングされた席へ案内されます。
その様子は、まるでVIP客を通すような雰囲気です。
整理券を持っていない私達は、普通に席に案内されます。
私は1人だったので、カウンター席に通されました。
カウンターは7人がけでしたが、3人までしか通さないようです。両端は限定ランチの人が座っています。
3席分ぐらいの料理が並んでいます。
私は真ん中です。
先ほどの婦人が、私の左手で既に限定ランチを食べていました。
それは確かに並んででも価値のありそうな物凄い豪華なお膳でした。
これで1000円なら価値があります。
私は同じ1000円の日替り膳をオーダーしました。
少し待って出てきた日替り膳は、限定ランチと比べると、悲しくなるほどに1000円っぽい定食です。
あくまでも比較してなのですが、20人目に並んでいて整理券を勝ち取り、21人目の私を可哀想と言った婦人が食べている限定ランチと、私の目の前にある日替り膳とでは、格差がありすぎて、悲しくなったのです。
隣の婦人と私との差は、単に数秒差で並んだかどうかだけです。
並んでいた時間なんてほぼ差がありません。
なのに私はこのしょぼいランチ、婦人は豪華なランチなのです。
しかも店員もなんとなく彼らにはVIP扱い、我々は庶民扱い、そんな気がしてならないのです。
いや接客はとても良いのですか、そう感じてしまう雰囲気なのです。
婦人は、私の目の前に提供された日替り膳を見て、少し笑いました。
なんなんでしょうかこの敗北感。
売切れた時点で帰っていった人達は、この敗北感を味わった事のある人達なのでしょう。
店側からすると、限定ランチはそれだけ原価も高く、儲けも少ないので、通常メニューをオーダーしてくれる客の方が嬉しいはずです。
ところが客側は、限定ランチはVIPで勝者、それ以外は庶民で敗者、という雰囲気を出しています。
同じ時間並んで、同じ1000円を支払う客なのに、勝者気分で食べる豪華なランチと、敗者気分で食べるごく普通のランチでは、あまりにも格差が大きすぎるのです。
もしもあの豪華な限定ランチが存在せず、日替り膳だけだったとしたら、満足感もあったはずです。
接客も非常に良かったですし、また行きたいと思ったはずなのです。
しかし同価格で、あんな豪華なランチが存在するばっかりに、こんなにも敗北感を味わってしまうと、もう2度と行きたいとは思いません。
今度こそ限定ランチの整理券をゲットして、勝者になってやる!
なんて微塵も思いません。
もうこりごりなのです。

不親切者

「このホームに喫煙所ありますか?」
品川駅のホームで駅員に聞きました。
「ありません!」
駅員は一言で返してきました。
無いのなら仕方がありません。
新幹線が来るまで、ジッと我慢する事にしたのです。
少しすると、目の前に警備員らしき人が通りかかりました。
私は彼にも同じ質問をしてみたのです。
「このホームに喫煙所ありますか?」
彼は言いました。
「このホームにはありませんが、そこの階段を上がったところにあります」
なんとすぐそこの階段を上がったところに喫煙所があると言うのです。
「すみませんすみませんすみませんすみませんナンマンダブナンマンダブ」
私は彼が見えなくなるまでお辞儀を繰り返したのです。
まぁ当たり前の事ですが、喫煙所を探している人に対して、知っている情報を教えてあげる事だけでも、探している側からすると、非常に親切になるわけです。
ましてや仕事でそこに居るわけですから、親切にする事が当然とも言えます。
逆に、考えれば考えるほど、先ほどの駅員に腹が立ってきます。
確かにホームには喫煙所がないので、簡単に「ありません!」で済ませたのかも知れません。
彼の言った事は、間違いではないのです。
ホームに喫煙所は無いのですから。
しかし不親切です。
ホームになくても何処にならあると何故言えないのでしょうか。
アホなのでしょうか、性格が歪んでいるのでしょうか、意地悪なのでしょうか。
こういう小さな不親切をする人、たまに居ます。
こういう人を順番に抹殺してくれる組織、どこかにないのでしょうか。
こういう連中がこの世から消えるだけで、かなり住みやすい平和な環境が手に入ると思います。

