2011年12月30日金曜日

低脳な人物

思いつきだけで行動する人を「低脳な人物」と呼んでいます。
確かにパッと思いついた事をすぐに行動に移せるという事は良いことだと思います。
いつまでも悩んでばかりでなかなか行動に移さない人を見ると、非常にもったいないと感じます。
ピッと思いついた事をすぐにパッと行動にうつせる、これを「ピッパの法則」と呼びます。
世の成功者と呼ばれる人達の殆どが、こういうスタンスで生きています。
しかし冒頭で述べた「低脳な人物」とこの「ピッパの法則」とは全く異なります。
低脳な人物は、パッと思いついた事の真意のわからぬままに、人にそれを求めます。
その事で人に迷惑がかかったり、不平不満が出たり、困る人がいないかという事までイメージせずに思いつきだけで人に求めます。
低脳な人物は、自己都合だけでそれを実行しようとします。
そしてそれに対して反論しても決して納得しないのです。強行突破です。
自分のパッと思いついた自分にとって都合の良い自分勝手な事柄が、何人何百人に迷惑がかかろうとも、その通りにならないと腹を立てるのです。
だから低脳なのです。
「ピッパの法則」は自己のアクションです。
「低脳な人物」は自分ではなく周囲の人にアクションを求めます。
だから低脳なのです。
きっと脳の一部が欠けているか腐っているのでしょう。
更年期でしょうか、中年女性に多いようです。

2011年12月28日水曜日

一歩前へ

男子トイレに必ず貼ってある注意書き
「一歩前へ」
様々な表現方法はありますが、これは便器手前にこぼれる尿を防ぐために、もう一歩前へ進んで排尿しましょうという意味の注意書きです。
















では何故便器内に全部排出せず、手前にこぼしてしまう人がいるのでしょうか。
理由はいくつか考えられます。

1、明らかにコントロールミス。入ると思っていたけれど完全なミスによる垂れこぼし。
 まさにもう一歩前へ進んでいれば防げた初歩的なミスといえます。
2、真性包茎による尿コントロール不能状態の人。
 いくら手で向きを定めても、尿道口に覆いかぶさる皮が邪魔をしてコントロール不能
 となります。
 垂れこぼしだけでなく、自身の足にも被害が及ぶ場合も考えられます。
 防止方法は包茎手術、または自身の手による一時的な仮性包茎状態にする事です。
3、ビキニやボクサーなどの締め付けの大きい下着による圧迫で尿道口の
 一時的な変形によるコントロールミス。
 出口が一時的に変形している事によるコントロール不能状態ですので、排尿の初期の
 段階のみコントロールを失います。
 予防策として排尿前にマッサージするなどが考えられますが、あくまでも机上論です。
4、老化によるキレの悪さから生じる垂れ流し。
 キレが悪くなると、排尿の終了時にこぼしてしまう事があります。
 これももう一歩前へ前進する事で防止できます。
5、上記1~4の理由で、既に誰かがこぼしている為に、一歩前へ進めない状態での排尿。
 ほとんどの人はこの理由により、垂れこぼしの上書きを行っているはずです。
 これを防止するには、便器の手前、両足の部分をグレーチングにするなどして、
 前の人のこぼした尿を踏まない(踏みにくい)ようにするしかありません。
 ただグレーチングにしても踏みつける部分を軽減する程度の予防策
 としかなりませんので、完璧を求めるのであれば、便器の水洗と同時に、足元にも
 水が流れるようにするしかないと思います。

このように、5つの理由をあげましたが、基本的にもう一歩前へ進んでいれば防げるものばかりです。
最近は、便器内に的を設置し、男性の心理にうったえる予防策も多く見られます。
















的に尿を当てると色が変化するなど、工夫が見られます。
















古典的ですが、便器内に氷が配置されている場合もあります。
これは1回の排尿で、何個の氷を溶かす事ができるのかと、チャレンジ心を煽ります。
氷以外でも、ゴミや汚れが付着している場合、排尿によりその汚れを取りたいという心理が働きます。
そうすると必然的に一歩前へ進んでいますので、結果的に垂れこぼしの防止にもなっている事があります。

最近の男性は、自宅では洋式便器に座って排尿する人が増えています。
これは上記のような理由による垂れこぼし防止策といえるでしょう。
公衆トイレは自分の手を汚す事はありませんから、垂れこぼししても気にしませんが、自宅の場合ですと掃除するのは自分です。
それが嫌なので絶対に失敗のない座式排尿を行うのです。

2011年11月22日火曜日

立ちション禁止

朝いつものコースを走っていると、前方で立小便、すなわち立ちションをしているオッサンが見えました。

最近は、高速道路脇に車を止めて、その車の陰でこっそりする人をたまに見かける程度で、めっきり見る事も減った感のあるあの立ちションです。
コンビニのトイレが開放されてからというもの、路地裏でも見かける事はなくなりました。
子供の頃 「立ちションしたら罰金や」 とよく脅されたものです。
実際に、立ちションという行為は軽犯罪法違反となります。
場所によっては刑法142条の「浄水汚染」(付近に飲料水として使用されている井戸などがあった場合)、同第261条「器物損壊等」(他人の所有物などに放尿した場合)、同第174条「公然わいせつ」(人々が集合したり往来のある場所などで陰部を露出して放尿した場合)によって処断される可能性もあり、更に公衆衛生上も好ましくないため、男女性別を問わず認められる行為ではないとされています。
 私の周辺に、立ちションで逮捕された人は存在しませんし、それが犯罪という確固たる意識はありませんでした。
何となく 「してはいけないもの」 程度の認識で、犯罪というよりも 「他人に見られたら恥ずかしい行為」 という感覚の方が大きいような気がします。

冒頭のオッサンも、同様に違反という事よりも、私に見られる事が恥ずかしいと思ったのでしょう。
私が走ってくる事に気付いたのか、少し焦りが見えます。
チラチラとこちらに目をやりながら、でも朝からこんな場所でしなければならなかった程に溜まっていた尿は、そんな簡単には終わってくれないのでしょう、私が近づくにつれ、完全に焦っているのが伝わってきます。
私は、なぜ朝からあのオッサンに気をつかわなければいけないのかと思いながらも、少しスピードを緩めます。
「はよ終わってくれ」
これは私と見知らぬオッサン、2人の脳に同時に過ったセリフです。
このいつもの川沿いのコースは、何本かかかる橋の横に抜け道があるだけで、オッサンの位置はその抜け道からも少し離れています。仮にオッサンの排尿が終了したとしても、私の方向に5mほど来ないと抜け道へ出られません。
ということは、こちらとしても、排尿を終了し、5m手前の抜け道へオッサンが駆け抜けるまでの時間を予測し、そのペース配分で走らなければならないわけです。
それより早くその地点に到達してしまうと、オッサンとすれ違う、又はもっと早い場合には、オッサンの排尿している真横を見知らぬ顔をして通過しなければならなくなってしまいます。
これは避けたい、いや私自身は何ともないのですが、物凄く恥ずかしい思いをするオッサンが可哀想です。
朝からそんなオッサンを見たくありません。ちゅーかなんでそんなとこで立ちションしとんねん!
そんな事を考えながら、ゆっくりと時間調整し、何とか彼の希望通り(推測ですが)、オッサンが抜け道へ駆け上がって行く姿を見た後に問題の現場を通過いたしました。
5mほど行くと、彼の残した排尿跡が見えました。
私の走行するコースを完全に遮断する形で、流れています。
見たくはありませんが、ちゃんと見ないと踏んでしまいます。
私は大きくジャンプし、彼の残した形跡を飛び越えたのです。

2011年11月9日水曜日

年賀状

ここ最近、めっきり年賀ハガキを書く事がなくなりました。
もう何年書いていないでしょうか。
 奈良時代に始まったとされる新年の挨拶回りという行事が、その起源とされる日本の風習、年賀状。
平安時代に入り、貴族や公家にもその風習が広まり、挨拶ができない遠方の人への年始回りに代わるものとして文書による年始あいさつが行われるようになったのだといいます。
私自身は、小学生の頃の 「子供郵便※」 (※子供郵便参照) がその始まりです。
それから徐々に年齢を重ねるごとにその枚数は増加し、ピーク時は1000枚以上もの年賀状を出していた頃もありました。
そしてそのピークを境に、徐々に枚数を減らしていったのです。
毎年正月になると、郵便ポストに大量に届いた年賀状を、こたつに入って雑煮を食べながら読むのが習慣となっていました。そしてまたそれが嬉しかったのです。
年賀状の枚数が、自身の人気のバロメーターのように感じていたのかも知れません。
自分が出してない相手から届いた年賀状には、翌日に返送するというのが礼儀です。
こちらが、出すほどではないと判断した相手から年賀状が届くと、それはそれで申し訳ないと思う反面、相手は自分以上にこちらの事を思っていてくれたという感情がこみ上げて、なんとなく嬉しかったように記憶しています。
 1000枚も出していると、年賀状だけのお付き合いという人が結構な数存在します。
毎年毎年、年賀状には 「今年こそ一緒に食事でもしましょう」 と、お互いが書くのですが、それが現実化する事は、ほぼありませんでした。
過去に1度だけ、年賀状だけの付き合いを継続していて本当に良かったと思う出来事がありました。
当時、とある事業で全国展開をもくろんでいた時の事です。
博多に営業所を出す計画で、全くツテもコネも無い九州に、何度となく足を運んでいました。
そんな時、もう何年も年賀状だけの付き合いである友人が博多にいた事を思い出し、連絡を取ってそれが見事縁となり博多営業所を立ち上げたという事がありました。
その時は本当に年賀状って大切であると実感したのです。
しかし、1000枚出す年賀状のうち、何枚かは全くリターンの無い人も存在するという事に気付いた時、ハッと我に返ったのです。
その後、あえてこちらからは出さず、来たハガキにのみ返信するという方式を取ったのです。
すると翌年は800枚ぐらいに一気に減りました。
200人は、こちらが出すから来ていただけの人達だったのです。
その翌年は500枚ぐらいに減りました。
これは、私と同じように来た人にだけ返そうと思った人が300人ほどいたのだと思います。
そして200枚、100枚と減り、今では30枚ぐらいが届く程度になりました。
逆に、メールやSNSでの新年の挨拶というのは年々増えていっているように思います。
年賀状を書くという作業は、確かに大変といえば大変ですが、そんなに苦痛ではありませんし楽しいものです。
しかし、住所を知らない友人が徐々に増え、年賀状を出すにも送り先がわからないというのが大きな原因のように思います。
実際、親交の濃い人ほど住所を知らず、年賀状だけを毎年送り合う人達ほど親交がないというのが実情だったりします。
わざわざ住所をメールで送ってもらうぐらいなら、そのままメールで新年の挨拶をすれば良いわけです。
mixi年賀状という、住所の知らないマイミクに対して、mixiが仲介して年賀ハガキをだしてくれるというサービスも、何年か前からありますし、毎年何通か届きますが、メールで返す方が早いと思ってしまい、利用した事はありません。(毎年くださる方には申し訳ないのですが)
更に、昨今のように、正月らしさなんて全くない正月 (※正月らしさとは、家に親戚が集まって、コタツに入って雑煮やおせち料理を食べながら、かくし芸大会を見てゴロゴロと過ごす事) に、わざわざ新年の挨拶なんているのかとさえ思えてしまうのです。
昔は12月31日と1月1日とでは大きく変化があったように感じていましたが、今では昨日と今日と同じ、なんら普段とかわらないようにしか思えないのです。
ここ数年は、正月も普通に仕事をしていますので当然といえば当然なのでしょうが。
日本の文化が失われるという考えもあるかもわかりませんが、果たして本当に文化なのか、郵便局が儲かるように仕向けられた戦略や洗脳だっただけではないかと思っていまうのです。

2011年10月28日金曜日

趣向(嗜好)の変化

なぜ大多数の日本の老人は、灰色や暗めの茶色、ピンクにしてもどす黒い感じ、淡いというより汚れたような色の服を選んで着るのでしょうか。
最近は海外の影響か、少しは減ったのかもしれませんが、それでも圧倒的に多いと思います。
夕暮れや明け方などはハッキリ言って景色と同化して見えません。
コンクリートの道路とは完全に一体化してしまって、どこに居るのかさえ全くわかりません。
若い頃は派手な服を着ていた人も、歳をとるとああいう色の服を着たくなるのでしょうか。
それとも老人向けの服は、圧倒的にああいう色が多いのでしょうか。
いや、そもそも老人向けという服なんて無いような気がしますので、明らかにああいう色を選んでいるように思うのです。
確かに、70歳以上のご老人が20代のファッションをしていれば変です。
しかし色は別です。原色でもいいと思うのです。
あの人達は一体何歳からああいう灰色の服を好んで着るようになったのでしょうか。
50歳でしょうか、60歳でしょうか、70歳でしょうか。
それとも今の老人世代は、若い頃から作業服のような色の服を着ていたのでしょうか。
今度どっかの散歩してるお爺さんをつかまえて聞いてみたいと思います。

