2013年12月3日火曜日

網棚

次の駅で降りるのに、荷物を網棚に乗せる人がいます。
確かに足元はスッキリしていいかもしれませんが、棚の上に荷物を置く労力はハンパないものがあります。
実際ほとんどの女子は、網棚を使用しない、使用した事がないという集計結果も出ています。
重い荷物を網棚に乗せるのは、か弱い女子には不可能だからです。
ものすごく大量に荷物があって、しかも長旅で、足元に置くスペースがない場合ならまだ理解できます。
そもそも大量の荷物なんて持ちませんが、昔の私なら重い荷物を持って旅に出るというナンセンスな事をやっていた時期もありましたので、当時は何も感じなかったのですが、しかしながら電車内でじっくり観察していますと、ちょっとした荷物でも網棚に置いている人は見かけます。
しかも次の駅で降りるにも関わらず、網棚に置く人が存在するのです。
何を考えているのでしょうか。
以前、新幹線の窓側E席に座っている時、通路側のD席に座ったオッサンが、網棚の上に置いた荷物を何度も何度も上げ下げするのでイライラして事がありました。
バッグの中の缶コーヒーを出したり携帯を出したり、また携帯を入れたりと、何度も何度も上げ下げするのです。
荷物が重いのか、その度に荷物が私の頭部をかすりそうになります。
「下に置いときーな」と思わずツッコミそうになりました。
実際、機嫌良く真下に座っている人が、その荷物を上げ下げする瞬間、ハラハラドキドキしているという事が理解できないのでしょうか。
手が滑って、荷物が真下の人の頭部を直撃したらどうするのでしょうか。
そんなリスクをおってまで、網棚に置く必要があるのでしょうか。
ただでさえ狭い車両内で、横の人にぶち当たらないか気を使いながら、網棚から荷物を取るなんて、そろそろやめにしたいものです。
JRはすぐにでも、車両内の網棚を撤去し、座席シート下に収納スペースを作るべきです。
そしてロックコードを打ち込んで鍵をかけられるようするのです。
それなら安心してトイレでも喫煙ルームでも行けます。
スピードばかりを追求していないで、そろそろ真面目に居心地という視点で考えて下さい。お願いします。
では失礼します。

電車の乗降マナー

なぜ人は駅に近づくと席を立って、ゾロゾロと出口に並ぶのでしょうか。
少しでも早く電車を降りたいという事なのでしょうが、何故そんなにも急ぐのでしょう。
乗り換え時間がないからでしょうか?
早くトイレに行きたいのでしょうか?
誰かが急病で、少しでも早く駆けつけたいのでしょうか?
見ている限り、そんな理由には見えない人ばかりです。
早く席を立つ事で、電車の停車時の揺れで、フラフラとバランスを崩して危ない人が沢山います。
フラフラするのなら、停車するまで座っていたら良いのではないでしょうか?
新幹線の場合、ゾロゾロ出口に並ぶので、出口付近の特に1番の席の人は、上から見下ろされてるような気がして、なんとなく不快です。いや実際見てますし。
そもそも今書いてるこのコラムも完全に見られております。
到着10分前ぐらいから並んでる人もいます。
疲れないのでしょうか。
私は決して並んだりはしません。
無駄な行為だからです。
揺れに耐えながら並んでまで、30秒早く降りたいとは思わないからです。
ギリギリまで座っておいて、ドアが開いたら降りたら良いのです。
たった20~30秒の違いのために、無駄な労力を使う人を見ていると、この人たちは人生に焦っているのかと真剣に思うのです。

百貨店の窓

ほとんどの百貨店には窓がありません。
換気は換気扇がありますし、物を買うだけなので外の景色も関係ないからです。
窓がある事で、空調の効きも悪くなりますし、窓拭きという無駄なメンテナンスも省けるからです。
しかし外観を見ると、窓のないビルディングは、まるでただの箱です。
窓が無いために、店員は天気もわからず、そのために雨が降ったら特定のBGMを流して、誰しもがわかるようにしている百貨店もあります。
地下には窓がありませんので、同じ事なのですが、なんとなく滑稽に見えてしまうのです。

2013年11月10日日曜日

コンビニの団体利用

コンビニエンスストアには、基本1人で行くものだと思います。
誰かと一緒に行くところではありません。
ましてや団体利用などは以ての外、正直迷惑です。
先日、タバコ1箱を買いにコンビニエンスストアへ寄った時の事です。
10人ほどの団体客があーだこーだ言いながら賑やかに買い物をしておりました。
レジは1つ、団体の中の2人が既に並んでおりました。
私はタバコだけなので、すぐにレジに並びます。ちょうど3人目の位置でした。
ところが団体の残りの7人が次々と欲しいものを持って、私の前、すなわちツレであろう2人のところへ入ってくるのです。
3人目のポジションだった私は、あれよあれよという間に11人目になってしまったのです。
「はあ?どーゆーこっちゃねん!」
たった1個のタバコを買うだけに10分以上もかかってしまったのです。
そもそもこの団体、私が何も持たずに並んでいる時点で、タバコを買うのだろうという予想ができていたはずです。
もしも私なら時間のかかる自分よりも、先にレジを済ませるように譲ります。
確かにコンビニのレジは早いもの勝ちではありますが、明らかに迷惑行為です。
コンビニ店員も頭が悪すぎます。
なぜそんな状態でバックヤードで休憩中の店員を呼ばないのでしょうか。
以前にも書きましたが、カカク.comは早急に食べログならぬ「コンビニログ」を作るべきです。
食べログで料理の批判や飲食店の悪口ばかりを集めていないで、コンビニ店員の接客力向上に取り組む社会を作って下さい。
お願いします、アーメン。

秘密主義者

秘密主義の人がいます。
私もあまり自身の事に関して、多くは語りませんが、でも聞かれれば答えますので秘密主義とは言えません。
今回、私の言う秘密主義とは、なぜ秘密にするのか理解ができない人の事を指します。
以下は、私とその問題の秘密主義者Aとの会話です。
そして私達には、Bという共通の仲の良い友人がいたとします。

私「この後の予定は?」
A「友人とごはんいく予定」
私「あそ」

このAの言う友人が、後でBだとわかった時、あなたならどう感じるでしょうか。
「なんでゆわんねん!」
私ならこう言います。
私の知らない人なら理解できますが、よく知ってる仲なので、友人という言い方をする必要は全く無いはずです。
「◯◯とメシ行くねん」
でいいじゃないですか、わざわざ隠さなくても、呼ばれてもない席にのこのこと押しかける程ヤボじゃありません。
なんのために秘密にするのでしょうか。
来て欲しくないのに、もし言えば押しかけて来そうな、空気を読めない人に言うのならまだ理解できますが。
それとも私をそういう人間だと思っているのでしょうか?
いずれにしても、あまりいい気はしないものです。
こういう秘密主義者は、あらゆる場面でこういう言い方をします。
何故か少し秘密にするのです。
その秘密が絶対にバレないように徹底するのならまだしも、そこまで隠そうとはしないので、結局どこからかバレて印象を悪くするのです。
そんなつまらない事を秘密にしたばっかりに、自身の印象を悪くしてしまうのであれば、最初から隠さなければ良いと思うのですが、何故か彼らは秘密主義者なので、隠してしまうのでしょう。
ひょっとすると、まわりからの印象をあまり気にしない人種なのかも知れません。

影響

人は何故そんなに影響を受けやすいのでしょうか。
誰かがFacebookやTwitter、LINEのタイムライン等で、料理写真を掲載すると、早速食べたくなってそのお店を訪問する人々。
人がお店で食べている物を、簡単に食べたくなるという心境は、私には理解できません。
それがとても珍しい料理だったり、とても美味しそうな物であれば、食べてみたいと感じるのもわかりますが、ごく一般的などこにでもある料理の場合、何故そこまで行ってみたいと思うのか理解できないのです。
そもそも、今何が食べたいかを考えた時、そういえば昨日タイムラインで誰々さんがカレーの写真を載せていたので「そうだカレーにしよう」という流れならまだしも、タイムラインで誰かがつぶやいたカレーの写真のお店に、別にカレーが食べたかったわけではないのに、わざわざ行くとうのですから影響を受け過ぎだと思うのです。
誰かが行ってさえすれば、それがどんなお店であろうと、早速行きたくなるという心境は、単にミーハーなだけとしか見えないわけです。
それを指摘するとこうなります。

殿「何故そこのカレーが食べたいのですか?」
A「誰々さんが食べていたからです」

カレーを食べたい理由が、人が食べていたからという事になっています。
私は、人が食べていたから食べたいと思わないので、見ていて滑稽に見えるのです。
それよりも、たまたま通りかかって見つけた美味しそうなお店の方に惹かれます。
こんなことを言いながら、殿のblog読者の方より、掲載されていたお店を訪問したと聞くと、嬉しいのですが。

頭の悪い人

先日長崎のとあるホテルでの出来事です。
1階のフロントへ行くと、スタッフが誰も居なかったので、「サーセン!サーセン!」と奥の事務所らしき方に声が届くように呼びかけました。
しかし反応がありません。
再び「サーセン!サーセン!」と呼ぶ私。
時間は午前10時05分、チェックアウトのためにルームキーを持ってフロントを訪れたのです。
すると奥からホテルマンがゆっくりと出てきました。推定60歳のオッサンです。
「お待たせしました」や「すみません」などの言葉はありません。
それどころか、「なんですか?」というような感じで「は?」と言うのです。
私は「チェックアウトやがな」という意味をこめて「はい」と鍵を渡しました。
すると何事もなかったかのように、領収書を渡して来たのです。
私は黙って領収書を受け取り、ホテルを後にしたのです。
しかしあのオッサン、頭が悪すぎます。
そもそもこの時間にフロントへ荷物を持って訪れる人なんて、ほぼ100%チェックアウトのはずです。
チェックインなら15時以降です。
なぜ「は?」になるのでしょうか。
なぜ本人に聞くまで、相手の要件を予測できないのでしょうか。
仮に連泊客だったとした場合でも、荷物の量をみれば予想がつくはずです。
頭が悪すぎます。
頭が悪すぎるのですあの人。