2014年5月11日日曜日

1人で喋っている人

電車に乗っていると、1人で見えない誰かと喋っている人をよく見かけます。
本当にそこに誰かが居るかのように、普通に喋っているのです。
毎日1人は見かけますので、物凄い人数が存在するといえます。
周囲の人は、視線をそらし、聞いて聞かぬふり、見て見ぬふりをして、その場をやり過ごしています。
確かに病気なのですから、仕方のない事なのでしょうが、あそこまでハッキリと会話されると、さすがに誰かが見えているのだと思ってしまいます。
一度でいいので、インタビューしてみたいのですが、なかなかそんな機会もなく、これまでモヤモヤを抱えながら生きてきました。
調べてみると、統合失調症、もしくはアスペルガー症候群の高機能自閉症という事らしいのですが、彼らは普段はどんな生活を送っているのでしょうか。仕事などはしていないのでしょうか。
普段は普通に仕事していて、電車に乗った時にだけ、誰かと喋っているというのでしょうか。
それとも普段からずっと誰かと喋っているのでしょうか。
また統合失調症でなくても独り言をいう人はいるとの事ですので、そういう人達は、普段は普通に生活を送り、そしてたまに独り言を言うという事になります。
実際、あまりにも独り言の多い友人に、普段はどうしているのかと聞くと「1人で部屋にいる時も、独り言は言っています」との事でした。
しかしながら、彼らが言う独り言と、街で見る独り言の人達とは、あきらかに喋っている内容が異なります。
友人を見る限り、何かのアクションとともに独り言をいっています。
街でよく見る人達は、現在の状況やアクションとは無関係に、連続して喋っているのです。
本当に彼らにしか見えない誰かと、会話しているように見えるのです。

先日、浜松市内のコンビニエンスストアで、友人が買い物をするというので、店前でタバコを吸って待っていました。
灰皿を囲んで数名が、立って喫煙していましたが、1人の中年女性は、物凄い大声で、見えない誰かと喋り続けています。
皆彼女とは少し距離を置いて立っていましたが、私はすぐ横に立ち、彼女の話を聞きながらタバコを吸っていました。
店から出てきた友人が皆「漫才してるんかとおもた」と言うほどに、彼女は大声で喋り続けていたのです。
静かな電車内では、独り言の人が目立つので多いように思うのですが、実際は、電車でなくても、そこらじゅうに独り言の人がいるという事なります。

先日、千葉市内の住宅街をトボトボ歩いていた時の事です。
前から25~6歳の青年が、こちらに向かって大声で何かを叫びながら歩いて来ました。
あきらかに私に向かって何かを言っている様子です。
私は何事かと思いながらそちらへ歩いていましたが、よく観察すると、独り言のようにも見えます。
私は目線をそらさず、突き進みます。
彼は、物凄い形相でこちらに向かって、大声で喋りなごら、私が見えていないかのように、そのまま通りすぎていきました。
通りすぎてからも、後ろから走ってきて刺されるのではないかと思うほどの勢いでした。
彼はずっとあの勢いで喋っているのでしょうか。
もしもそうなら、深夜などな完全に近所迷惑です。
アスペルガー症候群の高機能自閉症は、言葉の問題が比較的軽く、要求、拒否、興味ある事柄などについての会話はできるそうですが、もしもあの時、何かを話しかけていたら、一体どうなっていたのでしょうか。
ハッとわれに返るのでしょうか。
それとも完全にスルーでしょうか。
なんとなくスルーのような気がするのですが、実際に話しかけた事がないのでわかりません。
いずれにしても、一度彼らに話を聞いてみたいものです。