ファッション以外にも、子供の頃にいつも疑問に思っていた事の一つに、テレビ番組などの好みが年齢によって変化するのかどうかという事があります。
子供の頃、なぜ老人は時代劇を見るのか理解できませんでした。
うちの祖父や祖母はずっと時代劇を見ていたからです。何度か我慢して見てみましたが、まったく面白さが理解できず、でもきっと自分も歳をとると時代劇が見たくなるんだろうと思ってました。
相撲も同じです。
いつかは面白くなる年齢が来るんだろうと思っていたのです。
しかしこの歳になっても時代劇や相撲を見たいと思いません。
(新選組や壬生義士伝、龍馬伝などの作品は別として)

食べ物に関しても、やはり年齢とともに大きく嗜好が変化するように想像しておりましたが、実際問題ずっと昔からあまり好みに変化無く過ごしてきました。
ラーメン等も、歳とともにあっさり醤油を選ぶようになったという人もいますが、私は若い頃からあっさり醤油が好きでしたし。食べる量もさほど変化はありません。

結局年齢によって嗜好が変化するという事が、自分では理解できないのです。
年齢に関係なく、好きなものは好き、嫌なものは嫌なのです。

2011年10月19日水曜日

霊媒師

霊媒師、霊と人間とを直接に媒介することが可能な人。
兵庫県たつの市に物凄く当たる事で有名な霊媒師がいると言います。
私は、霊が見える人や、人に触れただけでその人の人となりが全て解るという人は何人か知ってますが、霊を呼び出して、しかも会話までできるという人とはこれまでに一度も会ったことがありません。
なので正直胡散臭い印象があったのです。

古くからの友人(女性)が最愛の人を亡くし、悲しみにくれる日々の中で、どーしても故人と会話したいという願望から、この有名な霊媒師に接触しようと、アチコチで情報を収集し、半年かけてやっと会う事ができたという話を聞きました。
有名な霊媒師がいるという噂は知っていても、実際に連絡先まで知っている人は少なく、しかも仮に連絡先がわかっても、予約後数ヶ月も待たされるというので、なかなか接触するにも時間がかかったようです。
予約を取り付けたある平日の夜、霊媒師を訪ねると、そこはごく普通の民家だったそうです。
霊媒師は、イメージしていた人とは大きくかけ離れた、30代ぐらいの男性でした。
彼女は、勝手に老婆だとイメージしていたので面食らったと言います。
彼女が中に入ると、ベッドのある部屋へ通されました。
目の前に何か液体が入ったコップを2つ置かれ、まずはこれを一気に飲み干すようにと言われたそうです。
躊躇していると、一気じゃなくても、少しずつでもいいので飲むようにと言われ、仕方なく少しだけ飲んだそうです。
若い男性だったという事と、ベットの部屋、そして霊媒に無関係っぽい液体、これらの事で、何か疑いをもったのでしょう。素直に飲むと何か危険な気がして、全部は飲まなかったといいます。
しかし彼女自身は悲しみに打ちひしがれています。
疑いながらも、言われるままにベッドに寝転んで、何か呪文のようなものを唱えられ、その後、故人との会話をかわしたそうです。いや、実際には会話を交わした感じではなく、霊媒師が代弁したという感じでしょうか。
しかも言っている内容が完全に的外れで、がっかりして帰ったというのです。

そんな話を聞いた数週間後、別の人から偶然同じたつの市の霊媒師の話を聞きました。
同様に物凄く当たるという話、なかなか予約が取れないという話、一緒に行った友人が霊媒師に「将来が見えない」と言われ、実際に事故で亡くなったという話。
恐ろしい話を沢山聞きました。
しかし聞いていくうちに、なんとなく以前聞いた話との相違がいくつかある事に気付いたのです。
「えっ?その霊媒師て30代ぐらいの男性やんな」
「えー、ちゃいますよ、オバチャンです」
「なんやてえ?」
なんと以前聞いた話とは別の霊媒師の話だったのです。
私は以前聞いた初めに何か飲まされる事や、ベッドのある部屋に通される事等を伝えました。
すると 「あー、それ詐欺ですわ、この前捕まってましたよ強姦罪で」
「えーーーー!なんやてええ?」
どうやら同市に本当に存在する霊媒師のフリをした詐欺まがいの霊媒師がいて、相談に来る女性に睡眠薬を飲ませて乱暴していたというのです。
しかも私の古い友人はそっちの霊媒師に相談に行っていたわけです。
睡眠薬を全部飲まなかったから良かったのか、それとも実際は眠ってしまって何も覚えていないだけなのか。
なんとも恐ろしい話です。
クワバラクワバラ、ナンマイダナンマイダ

2011年10月17日月曜日

もう1人の誰か

もう何年も前の事ですが、仕事の打合せのために、とある喫茶店へ同僚と入った時の事です。
街の小さな喫茶店、しかも15時過ぎだったせいもあって、客は我々2人だけでした。
席につくと店員の女性が水を持ってオーダーを聞きにきました。
しかし我々のテーブルに運ばれてきた水は3つだったのです。
「えっ?2人やで?」
「えっ?トイレ行かれてるんじゃないんですか?」
「誰が?」
「もう1人の方・・・」
「いや、だから2人やて」
「うそでしょ?絶対うそでしょ?」
どうやら我々と一緒にもう1人誰かが入ってきたらしいのです。
彼女はそれをハッキリと見たと言いうのです。
我々のやり取りを、奥の厨房で聞いていたマスターもやってきました。
マスターももう1人の人をハッキリ見たと言います。
スーツにネクタイ姿の40歳ぐらいの男性だったと、2人が口を揃えて言うのです。
なんだかとても恐ろしくなったと同時に、ちょっぴり嬉しかったというのが事実です。
過去に、人からこれに似たような体験談を聞いた事がありましたが、まさか自分自身にもこういう事が起きるなんて思っていませんでしたので、正直嬉しかったのです。

それから約1週間ほど経過したある日、また別のレストランに、また別の男性と入りました。
そしてそこでも全く同じ事が起きました。
先日と同じように、店員の男性が3つ水を持ってやってきたのです。
「ひょ、ひょっとしてネクタイ姿の40歳ぐらいの男性が一緒に入ってきました?」
「え?あ、はい、その方はトイレですか?」
背筋がゾーーーーーっとしました。
コラ完全に私についているようです。
さすがに怖くなって、知人の霊媒師にお祓いをしていただきました。
それ以来、こういう事は起きていませんが、ある意味ネタのためにもたまには起きてほしいというのが本音です。

2011年10月13日木曜日

世界地図

普段から見慣れた世界地図。












死んだオカンがチズ子という名前だったからでしょうか、昔から地図を見るのが好きでした。
先日、何気にボーっと世界地図を眺めながらふと思った事があります。
普段から見慣れた世界地図は上図のように日本が中心に描かれたものです。
がしかし、これはあくまでも日本人が日本人のために描いた世界地図であって、きっと他国ではそれぞれ自国を中心に描かれた世界地図が使われているのではないかという疑問です。
アメリカならアメリカが中心の世界地図、イギリスならイギリスが中心の世界地図なのではないでしょうか?
ではグリーンランドの世界地図は一体どういう風に描かれているのでしょう。
ニュージーランドを中心に描かれた世界地図を見てみたい。
そんな事を思ったので調べてみました。

・日本で日常的に用いられる世界地図は日本の国土が北半球に位置することから地図の上辺方向を北にしたものが多く、日本の位置は地図のほぼ中央に記されていることが多い。
・英国のグリニッジ天文台を経度0としていることからヨーロッパでは経度0を地図の中央に配置している。
・米大陸でも大西洋を中心とする地図が多く用いられる。












・南半球の国(オーストラリアなど)では地図の上辺を南(つまり上下が逆転した世界地図)にしているものがある。
・イスラーム世界の地図では、四方のうち南を正面と考えることに起因して南を上にしているものが多かった。















・仏教世界では西方浄土の考えから西が上になっているものが多い、また、日本の古地図行基図等では上辺方向は、まちまちである。

世界地図 - Wikipediaより抜粋

しかしさすがに西が上の世界地図は出てきませんでしたが(そもそも西が上て、地球は丸いのですから西へどんどん行けば東を通り越してしまいます)オーストラリアなど南半球の世界地図には驚きました。















日本なんてこんな状態です。
これでは酔ってしまいます。

2011年9月29日木曜日

ケツをかく

【ケツをかく】
別にケツが痒いわけではありません。
車で前の車を「あおる」事を「ケツをかく」と言います。
これは播磨地方特有の方言のようです。

急いでいる時に、前方に意味もなくトロトロトロトロ走っている車がいたら腹が立ちます。
特に高速道路で、追い越し車線をトロトロ走っている車には心底腹が立ちます。トロトロ走るなら何故左側車線を走らないのかと文句を言いたくなります。
一般道でも、意味もなく急にスピードを上げたり急にゆっくり走ったりする車の後ろを走っていると、無性に腹が立ちます。
何かを探しているのか、道路上で停止寸前のスピードまで落としてキョロキョロしている人にも無性に腹が立ちます。何故コンビニにでも入って車を停めてから探さないのでしょうか。全く後続車が気にならない人です。
そして曲がるのかと思って待っていたらまた走りはじめたり。
完全に衝突するタイミングで割り込んで来て、こちらに急ブレーキを踏ませておいて、しかもトロトロ走る人もそうです。
自分の事しか考えられない人が物凄く多いのです。
だからケツをかくのです。
ケツをかく行為には、「はよ行けやボケ」 という意味がこもっているのです。

しかしケツをかかれると腹が立ちます。
普通に走っていて、ケツをガンガンかいてくる(ガンガンあおってくる)車には無性に腹が立ちます。
「勝手に追い越せやボケ」 と思います。
私は、前述のような、意味もなく追い越し車線をトロトロ走ったりしませんし、急に割り込んでおいてトロトロ走る事もしません。
フツーに流れに乗って走っていても、ケツをかいてくる人が存在するのです。
前述のように、明らかに走行上問題のある運転の場合は、ケツをかかれても仕方がありませんが、フツーに走っている車に対してケンカを売るような行為はどうかと思います。
しかも急いでいるのなら道を譲りますが、どうもそういうわけではなく、イキッているだけのような人。
私はこれまで、ベンツや国産でもクラウンなどのクラスの車に乗っている時は、一度もケツをかかれた事がありません。逆に小型車に乗っていると1日に何回もケツをかかれます。
ということは、フツーに走っている車に意味もなくケツをかく人は、車を見て(相手を選んで)かいているとしか思えないのです。
だから腹が立つのです。

結局ケツをかく側も、かかれる側も、腹が立つのです。
ネットを見ていても 「あおる車はたとえ急いでいようが絶対に許せない」 という人がいましたが、果たしてその人の運転はどーだったのでしょうか。ドンドン話がエスカレートして、車内からあおる車に対してペンキの入った瓶を投げるべきだと恐ろしいアドバイスなども出ていましたが、自身の運転に対する反省点は無かったのでしょうか。
逆にあおる側も 「絶対に許せない」 とエアガンで前の車を撃って事件になっていたりもします。
これを見ていると、全面戦争になりかねない勢いですが、かく側もかかれる側になりえますし、かかれる側もかく側になりえるのです。
我々にできる事は、最低限のマナーを守って、そして制限速度ではなく流れに乗って、そして協調性、譲り合いの気持ちを持って運転する事だと思います。
どうしてもケツをかかれたくない人は、ベンツやセルシオを購入し、真っ黒のスモークを貼る事をオススメします。
まずかかれる事は無くなります。

2011年9月20日火曜日

外堀川(続編)