2013年10月5日土曜日

早めに来て文句言う人

待ち合わせ時間よりも、早めに到着する事は、非常に素晴らしい事です。
それは、待たせては申し訳ないという思いから、少しでも早めに着いておこうという相手に対する気遣いでもあります。
ところが、勝手に早く来ておいて、相手に遅いと文句言う人がいます。
こちらは約束の時間ちょうどに着くように向かっているのに、勝手に早く到着した相手から「いまどこらへん?」「まだなん」と何度も連絡が来たとしたら、あなたならどう思うでしょうか。
「知らんがな!!」
私ならそう返します。
そんな人に限って、こう唱えるのです。
「約束の時間の10分前に到着するのがマナーやで」
私はもう一度こう言うでしょう。
「知らんがな!」
それなら最初から10分前の時間に約束すれば良いのではないでしょうか?
時間に遅れて文句言われるのなら理解できますが、時間ピッタシに行って文句言われるのですから、たまったもんじゃありません。
プライベートな場合、こういう人とは、今後待ち合わせはしないように心がけます。
単純に言えばもう二度と会わないという事ですが。
逆に私は相手が遅れて来たとしても何とも思いません。
それは私自身がいい加減だからかもわかりませんが、いちいち遅れた理由をクドクド説明されたり謝罪されたりする事の方が、うっとおしくて仕方ないのです。
それよりも遅れて来ておいて、謝罪もせずにニコッと笑顔を見せてくれれた方が、よほど気持ち良いと思うのです。
一般的に、遅れた事を一生懸命謝罪したり、言い訳する人は、相手が遅れて来ると文句を言います。
自分が遅れる事も許せないかわりに、相手が遅れることも許せないわけです。
私の場合は、その逆ということになります。
確かにその後の予定や、何らかの理由で時間に余裕がない場合など、遅れたら信用をなくすような場合などは別です。
そうではない、時間に余裕がある場合の話です。
何もない時に、相手が少し遅れただけ文句を言うのはどうかと思います。
単純に待つ事が嫌なだけでしょう。それなら遅れて来ればいいのです。そうすれば待つ必要はありません。
前述のように自分が早く来てしまったせいで、待っている事に腹を立て、文句を言われたらたまったもんじゃありません。

交渉術

人に物を売ったり、人に何かを頼んだりする場合、それを成功させるには一つの法則があります。
それは筋道です。
筋を通さないと、決まるものも決まらないという法則です。
勿論、筋を通しても決まらない商談も存在します。
しかし、筋を通さないとほぼ決まらないと思った方が良いでしょう。
友人がよく、私に「こんな人がいるから協力したって欲しい」とお願いにきます。
私はいつも「オケオケ」と軽く返事をします。しかし協力する事は殆どありません。
何故なら筋道が通ってないからです。
まずその友人の知人を私はよく知りません。
仮に挨拶をかわす程度の面識があったとしても、よく知らない人の協力はできません。
ましてや本人が来るならまだしも、本人はそこに居ないわけです。
それをこちらからワザワザ出向いて行って、協力するなんて馬鹿げていますし出来るわけがありません。
お願いしたいのなら、本人が直々にお願いをする。それが本来の筋道です。
そしてその時、その人が魅力的だったり、こちらにメリットがある場合には、商談はほぼ成立するのです。
その人に魅力が無かったり、こちらにメリットがない場合は、残念ですが、商談は成立しません。
営業マンは、人柄さえ良ければ、ニーズさえ合えばだいたい売れるものです。
という事は、売る作業よりも、まず最初に自身の人柄からということになります。
そして友達になるという作業から入る事、それが一番の近道というわけなのです。
友達になってしまえば、必ずいつかタイミングが来て、商品が売れます。必ずいつかタイミングが来て協力してくれるのです。
私の場合は、友達にはとことん尽くします。
無償でいくらでも協力します。それが友達なのです。
相手に友達になりたいと思わせる人柄、それが成功の鍵と言えるでしょう。

チラ見違反

先日、車で走行中に、いきなり警察官に車を止められました。
見ると警察官が4~5人、秋の交通安全週間とやらで、必死になって善良な市民を捕まえ、罰金をかき集めています。
私が止められた理由は、携帯電話を見ていたというものでした。
確かに走行中、日付と時間が気になったので携帯に目をやりました。
しかし操作したわけではなく、チラ見しただけです。
私は納得できず、こう言ったのです。

私「チラ見しただけやん」
警「見たらあかんのです」
私「通話してへんよ」
警「見るだけで違反です」
私「時計見ても違反なん」
警「そ、そうなります」
私「ほなら本は?」
警「本もダメですけど違反ではありません」
私「どないやねん」

そこで上司らしき警察官にバトンタッチします。

私「カーナビ見てもええのに携帯見たらあかんておかしいんちゃん」
警「そういう法律なんです」
私「ほなら携帯のナビもあかんの?」
警「はい、携帯はあかんのです」
私「ほならこれがiPhoneやから違反なわけで、iPod touchやったら問題なかったんやな」
警「そ、そうなりますね」
私「そんな法律一般市民知ってるん、知らんやろ誰も」
警「いやテレビでもやってますし、皆さんご存知です」
私「んなことないわ、自分らみんな納得してんの?」
警「・・・・(警察全員無言)」
私「納得してへんのに捕まえてんか?」
警「いや、みんな納得してます」
私「ほなら携帯の裏面見てたらどーなるんや」
警「手で持って見たら裏でもあかんのです」
私「ほなら携帯をダッシュボードに貼り付けてたらなんぼ見てもええねんな」
警「ま、まぁ、、とにかく通話機能がある物は見たらあかんのです」
私「わかった、ほなら今後はiPod touchを見るわ」

結局日も暮れてきましたし、通行人がみんな見て行くので、この辺で諦め、切符にサインしたのです。
切符には、走行中1秒間携帯電話に目をやったという違反理由が書かれていました。

しかしあんな遠くから、私のような目の細い人の目線を見て、携帯を見ていると判断できるなんて、すごい洞察力を持っていますね日本の警察官は。
今度カマボコの板で実験してみます。

これを見るとチラ見はオッケーらしい。
http://minkara.carview.co.jp/smart/userid/290089/blog/26643960/

眉の剃り方

眉を剃る場合、勿論、オシャレや身だしなみという意味で、眉を整えるわけですが、基本は眉の下を剃るのが正しい剃り方といえます。
たまに上側を剃っている人を見かけますが、あれは非常に見苦しいものです。

















何故かというと、ビックリした時などに目を見開く場合、眉の部分の筋肉を上へ持ち上げ、目を大きく見開くわけですが、眉はなくても眉の形に筋肉が持ち上がり、剃っている事が一目瞭然になるからです。
30年程昔のヤンキーの間で流行した、三原順子のような横まっすぐの眉は、上を剃るしかなかったので、みんな上を剃っていましたが、ここ最近、いやここ何年も、横まっすぐの眉なんて流行っていません。
女優眉のように、への字型の眉が主流の昨今、眉の上側を剃る事が、タブーとなってしまったわけです。
女性のように眉を描く場合でも、眉の筋肉の形は、本来の眉と同じ形をしていますので、上のラインに合わせて描く事をオススメします。

BGM

飲食店などで、店内で流れるBGMは、お客様がその飲食店を利用する道機によって大きく左右されるものだと思います。
店側からすると、来店して欲しい客層とその動機が、BGMと合っていないと、計画通りとはならないという事なのです。
例えば、友人などと会話を楽しみたい場合、ガンガンにBGMのかかったお店を選ぶ事はありません。相手の声が聞こえないからです。
また飲んで騒ぎたい時に静かなBGMのかかったお店は選ばないでしょう。
もしもある程度の年齢層の客層をターゲットにし、大人の会話を楽しんで欲しいのなら、それに合わせた店の雰囲気にするはずですし、BGMも同様に、それに合わせなければならないわけです。
たまに雰囲気とBGMが完全にかけ離れたお店と出会います。
そんな時、いつも悲しくなるのです。

2013年9月25日水曜日

アイスコーヒーの飲み方 作法

巷では、アイスコーヒーにミルクを入れた場合、それをストローで混ぜるのか混ぜないのかで議論になっておりますが、私は絶対に混ぜない派で貫き通しております。

















それは、完全にまぜてしまうと、一つの味しか楽しめないからです。
混ぜてしまうと、珈琲とミルクが混ざったミルクコーヒー的な物の味、それしか味わえないのに対し、混ぜなければ、珈琲、ミルク、珈琲とミルクが自然に混ざった部分のミルクコーヒー的な味の3つの味を楽しめるわけです。
最初から混ぜる事で、本来の珈琲の味を味わえないままに、飲み干してしまうなんて、ナンセンス過ぎます。馬鹿げています。
ほっといても後半には自然に混ざっています。
ミルクコーヒー的な味は、最後に味わえばいいじゃないですか。
焦る事なんてないのです。
これは、以前モメにモメた卵かけごはんと同じ原理なのです。
卵かけごはんも混ぜてしまうと、単体の味しか楽しめませんが、最初は混ぜずに、軽く黄身を潰す程度にする事で、黄身、白身、ご飯、醤油、味の素のそれぞれの味を楽しめるのです。
カレーライスだって同じ事です。
かき氷だって同じ事です。
お茶漬けだって同じ事です。
中華丼だって同じ事です。
とろろめしだって同じ事です。
ミートスパだって同じ事です。
何でもかんでも混ぜれば良いという発想は、幼稚な発想と言わざるを得ないのです。

2013年9月20日金曜日

爪切り


















最近の爪切りには、必ずと言っていいほど爪切りカバーなるものが備わっています。
(爪飛び防止プラカバーというらしい)
これは爪が四方に飛ばないようにと、誰かが開発したもので、画期的グッズとして愛用されているようです。
爪があっちゃこっちゃに飛ばないという理由で、喜んでいる人がどこかにいるのでしょう。

ところが、私はこれが邪魔で邪魔で仕方ありません。
迷惑で迷惑で、腹が立って仕方ないのです。
そもそもこんなものがあるとカバーが邪魔で爪切りの刃先が見えません。
刃先が見えないのですから細かな作業ができないのです。
刃先を見ながらでないと、キレイにカットできないのです。
この邪魔なカバーがあると、大雑把にしか切れないので、物凄くストレスが溜まります。
そもそも爪が飛ばないような切り方をしないからこんな物が必要になるわけで、私にとっては全く不要なものでしかないのです。

1つの爪を、何度にも分けて切るという切り方の人、要するに大雑把な切り方の人には便利なグッズかも知れませんが、私は1つの爪は1つの爪として切ります。
爪の端から端へと切り進め、全部が繋がった状態で完成します。
言うなれば、りんごの皮と同じ原理です。
何度も何度も皮を切るのではなく、全部繋がった状態で切るように、爪を切るのです。
10本の指の爪をカットし終えると、爪のカスは10個となるのです。
そうすれば、爪が四方八方に飛び散るなんて、アホな事にはなりません。
アホな事にならないので、爪飛び防止プラカバーなんて不要になるのです。
この切り方をする為には、必ず爪切りの刃先が見えていないとできないわけです。

こんなもの世の中から消え去ってほしいと言っている人もいます。↓
http://d.hatena.ne.jp/rice-addict-m/20101221/nail_clippers


2013年9月19日木曜日

領収書

ホテルの領収書、なんであんな大きいのでしょうか。
明細書と領収書がひとつになっているからですが、領収書部分を切り取るタイプを使用しているホテルもありますが、非常に少ないのが現状です。
月間に10箇所も宿泊すると、領収書で財布がパンパンになってしまいます。
そればかりか、電車や飲食費など様々な領収書をまとめていると、それぞれのサイズが異なりすぎて、ひとつにまとめるのが非常に困難です。
まとめてクリップでとめる場合など、非常に揃えにくい上にバラバラになってしまうのです。
いっそのこと、あらゆる領収書のサイズを名刺サイズに統一すればどうでしょうか?
そうすると、まとめるのも非常に簡単になりますし、税理士さんも助かるのではないでしょうか?
勿論、既存の領収書は廃止となりますので、印刷業者は大変潤います。
冷え切った印刷業界を活性化するためにも、是非これを実現化して欲しいものです。