シャン

1人で食事をしていると、様々な人達の話し声が聞こえてきます。
聞く気がなくても、勝手に聞こえてくるのですから仕方がないのです。
先日とある飲食店にて、1人で食事をしていた時の事です。
隣の席に20歳前後の若いカップルが座りました。
彼らはとても仲が良いようで、ずっと喋り続けています。
こういう場合、会話の内容には本当に個人差があります。
今現在、目にしている物を中心に会話する人もいれば、全くそれに無関係な、2人の会話をする人もいます。
彼らは前者の、目の前の事について、常に喋り続ける人達のようです。
お店のメニューに関する事や、味などを常に喋り続けています。
しかし、その内容は本当にイラっとくるものでした。
どうやらこのお店に初めて来たらしく、メニューについての疑問点が多いようです。
先程からメニューの疑問点をずっと彼女に聞いています。
「これってなに?」
「わかんない」
そもそも彼女も初めてなのですから、彼女に聞いたところで解決するはずなんてありません。
なのに彼はずっと質問するのです。
「◯◯なの?」
「そうじゃない、わかんないよ」
こういう人はたまにいますが、明らかに相手がそれについて知っているはずがない事をわかっているのに、質問をしたがるので厄介です。
おそらく「なんだろうね」と、共有したいのでしょうが、私なら「知らん」で終わります。
それが何度も続くと「知らんがな」となり、最終的には「シャン!」となるのです。
「シャン」は「知らん」の「ら」の発音すら面倒なので「ら」を「ャ」と発音する高度な言いまわしです。
「知らん」が「シャン」となった時は、相手がイラっときていると判断できます。
しかし彼女はとても優しいようで、「わかんない」と可愛く返します。
彼はやたらと文句を言いたいようで、料理が運ばれて来るたびに、何かとケチをつけます。
彼氏「なんなのこれ」
彼女「わかんないよ、美味しいね」
彼氏「うん」
うまいんかいっっっ
思わず声に出そうになりました。
美味いのならワザワザ文句を言わなくても良いとおもうのですが、彼は文句を言いたいようです。
そして彼が何かとケチをつけるたびに、彼女は優しく微笑みながら「わかんない」と答えるのです。
久しぶりに忍耐強い女性を見た気がしました。
私ならとっくに「シャン!!!!」と言い放ち「だーっとれ!!!」と文句を言っているはずです。
優しさと愛に満ち溢れ、忍耐強く彼の低脳な会話に付き合ってあげている。
私は今後、彼女をマザーテレサと呼ぶ事にします。
まぁもう二度と会う事はないでしょうが。