前回、外堀川のゴミ被害について少し触れましたが、その原因をつきとめることに成功しました。
















「ゴミ持ち帰り公園」
公園内にゴミ箱がありません。
ゴミは持ち帰りましょう。


これです。
これが原因です。
確かにゴミ箱がないので、素直に持ち帰る人も多いでしょう。
が、しかし、ゴミ箱が無いので捨てて帰る人も多いのです。
だから川がゴミだらけなのです。
川だけではありません。
川沿いのベンチというベンチにゴミが散乱しています。
マクドナルドの紙袋や、コンビニ弁当、ペットボトルなどがベンチごとに散乱しているのです。
皆楽しそうにピクニック気分でファーストフードを食べ、そしてゴミ箱が無いので川や周辺に捨てる。
ゴミ箱を置かない理由は、回収するコストの節約でしょうか。
しかし、後になってこれだけのゴミを拾う事のほうがコストがかかります。
いや、ゴミはずっと放置してありますので、コストはかかってないのでしょうが。
このままで良いとは正直思えません。
近いうちに、スポーツゴミ拾い大会でも企画して、外堀川をキレイな川にしたい。
そんな事を妄想しながら今日も走っています。
走りながらの乱筆をお許し下さい。

2011年9月15日木曜日

理解できない行動

人それぞれ考え方が異なりますし、育ってきた環境や文化によって、取る行動も大きく異なります。
しかし殆どの人は、そういった事とは別に、自身に不利になる行為や、手間や面倒になる行動は取らないのが普通ではないでしょうか。

先日、とあるホームセンターの駐車場での出来事。
私が車を止めてボーっと佇んでいますと、1台の車が私の車に近づいてきました。
その駐車場は100台以上の車が駐車可能な、わりと大きな駐車場です。
駐車率は30%といったところでしょうか。
正直スカスカな印象でした。
その車は何を思ったのか、私の車の助手席側真横に停めようとしています。
わざわざ横に停めなくても、そこらじゅう空いたスペースだらけなのにです。
さらに、キッチリ枠内に停めた為に、非常に降りにくそうに車を降りています。
もちろんドアだって完全には開きません。
私の車に当たらないように気遣って、おそるおそるドアを開け降りて行きました。
私にはその一連の行動が全く理解できませんでした。
何もそんな苦労して車を降りなくても、駐車場はスカスカなのだから、もっと広い位置に停めれば良かったんじゃないでしょうか。
「なんでそこに停めたんや」
思わず口ずさんでしまいました。

2011年9月11日日曜日

カッターライフ

カッターナイフで紙を裁断する作業。
一般的にはあまりカッターで紙を切る機会は少ないのかも知れませんが、私は仕事柄よく切ります。
1日平均すると158枚ぐらいは切っているのではないかと思います。
158枚と書いた時点で嘘くさいのですが、正直100枚は毎日切っていると思うのです。
今日は8200枚切りました。
複数枚の紙を裁断する場合、紙が多くなればなるほど、全部の紙を同じサイズにカットする事が難しくなります。
何も考えずに100枚同時にカットした場合、1枚目の紙と100枚目の紙のサイズが大きく異なっているという経験をした方も多いのではないでしょうか。
いくら定規を当ててカットしていても、カッターナイフの刃先がまっすぐ垂直におりていないという事が大きな原因と考えられます。

以下に、複数枚の紙を上手にカットする条件をあげてみました。
1から順に優先順位とお考え下さい。

1、一気に複数の紙を切ろうとせず、軽い力で何回も切る。
 例えば100枚同時に切る場合、1回のスライドで2~3枚を切る程度の力で切ります。
 どうしても1度に10枚以上を切ろうとしてしまう人が多いようですが、
 無駄な力が入り、刃先がまっすぐにおりなくなるのです。
 軽く軽く、そして何回も何回もカッターをすべらせる気持ちが大切です。
 また切り始めと切り終わりの部分を同じ力加減にする事です。
2、カッターナイフの刃が新しい事。
 刃先が消耗すればするほど正しいカットは難しくなります。
 また余計な力が加わりますので、刃は新しい方が良いでしょう。
3、定規側はしっかりと力を入れて押さえる。
 カッター側は力を入れず、定規側は力を入れます。
 定規の全体(カットする部分全体)にまんべんなく力が加わるようにする事が大切です。
4、カッターの切り始めを紙よりも上にする事。
 紙の切り始めをカッターの切り始めにするのではなく、紙よりも数センチ上(早く)する事です。
 紙をスタート地点にすると、どうしても紙を切ろうとする気持ちから無駄な力が加わってしまいます。
 紙のない部分からカッターを入れ、途中から紙が始まるように切る事が大切です。
5、カットは立って行う事。
 立つというか真上から見る事が大切です。
 座った位置ではどうしても斜めに見る事になります、紙に対して垂直に
 真上から見て作業を行う事です。

上記の項目を守って紙を切ると、嘘のようにキレイにカットする事が可能となります。
これを是非マスターし、快適なカッターライフをお過ごし下さい。

2011年9月10日土曜日

外堀川

姫路城の外堀であった川、「外堀川」
姫路城北東の野里上野町で北条川から分流し、姫路城や姫路駅の東側を通って南下、飾磨区上野田で野田川と名前を変える部分までの全長約6kmが外堀川と呼ばれています。
姫路駅から北側の部分は地図でも確認できないほどの河川ですが、南側は川幅は勿論、周辺も整備されていて、桜並木やウォーキングコースなども存在します。
この外堀川のJRより南側の部分から野田川と名前を変える部分までには15本の橋がかかっています。

JR線路から南側最初の橋、北豊沢橋















姫路駅につながる線路沿いの道路です。

そのすぐ南10mのところにかかる豊沢橋















昔この2つの橋の間には、喫茶リリーがありました。
(のちに飾磨のチェスティーノへ、現在はモッチモパスタ)

カノミ歯科のあるところ、三國橋















一ノ切橋、おしまれて閉店した洋食店「かさがた」のところにかかる橋。















城陽大橋、マックスバリュと姫路キャッスルホテルの間にかかる橋。















二ノ切橋、扶桑ビル付近















この付近の水面には大量の水草(ホテイアオイでしょうか)が繁殖しており、水面が見えない状態となっています。

揚羽橋、おばけ寿司の筋















誰かが意図的に放したと見られるブラックバスや、体長1m近くもある黒い鯉が大量にいますが、水草の間で動けなくなっている姿をよく見かけます。
また水草の上に大量に浮かぶ、ペットボトルなどのゴミを見るたびに、心が痛くなります。
水面までの距離が長すぎますし、また川へ降りる部分もありませんので我々ではどうしようも出来ません。
なぜわざわざこんなところにゴミを捨てるのでしょうか。
また姫路市はこのゴミに関して何も思わないのでしょうか。
よくここで市の職員を見かけますが、何ら変化が見られません。

庄田橋、三左衛門堀の川まつりのメイン会場となる橋。















三左衛門堀橋、市役所の筋















このあたりから一気に川の雰囲気が変わります。
川だけでなく歩道も土で、人もあまり見かけません。
情緒ある景色が楽しめます。

三左衛門橋、下の三条じ橋と並んでかかる歩行者専用の橋。















三条橋、スズケンのところにかかる橋。
先ほどの三左衛門橋のすぐ横に並んでいます。















姫路バイパス北側道橋、橋の名前は無い。















姫路バイパス、これも橋と言えば橋です。















姫路バイパス南側道橋、橋の名前はありません。















三ノ切橋、ここで外堀川は野田川に名前を変えます。















最初の北豊沢橋からこの三ノ切橋までは、途中土の部分もありますが、川沿いに整備されていて、朝は散歩やウォーキングをする人達をよく見かけます。
一周で約5km、走るにも歩くにもちょうど良い距離です。

2011年9月9日金曜日

雲の数え方

雲ひとつない空
















いや、ちゃうわ、2つあるわ。
2つ、いや2個か、いや2.5個か。

そもそも雲の数え方は 「つ」 で合っているのでしょうか。
固体ではないので 「個」 ではないでしょう、だから 「雲ひとつない」 と 「つ」 と言うのでしょうか。
気になって気になって仕方がないので調べてみました。

■雲の数え方
一片(ひら)、一点、一叢(むら)、一流(ながれ)、一朶(だ)
空にぽっかりと浮かぶ雲は「1つ、2つ」、ちぎれ雲などは「1片(いっぺん)、2片(にへん)」、雲のまとまりは「1塊(ひとかたまり)、2塊(ふたかたまり)」と数えます。飛行機雲や筋雲のように細長い形をしていれば「1本」「1筋」「1条」などと数えます。「条」は、中国語から入ってきた、細長いものを数える数え方です。また、空一面に広がるウロコ雲は「一面」、快晴の空にわずかに浮かぶ雲を詩的に「一抹」「一点」と表現することもあります。入道雲は山のように盛り上がった形をしているので、高い山を数える「1座」で数えます。また、花の重みなどで木の枝が垂れ下がる様子を表す「朶(だ)」を用いて雲のまとまりを「1朶(いちだ)、2朶(にだ)」と言うこともできます。
                   中央大学商学部教授 飯田朝子著「数え方の辞典」より

色々あるんですね、勉強になりました。
しかしこれまでの人生で、雲を1片なんて呼んだ事イッペンもありません。そもそもちぎれ雲てなんなんでしょうか。
飛行機雲を1本と呼んで、それがちぎれたら1片になるのでしょうか。
1塊も、1条も1座も1朶もありません。
「と言うこともできます。」という文章の締めくくり方から察するに、どんな呼び方をしても自由なのかもしれません。
なので今後は 「1雲(いちうん)、2雲(にうん)」 と呼ぶ事にします。

2011年9月5日月曜日

Cポジ論

Cポジ=チンポジ=男性器の下着内でのポジション

M-1決勝にて笑い飯がネタに使用し、一気に一般人にも使用されるようになった言葉「チンポジ」。
なかなか男性同士でも、このCポジについて論じられる機会はありません。
がしかし、Cポジは我々男性にとって、メンタル面やフィジカル面において大きな影響を及ぼします。
男性は、日常生活において常にCポジを意識しているのが現状ではないでしょうか?

一般的にCポジは下着によって大きく左右されます。
自身が好む下着によってCポジが決まるわけです。
逆に言うと、Cポジの好みによって下着を選ぶ傾向にあるという事です。
私は現在ボクサーブリーフを着用しています。
長年の経験上、私の理想のCポジは上向き、いわゆるアッパータイプですので、なるべくフィット感の強いボクサーブリーフを選んでいます。
ボクサータイプのブリーフが登場するまでは、ビキニタイプのブリーフでした。
私自身がアッパータイプを好むきっかけとなったのは、20歳くらいまで着用していたトランクスタイプの下着のせいでもあります。
それまでの私は、正直Cポジの事なんて一切気にせずに下着を選んでいました。
ただなんとなくトランクスだったのです。
トランクスはビキニのようにピタッとしていません。
なのでCは自由に動きます。いわゆるフリータイプポジションです。
これは通気性も良く多くの男性に好まれているようです。
しかし、いくら下着がフリータイプであったとしても、パンツ(ズボン)が細ければ全く意味を成さないのです。
私の場合、このトランクス時代に経験した苦い出来事がきっかけで、脱トランクス派となりました。

男性自身(C)の状態(膨張と収縮)は、とても繊細な心理状態によって大きく左右される事は知られていますが、睡眠とも大きく連動しています。
睡眠中は本人の意思に関係なく、数時間サイクルで膨張と収縮を繰り返します。
当時、トランクス派だった私は、パンツ(ズボン)の圧迫によって、外出時は基本的にフリータイプとも呼べない状態にありました。いわゆる左太もも側に偏ってしまうレフトポジションタイプだったのです。
その状態で、授業中の居眠りによる膨張は、Cにとっても私にとっても大変不快な事といえます。
ハッキリ言ってしまえば不完全勃起です。
スクスクと上向きに育ってくれませんので、どうしても手によるCポジの変更が必要となります。
しかしなかなか授業中に簡単にはCポジ変更もできません。
不快なCの状態のまま、それが気になって気になって、まともに授業も頭に入りませんし、かといって今の状態のまま授業が終わってしまうと、休憩時間に周囲の女子に見られてしまうという危機感もあります。それはそれはとても辛い時間帯でした。
私はその時に初めてCポジの重要性を感じました。
それ以来、いついかなる時でも、Cが私の手をわずらわす事なく、C自身でスクスクと上向きに膨張できるように、アッパータイプを好むようになったのです。
その為にフィット感の強いビキニタイプの下着を選択するようになりました。
フィット感が強いという事は、Cは基本的に動きませんから、必然的にCポジの訂正も全く必要がないというわけです。
逆に言うと、長期間愛用した下着は、フィット感が徐々に落ちてきて、アッパータイプを維持できなくなり、Cポジの訂正が必要となってきます。
そうなると下着の買い替え時期であると判断できるのです。