生え際にブローネ

生え際にブローネのコマーシャルが納得できません。










図のように生え際にとどまるので、生え際がキレイに染まるという内容ですが、人間の毛髪は、前の部分からしか生えているわけではないからです。
前からだけ生えているのなら、全員がシトシトピッチャンになってしまいます。
















※シトシトピッチャン

全部の毛髪に生え際があるわけです。
なのに前の部分だけに、分厚く毛染めの泡を盛り付けているこのコマーシャルは、子供騙しといか言いようがありません。
花王はすぐにでも制作会社へクレームすべきではないでしょうか。

2013年9月18日水曜日

マント群落

高速を走っていると、このような風景をよく目にします。

















ツルのようなツタのような植物が、木々の上に覆いかぶさって、まるでお化けのように生息しています。

















木々が動けない事をいい事に、勝手に上にかぶさってきたこの植物を、木々達は一体どう思っているのでしょうか。
これでは日光も遮られ、成長すら邪魔されてしまうのではないでしょうか。
こういった理由から、私はこれまでずっと、こツルのようなツタのような植物は、樹木の敵ではないかと思っていました。

















しかも生えているのは、いずれも人間が森林を削って作った道路やトンネルなどと、森との境界線がほとんどです。

















ひょっとすると、人間がこういった工事の後で、森との境界を緑地化するために、成長の早いツルをあえて植えたのでは?
そんな憶測をしていました。
そしてそれがどんどん成長してしまい、森の木々の上へ上へと増殖、森林のバランスを崩してしまっているのではないか、そんな妄想を膨らませておりました。

















そう、ブラックバスのような存在だと、ずっと思っていたのです。
そう思いはじめて15.8年、ついに検索してみました。
ずっと以前から調べよう調べようと思いながら、果たして何て検索して良いのかがわからず、ずっと先延ばしにしてきたのです。
すると、このツルのようなツタのような存在を「マント群落」と呼ぶのだという事がわかりました。

マント群落とは、森林の周囲に発達するつる植物や小低木の群落で、森林内への風の吹き込みを防いだり、日光の直射による乾燥を防いだりして、袖群落とともに森林内の環境を保つ役割をもつのだそうです。
















マント群落に接して,裸地との間につる植物を中心とした草本と低木群落からなるソデ群落もあり、これらの群落は、森林が破壊された時、まっさきに裸地や森林の周辺をおおい、森林内に強い風や光が人ってくることをはばみ、大雨などによって栄養分豊かな表面の土壌が流されるのを防いでくれます。
 森林が破壊されると一般には強い風が入り込み、木を倒し、強すぎる光は中の植物を枯死させたり、強い風により林内が乾燥し、森をさらに破壊します。
 ところが成長の速いつる植物を中心としたマント群落やソデ群落があると風や光を遮って林内の環境を一定のものに保ち、森林が守られるというわけです。
 ちょうど人間がケガをしたときにできるかさぶたと同じ役割があり、かさぶたは見た目にはみにくいですが、いち早く傷口をおおい、外の空気や水などが傷口にふれるのを防ぎ、細菌の侵入などを阻止して人のからだを守ります。
 マント群落やソデ群落は、まさに森林のかさぶたともいえるもので、その中心的役割を担っているのがつる植物なのだそうです。

このように、調べてみると、この敵だとおもっていた植物は、実は物凄く良い植物だったようです。
ずっと木々は「どないやねん、どけや!」と言っていると勝手に思っていましたが、実は「ええ子やのぅ、高い高い~」と言っていたのです。
何でも見かけで判断してはいけないのですね。
勉強になりました。

2013年8月16日金曜日

新幹線で靴を脱ぐ人々

新幹線に乗った時、皆さんは靴を脱ぐでしょうか。
私は何が何でも靴を脱ぎます。
それは旅の疲れを少しでも取り除きたい、また足の蒸れを解消して爽快な気分を味わいたい。という意思の現れなのです。
新幹線の通常車両には、グリーン車のようなフットレストは存在しません。
という事は、必然的に靴を脱いだら前席のシートの背面のどこかにうまく足をひっかけなければなりません。
そうする事で、自動的に足の位置が少しでも上になりますので、旅の疲れが取れやすい姿勢となるわけです。
ところが、このちょっとしたひっかかりの部位に、無理やり足をひっかけた状態では、逆に足が疲れるというリスクが生じます。
つまり旅の疲れが倍増するわけです。
そうなると、単に足の蒸れを解消するだけの行為となってしまいます。
私は、トイレなどで席を立つ際に、このように靴を脱いでいる人の数を毎回数えています。
この数年のデータを平均しますと、約4割以上の人が靴を脱いでいるという事が判明しました。
みんな靴を脱ぎたいようです。
その内訳は以下の通りです。

1、靴を脱いで前席のシートに足をひっかけている人 25%
2、靴を脱いで地面に足を置いている人 20%
3、靴を脱いで靴の上に足を置いている人 45%
4、靴を脱いで座席の上に足を上げている人 5%
5、靴を脱いでスーツケースの上に足を置いている人 4%
6、靴を脱いで折りたたみテーブルの上に足を上げている人 1%

私は1です。前席のシート背面のあらゆるひっかかりに、限界まで足をひっかけています。
但し、足でシートを押してしまうと、前席の人がビックリしてしまいます。
あくまでも前席の人に気付かれないように足をひっかける事がマナーとなります。
さすがに折りたたみテーブルに足を上げているという豪快な人は1%にとどまりました。
この気持ちはわからんでもないです。
足の高さといい最高に心地よい大勢である事は否めません、しかし周囲の人から反感をかいます。
お行儀が悪いと思われてしまいます。
もっとスマートに、もっとナチュラルに、もっとシンプルに靴を脱げる方法はないのでしょうか。
おそらくJRに全席フットレスト設置をお願いしても、聞いてはくれないでしょう。
結局側JRからすれば、安い一般車両に乗る人に、フットレストなんて贅沢品はもったいないわけです。
清潔で姿勢が楽なフットレスト付きのグリーン車に誘導したいわけです。
となると、自身で折りたたみ式の携帯型フットレストを持参するしかないわけです。
そもそもそんなものは販売されてはいません。
では作ってみてはどうでしょうか?ダンボールのような物で、組み立て式のフットレストを大量生産し、JRに売るのです。
そしてJRは車内販売で販売、価格は1個300円程度で設定すれば、飛ぶように売れるはずです。
紙製でしかも使い捨てなので、地球環境にも優しいグッズとなります。

QSC

飲食店において、QSCがもっとも重要である事は、誰しもが理解している事のはずです。
特にC、クレンリネスは、とても重要な事柄ではないでしょうか。
ところが、ずっとお店側でそこにいると、なかなか客観視できず、ついついお店都合で考えてしまうものです。
先日、とある郊外店の駐車場や入口周辺に雑草が生い茂っており、廃墟感がハンパない状態でしたので、店長にその旨を伝えた時の事です。
「いや、こないだ除草剤をまいて枯れるのを待ってるんです」
と彼は言いました。
雑草が枯れるのを待っている間、お客様からは廃墟のように見られ続けるのです。
それならなぜ今すぐ草刈りをし、その後に除草剤をまかないのでしょうか。きっと草刈りが面倒だからでしょう。
人は皆、楽をしたいのです。
しかし、草刈りをしない事で楽を選び、売上が落ちて苦労しているのです。
それなら草刈りで苦労し、売上アップをして楽をした方が数段上なのに、そこが理解できないのです。
つい先日は、店内床がヌルヌルで、危うく転倒しかけたお店がありました。
店長に言うと、排気がうまくいっていないので、仕方ないと言います。
廃棄ダクトの修繕をしないのかと聞くと、ダクトの掃除をしたら問題ないと言うのです。
それなら何故毎日ダクト清掃をしないのでしょうか。
ダクト清掃が面倒だからです。
日々営業に追われるうちに、そういった事を軽視してしまうのでしょう。
何故クレンリネスが大切かというと、お店がオープンした時の綺麗な状態で、お客様から1000円の客単価をいただいたのなら、掃除をせず汚い状態なら同じものを食べてもらっても700円とか500円とかにならないと失礼だからです。
料理だけで1000円をいただくのではなく、店内の状態やサービスも含まれた1000円なのです。
それがQSCなのです。
常にオープンした時の状態を保つために清掃し続けるのです。

Q=商品クオリティ
S=接客サービス
C=清掃クレンリネス

臨機応変

走行中、救急車が走ってきたら、とりあえず徐行し、左側へ車を寄せて、救急車に道を譲るというのは常識となっています。
しかし先日、左側へ寄せる事を優先し、逆に救急車の通行を妨げた車がいました。
もう少し走って障害物を抜けてから左側へ寄せていたら、難なく救急車は走り抜ける事ができたのに、とりあえず寄せる事しか考えられなかったのでしょう。
そもそもこの行為は、救急車に道を譲る事が最大の目的なのに、目的を忘れ、行為だけを真面目にやってしまっているのです。
こういう人はたまに見かけます。
臨機応変に対応できない人です。
真面目なのではなく、ただのアホです。

風が見えたら

もしも風が見えたら、とても面白いのにと思うのです。
台風や竜巻は見えますが、あれは雲や周囲の浮遊物が見えてるわけで、風が見えているわけではありません。
そよ風も見てみたいし、扇風機の風も見てみたいのです。
できれば、風は半透明に見えて欲しいです。
そうじゃないと、強風の日などは風が邪魔で景色が見えないからです。
車の運転も危険です。
なるべく薄めのピンク色などでお願いしたいです。
温度が20度以上の風はピンク、それ以下の風は薄いブルーなど、温度によって風の色が違うと、とても便利ではないでしょうか。
しかし、オナラまで見えてしまうので、黙ってスカシ等は難しくなります。
女子からは反発意見も出るでしょうが、しかし誰しもがオナラはするものなので、その辺は逆にオープンにする事で、便秘や頭痛の予防につながり、健康的な社会が生まれるのではないでしょうか。
いずれにしろ風が見えるようなメガネを誰か作ってください。
買います。

教え方

自分が知っている事で、相手がそれについての知識が無い場合、その相手を小馬鹿にする人がいます。
結局その相手に教えるのであれば、機嫌良く、そして気持ちよく教えてあげれば良いものを、なぜ馬鹿にして、相手を見下げ、上から教えようとするのでしょうか。
しかし、そんな人でも知らない事は沢山あるはずです。
自身も誰かに教わる機会があるはずなのです。
その時に小馬鹿にされたらどんな気分になるのでしょうか。
きっと嫌な気持ちになるはずなのです。
自分がされて嫌な事は、人にもしないというのが人間の本質、即ち愛ではないでしょうか。
もしもそんな風に人を馬鹿にする上司の下で働く事になった場合、いくら良い条件の会社だったとしても、毎日が苦痛となるでしょう。
当然、毎回馬鹿にされるので、いつしかその上司に質問する事さえなくなるはずです。
人は誰でも、気持ちよく親切に、そしてわかりやすく教えてくれる人に教わりたいのです。
よく自分の部下が、いくら教えてもわかってくれないという愚痴を耳にしますが、果たして本当に部下が悪いのでしょうか。
また、部下が質問して来ないという愚痴も聞いた事がありますが、それは聞かない部下が悪いのではなく、あなたの教え方が悪いのではないでしょうか?