ゆとり少年

名古屋で味噌カツを食べようと、味噌カツ屋さんにインした時の事です。
あいにく店内は満席、相席となりました。
案内された席には、20歳前後の少年が座っています。
私がペコっと頭をさげると、向こうもペコっとさげてきます。
5分ほど待って、先に彼の味噌カツ定食が運ばれてきました。
トレイに味噌カツの皿、ご飯、お味噌汁、お漬物が乗っています。
そのトレイのサイズは、ちょうどテーブルの半分ぐらいでしょうか。
1人がキッチリと端へ寄せておかないと、2つめはテーブルからはみ出してしまいます。
なのに彼は、何故か右側に無駄なスペースをあけています。
ご飯の蓋を右側に置いているのです。蓋なんてトレイの前に置けば良いではないですか。
確かに彼は、座っている位置も、4人掛けテーブルの真ん中です。
そして真正面にトレイを置いて食べています。
テーブルの2/3を使っている事になります。
もしも私なら、相席の人に気遣って、キチンとトレイをテーブルの端に寄せて食べます。
もちろん真ん中ではなくキチンと右端に座ります。
テーブルの半分だけを使う、それがマナーではないでしょうか。
まぁしかし、今はまだ彼のトレイしか来てませんので、何ら問題はありません。
堂々と真ん中に座って、トレイもテーブルの真ん中に置いて食べてもらって結構なのです。
問題は、私の味噌カツ定食が運ばれてきた時です。
その時に彼が、右へ寄せてくれれば良いわけです。
嫌な予感がしつつも、きっと彼なら右へ寄せてくれるだろう、そう思うことにしたのです。
少し待って、私のトレイが運ばれてきました。
ところが、先ほどの嫌な予感は的中し、彼は全くトレイを動かそうとはしませんでした。
店員がはみ出ないように置こうとしましたが、彼のトレイにぶつかって、しかも蓋を右側に置いているせいで、蓋がつっかえ棒となって、それ以上は進まなかったのです。
私のトレイは、無情にも通路側に10cmほどはみ出しています。
店員は彼の方をチラッと見て、諦めたのか、その場から去って行きました。
はみ出た私のトレイを見て彼は何も思わないのでしょうか。
他人と座っているのに、自分がテーブルの2/3を使っている事に、何も感じないのでしょうか。
はみ出しているからといって、別に食べれないわけではないのです。
しかし店員が最初に「相席いいですか?」と聞いた時に「はい」と返事をしたのであれば、テーブルの真ん中、2/3を使うのではなく、半分は相席相手に譲るべきではないでしょうか。
今の彼の行動を見ていると、どう見ても相席が嫌だったとしか思えないのです。
嫌なのでテーブルも半分譲らずに、1/3だけ譲るのです。
それなら最初から相席を断ったら良いのに、そこは断らずに、座った相手に嫌がらせをするなんて、ただのクソです。
いやこいつの場合は、クソ以下です。チンカスです。
親の顔が見てみたいです。
嫌がらせをしているのではなくて、ただ単に彼がゆとり世代のために、一連の事に全く気付いていないのであれば、それはそれで大きな問題です。

先日、西武新宿線に乗ろうと、自動券売機前に並んでいました。
私の順番がきたので、切符を買おうとすると、右隣で切符を買っている20歳ぐらいの少年が、機会2台分の真ん中に立ち、切符を買おうとしています。
何故彼は購入しようとする機会の真ん中に立たずに、左側に立っているのでしょうか。
2台分の真ん中に立つと、左隣の人の邪魔になるという考えはないのでしょうか。
それともわざと左隣の人が買えないように邪魔をしているのでしょうか。
邪魔をする意味があるのでしょうか。
狂っているとしか思えませんでした。
私は肩で彼にぶつかり、右へ押し割り込むようにして切符を買いました。
肩で押すと、すんなりと右へ寄るのです。
それなら何故最初からもっと右へ立たないのでしょうか。
おそらく何も考えてないのです。
立つ位置によって人の邪魔になるとか、次の人が購入しずらいとか、全く何も考えずに、何も気にせずに生きているのです。
ここにもチンカスがいました。

一体この世の中には何人のチンカスがいるのでしょうか。
彼らの実家の住所を聞いて、親にあなたの息子がとんなけ頭がおかしいか教えてやりたい気分です。
彼らは、他人の事なんて微塵も考えられないという欠陥人間だからです。
他人の気持ちが全くわからないので、今後の彼らの人生は、大変危険なものとなるはずです。
今後彼らは、まわりの人達に多大なる迷惑や心配をかけながら生きていくわけです。
社会へ出ても、他人との人間関係は築くことはできません。
こんな部下をもった上司は、大変な苦労をするでしょう。
いずれ彼らはみんなから嫌われ、チンカスチンカスと、指を刺されながら生きていくのです。
ひょっとすると、彼らは他人の気持ちが理解できないアスペルガー症候群かもわかりません。
もしアスペルガーだった場合、周囲の人をノイローゼにしてしまう事も充分考えられます。
ゆとりなのか、アスペルガーなのか、B型なのか、何かよくわかりませんが、こういった人が恐ろしいスピードで増殖している事だけは間違いないようです。