人それぞれ好みのポジションがあると思いますが、もしもまだCポジについて迷っている、もしくは悩んでいるという方がおられましたら、是非このCポジ論を参考にしていただきたいと思います。


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2011年8月23日火曜日

天ぷら

先日、とある天ぷら屋さんに入った時の事。
カウンターに座って、ボーっとしながら、オーダーした天ぷらを手際よく揚げるオバチャンを眺めていました。
すると明らかに天ぷらとオバチャンの手が一緒に油の中へ入っているように見えたのです。
「えっ?えっ??」
思わず声が出そうになりました。
いや見間違えかもわかりません、一般的に天ぷら用の油の温度は180度前後です。そんな中へ手を突っ込んだら158%火傷します。最近目の疲れを感じるようになりましたし、きっと見間違いでしょう。
私は、そのまま又気を取り直して、オバチャンの作業を見守る事にしました。
オバチャンは同僚と雑談しながら、何気ない顔をして、手際よく具材に衣を付け揚げていきます。
今度は、じっくりと手元を確認いたしましたが、やはり具材と一緒に3cmほど油に手先が入っています。
「お、おばちゃん!アツないんかいな!」
思わず声が出てしまいました。
「あはは、アツないねんアツないねん、ありがとな」
なんという事でしょう。
毎回あんなに高温の油に手をつっこんでおいて、なんとも無いなんて、どんなけ皮分厚いねんオバチャン。
確かに以前、プロの職人は油に素手で手を突っ込むという話は聞いた事がありましたが、でもそれはこの道何十年という頑固そうなオッチャンだとずっと思ってましたし。どう見てもこの目の前のオバチャンはパートのオバチャンやと思うので、ちょっとショックを受けたのです。
すると私の元へオバチャンが近寄ってきてこう言うのです。
「あのなニーチャン、自分で突っ込んだ時はアツ無いねんけどな、飛んできた油はアツいねん」
「えー、」
なんと自分の意思で触る油では火傷をしないけれど、自分の意思でない油では火傷をすると言うのです。
そんな事があるのでしょうか。
「ほんまかいな」
「ほんまやで、びっくりするやろ」
どうやら本当の話らしいです。
人間て不思議な能力がまだまだあるんですね。

2011年8月18日木曜日

停止させる

日本酒は、1つの醪の中で、デンプンが麹の酵素によって糖に変わる糖化と、糖が酒母で培養された酵母によってアルコールと二酸化炭素に変わるという分解が、同時並行的に進むという並行複醗酵によって醸造されます。
この後者である分解が最後まで進むか否かによって、醗酵の様態は完全醗酵と不完全醗酵に大別されます。
完全醗酵されたお酒は、それだけ発生するアルコール分が多いので、製成酒は必然的に辛口になりやすく、日本酒度も高くなります。
一般的によく用いられる製法は、醗酵が進み日本酒度が-5程度になったところでアルコール添加をし、これによって一気にアルコール濃度を強めて酵母を衰滅させ、醗酵を止めます。
アルコール量は相対的に増えたので日本酒度は高くなります。
しかし不完全醗酵により、醪のなかには、まだ醗酵性糖分がそのまま残っているので、製成酒は日本酒度のわりには甘く感じられるのです。
甘さの度合いは、醗酵を途中で止めるタイミングを変化させる事で、その酒の個性を出すわけです。

以前、もう何年も前の事ですが、一時期サラサラヘアーに憧れた時期がありました。
元々クセ毛があって天然パーマである私にとって、サラサラのロングヘアーは憧れだったのです。
今現在は逆に天然パーマを最大限にアピールしておりますが。
まだ当時は男性のログヘアーなんて考えられない時代でしたので(江口やキムタクより前の時代)、いち早くロングを採用したかったのでしょう。
私は知人の美容室に行き、ストレートパーマの技法を学びました。
私のヘアーは、1度ストレートパーマをかけたぐらいでは直毛にはなりません。そこでスーパーストレートという技法を身につけたのです。
パーマ液には1液と2液があって、1液は髪の分子を分解しバラバラにし、2液がその進行を止め分子を固めます。
スーパーストレートとは、1液を何度も繰り返し(約5時間)、完全にバラバラになった状態で2液を添加し固めるというものです。もちろん髪は痛みますが、完全な直毛、サラサラヘアーが手に入るのです。
これによって私は、いち早くサラサラロングヘアーを手に入れることに成功したのです。

まだここ数週間ですが、毎朝走っています。
なかなか朝は時間がありませんので、毎日30分だけ走ることを決めて、毎日それを実施しています。
30分走った後は、滝のように汗が流れます。
汗は30分ほど経過すると流れなくなりますが、いつも疑問に思うことがあるのです。
いつも時間がありませんから、走った後はすぐに水シャワーを浴びます。これによって、通常30分間放置していた場合に出るであろう汗を完全に止めているわけです。
いわゆる酒で言う完全醗酵させずに、意図的に醗酵を停止させている状態です。
いわゆるストレートパーマで言う1液の髪分子の分解を2液で止めたようなものなのです。
果たしてこれは、本来の目的であるダイエットに対して効果的なものなのでしょうか?
ダイエットするなら発汗を抑えるような事はせず、汗を出し切った方が良いのではないでしょうか。
いわゆる酒で言う完全醗酵、ストレートパーマで言うスーパーストレート。
しかし汗をかくと皮膚や汗腺から余分な脂肪や汚れが排出されて、毛穴がすっきりする効果がある上に、体温が上がることで血管が拡大して血液の循環がよくなり、さらにその後に水を浴びることで血管は収縮。この繰り返しで血行が促進されるという効果もありますので、一概に良くないとも決め付けられないのです。
また運動の後は、乳酸という疲労物質が体内に溜まるので、肉体的な疲労がどうしても生じてしまいます。
そのため運動後はサウナや風呂に入り、その後水を浴びるという行為を数回繰り返すことでリラックスでき、乳酸が減少し疲労回復しやすくなるというデータもあります。
発汗を止める行為が正しいか正しくないか、ダイエットに良いか悪いか、その部分は一切わかりませんが、この行為を日々繰り返しながら、日本酒の醸造とストレートパーマの事をいつも考えているのです。

2011年8月9日火曜日

オーバークロス

車で移動中、いつも不思議に思うことがあります。
それは新幹線と私との不思議な関係です。

高速道路や一般道を走っていて、新幹線の高架にさしかかると必ず新幹線が横切るのです。
そして私のカーとオーバークロスするのです。
















それを感じ始めるようになったのは15年ほど前、当初は物凄い偶然に驚いていました。
でももう毎日の事なので驚きもなくなりました。
今朝もオーバークロスしましたもん。
多い日は1日に何度もオーバークロスします。
しかし何でこんな現象が起こるのでしょう。
毎日同じ時間に同じ道を通るわけではありませんし、実際それを意識もしていません。
正直忘れています。そして毎回たまたま「あ、またや」という感じでクロスしているのです。
勿論ごくまれにですが、完璧にクロスせずに、ちょっとずれてる日もあります。
新幹線が少し早くてスピードをあげないとクロスできない日が存在するのです。
でも必ずスピードをあげればクロスさせて通過できるのです。
自分の中でなんとなくクロスさせないと縁起が悪いという風に、願掛け的な現象になってしまっているのかも知れません。
ある人はそれが私の超能力ではないかと言います。
しかしそんな超能力があっても何の役にも立たないのではないでしょうか?

私が新幹線を呼んでいるのでしょうか、はたまた私が呼ばれているのでしょうか。
世の中には本当に不思議な事が多いもんです。

2011年7月28日木曜日

記者魂

記者魂とは。
どんな職業でも真髄とでも申しましょうか、「魂」というものが存在するはずです。
記者には記者の魂、デザイナーにはデザイナーの「魂」というものがあるのです。

先日、とある地方紙の取材を受けることとなり、ある記者と会う事となりました。
彼とは初対面でしたが、彼の新聞社には知人もいたので、なんの違和感も無く、すんなりと取材を受ける事としたのです。
彼は私という個人を特定するために、半年間もの時間を要したと言います。
私と会うために並々ならぬ努力をしたそうです。
ブログは毎日目を通し、コラムも必ず読む。
飲食店の足跡を辿り、様々なお店での聞き込み調査までしたというから驚きます。
「ブログにメールフォームありますやん、メールしてくれたら良かったのに」
「いえいえ、地道に探してたどり着く事に意義があるのです」
彼は、決して近道はしたくないのだと言います。
話の中で、彼の新聞社にいる私の知人が同じフロアにいる事も判明しました。
「そんな遠回りせんかてその人に聞いたら一発ですやん」
「いえいえ、まさか彼が知り合いだとは思いませんもん。しかもそんな近道したくありません」
私は彼の「新聞記者魂」を見たような気がしました。
あくまでも自分で見つけたヤマには、自分の足を使って、自分の力で、そして取材までもって行きたい。
そんな彼の姿勢に心打たれたのです。
ネットや雑誌の情報に頼らず、自分の足でたまたま見つけて飛び込んだお店をレビューしたいという私の飲食店探しと共通する部分があったからです。
しかし彼は、そこまでしても半分以上は取材を断られるというのですから、なかなか大変な仕事だと思いました。
30分ぐらいの取材を受け、100枚以上の写真を撮影し、取材は終了しました。
後日、800文字にまとめられた彼の書いた記事を見て、その執筆力に再度記者魂を感じたのでした。
これまでに数多くののライターの記事を見てきましたが、彼ほどにこちらの意図を細かな部分まで歪めずに完璧に捉えた人はいなかったからです。
彼の姿勢と能力には本当に「魂」を感じたのでした。


2011年7月23日土曜日

本質の部分の伝達

前方100mのところで、小学生の男子2人と老婆が道路を横断しようとしているのが見えます。
横断歩道の無い交差点です。
前で小学生2人が天高く手を上げ立っています。
老婆はその後方で2人を見守っています。
きっと老婆に、「道路を横断する時は手を上げて渡りなさい」 と躾けられているのでしょう。
私は、前後に車の姿が見えないので、そのまますぐに横断するのだと思いました。
ところがなかなか道路を横断しないのです。
私の車両がどんどん3人に近づきます。
まだ渡りません。
私の後方に車両は確認できません。
きっと3人は私の車が過ぎ去った後、道路を横断するのでしょう。
しかしそれにしては慎重です。
100mも向こうにいる私の車を待っているのですから。
すると、私の車が3人の手前10mぐらいに差し掛かった時、いきなり道路を横断し始めたのです。
「えっ?」
私は急ブレーキをかけました。
信じられませんでした。
老婆は笑っています。
そのまま3人は当然のように道路を渡っていきます。
「どないやねん」
思わず口ずさんでしまいました。
きっと老婆は2人の孫達に、道路を渡る時に手を高く上げることしか教えていないのでしょう。
そんなことよりも、車が来ていない時に渡るという最も重要な事を教えないといけないのではないでしょうか。
カタチばっかりにとらわれて、肝心な事を教えていないのです。
「ありがとう」と言う(喋る)事を教えるのではなく、感謝の気持ちを教えないといけないのと同じ、「ごちそうさまでした」と言う(喋る)事ではなく、食事をいただいた事への感謝の気持ちを教えないといけないのです。
そこを理解すると「ありがとう」という言葉は自然と出るのではないでしょうか。
道路を横断する時の最も重要な部分を教えると、手を上げようが上げまいが、安全に横断できるのです。
これは物凄く重要なことであると思います。

2011年7月20日水曜日

略語家

略語=省略語の略語。
省略語をやたらと使用する人がいます。
私はそういう人を略語家と呼んでいます。
私は基本的に、あまり省略語は使いたくありません。
多少ややこしくても、仮に舌を噛みそうになったとしても、略さずにキッチリとフルネームで呼びたいのです。