相思相愛

人の意見にはそれぞれホンネとタテマエがあって、言う相手によって意見が変わったりするものです。
目の前に直面している相手から、直接聞いた言葉でも、それが果たしてホンネなのか、それともタテマエなのか、それはなかなか見破れるものではありません。
勿論、裏表の少ない人も沢山います。
逆に全くタテマエが言えないという人も中にはいますが、それはそれでB型のように相手を傷付けてしまう事になりかねないので、決してそれが素晴らしいとは言えないものです。
以前にも書きましたが、私は基本的に、直接本人から聞く言葉よりも、第三者に漏らした言葉をホンネだと捉えています。
となると、第三者に見栄をはって大きな事を言っていたとしても、それがホンネだと捉えますので、誤解が生じる場合もあり得ます。
しかしそれが誤解だったとしても、こちらの耳に入る事を想定せずして第三者に漏らす時点で、それがホンネであると判断するのです。
人が第三者に漏らすだいたいの話は、こちらに伝わります。
それだけ人間関係の構築は、重要な事だと捉えていますし、大切にしているつもりなので、みんな親切に教えてくれるのです。
陰口や噂話も同じです。
みんな誰々がこんな事を言っていたと教えてくれるのです。
それで縁を切った人も沢山います。
結局のところ、いくらタテマエでいい事を言われても、本当は違う事を考えているような相手とは、一緒には居たくないのです。
人は誰でも相思相愛の人と一緒に仕事がしたいのです。
相思相愛の人と飲みたいのです。
相思相愛の人と付き合いたいのです。
それが本当の友達なのです。

2013年8月15日木曜日

質問に答えない人

簡単に質問に答えない人がいます。
メールにていくつか複数の質問をした場合に、そのうちのたった一つの質問にしか答えない人がいます。
仕事上必要な、しかも重要な内容であった場合でもそれは同じなのです。
また、急いで回答が欲しい場合においても全く同じなので驚きます。
必然的に、何度も同じ内容を質問しなければなりません。
1回ですべての質問に答えてくれないからです。
頭が悪いのでしょうか。

先日、もう10年の付き合いになる人に、仕事上のしかも結構な急ぎの内容を質問いたしました。
電車移動中だったので、メールにて質問いたしました。
質問項目は3つです。
しかし返ってきた回答は1つの事だけ、しかもその1つに関しても、聞き直さないと理解できない用語が使ってありました。
親切心がないのでしょうか。
仕方ないので、スルーされた残り2つの項目ももう一度添えて再度メールしました。
すると1つめの用語の部分だけの返事が届きました。
しかも用語の解説ではなく、用語を応用した文章だけが来たのです。
応用した文章で、その用語の意味はある程度は理解できたのですが、残り2つの項目に関しては全く無回答のままです。
今度は「以下の項目にすべて答えて下さい」と最初に但し書きし、番号をふって質問を箇条書きしたのです。
「お客様に説明するので」
と、それを答えて欲しい理由まで添えてです。
しかし最初の既に答えをもらっている質問の追記だけが来たのです。
彼とは付き合いも長いし、それなりに仕事はできる方だと思っていたのですが、この件で完全にアホだとわかりました。
最初からすべての質問に答えていれば、こんな何度も何度もメールするような無駄な時間を過ごす事はなかったのです。
何度も何度も同じ質問を書かなければならないなんて、ナンセンスすぎます、狂っているとしか思えません。
メールが好きなのでしょうか、もっとメールがしたいから、ワザとすぐに答えずに焦らすような事をしたのでしょうか。
気持ち悪いです。

2013年7月19日金曜日

ホテルの条件

こう毎日毎日、日替わりであちこちのホテルを利用していると、本当に様々なホテルがあるのだと思い知らされます。
各地域に1軒は、お気に入りのホテルがあり、よほどの事がない限り、そこを利用するのですが、突然仕事が入り、そのホテルが取れない時や、初めての地域の場合は、ちょっとした冒険となります。
旅サイトの口コミなんて、いくらでもサクラを使用できますし、当てにはなりません。
実際に何度となく騙されてきました。
以下に私が好むホテルの条件をあげてみました。

1、タオル
価格の安いホテルほど、使い古し薄くなったタオルが備え付けされています。宿泊料が安いのに、高級ホテルのようなしっかりとしたタオルが備え付けされていると、それだけで好印象となります。
タオルの柔軟剤も重要です、いくら香りが良くても、水をはじいてしまう柔軟剤が使用されていると、とてもガッカリします。

2、シャワー
最近できたホテルに多いのですが、シャワーの放射角度が広すぎるのはいただけません。
シャワーの中心部に立つと、ほとんどお湯がかからないという不思議な現象が起きるのです。
放水量が少なすぎるシャワーや、お湯と冷水の調整が難しかったり、勝手にお湯から水に、水からお湯へと変化するシャワーなんて最低なホテルもあります。

3、コンセント
コンセントの数は重要なポイントです。
テーブル、ベッド、バスルームにコンセントがあるのは当然です。
しかしこの3カ所全部にコンセントがないホテルが非常に多く、一時は延長コードを持ち歩いていた時期もあります。
先日は、テーブルにLANケーブルはあるのに、何故かコンセントがないホテルに泊まりました。
どうやってパソコンに電源を供給するのでしょうか。

4、エアコン
エアコンが全室共通となっていて、各部屋では風量のみ調整できるというホテルは、とても苦痛です。
人によって好みの温度がありますし、暑がりもいれば寒がりもいるのです。私の場合、冬でも入浴後は暑いのです。汗がしたたり落ちるのです。なのに暖房しかないなんて、地獄としか思えないのです。

5、窓
窓は開いて欲しいです。
上記の4に連動して、エアコンの温度調整ができない部屋で、更に窓が開かない場合は、拷問としか思えません。
下手したら窒息死します。

6、椅子
私は、夜中、部屋に帰ってから仕事をします、朝5時ぐらいまではやってますので結構な時間パソコンに向き合う事になります。
その場合、椅子の座り心地は非常に重要となります。
背もたれがない椅子もどうかと思います。

7、清潔
清潔な部屋というのは基本中の基本です。
一部でも不潔な部分を見つけてしまうと、それだけで興醒めします。特に洗面台の裏のカビは悲しくなります。

8、ハンガー
ハンガーがないホテルなんて泊まった事はありませんが、ズボン用のクリップ付きハンガーが無い部屋はたまに存在します。
仕方ないので折り曲げて吊るすのですが、ベルトを外さないとずり落ちたりして、とても腹が立つものです。
ハンガーの本数も重要です。
軽量化のために洗濯をするのですから、ハンガーが足りないと、キチンと干せません。

9、除菌消臭剤
最近は殆どのホテルに備付されていますが、たまに無いホテルに当たるとガッカリします。

10、ルームサービス
朝食付きのホテルは非常に多いです。
がしかし、朝食の時間帯が7~9時などというホテルばかりで、実際に食べた事なんて皆無に等しいのが現状なのです。
朝食を食べるためには、部屋を出て指定の朝食コーナーへ行かなければなりません。そのためには、一旦服を着て、それなりに身なりを整えてからとなるのが普通です。
勿論、9時に食事を終えてそのまま出かけるのであれば何も問題はないのです。
しかし10時にチェックアウト予定なのに、9時に食事を終えてしまって一体どうするのでしょうか。仕方ないのでわざわざまた部屋に戻って時間をつぶすなんてナンセンスすぎます。
そこで、朝食ルームサービス付きのホテルであれば、ゆっくりと時間を気にせずに朝食をいただけるわけです。服装も自由です。
寝転んで食べても誰も文句を言わないのです。
しかし実際のところ、朝食ルームサービスは滅多にありません。
しかも低価格ホテルではほとんど見かけた事がありません。

11、シーツ
ホテルといえば、シーツがパリッと清潔なのが当たり前だと思うのですが、たまにジメッとしているシーツや毛布のホテルに当たると、テンションがマックスに下がるのです。

12、ルームキー
ルームキーがお洒落だと嬉しくなります。些細なことですが、こういうところが重要なのです。

13、オートロック
ドアがオートロック式ではないホテルは正直きついです。

14、フロント
フロントが夜間無人になったり、パジャマ姿の男性だったりすると、テンションが下がります。

15、ウォシュレット
高級ホテルでも、古いホテルではウォシュレット式トイレではない場合がありますが、やはり重要なポイントではないでしょうか。

もっともっと時間があれば思い浮かぶのかもわかりませんが、今のところ上記の項目が重要なポイントだと思います。
では失礼します。


軽量化計画2013

鞄の中には様々な物が入っています。
手帳、財布、パソコン、周辺機器、充電器、書類、名刺入れ、常備薬、文具、雑誌、、、
それは段々と増えていき、段々と重くなっていく、それが鞄、いわゆるマイバッグではないでしょうか。
いくつかの鞄をTPOに合わせて使い分けしていると、中身を入れ替える度に、一応整理されるので、そんなに増える事はないのかもわかりませんが、ずっと同じ鞄を持っていると、整理するチャンスを逃し、何故それが入っているのかさえ思い出せないものまで入っています、だから重くなるのです。
例えば、旅行や長期出張する場合、普段携帯している物の他に、衣類やヘアケアセット、アメニティグッズなどが必要になります。
なので必然的に大荷物となります。
大荷物を運ぶのは大変です。
いくらスーツケースであったとしても、長距離を歩くのは大変ですし、エスカレーターやエレベーターが付近に無く、やむなく階段を使用する時などは、腕がちぎれそうになります。
雨の日なんて傘をさしてもスーツケースはベチャベチャになります。
この冬、金沢で積雪の中をスーツケース引っ張った時は、スーツケースで雪かきをしてしまい、大変な事になりました。

これまで私も、そんな大荷物で出張生活を送っていました。
しかしそれがナンセンスである事に、ある日ふと気付いたのです。
今年4月の事です。
そして決断したのです。
それが「とことん軽量化計画2013」なのです。
まず出張には、衣類は持参しません。毎日洗うのです。
シャワー時に、洗面台にて備え付けのボディソープで洗います。
就寝前に洗って部屋干しすれば、翌朝にはエアコン効果で乾いています。もしも乾いていなければ、朝ドライヤーすれば良いのです。
充電式髭剃りもドライヤーも持参しません。
ホテルに備え付けされています。
使い慣れた物の方が、確かに使い勝手は良いのですが、どうしてもこれだけは必要だという物だけ、必要最低限の物だけを携帯するようにしたのです。
そうすれば小さな鞄一つで、充分事足りるのです。
1週間以上の旅から戻り、友人に出くわした時などに、荷物の少なさに驚かれます。
驚かれる度に、とことん軽量化計画2013が成功した事を実感するのです。