一般的に認知されている省略語、例えば、マクドナルドをマクド(マック)。ファミリーマートはファミマ。セブンイレブンはセブイレ(セブン)。ヴィレッジヴァンガードはビレバン。吉野家の牛丼はよしぎゅう。ホームページはホムペ。イラストレーターはイラレ。コピー&ペーストはコピペ。関西電力はかんでん。東京電力はとうでん。中部電力はちゅうでん。等、これらは世間一般に普通に使われ、ほぼ誰に言っても伝わる省略語です。確かに短く短縮した方が言い易いものばかりです。
もっと言えば、パソコンも原付も携帯も省略語です。
世の中には省略語が溢れているのです。
人が省略語を使用する目的は、言葉を発する事による体力の消耗を極力軽減させるための本能なのでしょうか。
一部の人にしか通じない省略語も存在します。
はずい (恥ずかしい)、マクバ (マックスバリュ)、たいべん (たいこ弁当)、しける (しらける)、等等。
正直言って「はずい」と言う方がはずいです。いや恥ずかしいです。
知的で品位ある人が使うとは思えません。
知的でカッコイイ品位ある大人の人がこのような省略語を使用していたらどうでしょうか。
私はちょっとガッカリします。
勿論、企業側が親しみやすさの為に戦略的に使用する場合もあります。
しかしそれも含めて省略語を多用する人を見ると、どちらかと言うと品の無い印象を持ってしまいます。(あくまでもイメージです)
なので私は、なるべく省略語は使用したくないのです。
自分自身の名前でさえ、フルネームで言う事の方がかっこ良いと思います。
有名人やタレントは、名前をフルネームで呼ぶことの方が多いのに、一般人で自身を紹介する時にフルネームで言う人は非常に少ないのではないでしょうか?
○○商事の○○です。と苗字だけで言う人がほとんどだと思います。
苗字だけが自分の名前ではありません、ちゃんと下の名前も合わせて初めて自分自身の正式な名前になるわけですから、どんな時でもフルネームで言う事が大切だと思うのです。
それと同様に、お店の名前や言葉は、略さずに正式名称で極力呼んであげたい、そう思います。
(勿論、親しみを込めて略す場合もあるのですが)

2011年7月12日火曜日

言葉と文章の相違

Twitterやfacebookの登場で、一気にネット人口が急増した昨今。
ネット人口と言っていいのかどうかはわかりませんが、ここ数年で、これまでネットでは見かけなかった人達、ネットには無縁だった人達が一気に参入したように感じます。
実際facebookは、古くからの友人や知人で、blogもmixiも全く無縁だった(ススメても全く興味を示さなかった)人達から、急激に友達申請が届くようになったので驚いています。
その殆どが中小企業の社長ですが、本人に確認すると、「いやあ、何となくfacebookやってたら儲かるって聞いたので」や、「facebookやってへんかったら時代に乗り遅れる言われたから」など、意味不明にとりあえずテレビやメディアでの情報と映画の影響、その他、周囲にすすめられてという理由で始めた人が多いようです。
そしてTwitterにしてもfacebookにしても異常に中年層が多いのです。
最近になって若い世代の人達も増えてきましたが、特にTwitterに関しては、あきらかに30代~50代の中年層の方が、口数が多い(つぶやき数が多い)ように思うのです。
以前にも書きましたが、人は自分の話を誰かに聞いて欲しい生き物です。
聞き上手の人は誰からも人気があります、それは皆、自分の話を聞いて欲しいからです。聞いて欲しいから、嫌な顔せずに聞いてくれる人が好きなのです。
面白い出来事や事件などに遭遇した場合、恋人や友人等いつも話を聞いてくれる人がいる場合は、すぐに言う、もしくはメール等で伝えるでしょう。
しかし、聞いてくれる人が居ない場合は、非常にストレスが溜まります。
特に中年層の聞いて欲しい人達は、一昔前までなら上司と部下の関係での飲み会を開催し、無理矢理に部下に同じ話や自慢話をぶちまけたものですが、最近ではめっきり飲み会に来る若者もおらず、淋しい日々を悶々とすごしていたはずなのです。
そんな人達が得た格好のアイテム、それがTwitterやfacebookだったのではないでしょうか。

口数が多い人は1日に100ツイート以上もつぶやく人がいます。
100ツイートも一体何を喋るのかと驚きますが、「今から郵便局行ってからランチ行きます」など誰も興味ない自身のスケジュールだったり、「眠たい」「お腹痛いよ」など今思っている事、「阪神1-0で勝ってます」などテレビの中継(これは便利)、「行けー!」などテレビを見ながらの意味不明な発言、「成功したいと願うのではなく、成功すると決めるから成功するのです」など誰も興味ない名言、「今日だれかランチ行きませんか?」などのお誘いや募集、「只今○時○分です」と意味不明で不要な時報ツイート、ネットニュースやblogを読んで、そのままツイートボタンを押してからのツイート、「blog更新しました」など告知、写真の投稿、botを利用しての自動販促ツイート、店舗への集客など本当に様々です。
それはそれで自由に使うものであると思いますし何でも良いと思います。
どんな事を喋ろうが、人のツイートの読まれている確率なんて25%以下と言いますし、良いと思うのです。
そもそも私自身、人のツイートはあまり読まない方ですし、読む時間もあまりありません。
しかし、ネット人口が増加したことで非常に気になる点があるのです。
それはネット上で喋る(書く)言葉と、実際の言葉遣いがあまりにもかけ離れている人の存在です。
私自身はblogでもTwitterでも現実でも、あまり変化はありません。
しかし、普段「なんでやねん、アホちゃうか」等バリバリ関西弁のオッサンなのに、ネット上では「なんでだよー、バカバカ」等とキモい標準語だったり、三重県民でもないのに「そーだニャー」等の猫語だったり、「お腹がいたすぐる」等の妙にネットかぶれした言葉だったりと、現実とは全く異なる言葉を使う人達の存在です。
「さて、食事します」と書いている人が居ますが、「さて」という言葉も実際に使うのでしょうか?私はこれまでの人生で「さて」なんて言葉は発した事がありません。関東では使うのでしょうか?
「~です。」を「~でつ。」と言う人も多く見かけますが、実際「~でつ。」と言っているオッサンがいたらキモいです。
まぁ、皆ネットの世界だけのキャラを演じているわけですので自由と言えば自由なのですが。
無理して演じなくても、もっと普段通りでいいと思うのです。
特に現実の世界での友人や知人は、普段を知っているだけに、言葉遣いのギャップは気になります。
「嫌なら見るなよ」と言われてしまえばそれまでですが、見るたびに悲しくなるのです。

2011年7月8日金曜日

食べログレビュアー

2005年3月にサービスを開始したカカクコムグループが運営するグルメサイト、食べログ。
飲食店側は基本的に無料(最近は有料のシステムもある)の今や誰もが知ってる日本一のグルメサイトです。
コンセプトは「ランキングと口コミで探せるグルメサイト」
ユーザー登録後、レストランの口コミ情報や画像の投稿ができ、「料理・味」「サービス」「雰囲気」「CP(コストパフォーマンス)」「酒・ドリンク」の5つの項目で評価、各店の細やかな傾向をわかりやすく伝えることを目指しています。
また、店舗側のサクラやなりすましを防ぐため、ユーザー登録してから一定回数以上の投稿を行わないと、店舗への採点に反映されません。また極端に低い評価をつけることもできません。

以前にも同じような事を書きましたが、飲食店の印象なんて、人によって味覚も異なりますし、受ける印象も異なります。
よって日本人全員が評価するのであれば信憑性も高いのでしょうが、食べログレビュアーと呼ばれるある一定の食べログサイトの登録者のみの評価で判断するのは非常に危険な事といえます。
例えば、最初の口コミによって次のレビュアーの評価が変わるという点です。
自分よりも先に書いている人が、その店の評価を低くしていた場合、しかもそれが数人続いていた場合、いくら美味しかったと思ってもあえて同じように低く評価する人が非常に多いという事です。
「みんな悪く書いているのだから自分だけ褒めるような事を書くと味覚を疑われるから」 という心理が働くのでしょうか。
色々見てますとそれが顕著に現れています。
そもそも、何千万もお金をかけて、不景気の中、薄い利益で一生懸命お店を経営されている飲食店経営者の方が、お客様に悪意を持って営業されているお店なんて1軒も無いはずです。
それを一部のレビュアーの個人的な好みだけで、まるで悪い店のような書き方をされてしまうのはどうかと思います。
さらにそれに何人ものレビュアーがその影響を受けた悪い評価を書く。それは本人が消さない限り永遠にネット上に残ります。
そのお店は何千万もの借金をかかえ、閉店せざるを得ない状況に追いやられる可能性さえ出てきます。
特に最近は、お店の粗探しに来ているのではないかと思うほどに、悪評ばかりしている人が目につきます。
お店の欠点を指摘することで、自身の評価を上げたいのでしょうか。
「もう少し努力が必要です」「今後見守っていきます」等、まるで魔法の舌を持った評論家気取りの人も多く見受けられます。
「喫煙可能な店なんてつぶれてしまえ」 などと堂々と書いている人もいます。
「ここは行かない方がいいです」 などと書いている人もいます。
そしてそんな人達を師匠のように仰ぐ新人レビュアー達。
そんな一部の勘違いした食べログレビュアーのせいで、食べログ自体が飲食店経営者達から批判されています。
訴訟問題にまで発展するケーズもあるほど事態は深刻です。
先日も、私の行きつけのとても美味しいラーメン店が、そんな食べログレビュアーによる被害に合われました。
そのレビュアーは、自身が写真撮影に時間をかけすぎたせいで麺が延びたのに、まるで店が悪いように「麺がのびてる」と評価したのです。
それを見た人はそのお店をどう感じるでしょうか、何回も言いますが、ネット上には本人が消さない限りその情報が残ります。
その後どうなったかは聞いていませんが、過去にも同じようなケースが行きつけの焼肉店で発生し、その時は焼肉店がレビュアーに直接文句を言ったために、逆ギレしたレビュアーが食べログでボロクソに誹謗中傷し、経営者が食べログに対して消すように訴えるも、食べログはそれに応じず、訴訟するとかしないとかまで長期に渡ってモメたという事案もありました。

私のレビュアーに対しても、「何を食べても美味いとしか思わない味覚音痴」 と書いている人もいます。
確かに私は悪評は書きません。書かずに直接店主に言います。そして改善提案もします。
あくまでも1人の顧客の意見としてです。
もしも悪評をレビューしたのなら、その問題点が解決していたら修正し書き直す、それぐらいの責任感があるならまだ許せませが、言いっぱなしはただの悪口にすぎません。
食べログが言うコンセプト、「ランキングと口コミで探せるグルメサイト」 だけでは、確かに悪い評価さえも口コミといえば口コミです。
しかし「美味しかった」「楽しかった」「雰囲気が良かった」など、自分が満足したからこそ知人や友人、多くの人たちに口コミしたいと思うのが普通ではないでしょうか?
食べログは、「美味しい(楽しい)お店を口コミで探せるグルメサイト」 とコンセプトを変更するべきです。

極論を言うと、どんな料理でも、気の合う人達と一緒に食べると美味しいと感じるものです。
「美味い美味い」と楽しく食べると美味しいのです。
逆に「不味い不味い」と言いながらの食事は本当に美味しくありません。
もしも1人メシなら店主と会話して、いろんなこだわりを聞けば美味しくなります。
それができないのであれば、ゴチャゴチャ知ったようなウンチクと悪評は書くべきではありません。



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2011年7月6日水曜日

エロさとは

エロさ(色気)とは何でしょうか?
「エロさ」は外見的なもので、内面的なものを指す「色気」とは異なる。
と言う人もいますが、最近ではどちらも含めてエロい・エロ等と表現するようになってきました。
まだまだ30代後半から40代の俗に言う中年層には、エロというと何となく下品な印象を持つ人も多いでしょうが、セクシーさや性的魅力を含んだかわいらしさを示す「エロかわ」等という言葉が一般的に使われるようになった昨今、エロという言葉自体がすっかり市民権を得て、昔のいやらしい表現とは異なってきているのが現実です。
今回は、色気・艶なども含めた大きな意味での「エロさ」について書いてみたいと思います。

何もしなくてもエロい人と、頑張っても頑張ってもエロくない人がいます。
エロティシズムは受ける側が判断するものなので、人によってエロの定義は異なりますから、一概に何が基準なのかは言えません。
結局どれだけ多くの人にそう思われるかを基準にして、多数決的に判断せざるを得ないのが現状なのです。
なので一般的に露出度の高いファッションをする事で、色気が出るのではないかという安易な考えを持ちがちです。
しかし、本当の色気とは「ギャップ」ではないでしょうか?
普段、清楚で真面目、品のある女性が、恋人の前でだけ見せる艶のある行動や行為にエロティシズムを感じるのではないでしょうか。
逆に普段、大胆で勝気で積極的な人でも、2人の時は恥じらいや可愛らしさが見えるとエロティシズムを感じます。
これもやはり「ギャップ」です。
勿論、これも私自身の個人的な見解であって、大多数の人がそう思うかどうかは不明です。