地元愛

「◯◯(地名)が好き」
「◯◯はええとこや」
「◯◯が好きで好きでたまらない」
自分の住んでいる町をこう言う人がいます。
私は、それを聞くたびに「あそーなん、ふーん」とそっけない素振りをするのです。
この人たちは、何をもって好きと言うのでしょうか。
その町の人なのでしょうか、人柄でしょうか、建築でしょうか、雰囲気?自然?方言?地名?それとも気候なのでしょうか?
そのセリフを聞くたびに、なんとなく冷めてしまうので、そこまで詳しく掘り下げて追求した事はありません。
しかし、おそらく明確な答えは帰ってこないような気がします。
もしも人が好きと言うのなら、その地域の人というよりも、その人の周囲の人が好きという事だと思います。
その地域の人全員を知っているわけがないからです。それなら地名を出して○○が好きと言うには大げさすぎます、私の周辺の人が好きと言い直すべきです。
建築が好きと言うのなら、もっと素晴らしい建築は他にもありますし、雰囲気も気候も、もっともっと他に良い地域があるかもわかりません。
日本中の、いや世界中の町や人を知った上で言うのならまだ理解できますが、そこしか知らないのに、簡単に言ってしまうのは、どうかと思います。
日本中、いや世界中、どこへ行っても素晴らしい人がいますし、素晴らしい町があります。
どこへ行っても「住めば都」という言葉がピッタリな町があるのです。
「◯◯が好き」
という発言により、その町の人の支持を得ようという策略的な言葉に、聞こえてならないのです。

友人の新陳代謝

友人というものは、その時の周囲の環境や生活するサイクル、地域などによって変化していきます。
いくら仲良しだった人とでも、生活サイクルが変化して、会う機会が減ってくると、どうしても疎遠になってくるものです。
特に卒業や、転職、引っ越しなどが、その機会に当たる事が多いのではないでしょうか。
逆に、同じ職場だったり、サークルが同じであると、どうしても会う機会が多く、友達になりやすいという傾向があります。
勿論、同じ時間を過ごす事が多ければ多いほど、共通の話題も多くなりますし、話も弾むはずです。
情も湧いてきます。
この疎遠となった友人を、再度繋げてくれるのが、SNSです。
これまでにFacebookやmixi、Twitterでも何人か縁があり再会しましたが、LINEの場合は、アドレス帳に入っている古い友人と、みんな繋がるわけですから、その数も半端じゃありません。
しかも、わざわざ連絡するきっかけが無かった人でも、POPやバブルでのハートや人参のやり取りで、自然と会話しやすい雰囲気となります。
私も、ここ数ヶ月で何人もの昔の友人知人と、人参やハートがきっかけで、メールを交わしました。
15年以上会ってない鳥取の友人とは、実際に会う事になりました。
この人とも人参やハートのやりとりが無かったら、今後158%会う事は無かったと思います。
つい数日前は15年前のお客さんと、人参きっかけで繋がりました。
「今更失礼ですがどちらさまですか?」
こんなメールが来たのです。
私はこう返しました。
「こちらには◯◯と表示されていますが合ってますか?」
「合ってます」
こんなやり取りから、懐かしい話で盛り上がり、15年という月日の経過に、お互い驚いたのでした。
次に近くを通りかかった時には、是非立ち寄らせていただきますと約束をしたのです。
携帯のアドレス帳には、今はもうつきあいのない人が無数に登録されています。
誰かわからない人も沢山います。
人参やハートも、名前が異なれば誰から来てるのかさえサッパリわかりません。
しかしこういうきっかけで、少しずつでも縁が復活するのは、非常に良い事だと思うのです。

2013年6月2日日曜日

裏の評判

飲食店経営者にも様々な人が存在します。
必ずしも、営業中のお客様に対するような態度で、普段から接してくれる人ばかりではありません。
もちろんこちらが客という立場であっても、偉そうに言う人も少なからずいます。
しかし、さすがにそれは少数だとしても、例えば飲食店に納品している業者という立場の場合、その比率は大きくアップします。
勿論それは、納品業者からすれば、飲食店はお客様という立場であって、多少は理解できるのですが、しかし納品業者であっても、そのお店のお客様となる事だって想定されるのです。なのに虫けらのように扱われると、それが例え美味しいと評判の店であっても、間違いなくそのお店で食べたいとは思わないでしょう。
そればかりか、ほぼ100%の確率で悪評を人に喋るはずです。
あくまでも納品業者からすれば、そのお店はお客様ですので、ネットで悪評を拡散するような事まではしないにしろ、仲の良い気の許した人には愚痴るはずです。
それを聞いた人も、もうそのお店に行く気にはならないはずです。
例えそれがお気に入りの店であってもです。
そして、いま人気のあるお店だったとしても、いつか消えて無くなるでしょう。
要するに、店主や店長の人柄というものは、お店の業績に大きく影響するものなのです。
お客様にはペコペコ、しかし業者は虫けら扱い。
そんな人がやってるお店が、末長く人から愛され続けるはずがないのです。
こういったお店の裏の評判というものは、実は飲食関係の知人何人かに声をかければ、すぐに収集できるものなのです。

2013年5月25日土曜日

着信

LINEでメッセージを送ったら、そのままメッセージを返さずに、わざわざ電話してくる人がいます。
電話というのは、こちら側の現在の状態に関係なく、かける側の都合だけで行われます。
受ける側は、電車内にいたら勿論取れませんし、運転中や、他の事で忙しい時、両手がふさがっている時などは、取ることもできないのです。
なのに何度も何度も着信が入ります。
よほど急いでいる用件でもあるのかと、車を止めてかけ直してみると、先程のこちら側が送ったメッセージの返事だったりします。
文字を打つ事がそんなに大変なのでしょうか。
それともお喋り好きなのでしょうか。
文字で返してくれれば、ほんの数秒のチラ見で済んだものを、わざわざそんな事のために車を止めさせて時間を割かせる必要があるのでしょうか。
理解に苦しみます。
さらに後でLINEを振り返った時、着信履歴表示がダーッと並んでいのを見ると、ある意味ゾーッとするのです。
仕事上の用件ですら、電話よりもメッセージを残す方が、聞き違いなどのミスも防げるので便利なのに、なかなか困ったものです。
こういう人には、時間のある時にゆっくりと、電話をかけてくる事の愚かさというものを説く必要があります。
しかし今回、ここにこうして書いたので、次回からはこのコラムを黙って送る事にします。

電車内のマナー

電車内での携帯電話の通話はマナー違反となっています。
理由は、他のお客様に迷惑がかかるからです。
隣で通話されるとうるさいので迷惑がかかるという事なのでしょう。
私自身も、その既成概念に洗脳され、電車内で平気で通話している人を見ると、なんとなく軽蔑視していました。
電車内では静かにしなければならない、ただなんとなくそう思っていたのです。

先日、とある新幹線車内で、数名のグループが楽しそうに宴会を始めました。
座席シートを回転させ、6名での楽しい旅行のようです。
皆ビールを飲み楽しそうに会話しています。
売り子が通るたびに、飛ぶようにビールが売れていきます。
宴会はどんどんエスカレートし、皆顔は真っ赤です、車両内には大声が響き渡り、他の乗客全員が、彼らの会話を聞きたくなくても聞こえてくるので、黙って聞いています。
寝ている人も勿論いましたが、しかしこれは明らかに携帯電話の通話よりも迷惑です。
何故これは許されて、電話はダメなのでしょうか。

在来線でも、宴会までは無いにしても、こんな光景はよく目にします。
特に終電近くともなると、数名のグループが大声で会話していますが、誰も注意なんてしませんし、逆にどんどん喋っても良い事になっています。
そう考えると会話の相手がそこに居る場合は許されて、そこに居ない場合はマナー違反という事になります。
これは明らかに変です。
鉄道各社はこの件について、再度検討し直す必要があるのではないでしょうか。

願掛け

人はなぜ願掛けをするのでしょうか。
願掛けなんてしないという人も中にはいるのかもわかりませんが、私はメチャクチャ願掛けします。
しかも1日に何度も何度も、朝から晩まで願掛けです。
私の人生は願掛け人生なのかもわかりません。
考えてみれば、それは幼少期の頃から始まっていました。
小学3年生の頃、通学ルートの曲がり角で、壁にキックして曲がったある日、好きな女子から告白されたのです。
その日から小学校を卒業するまでの4年間、毎朝そのキックが日課となりました。
キックしたらいい事がある、きっとそう思ったのでしょう。
いや逆に、キックしないと不安だったのかもわかりません。
あれからもう何十年と経過していますが、なに一つ変わらずそんな毎日を送っているのだから、願掛け人生と呼んでもおかしくはないはずです。
シャワーで洗う順番は、頭、顔、左手、右手、腹、背中、尻、足と決まっています。
この順番は変える事はできません、変えると不安なのです。
シャワー後に冷水で顔を洗い、その時に鏡に手で水をかけます。
鏡全部に水をかけないといけません、少しでも水がかかってない場所があるとダメなのです。
但し、一度で鏡全部に水をかけなくても良い決まりになっています。何度やってもよいのです、何度やってでも全体に水をかける、それができればクリアです。
そうしないと不安なのです。
身体を拭く順番も洗う順番と同じです。これもずっと同じなのです。不安なのです。
シャワー後に体重計に乗りますが、体重計を正面に置く時に必ず左足を後方に高く引き上げながら体重計を設置します、バレリーナのようなスタイルですが、これもやり続けています。不安なのです。
勿論、体重計に足を置く順番も左からと決めています。
靴下をはく順番も決まっています。
こうしてあらためて振り返ってみると、私の場合は、浴室まわりで願掛けをする事が多いようです。
別に靴をはく順番は決まっていません。靴下は重要ですが、靴はどっちゃでも良いのです。
しかしながら、こういう小さな願掛けを続けているからといって、特別良い事があるわけでもないのが悲しいところです。

食事中のマナー

食事中にうんこの話をする事はタブーとなっています。
特にカレーを食べている時はご法度だそうです。
Twitterでもうんこの話で盛り上がっていると、必ず誰かが「いま食事中なのでやめてくざさい、気持ち悪くなります」と言ってきます。
何故なのでしょうか?
私はいくら食事中であろうと、例えそれがカレーであろうと、うんこの話が出ただけで、気持ち悪くなんてなった事がありません。
どんなけ想像力が豊かなのでしょうか。
臭いや顔を近づけた際の肌に感じる温度までをも想像してしまうのでしょうか。私は顔を近づけた事なんてありませんが、でもそれぐらいの想像をしないと、気持ち悪くなんてならないはずなのですが。
それとも今食べているカレーがうんこだと想像してしまうのでしょうか。
カレーとうんこがソックリだなんて、小学生の発想です。
いい大人になっているのに、カレーとうんこの見分けがつかないようなら少し脳に問題があるようにも思います。
ずっと疑問だったので、ある知人に聞いてみました。
私「なんでメシ食うてる時にうんこの話したらあかんのやろな」
知人「マナーやからやん」
私「マナーだけなん」
知人「せや」
もしもマナーだけの問題なのなら、気持ち悪くまではならないらはずです。
それとも嫌味を言っているだけなのでしょうか。
世の中にはまだまだ不思議な事がたくさんあるようです。

2013年5月20日月曜日

叱る

人を叱るのは大変難しいものです。
怒る事と叱る事がごっちゃになっている人もいますが、それは全く異なる行為といえます。
怒るという行為は、ただ感情に任せて相手に文句を言う事。
すなわち相手の事は関係なく、こちらの言い分を言葉や態度で相手に伝え、威圧する行為です。
叱るという行為は、相手の間違いを正してあげる為のものです。
そこには愛があるのです。
相手の事を思うからこそ叱るのです。
怒るように叱る人、教え諭すように叱る人、叱り方は人それぞれ個性があります。
また、1度叱っても聞かない相手に対し、何度も何度もしつこく叱る事のできる人、逆に何度か叱って、それで変化のない人に対しては、簡単に見放してしまう人もいます。
いきなり怒鳴る人もいます。

先日友人から聞いた話です。
新入社員の教育で、知識のない相手に対して、なめられないようにといきなり怒鳴る人がいるというのです。
相手は初めてなのだから、1度目は教える段階です。それで出来なければ2度目は叱るというのなら理解できます。
なのに1度目から叱る。いや怒るのです。怒鳴るのです。
たまにこういう人を見かけますが、頭が悪いとしか思えません。
いや頭が悪いのです。
怒鳴られた側は、何故怒鳴られているのかがサッパリわからず、ただその人の事を恐れるか、または嫌いになるだけなのです。
それを指摘すると、こういう人達は決まってこう言います。
「嫌われ役も必要なんや」
薄々自分が嫌われている事には気付いていて、それを正当化する為にこう言うのです。
嫌われ役が必要という台詞は、これまでにもう何十回と耳にしましたが、私は一度もそれが必要だと思った事がありません。
またこういう人達に限って、上司にはペコペコで、部下には偉そうにする人が多いようです。
上司の前では全く別人なので、上司からは評価されていたりするので厄介です。
もちろん怒られ続けている新人スタッフは、早く辞める事ばかり考えるでしょう。
仕事にも身が入りませんので、業績も勿論上がらないわけです。
するとまたそれを怒られます。
いずれ新人スタッフは退職します、会社は求人を打ち、また新人スタッフが入社しますが、同じ事が延々と繰り返されます。
会社は求人広告費だけでなく、延々と無駄な人件費を支払う事になります。
しかし単純に怒る事と叱る事がごっちゃになっている人の存在に、気づいていない会社が悪いので、自業自得なのですが。

そんな怒るだけの人を「あの人は厳しい人だ」と比喩する人もいますが、これは厳しいと言うのではなく、頭が悪いだけなのです。
また厳しいなんて言う人自体が人の本質を見抜けない低脳な人としか思えないのです。

今現在、上司から理由もなくいきなり怒られている人がいるのなら、黙って耐えていないで、すぐにその上司に相談するべきです。
その上司も信用できないなら、社長に言うべきです。
それでも理解してもらえないなら、その会社はダメです。
そういう人が評価される会社なのです、未来はありません。すぐにでも退社すべきだと思います。

コンビニエンスの人達

これまで、この事は書くまい書くまいと、ずっと我慢してまいりましたが、ついに堪忍袋の尾が切れましたのでペンを取らせていただきます。乱筆お許し下さいませ。

世間には様々な人がいるように、コンビニエンスストアの店員にも様々な人がいます。
しかし以下に当てはまる人が多すぎませんか?コンビニエンスストア。

喫煙者のタスポ所有率が20%以下という統計がでておりますが、やはり皆さんコンビニエンスストアにてタバコを購入されるようです。
コンビニエンスストアでのタバコの売上は大幅に増加しております。(あくまでも売上)
しかし、このタバコを買うためだけにコンビニエンスストアへ行き、タバコを買うだけなのにとても嫌な思いをしたという人も少なくないのではないでしょうか?
私は毎日嫌な思いをしています。

1、時間がかかりすぎる。
タバコ1個を買うだけに、10分以上かかってしまう事があります。
まず、店員が2人いるのにレジは1つしか開けておらず、1人は棚の整理をしている。そのために1つのレジに大勢の客が並んでいるという時です。
客は皆、棚の整理をしている店員の方を向いて大げさに咳払いなどをしますが、店員2人とも脳に欠陥があるのか、何の反応もありません。まして並んでいる客の中に電気料金などの支払いをする人がいたら大変な事になります。
さらにレジ店員から棚整理店員に声をかけ、もう1つのレジを開けたとしても、「次お待ちのお客様どうぞ」なんて気の利いた事は言えない、いや秩序すら理解できない為にそう言う事すら知らないので、後方に並んでいる脳に欠陥のある客がダーッとそちらになだれこみます。(店員が店員なら客も客ですが)
順番は抜かされる上に、またそんな奴に限って弁当の温めなどを依頼するので、とんでもなく時間がかかってしまうわけです。

2、タバコの銘柄を覚えていない。
現在、コンビニエンスストアで売られているタバコの種類は数百種に及びますが、何故かタバコに近い方のレジを閉めていて、遠い方を開けているコンビニエンスストアが多く、そのためタバコの番号が見えないので、銘柄を言うと100%間違えて持ってくるのです。
私「ケントワンのメンソールナノテック2個下さい」
店員「はい、1と4がありますが」
私「いやだからワンゆーてるやん」
店員「イチですか?」
私「ワンや」
店員「1個ですね」
私「2個や」
このやりとりは、どこのコンビニエンスストアへ行っても8割以上の確率で交わされます。
ケントの1ミリをケントワンと称する事を知らないのでしょうが、ではケントの4ミリはケントワンフォーと呼ぶのでしょうか?
少し考えればわかるはずなのですが、これがわからない店員があまりにも多すぎます。
2chに、コンビニ店員から「タバコの番号を言わずに銘柄を言ってくる客なんなの?」というスレッドが立てられていますが、それを言うなら見える側のレジを常に開けておいて欲しいものです。

あと付け加えさせていただくなら、ローソン、セブンイレブン、サークルKサンクスでは、タバコを購入する際に年齢認証ボタンを押さなければなりませんが、あきらかに成人している人まで押す必要があるのでしょうか?
先日、私の前に並んでいたおじいちゃんがボタンを押していましたが、あれはどう見ても滑稽です。

そして極めつけは、レジを売った商品を客に渡さずに真下に置く店員。
これは本当に多いです。
せめて客側に置くのならまだしも、自分の真下に置くのですから理解に苦しみます。
客はわざわざ手を伸ばして、購入した商品を取らなければなりません。
人の気持ちが理解できる、また親切心が少しでもあるのなら、こういう事は絶対にしないはずです。
こんな事を誰かが教えないとできないというのは、狂っているとしか思えないのです。

コンビニエンスストアというものは、もう二度と行かんと決めても、便利なので行ってしまいます。
これがスタッフ教育をしない一番の理由ではないでしょうか。
どんなに頭の悪い店員でも、またどんなに店の営業に無関心なオーナーのお店だったとしても、普通に営業できてしまうのですから。
常に良い接客を求められる飲食店の批判ばかりしていないで、誰かコンビニの口コミサイトでも作って欲しいものです。
ネーミングは「買いログ」で。

ヘアスタイル

自身で髪を切るようになって20年以上となりますが、やはりその髪型が似合っているのかどうかは常に気になるところです。
例え1人のヘアスタイリストが「似合いますよ」と言ってくれるだけでも、それは大きな自信となりますし、安心材料となるのですが、自分でやっているとその1人の意見もないわけで、なかなか不安なわけです。
なのでいつも、軽く切って周囲の反応を見ながら、徐々にカットしていくという手法を取っています。
今回も既に3回に渡ってカットしています。
しかしながら、髪型に関しては、人によって全く異なる反応なので厄介なのです。
ある人は、短い方が似合うと言うし、またある人は長い方が良いと言うのです。
完全にその人の好みなのでしょうが、それをいちいち真に受けているわけにもいきませんので、様々な人の意見を参考にしながら、鏡に写る姿を見て、自分で最終決定するしかありません。

髪を切った後、誰かにその事を言われると嬉しいものです。
これは男性でも女性でも同じです。
「髪を切ったのに誰にも気付かれなかった」
とお嘆きの方もおられますが、実は皆気付いています。
気付いてはいるのですが、あなたを異性と見ていない、もしくは同性の場合は、無関心なのでわざわざ言うのが面倒なだけなのです。
もしも人から言われたければ、常にあなたが周囲の人に言うべきです。
無関心な相手でも、興味がなくても言い続けるのです。
すると何人かの人がこちらのヘアーに気付いて言ってくれるようになります。
人は皆モチツモタレツなのです。
人にして欲しい事は、まずは自分からする。これが鉄則です。

2013年5月19日日曜日

被写体

被写体の表情には、そのカメラマンに対する思いが表れます。
モデルやタレントなど、被写体としてのプロはともかく、一般的な素人の場合は、それが顕著に表れます。
一つの恋愛が終止符を迎え、その相手との昔のスナップを見返した時、今では考えられないような笑顔でこちらを見ている恋人が写っているはずです。それを見てとても悲しくなった、というような経験は誰にでもあると思います。
その当時のカメラマンは、もちろん恋人であるあなたなので、それは最高の笑顔をこちらに向けていて当然です。
カメラマンに対する、そのままの気持ちが表情となって写るわけです。
友人を撮影する場合でも、それは全く同じです。
まだそんなに関係が築けていない相手がカメラマンならば、やはり遠慮がちな笑顔になるでしょうし、上司や先輩なら営業スマイルになるでしょう。
本当に心を許し合った相手がカメラマンなら、それは最高の笑顔となるはずです。
一般的な素人の、自然でしかも最高の笑顔を撮影したいなら、上司や先輩が撮るのではなく、心を許し合い、人間関係が構築された人がカメラマンとなって撮影するべきです。
写真を見れば、被写体とカメラマンとの関係が、上辺だけの関係なのか、それとも心底心を許しあった仲なのか、だいたいは想像できるものなのです。

2013年5月2日木曜日

人を信じる

他人を信じやすい人もいれば、なかなか信用できない人もいます。
人が人を信じるポイントとは何なのでしょうか。
・話が合う。
・共通の知人がいる。
・自分に対して好意的である。
・身元がハッキリしている。
・その分野での実績がある。
などが基本的な部分ではないでしょうか。
しかし、この信じるポイントが大きくズレている人も存在します。
例えば見なり、学歴、役職だけで信用してしまう人。
その人の中身ではなく、外見や地位だけで信用してしまう事は非常に危険な事です。
そういう人がいるから詐欺被害も減少しないのではないでしょうか。
また学歴や役職など、人の外面だけで信用してしまって、それ以外の人の事は信用しないという人もいます。こういう人は、多くの悪意ある人に騙されるだけでなく、周囲の人からも信用されなくなるという危険性があります。
人の本質を見抜く力がないと、その人自体の信用までなくしてしまうという最悪の結果になるのです。