人は年齢とともに(特に女性は)大胆になります。
若い頃は恥ずかしがりやさんだった少女も、30代後半になってくると、多くの少女が俗に言う「オバチャン」に変化します。
オバチャンとは、恥じらいが無く、生活感があって、大胆で、何事もあまり気にせず、怖いものがない等という女性を指す言葉であって、年齢的なものではありません。
40代になっても50代でもオバチャンじゃない女性は多く存在します。また20代でもオバチャンは存在しています。
正直このオバチャンにはエロさを感じません。(一部のマニアを除いて)
男性という生き物は、女性を外見から判断するのも事実ですので、ファッションやメイク・ヘアスタイルなど自身に気を使うことも重要です。これは自分なりにでは無く男性目線でです。
その上でオバチャンではない女性、ギャップのある女性。
そんな女性にエロティシズムを感じるのではないでしょうか。


2011年7月3日日曜日

睡眠時間

睡眠時間は人それぞれ異なります。
忙しくて眠れない等の場合や、何か他の原因でやむなく眠れない場合を除いて、だいたい6時間~8時間が最適な睡眠時間であるという方が多いのではないでしょうか。
医学的には、睡眠時間が6時間未満の人を「短眠者」、9時間以上の人を「長眠者」と呼ぶそうです。
短眠者は眠りが深いので短い時間でも良く、長眠者は眠りが浅いので長時間眠らないと疲れが取れないという訳です。

 私は、20代前半の頃までは、1日8時間以上の睡眠をとっていました。
一般的に短眠者であるか長眠者であるかは、遺伝的な要素が大きいとは聞いていましたが、人生80年とした場合、8時間睡眠では1/3の27年間も眠っている計算になります。実質53年間しか人生を過ごせない事になります。
もしもこれが3時間睡眠なら、睡眠時間は1/8の10年間、70年間も人生という時間が過ごせるのです。
その差なんと17年です。
23歳の時に、この大きな差に気づき、短眠者になろうと決断したのです。

私はすぐに睡眠に関する様々な資料を読みあさり、様々な人に話を聞き、様々な方法を実践いたしました。
その中で最も興味深かったのは、「人は全くストレスの無い状態、胎児のように水に浮いている状態であれば、1日25分の睡眠で良い」 というものでした。
これは衝撃的でした。1日25分睡眠であれば、1日残り23時間35分も時間があるわけです。
早速ウォーターベッドを購入しました。
ウォーターベッドの画期的なところは、その水面に浮いたような寝心地以外にも、水温を自由に設定できるので、夏は冷たく、冬は暖かく眠れる点です。エアコンなんて必要ありません。
しかもプカプカと適度な揺れが非常に心地よく、すぐに眠りにつけるのです。
私は、5時間、4時間、3時間、2時間と少しずつ睡眠時間を短縮していったのです。
そこで新たな気付きがありました。
3時間睡眠の日よりも、4時間睡眠の日の方が、目覚めも悪く、翌日の眠気も大きかったのです。
睡眠とは、ステージI~IVのノンレム睡眠と、レム睡眠の間を睡眠中反復します、その周期は90分程度と言われていますから、2サイクルで3時間となります。
という事は、ちょうど2サイクルが終了したタイミングである3時間で眠りから覚めた場合と、中途半端に1時間繰り越して、3サイクル目の途中で目覚めた4時間の場合とでは、目覚めの良し悪しや、翌日の体調に影響があったのではないでしょうか。
90分を1区切りとする考えが正しければ、4時間ではなく4.5時間、その次は6時間という事になります。
その日以来、私は3時間睡眠、もしくは4.5時間睡眠で過ごしてきました。
睡眠中にウォーターベッドが破水してからもずっとです。
これが正しかったのか正しくなかったのか、わかりません。
睡眠時間が短い人は肥満になりやすいという統計結果も見たことがあります。
寿命が短いという説も聞いたことがあります。
しかし今のところ、このスタイルで健康に過ごしているのです。
昼食後に眠くなることもありません。
よく 「いつ寝ているのですか?」 と質問されますが、明け方5時から8時まできっちり3時間、または9時30分まで4.5時間はきっちりと眠っているのです。


2011年6月30日木曜日

Tバック事件簿

もう何年も前の事ですが、急に記憶が蘇ったのでペンをとりました。
その日は、三宮で取引先と食事会があり、深夜1時頃に帰宅する途中、高速のサービスエリアでトイレ休憩した時の出来事です。
トイレを済ませ、自販機で購入した珈琲を飲みながら、カーナビで深夜番組を見ながら一服していたのです。
運転席の窓は開放し、夜風に当たりながらの珈琲タイムといったところでしょうか。
私の車のすぐ右隣には、白のワゴンRが停まっていました。
ワゴンRの運転手は20歳~25歳ぐらいのキレイな女性です。
彼女は先ほどから助手席の後ろの後部席ドアを開けて、何かゴソゴソと探し物をしているような感じでした。
彼女の車は、私の車よりも少し前、車半分程度前に停車していた関係で、ちょうど私の真横でゴソゴソとしている格好になります。
車外から腰を曲げて、ちょうどヒップを突き出すような格好で、車内をゴソゴソと何かを探している、そんな感じに見えます。
しかも彼女は、恐ろしく短いスカートを穿いているのです。
そんな格好でこちらに腰を突き出して探し物をしているのです。
勿論完全にスカートはめくれあがっていて、ヒップは丸出し状態です。
真っ黒なTバックと真っ黒なガーターベルトをしています。
運転席の窓を開放した私から、ほんの1mほどの距離、今にも手の届きそうなところに彼女のヒップがあるのです。
しかもTバックの縦のラインがあるだけで、ヒップはほぼ全開状態です。
「ええーーーー!!」
私は心の中で絶叫いたしました。
当然、あまりにも近い距離なので恥ずかしさからその部分を凝視するわけにもいかず、正直何が起こっているのか、はたまたこれから何が起こるのか、まるでAVか何かの世界が現実化したような、そんな気分になりました。
「何かお探しですか?」
と声をかけようか、いやひょっとしたら本当にAVの撮影で、どこかでカメラが回っているのかも、いやいやひょっとしたらマンネリ気味の彼とのSM(露出)プレイの一種で、どこかで彼が見ているのか、いやいや美人局的に後で脅迫してくるのかも。
様々な憶測が脳裏をよぎります。
その後、彼女は助手席のドアも開け、また何かゴソゴソと探しています。
ポージングは先ほどと全く同じ、完全にオシリ丸出し状態です。
しかも私に見せ付けているように、こちらにヒップを向けています。
私は生唾をゴクッと飲み込みました。
5分ほどして、彼女は車をロックし、トイレへと歩いて行きました。
「ふぅーーー」
私は、何故か緊張がほぐれたように溜息をつきました。
いやきっと緊張していたのでしょう。
カラカラになった喉を潤す為に、完全に冷めた珈琲を飲みながら、ふと彼女の車のドアの下に目をやると、そこには女性用の下着が落ちています。
「えーーー」
もちろん心の声です。
これはきっと私に何か声をかけるきっかけ作りの為に、彼女がわざと落としていったのだと直感しました。
誘惑しているのでしょうか、はたまたプレイ?撮影?脅迫?
また動悸が激しくなっていくのがわかります。
数分で彼女は戻ってきました。
そしてすぐに下着を拾い、また後部席のドアを開けてゴソゴソと何かを探し始めたのです。
その悩ましくいやらしい腰つきは、完全に私を誘惑しているように見えました。
私は、だんだんとその光景に慣れてしまったのでしょうか、その時は正直チラ見ではなくガン見だったと思います。
するとそのガン見の私と、彼女の目が合ったのです。
「ええええーーーーーー」
彼女は少し微笑みながら、こっちを見ています。
ガン見している私の様子を、何かを探すフリをして、振り返って見ていたのです。
ひょっとしたらずっと最初からこちらを見ていたのかも知れません。
私は思わず視線を外し、珈琲をゴクゴクッと一気に飲み干しました。
これは完全に誘惑・プレイ・脅迫のいずれかであると確信しました。
明らかに偶然やたまたまではありません。
完全にヒップを見せ付けて楽しんでいます。
「えっ?えっ?えーーっ?どーすんねん俺、どーすんねんな!」
私は心の中で、何度も何度も自問自答を繰り返します。
そのうち、何も行動を示さない私に業を煮やしたのか、彼女は車に乗り込みサービスエリアから出て行ってしまったのです。
彼女のすぐ後を追うように、近くに停車していた男性が運転する車も出て行きました。
「ふぅ~~~」
タバコに火をつけ、大きな溜息とともに煙を吐き出します。
「これでいいのだ」
バカボンのパパのキメ台詞が、とても自然な形で声となって出たのを今でも鮮明に記憶しています。

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2011年6月16日木曜日

本当に正しい歯磨き

これまで、ただなんとなく入れ歯というと、老人のものという遠い他人事として捉えて生きてきました。
歳をとってからの話で今は関係ない、そう思っている人がほとんどだと思います。
入れ歯を入れなければならない状況とは、もちろん歯が無くなってからの話です。
歯がなくなって食べ物を噛めないので仕方なく入れ歯を入れます。
歯が無くなる最も多い原因は、歯周病と虫歯です。
特に50代になると約80%強の人が歯周病によって歯を失います。
虫歯ですべての歯を失ってしまう事は稀ですが、仮に虫歯で歯を失った場合は、まだ歯肉が健康である確率が高いので、歯周病よりも入れ歯が入れやすいのですが、歯周病の場合は歯肉自体がダメな場合が殆どですので、後々やっかいな事になります。
しかし統計的に見ても、総入れ歯の人の大部分が歯周病が原因とされていますので、殆どの人がやっかいな事になると言ってもいいでしょう。

歯周病(歯槽膿漏)の最も大きな原因は「食べカス」です。
食べカスには栄養分がたっぷり含まれていますので、細菌にとっては恰好の栄養源になるというわけです。
歯の周囲に付着する細菌性の歯垢や歯石が、歯肉と歯の根の間の、いわゆるポケットの中に侵入していって、その中で繁殖をくりかえすことによって、歯周病を進行させていきます。

歯周ポケット

















歯周ポケットとは、図のように歯の周囲に存在するポケットです。
健康な人で1~2ミリ、中程度の歯周炎があると3~5ミリ、歯周病が進行した場合は6ミリ以上の深さがあります。
上記のように食べカスがこの歯周ポケットに入り、歯垢や歯石となり細菌が繁殖し、歯周病となるわけです。
この歯周ポケットに食べカスが入らないようにする事は不可能です。歯磨きにより、入った食べカスを除去しなければなりません。しかし毎日の歯磨きでこの歯周ポケットの中までは磨けないのです。
ですから80%以上もの人が入れ歯となるわけです。
歯周ポケットは歯の周囲に存在します。
歯の表側や裏側だけでなく、歯と歯の間にも存在するわけですから、いくら毛先の細い歯ブラシを使用したとしても、完全に除去する事は不可能だということがわかっていただけると思います。
ですから、本当に正しい歯磨きとは、歯周ポケットに入った食べカスを完全に除去する歯磨きという事になるのです。

本当に正しい歯磨き

1、通常の歯磨き
 これは今までどおり、一般的な歯ブラシで歯の表面を磨きます。
 歯磨き粉は使用してもしなくてもあまり関係はありません。(特に大人の場合は)
 















2、歯間ブラシ
 歯と歯の間(隙間)を磨く歯ブラシだと勘違いしてる人が多いようですが、
 歯と歯の間ではなく、歯と歯の間の部分の歯周ポケットを掃除するものです。














 図のように歯と歯の間に差し込みブラッシングします。
 この時、歯の間ではなく、歯1本1本の歯周ポケットを掃除するように行います。
 慣れない場合は出血しますが、慣れれば問題ありません。
 また歯間の隙間サイズによってブラシの太さも多数存在します。















3、ワンタフト歯ブラシ
 仕上げはこのワンタフトを使用し、歯の表側・裏側の歯周ポケットを
 掃除します。
 磨き方は、1本1本丁寧に、奥から手前に同じ方向にブラッシングします。
 ちょうど歯周ポケットのカスを掃きだすような感じです。
 歯1本につき10回~20回、毛先が細いので、歯の表面の真ん中あたりをブラッシング
 すると、ちょうど毛先が曲がって歯周ポケットに届くようになっています。