では人の本質を見抜くにはどうすれば良いのでしょうか。
まず基本的に、その人が発する言葉です。
理想的なのはこちらに言う言動ではなく、第三者に発する言葉、利害関係のない第三者に対する言葉は、ほぼ本音だと判断できます。
その人の周囲の人からの情報を得る事は、とても重要な事といえます。
しかしこれだけを信用してしまうのも非常に危険です。
受け取る側に問題がある場合もあるからです。
相手の限りなく本質の部分を、今度は自分で引き出す事です。
その為には、こちら側が手の内を見せる事が大切になります。
聞く側が本音を話す事によって、多くの人は本音を喋りはじめます。
相手を尊重し、相手を信用し、相手を許し、相手を受け入れる事によって、本質の部分を出してもらえるのです。
疑われたり、尊重されていなかったり、信用されてない人には、決して人は心を許してくれません。
この二つを実行する上で、仕事なり何なりを一緒に経験すると、相手がどんな人なのかがハッキリとわかってきます。
逆にそこまでしないとわからないのが普通なのです。
たった1度の面接で、相手がどんな人なのかなんて判断できるはずがないのです。
もちろん面接官の経験が多いほど、わかりやすくはなりますし、確率も上がるのは確かです。しかしあくまでも確率であって、一緒に何かをやってみるまでは、なかなかわからないのが人なのです。
よく仲のよかったカップルが、結婚式という初めて一緒に取組む大きな行事を経験して、そこで気が合わないという事がわかって、破局したという話を耳にしますが、お互いをよく理解している恋人同士でもそうなのですから、全くの他人、ましてや初対面となれば大変なのもうなずけます。

どんな相手でも、まずは信じる事から始める事です。
そうする事で、人から信じてもらえ、お互いを理解しやすくなるわけです。
そして徐々に理解し、そこで心底信用できるか否かを判断すれば良いのです。

基本的に信じる、それを0地点とすると、後は信じる度合いが10なのか50なのか100なのかという考え方です。

2013年5月1日水曜日

LINE POP

毎日毎日「POPやPOPや」と、時間さえあればPOPPOPPOPPOPゆーてる人がいますが、結局LINE POPの魅力とは、週間ランキングで、友人知人に抜いた抜かれたと競う事にあります。
これは数年前のmixiの時と同じ、ゲームの内容よりも友人知人に勝ちたい一心で皆頑張るのです。
特にLINE POPのように単純な内容のものは、誰でも簡単にできますので参加人口も多く、大いに盛り上がります。
この誰かと勝負して勝つという喜びを感じないでいると、途中で飽きてしまい、アプリを削除してしまうという人も少なくありません。
何人かそんな人に「俺と勝負しよや」と再インストールしてもらいましたが、今では皆200万点後半を叩き出す神の域に達するほど、大いに盛り上がっています。

当初はどんなに頑張っても30万点程度しか到達しなかった人達も、継続するうちに100万点をこえるようになってきます。
もっと継続すると、200万点もこえるようになってくるのです。
当初、200万点以上いってる友人は神にしか見えませんでしたし、心の底から尊敬したものです。
ところが何か特別な事をやったわけでもなく、ただ単にいつも通りやっていると200万点をこえる日がやってくるのです。
私の現在の最高得点は2328150点です。
すると週がかわっても、自分は232万点いけるという自信がありますので、簡単にそれに近い数字が出るわけです。
しかし300万点は無理だと思っています。要するに、自分で限界を決めているわけです。
実際300万点以上いってる人もいるのですから、不可能ではないとは思っているのですが、左手親指1本でやってるから無理なんじゃないかとか、肘をついてやった方がいいんじゃないかとか、指にクリームを塗った方が滑りが良くなっていいんじゃないかとか、まあ結局未知の点数を出すまでは、それが100万点だろうと300万点だろうと、みな同じ事を考えているのです。
しかし一度達成してしまうと、その感覚が脳裏に残っていて、そこまではできるという妙な自信がつくのです。
この現象は、ビジネスの世界とよく似ています。
例えば営業の世界では、月に1000万なんて絶対に売れないと思い込んでいた人でも、一度達成してしまうと、次からは簡単にそれをこえる事ができるのと同じ現象なのです。
ここ最近は、薬局では目薬が飛ぶように売れていると聞きます。
みなPOPしすぎで目が疲れているのでしょう。
目覚めたらまずPOP、トイレでPOP、出勤前にPOP、信号待ちでPOP、電車でPOP、バスでPOP、休憩でPOP、食事前にPOP、食後にPOP、風呂でもPOP、歯磨きでPOP、寝る前にPOP。
電車内で携帯を触る指のスピードから「あらPOPやな」と簡単に判断できる事から「何点いったの?」とPOPナンパというのも多いと聞きます。
腕が腱鞘炎になったという人が続出し、カイロプラクティックまでが繁盛しているというから凄いです。
不思議なもので、毎日ハートをくれる人の事は好きになります。
毎日バトルしている人にも情がわいてきます。
LINEを利用していない人と、なんとなく疎遠になるのと同様に、POPやっている人には親近感がわくのです。
これは単純に、毎日その人の名前を目にする事で、記憶が薄れないからだと思います。
リアルで毎日会うのと同じ効果なのでしょう。
毎日ランキングで名前を目にし、さらにいつもハートを送ってくれる人は愛おしくさえ思えてくるから不思議です。
逆にハートを送ってもリターンのない人は淋しいものです。
これはハートを送ってもらっているのに、それを開かずに溜め込んでいるので、自動ハート返信機能が作動しないからです。
しかも100通以上溜め込んでしまうとそれ以上は受け取れませんので、とりあえず一旦は承認して欲しいものです。

いずれにしてもPOPに居ない人でも、バブルに行けば会えるという人もいます。
バブルでも同じ事です。
ポッパーでもバブラーでも何でも良いので、皆さんも是非チャレンジしてみて下さい。

2013年4月24日水曜日

人間としての成長

人間としての成長、それはずばり経験です。
良い事も悪い事も、幸せな事も不幸な事も、嬉しい事も悲しい事も、すべての経験の量が、その人の成長につながるのです。
経験値が多いと、人に幅ができます。
大きな視野で人や物を見れるようになります。
器が大きくなります。
いくら若くしてビジネスで成功し、大金を得たとしても、経験値が少ないと、幼稚な物の捉え方しかできません。
若いうちからあらゆる事に興味を持ち、チャレンジし、成功し、失敗をし、様々な経験を積む事が大切なのです。
毎日同じ道を通るのではなく、違う道も通ってみるのです。
そうすれば新しい発見や、新しい出会いもあるかもわかりません。

人間関係が上手くいかない、それも経験です。
喧嘩して負けた、それも経験です。
人にいじめられた、それも経験です。
ビジネスで失敗した、それも経験です。
あらゆる経験を忘れるのではなく、次にいかせるのです。
いやその時はわからなくても、必ずその経験をいかせる時が来るのです。
ちょくちょく「人として成長するためのセミナー」たるものがありますが、セミナーを受けたからといって成長するわけがありません。
そもそも有料のセミナーは単に商売、お金儲けです。
セミナーを受講して成長した人なんて見た事がありません。
受講してモチベーションを上げて、それで行動を起こすためのものなのです。
行動すれば経験値が増えます、その繰り返しで人として成長するわけです。

ただしいくら経験値が多くても、学ばない人には成長はありません。
成功して学ぶ、失敗して学ぶ。
必ず経験したらその答えから学ぶ事です。

すべての事柄が、人としての成長につながるのですから、何も恐れる事はありません。
失敗してもまたチャレンジすれば良いのです。
今目の前にある問題や壁は、将来の自分のための投資だと思ってください。

人は、いや少なくとも男性は、相手の顔(この場合女性の)でその人の様々な要素を想像します。
いや勿論それは、顔そのものだけではなく、化粧の仕方やヘアスタイルなども含まれます。
品のある顔の相手なら、品のある人だと思います。
下品な顔の相手なら、下品な人なんだと勝手に判断するのです。
美人なら足の裏でさえいい香りがしそうだと思い、不細工ならば臭そうだと思うのです。
美人のオナラは臭いと思わず、不細工なら臭いと思うのです。
しかしこれは大きな間違いです。
いくら美人だとしても、それはたまたま顔の構造が整っているだけで、顔から下はみんな同じ、不細工な顔の人と同じなのです。
言わば表面的な作りが整っているだけで、成分は皆同じだという事なのです。
足の裏もオナラもみんな臭いのです。
美人が清潔で、不細工が不潔という事はないのです。
男性は、女性に対して神秘的な妄想を持ち、最高の美人と恋愛したいと思うものです。
しかしいくら最高の美人と付き合ったとしても、結局は顔以外はみんな同じ、人間なのです。
美人が特別良い香りがするわけでもありませんし、臭いオナラもするのです。
顔の表面には無数の細菌もいます。これは美人でも不細工でも同じなのです。口の中の菌の量も同じ事です。
みんな人間なのです。
みんな同じ成分でできているのです。

子供用トイレ


子供用の男子便器、あれいるのでしょうか?
正直いらんと思います。
要するに小さい子供は、大人とは足の長さが異なりますので、GLからの高さが問題となります。
便器の長さや大きさ、すなわち上は全く関係がないのです。
なんならGLからの高ささえ低めに設定すれば、大人も子供も同じ便器を使用できるのです。
なのにちょくちょく子供用らしき、小さな小便器をみかけます。
友人とトイレ内でたまたま一緒になった場合、あえてあれを使用して笑わせたりはしますが、正直便器メーカーが儲ける為だけに作っているような気がしてならないのです。
確かにあれにむかって小便している子供は可愛らしいのですが、しかしたいがい子供用は1個しか設置されていません。
子供の団体が来た場合、大人はスイスイいけるのに、子供だけが行列となってしまいます。それは可哀想です。
便器メーカーが儲けたいのならば、大人用とは別にもう一軒、子供用のトイレを建設したら良いのではないでしょうか?
子供用のトイレには、保護者用に大人用便器を1個設ければ良いではないですか。
1軒分となるとこれは結構儲かるはずです。
是非施主に提案してみて下さい。

キャラ設定が間違っている

明らかに親子に見えないキャスティングの家族が登場する番組をみた場合、みなさんはどんな心境でそのシーンを見るのでしょうか。
私はムシズを走らせながら見ています。
「んなわけないがな」
思わず口ずさむ事すらあるほどです。
こういうキャスティングのミスは、ディレクター本人の感性で決まるとは思うのですが、しかしながら制作に携わる沢山の人がいるはずですから、ある程度は完成度の高いものにはなってくるはずなのです。
なのに完全に親子に見えないキャスティングであったり、親子に見えない演出で撮り終えてしまうというのは、他に何か意図があるとしか思えないわけです。
しかしながら、その意図を想像してはみるのですが、全くその答えを見つけ出す事はできませんでした。
おそらく、視聴者は誰もそんな事には気付かないだろうという考えなのだと思います。
おそらくこのコラムを読んだとしても
「そこ、どーでもえーやん」
ときっと逆ギレするのでしょう。
しかし私は、リアリティのないものには全く興味がわかないのです。
いや逆に、リアリティのないものはムシズが走るのです。
フィクションでもリアリティさえあれば素晴らしい作品と思うのです。
プロレスファンには申し訳ないのですが、深夜のプロレス番組を見ていると、何度となく「んなわけないやん」と口ずさんでしまいます。
K-1やPRIDEを見ていた時は、リアリティに興奮しましたが、プロレスはリアリティがなさすぎるのです。
いずれにしろ見るのですが。
結局はリアリティのないものでも、文句を言いながら見るのが好きなのですが。