上記の1~3の工程を真面目に行うと、歯磨きだけで約10分を要します。
子供の頃に歯磨きに10分かけなさいと言われた記憶がありますが、1の一般的な歯ブラシでいくら10分磨いたとしても実は何の効果も得られなかったのです。
要するに時間ではなく、いかに歯周ポケットをキレイに掃除するかが、歯磨きの基本だったわけです。
これを理想を言えば1日3回、毎食後に行うことが正しいでしょう。
3回が無理な場合は朝晩2回、それも無理なら最低でも1日1回は実施する事が、歯周病予防となる事がわかっていただけたと思います。

食べカスが歯石と変化するスピードは、人によって異なりますが、一般的に1週間が経過すると歯石化して歯ブラシでは除去できないと言われています。
歯石化した場合は、歯科医にて歯石取りを行います。
正しい歯磨きを行う前に、一旦歯科医にて歯周ポケットにたまった歯石を完全に除去してから、上記のような正しい歯磨きを行う方が理想的です。
この歯周ポケットに溜まった歯石の除去方法は、1本1本金具にてカキ出す作業となりますので、非常に怖いです。
血まみれになります。もちろん麻酔を行いますが、想像しただけで恐ろしい作業だという事はわかっていただけるはずです。1度アレを経験した人は、もう二度と経験したくないので、上記のような面倒くさい歯磨きを真面目に行うようになるのです。

さらにもっと理想論を言うと、口腔内の細菌数は、就寝時が最も多いわけですから、寝起きにすぐ歯磨きし、また朝食後すぐに歯磨きした方がいいという事になります。
しかしさすがにそれは大変ですので、寝起きはマウスウォッシュなどでうがいし除菌、そして朝食後に正しい歯磨きを行えばいいのではないかと思います。


2011年6月15日水曜日

シャワリズム

歯磨きスクワットや深呼吸ダイエットなど、これまで数多くのダイエット、しかも「継続」という部分を重要視したダイエットを行ってきましたが、やはりコアリズムやビリーズブートキャンプ等のように短期間で現れるほどの効果は得られません。
しかも食事制限や、飲酒制限を行わずに無理なく痩せたいなどという安易な考えがありまので、そう簡単に効果が得られるわけがないのですが。
そんな中、ふと数年前に1ヶ月間実践して体重5kg減、ウエスト7cm減に成功したコアリズムを、もっと簡単に、しかも無理なく継続できる方法があれば最高なんじゃないかと考案したのが 「シャワリズム」 なのです。

コアリズムの効果は前述の通りですが、しかしなかなか継続ができません。
始まってしまえば38分間、黙って実践するのですが、やはり始めるまでの覚悟と言いますか、「じゃまくさいので今夜はやめておこう」「今日は疲れたので明日にしよう」「明日は早起きなのでやめとこう」等という邪念が生まれ、延ばし延ばしとなってしまいます。
それはひとえに38分という時間(ダイエットに必要な30分間の有酸素運動という定義があるのですが)と、場所、モニターを見ながら行うという手間だと思います。
そういった部分をすべて解決し、無理なく継続するコアリズムが「シャワリズム」と言っていいでしょう。

方法はいたって簡単です。
風呂(基本シャワーです)に入っている間、約15分~20分間はずっとコアリズムの基本運動(腰振り)を行うのです。
洗顔・シャンプー・ボディ・歯磨きなど一般的にシャワーで行う作業中ずっと腰を振り続けます。
最初は戸惑う部分も多いのですが慣れてしまえば簡単です。
前回のスクワットもそうでしたが、シャワーなら1日2回必ず入りますので、これをクセ付ければ無理なく継続できます。
約2週間実施いたしましたが、体重は2kg減、ウエストは3cm減いたしました。
さらにここに深呼吸ダイエットや顔面体操などを組み合わせて行えば、最強のダイエットとなるのではないでしょうか。


2011年6月12日日曜日

植物虐待

ある枯れかけた観葉植物の鉢に、「元気」「幸せ」「ハッピー」「ありがとう」等、ポジティブな言葉を書いた紙を貼り付けていると、植物が元気に生き生きと蘇った。

 2つの同じ植物に、それぞれポジティブな言葉を書いた紙を貼ったものと、ネガティブな言葉を書いた紙を貼ったものとを同時に同じ環境で育てた場合、ポジティブなものの方が大きく実をつけ花が咲いたが、ネガティブな方は花が咲かなかった。

 毎日庭に咲く花に「おはよう」と挨拶し、「今日もキレイだね」とポジティブな言葉をかけていると、そうしてない花よりもキレイで大きな花が咲いた。

いずれも植物に関する不思議な実話です。
どの事例も、まるで植物が会話できる、または文字が読めるのではないかと考えてしまう話です。
以前何かの本で読みましたが、植物は自身の身に危険を察知した場合、揮発性の化学物質を放出し、その物質を感知した他の植物がダメージを受ける前に防御機能を発現させるそうです。
根が生えてますので逃げることはできませんが、植物間同士でも会話している事が科学的に実証されているというから驚きます。
木も花も草も野菜も、みんな生きていて、しかも動物と同様に感じる能力があるようです。

先日、とある店舗周辺の草引きを行いました。
なんとなく雑草が大きく目立ったので、自ら率先し行ったのです。
小さな雑草はもちろんですが、これまで見たことの無いような大きくて奇妙な草も大量に生えていました。
触ると生暖かく、少し毛が生えているような植物、柔らかくまるで爬虫類のような感触の気持ち悪い植物。
当初は、草木周辺にいる虫やミミズなどに抵抗を感じてはいたのですが、やっているうちにその奇妙な植物達の方が怖くなってきたのです。
しかも、前述で述べたような ”生きている” 感を物凄く感じたのです。
素手で触るのが怖くなって、途中手袋をはきました。
最初は軍手でしたが、途中からもっと怖くなってきてゴム手袋をはきました。
そのうちもっともっと怖くなってきて、剪定ばさみで粉々に切り刻んでから手でつかみました。
いくら小さく刻んでも、いくらゴム手袋をはいていても、その大きく奇妙で爬虫類のような植物の死骸を手でつかむのは恐ろしいので、他の小さな雑草の束と一緒に手でつかみます。
しかし心が痛みます。
残酷すぎます。
私が剪定ばさみで切り刻んでいる時、きっと向こうでこっちを見ている他の植物達は、危機感を感じてざわついていたのでしょう。
仲間が切り刻まれている姿を見ながら。
草引きをしている時、小さな虫達が私を攻撃してきました。
これもきっと殺されている植物達が、虫達に信号を発し、私を攻撃するように伝えたのでしょう。
心が痛みました。
「ごめんな、ごめんな」
心の中でつぶやきました。
草を引き抜く際(草を殺す瞬間)は、目を閉じました。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
そうつぶやきながら草達を殺害しました。
これまでに何度も草刈りは行ってきましたが、あくまでも電動草刈り機を使用しての草刈りでした。
その時はこんな感覚にはならなかったのです。
しかし今回は、草刈りではなく手による草引きなのです。
初めて植物を殺している感覚を実感したのです。
特に薄い形状の草や、硬い木とは違う、柔らかく大きな動物に近い植物に関しては、本当にそれを実感させられました。

2011年6月2日木曜日

世にも不思議な出来事

深夜1時、とある店舗で打合せを終え、駐車場に停めてあった車に戻った時のこと。
見ず知らずの1人の若い女性が近寄ってきて、私の顔を見て軽く会釈をし、何事もなかったかのように助手席に乗ってきたのです。

「えっ?なんなん?」
「えっ?」
「人違いちゃうの?」
「えっ?これ◯◯(私の車種名)違います?」
「いや、そーやけど」
「◯◯ですよね?」
「いや確かに◯◯やけど、だれ?」
「えっ?えっ?」

彼女は名乗ることなく、そそくさと車を降りて行きました。
そして向かいにあるコンビニの駐車場の方へ行き、誰かに電話をしているようでした。

一体何だったのでしょう。
デリヘル?テレクラ?ダイヤルQ2?(もう存在しないと思いますが)
しかし気になる点は、私の車の車種を名指しで来ていたという点です。
あたりを見渡しても私と同じ車は停まっていませんし、そもそもここは、とある飲食店の駐車場であって、普段からこんな時間に車など停まってはいないのです。
そうなると、もしデリヘルだった場合、明らかに私の車をターゲットにして、いたずらにデリヘル嬢を呼んだ事になります。
もしくは、単に誰かが私の車を目印にしてデリヘル嬢と待合せをしたのかもわかりません。
気になったので、その場で30分ほど待機する事にしました。
ひょっとしたら、その男が現れるかも知れません。
5分程して、ある若い男性が私の車の脇を通り越して、コンビニへ入って行きました。
見ると、よく知っている24歳の男子です。彼はこの近くのアパートに住んでいます。
彼がデリヘル嬢を呼んだ犯人だったのでしょうか、いやきっとそーです。タイミングがピッタシすぎます。
私は何となく問題が解決したような気がして、心がすうーっとしました。
そして彼を待つ事なく、その場を立ち去ったのです。

それから数ヶ月が経過したある日、その時の彼と会う機会がありました。
もうすっかり忘れかけていたのですが、たまたま彼と私の車の話になったので思い出したのです。
私は思い切って、彼にあの日の事を話しました。

「◯◯チャン、この前デリヘル呼んだやろ」
「えっ?そんなん呼んでませんよ」
「ウソ言いなや、見たもん俺」
「ウソちゃいますて、ホンマですて」

彼はあくまでもそんな事してないと言うのです。そんなん呼んだ事ないと言いきるのです。
私はあの日の一連の出来事を、事細かに彼に説明しました。
しかし彼は、断固として否定します。

「そもそもね、もし呼ぶんなら家に呼びますって」
「あそっか」
「なんでわざわざ人目につく駐車場で待合わせするんすか」
「そらそやな」

私は妙に説得力のある彼の言葉を信用してしまったのです。
確かに、わざわざ駐車場で夜中に待合せをしなくても、彼の家はすぐそこです。
一気にふり出しに戻ってしまいました。
彼が犯人でなければ、一体誰が犯人なのでしょうか。
そもそも最近の出会い系のスタイルを把握できていませんので、どうしてもデリヘル以外に想像ができない(テレクラやダイヤルQ2は消滅したはずですし)のですが、仮にデリヘルだとした場合、もう一つ推理できることは、誰か恨みをもつ者がデリヘル業者にいたずらに客を装って電話をかけたのではないかという仮説です。
それなら納得できます。
がしかし、その程度のいたずらで果たして恨みが晴れるでしょうか。
どーせなら警察に嘘でもいいから通報した方が反撃できます。
24歳の彼が真犯人でなかったという事で、この一件は「世にも不思議な出来事」として迷宮入りしてしまったのです。

2011年5月16日月曜日

しらさぎ化粧品

人の皮脂に近い成分構成を持つ保湿力に優れた天然素材 「馬油」 をふんだんに使用したオリジナル石鹸
しらさぎセッケン
兵庫県姫路市飾東町にある化粧品メーカーのオリジナル商品。

全く異なる業種にて、馬油の廃棄を目の当たりにし、再利用できないかと数年来研究を重ね、ついに昨年秋に誕生した 「しらさぎ化粧品」
最高級と言われる馬のたてがみ部の馬油を主に使用した石鹸やクリーム、化粧水などを販売する、全工程手作りにこだわる化粧品会社だ。

石鹸には微粒子に粉砕した竹パウダーをスクラブとして配合、竹の効果で抗菌効果も得られるという。
















動物油と植物油の中間の性質を持つ馬油。
人の皮脂に一番近い天然オイルといわれています。
馬油は古くからガマの油ともいわれていて、肌荒れや火傷、傷、育毛などに効果があり、アトピーや湿疹・ニキビなどの治療にも用いられるほど。
