2013年3月19日火曜日

クレーマークレーマー

「◯◯が不味い」
と飲食店にクレームする人がいます。
例えばそれが、多くの人から支持される人気のメニューだったとしても、そんな事はつゆ知らず、本人が不味いと思うから店に文句を言うのだと言います。
味覚なんて人それぞれ異なるものです。好みのもあります。
なので例え多くの人が美味しいと感じるものであっても、不味いと感じる人もいるのです。
それは仕方のない事であって、不味かったのなら次食べなければ良いだけの事です。
なのにそれを店に言う人。
「はあ?だから?」
飲食店側は内心そう思いながら
「申し訳ございません」
と謝罪します。
いや謝罪させられます。
下手をすると代金をいただかないという最悪のケースだってあり得ます。
この人がただの味覚音痴だったとしてもです。
忙しい時に、そのクレームの相手をしているだけで、他のお客様の料理が遅れ、他からもクレームになるぐらいなら、代金をいただかず、サッサと帰ってもらった方がマシだからです。
そもそも味の好みをクレームする事自体が、脳に欠陥のある人としか思えないのです。
仮に多くの人に人気のメニューを、少数派のそれを不味いとクレームする人の言いなりになって、彼らの好みのものに変更したとした場合、間違いなく売上が落ちます。
その落ちた売上を、少数派の人達が補償するのなら話は別です。
例えば1日50食売れる1000円のメニューがあったとして、それを不味いと感じる少数派が1日1人とした場合、本来1日50000円の売上なので1人で食べるなら、そのメニューは50000円もらわないと合わないわけです。
そこまで補償する人が言うならまだ理解できます。
そんな事まで考えずに、不味いとクレームしたところで「どないせーっちゅーねん」という話になるわけです。
ただ、こういうクレームを店に言う人は本当に少ないですが、店にクレームせずに、黙ってネットで不味いと書き込む人は山のようにいます。
これも同じ事なのです。
特に食べログには恐ろしいほどこういう人がいますので、見ていて気持ち悪くなります。

先日、こだわりの手打ち蕎麦店の食べログページに、蕎麦が遅いと散々悪口を書いている主婦がいました。
そのお店は、わざわざ注文後に蕎麦を打つという本格的なお店でした。遅くて当たり前、当然の話なのです。
それが蕎麦屋なわけで、蕎麦が出るまでにアテで一杯やって、締めに蕎麦をすするのが蕎麦業界の常識なのです。
そんな事を知らずに、散々遅い遅いと書き込むという行為は、自分が無知で低脳な人間である事を人に言いふらしているのと同じ行為なのです。
皆さんのまわりで、こういう恥ずかしい知人がいたら、早急に注意してあげて下さい。
誰かから教えてもらわないと、恥をさらしながら生きていく事になってしまうのですから。

以前にもふれましたが、天下一品のラーメンの場合、美味い美味いと言う人、不味い不味いと言う人、両極端存在しますが、お店は繁盛しています。
いくら不味いと思う人がアチコチに不味いと言いふらしても、美味いと思う人がお店を支えているわけです。
天下一品を不味いと言う人達は、天下一品ファンをまるで味覚音痴のように言うのですが、現在全国229店舗という店舗数を見る限り、不味いと言う人達の方が味覚音痴なのかもわからないのです。
「不味い不味い」と声高らかに言う事が、実は「私は味覚音痴です」と言っているのかもわからないわけです。
いずれにしても、簡単に不味い不味いと言わない(ネットに書き込まない)方が良いと思います。

あと「自分はタバコを吸わないので味覚が優れている」と自慢する人もやめたほうがいいと思います。
痛いだけです。

2013年2月26日火曜日

嫌われる権力者

誰かと会話をする場合、その相手が何人であろうと、基本的には聞く側が理解できる話をするのが基本となります。
例えば誰か第三者の話をするとしても、聞く側の人が知っている人の事を喋るのが当たり前で、例外として知らない誰かの話をするとしても、それは聞く側が楽しめる内容でないと、非常に苦痛な時間となるわけです。

先日とあるカフェでパソコンを開いて黙々と仕事をしていた時の事です。
隣のテーブルに、中年のキャリアウーマン4人組が座り、仕事の打合せを始めたのです。
別に聞くつもりはありませんでしたが、隣なので嫌でも聞こえてきます。
30分ほど仕事の話でしたが、その後は1人のリーダーらしき女性の個人的な話となりました。
そのリーダーらしき女性は推定40歳、その他の女性達は50歳前後でしょうか、明らかに一番若いその女性は、体格もすごいのですが、べシャリもすごく、場を仕切るいわゆる「仕切り屋」という印象でした。
その女性の話はまさに冒頭で述べた、誰も理解出来ない話なのです。
ほぼそこに居る誰もが知らない第三者の話を事細かに話すのです。
「うちの友達のA子てのがいんの、そのA子がさ、この前夜中に電話よこしたのよ。夜中だよ、えっと金曜だったかな、いや木曜か、歯医者の日だから木曜だな。お風呂入ってさ、深夜番組を見ならがドライヤーしてたのよ、えっと何の番組だったかな、えーっと・・・」
リーダーのどーでもいい話は延々と続きます。
その他の女性達は、リーダーが怖いのか、誰もツッコミを入れる事なく、皆黙って聞いています。
「どないでもえーわ!!!」
と隣で思わずツッコミそうになる話ばかりなのです。
しかもそこは普通省くやろ!というような事細かな部分までをも説明するので話が長くて仕方ありません。
さらに会話の最後にオチすらないのです。
「その話なんのために今したんや」
私は何度も心の中でツッコミを入れました。
ひょっとすると、この仕切り屋が彼女達の会社の上司なのでしょうか、もしそうだとしたら本当に可哀想です。
明らかにコミュニケーション能力に欠けた人が上司だった場合、しかもコミュニケーション能力に欠けているのに仕切り屋だった場合、その下についた人達は本当に不幸と言えます。
こういう人種は、権力を使って人に従わせる事に対して一切の疚しい気持ちを持ち合わせていません。
普通の常識ある人なら、いくら権力を得たとしても、部下にイヤイヤ従われるのは納得がいかないものです。
権力で従わせるのではなく、心から信頼され、部下から従いたいと思ってもらう事こそが本望ではないでしょうか。
権力を得たのだから、自分が一番偉いとでも思っているのでしょうか。
それは大きな勘違いです。
会社組織で言うと社長が一番権力を持っています。
ではその権力をもっている社長が一番偉いのでしょうか?
自分が一番偉いからと部下の話に耳を傾けないワンマン社長は、部下から「社長に何を言っても無駄なので言わない」と思われています。「失敗しても社長が損するのだから勝手にしたらいい」とも思われているのです。
そんな会社が成長するはずがありません。

こういう上司の愚痴は、飲みの席では必ずといっていいほど聞こえてきます。

飲みの席での上司の話が長い。
上司の話がおもんない。
上司が偉そうにする。
上司の武勇伝を聞くのが辛い。
上司の自慢話が長い。
上司にペコペコしないと風当たりがきつくなる。

どれもほぼ毎日繁華街で聞こえてくる部下達の愚痴です。
だからだんだんと上司との飲みの席は敬遠されるようになったのだと思います。
人は誰でも一緒にいて面白い、一緒にいて楽しい人と居たいものです。
それが上司と部下だろうが、年齢差があろうが関係ないのです。

コミュニケーション能力とは、聞く側の気持ちになって喋る事です。そして聞く側は、喋る人の気持ちになって聞く事です。
この二つを心がけていれば、きっと素晴らしい人間関係が築けるはずです。
何事も相手の気持ちになって考える。これが大事なのです。

2013年2月9日土曜日

あつかましい人達

世間では、新幹線のグリーン車以外の席につく場合、肘掛はどっちのものかという議論が頻繁に繰り広げられております。
私は先に乗った人のもの、早い者勝ちだという認識でいます。
先に乗った場合は堂々と肘掛を使用しますし、後からの場合は遠慮して使わないようにしています。

先日、姫路から乗った東京行ののぞみでの事、私はいつものように堂々と肘掛を使用していたのですが、新大阪から乗ってきたオッサンが、後から来たにもかかわらず、私がちょっと席を外している間に肘掛を奪ってしまったのです。
例え肘でもオッサンと触れる事は許されないので、肘で押し返す事もできず、このクソあつかましいオッサンにやむなく肘掛を譲るカタチとなってしまいました。
しかし一体どういう教育を受けて来たのでしょうか?
あつかましいにもほどがあります。
B型なのでしょうか?
先ほどまで私が使用していた事はわかっているはずです、それを堂々と奪える感覚が異常です、勝手に人のものを奪うのですから、これはもはや窃盗です。
ひょっとすると、このオッサンは、肘掛は奪ったもの勝ちという考えでいるのでしょうか?
それならクソあつかましい奴が得をするという事になっていまいます。
もちろん私の早い者勝ちという自論も本当に正しいのかとどうかは不明です。
年長者が使用するべきなのかも知れませんし。
高所得者が使用するものなのかも知れません。

JRは直ちに肘掛を各席1個設置するか、もしくはどっちの物なのをハッキリ決めるべきです。
予約段階で窓側なら窓側、通路側なら通路側と決まっていれば、こういう問題にはなりません。

現在、私の住むマンションでは、駐輪場不足の問題で、もう何年もモメ続けています。
これは自転車の所有者が増加し、駐輪場の数が不足、クソあつかましい人だけが駐輪場を使用し、謙虚な人は自転車を置く場所がないという問題です。
基本的に駐輪場以外の共用部に自転車を置く事は禁じられています。
駐輪場に停められない謙虚でいい人達(全体の80%)は、総会にて駐輪場を公平に使用するために、クジ引きなどで分け与えようと決議にかけるのですが、毎回クソあつかましい駐輪場を占拠している20%の人間が、暴言を吐き議論にならぬまま何年も経過しているという状態です。
総会で暴言を吐く時点で頭が悪いチンカスとしか言いようがありません。
もう何年も使用していないホコリをかぶった子供用自転車もあります。それを移動もしくは処分して、他の人にスペースを開けるという事がそんなに嫌なのかと真剣に思います。
あつかましいにもほどがあります。
あつかましいというよりも、脳が腐っているとしか考えられません。
勿論そんな連中は、住民からは大変嫌われています。
ずっと住み続ける住居で、まわりからそんなに嫌われてまで駐輪場を使用したいのですから大したものです。
そして一番の被害者はその連中の子供達です。親が嫌われているのですから、子供達も完全に浮いています。
子供は関係ないのに、親のせいで近所に友達ができないのです。
きっと嫌われる事に、なんの抵抗もないのでしょう。

結局はあつかましい人達だけが、肘掛も駐輪場も使用できて、謙虚で常識のある人達は使用できないというのが世の中なのです。
世の中は嫌われても平気な人が得をするようにできているのです。