その最高級の馬油を使用した石鹸は、1つ1つ完全手作りで作られています。
その1工程は1ヶ月を要するといいますから、いかに大量生産が出来ないかがうかがえます。
















そして仕上げは、また1つ1つ丁寧にラッピングされます。
まさにそれは和菓子を包むように、愛情がいっぱい込められ、人の手で作られたこだわりの石鹸なのです。

これまでもう何年も「良い」と聞いた石鹸を使っては諦め、使っては諦めを繰り返してきた私ですが、人生で初めて心から満足できる石鹸に出会えました。
それが昨年秋にたまたま出会ったこの「しらさぎ石鹸」だったのです。
当初は、上記のような内容さえも一切知らず、本当にたまたまサンプルをいただいたので、軽い気持ちで使用しました。
ところが、元々肌の弱い私だったからかもしれませんが、使用して一瞬で衝撃が走ったのです。
「なんじゃこら!めためたええがなこれ!」
その柔らかな使用感と、使用後の保湿感がハンパ無いのです。
合わせていただいた 「しらさぎクリーム」 に於いては、これまでのボディバター代わりに使用していますが、指先や足の乾燥と痒みを完全に克服するほどの効果。さらに信じられないかも知れませんが、ひび割れかかとに3日間塗るだけで、ツルツルかかとになったのです。
今では頭からつま先まで全身にしらさぎ石鹸を使用、全身にしらさぎクリームを塗っています。

実際に製造工場を訪問した際、近所のオバチャンが石鹸を買いに来られました。
聞くと、この石鹸に出会ってから、もう他の石鹸は使えないというほどにファンだそうです。
いつも飲食店選びの最も重要なポイントとして、味ではなく店主の人柄や愛情であると豪語していますが、石鹸も全く同じであると認識いたしました。
しらさぎ化粧品という会社には愛が溢れていました。
社長をはじめ店長様、スタッフの方全員がいつも笑顔、そこに商売っ気は全く感じられず、とても緩やかな時間が流れています。
いつまでも自分達のペースを守り、本当に良いものだけを作っていきたいという信念を感じたのです。
この人達の手によって、心を込めて作られた石鹸が良くないわけがない、そう感じさせられたのです。

しらさぎ化粧品サイト(通販可) http://www.sirasagi.net/
店長日記 http://www.sirasagi.net/hpgen/HPB/categories/2426.html

2011年5月12日木曜日

匂いと臭い

良い匂い、悪い臭い。(よいにおい、わるいにおい)
良いものは匂い(におい)と書いて、悪いものは臭い(におい)と書きます。
この良いと悪いの判断はあくまでも自己の好みであり、ある人が匂いと書く匂いも、別の人からすると臭いとなる場合もあります。
そして誰もが好むいい匂いは香りとなるのです。
(勿論これにも好みはあるので一概には言えませんが)

世の中には様々な匂いが溢れています。
しかし、その匂いを感じないままに生きている人も多いのではないでしょうか。
もう20年も前のことですが、いちびってカブリオレを購入した際に、普段走る街中を走行中、衝撃を受けた事がありました。それがこの匂いだったのです。
確かに幼少期はこの匂いに触れて生きていましたが、社会人となり完全に忘れ去っていた町の匂いを再認識し、感動を覚えたのです。
ガソリンの匂い、タイヤと路面の擦れた匂い、各戸の晩御飯の匂い、町を走っていると様々な匂いに触れることが出来ました。
街中だけでなく、高速道路でも様々な匂いがあります。河の匂い、山の匂い、雨の匂い、排気ガス、都心部の匂い。
嗅覚は大脳辺縁系に直接届いているというだけあって、様々な匂いは自身の様々な記憶を蘇らせてくれます。
それは、子供の頃に、いつも通る近所の家の晩御飯の匂いだったり、バス旅行の時のバスの排気ガスの匂いだったり、そしてその記憶が蘇るたびに癒されるのです。
人によっては排気ガスの匂いなんて臭いと思うでしょうが、懐かしい記憶を回想する事で、それを匂いと感じるのですから幸せな事です。

先日エレベータに乗った際に、前に乗った人の残り香がありました。
それは女性の香水の匂いだったのですが、自分好みのものすごくいい匂いだったのです。
香水の匂いにも好みがありますので、人によって臭いと感じる人もいるでしょう。香水そのものを否定する人も多く存在します。(現に私の周囲には沢山います)
自分の好みの香りをつけている女性には、やはり興味が沸きます。
逆に好みの香りではなかったり、香水否定派で汗くさかったりすると興味が薄れます。
匂いを重要視しない人達からすると、馬鹿馬鹿しく映るのかもしれませんが、それが現実なので仕方ありません。
「匂い」か「臭い」なら、匂いを選ぶのが人間の性です。

香水選びについては、以前ここで書きましたが、市販の香水にも顧客ターゲット層というものがあって、何でもかんでもつけていれば良いというものでもありません。
年齢やキャラクター等によって、ピッタリ合う物を選ばないと、大人がランドセルを背負っているように人からは映ってしまう事があります。
またその香りによって、その人がどんな人なのか、ある程度判断できる材料にもなります。

たまに自分自身の匂い(体臭)に癒されると言う人がいますが、私には全く理解できません。
その他にも「臭いフェチ」という人も存在します。女性に多いようですが、我々の言う香り(香水など)とは異なり、体臭(汗の臭いや足の臭い、加齢臭など)に惹かれるという人達です。
これも全く理解できませんが、前述の通り、人それぞれに匂いと臭いの定義は異なるのですから、否定してはいけませんし、自分の好みを相手に押し付けるのも良くはありません。
相手に押し付けるというのは、自分がくさい匂いが好きだからといって、自分自身がくさくてもいいという考えは間違っているという事です。
私の周囲にいる香水否定派の人達は、正直ほぼ皆くっさいです。
人間なので汗をかいたら汗臭くなって当然ですし、年齢を重ねると加齢臭も出てきます。
しかし自分がくさい人が好きだからと言って自分までくさいのでは、くさいもん好きしか集まってこない現実に気づいていないのでしょうか。
過敏になる必要はありませんが、やはりエチケットとして最低限は気にかけていきたい部分であると思います。

2011年5月9日月曜日

パーソナルスペース

人が自分の周囲に確保する見えない空間、パーソナルスペース。
自分だけの縄張りとも言えるこの見えない空間は、個人差はあれど、殆どの人が確保して生きています。
仲の良い恋人同士なら15cm以下、友人・知人なら45cm、初対面の人なら120cm、初対面の複数の人を相手にする場合は3.5m~7m以上。
これは一般的に言われるパーソナルスペースの大きさです。
そもそもパーソナルスペースとは、この距離を保てない場合にストレスを感じるというものなので、自分のスペースこそ感覚で感じる事はできますが、相手のスペースは目には見えません。
先ほど、恋人同士なら15cm以下と書きましたが、「仲の良い」と書いた理由は、お互いの相手に対する思いが一致している場合を言っているのであって、片方の思いの方が強い場合や、倦怠期などで気持ちに誤差が生じてる場合は、この距離でストレスを感じるようになります。
相手に対する思いや感情がこのスペースの大きさを決定しているので、片思いの恋愛や上司と部下の関係、友人との人間関係等でもこういう問題は多く発生します。
という事は、相手がこちらに対して置く距離を見ることで、相手のこちらに対する気持ちもある程度わかるわけです。
私は比較的、友人や知人に対してはスペースは小さく、全く知らない相手には大きく取る傾向にあります。
しかし本当に個人差がありますので、全くの他人にも小さく取れる人もいるのです。

日本の朝の通勤ラッシュは、仲の良い恋人クラスの距離感に全く知らない他人が入るわけですから、このパーソナルスペースを大きく崩すものです。
音楽でも聴くか、本にでも熱中するか、人を人と思わないようにでもしないと大きなストレスを受ける原因となります。
先日、街を歩いている時に、たまたま横を歩いていた20代の男性が、ふらふらとこちらへ寄って来ました。
こういう人をよく見かけますが、何か神経機能に障害でもあって真っ直ぐ歩けないのか、もしくは建物やショップ以外は周りが全く見えていないのか、人の歩いている前に、しかも人のパーソナルスペースに平気で入って来るのです。
彼もまさにそういう人なのでしょう、私の20cm手前に入ってきました。
しかも私よりも歩くペースが遅いのです。
機嫌よく歩いていたその時間は、急に苦痛な時間となってしまいました。
この苦痛から逃れるには、こちらの歩く速度を落とすか、身体をよじって前へ抜け出すしかありません。
それとも後方から彼に体当たりするかです。
歩行者の場合、車とは違ってクラクションがありませんので、こういう場合の回避や相手への警告の方法が存在しません。
まぁ文句を言えば別ですが、そんなルールは存在しないので喧嘩になる可能性も高くなります。
通勤電車と同様に、街中でもパーソナルスペースなんて望んではいけないと思わないと、なかなか大変です。
こういう環境面から考えると、地方よりも都心部の人のほうがストレス環境が多い事がわかりますし、また逆に都会の人の方がパーソナルスペースは狭いのかも知れません。
以前、電車内で私がドア向きに立っている真向かい、しかも50cmほどの隙間に、こちら向きに割り込んできた若者の事が理解できないという記事を書いた事がありますが、まさにそれも同様でしょう。
ひょっとすると最近は、パーソナルスペースが存在しない新たな人種が生まれてきているのかも知れません。


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2011年5月5日木曜日

ねり焼、ぐじゃ焼、どろ焼

兵庫県姫路市に古くから伝わる独特のお好み焼 ねり焼(練り焼)。

●ねり焼レシピ

お好み焼の生地に出汁(スジ肉とこんにゃくを甘辛く炊いたもの)を混ぜたゆるい生地を作り、
鉄板にキャベツとスジコン入りの生地(生地に玉子は入れません)を流し、形を整えます。
形は縦長の楕円(または長方形)です。生地の周囲を整え(中心部は触りません)
その上に天かす・削り節などをふりかけ、ネギを大量にのせます。
コテで鉄板面がパリッと焼けた事を確認したらロールケーキのように手前から丸めて完成です。

昔はこれを新聞紙に包んでテイクアウトしていたといいます。
表面がパリッと香ばしく、中はとろとろの生地とコリッコリのスジ肉のギャップがたまらなく美味しいのです。
また生地に玉子が入ってないので何ともいえないとろみがあります。
最近はこれが食べられるお店も非常に少なくなりました。

ねり焼が今も食べられるお店

●三好(みよし)

















お好み焼 カレー 三好 
住所:姫路市神屋町4丁目80
電話:079-285-4969
営業:12:00~18:00
定休:日祝
席数:カウンター5席、お座敷4席
駐車:4台
交通:JR京口駅から徒歩3分
http://blog.livedoor.jp/h8739/archives/51612388.html


●かんばら

















お好み焼 ぐじゃ焼 かんばら
住所:姫路市土山5-7-22
電話:079-292-3376
営業:18:00~翌04:00
定休:月曜日
席数:テーブル4席、お座敷16席
駐車:5台
交通:JR播磨高岡駅から徒歩20分
http://blog.livedoor.jp/h8739/archives/51005945.html


上記各店のねり焼を見比べていただければわかると思いますが、全く違う代物です。
当時、新聞紙に包んで持ち帰ったという話からすると、上段の三好のねり焼が本来の姿だと思われます。
かんばらのねり焼はパリッとした面が存在せず、どろ焼(下記参照)のように生地を集めて作られています。
共通しているのは、いずれの店舗でも生地に玉子が入っていない事と、「そば入りねり焼」というメニューがある事です。
豚肉やスジ肉以外にも、そば入りというのが昔からポピュラーな商品だった事を連想させます。

そしてねり焼と同様にもう数軒でしか味わえませんが、ぐじゃ焼というものも姫路に古くから存在するお好み焼です。

















これはねり焼同様の生地を集めたものに、最後鉄板に焼きついた皮(生地の焼けたもの)をキレイにはがし、かぶせるという独特のものです。
ぐじゃ焼はここ森下のオバチャンが考案したものです。
考案当時は最後に皮はかぶせてなかったそうです。
森下と上記のかんばら、下記のぐじゃ焼でいただけます。
但し、かんばらのぐじゃ焼は生地の皮はかぶせません。
(かんばらのぐじゃ焼とねり焼の違いは玉子入りか否かという点でしょうか)

ぐじゃ焼き・お好み焼 森下
住所:兵庫県姫路市忍町78
電話:079-281-4591
営業:11:00~20:00
定休:無休
席数:カウンター6席、テラス2席
駐車:なし
交通:山陽姫路駅から徒歩4分
http://blog.livedoor.jp/h8739/archives/50995551.html

この森下で修行したという福崎の「ぐじゃ焼」(店名)では
トマトチーズ焼というねり焼が存在します。

















おそらく店主もこれがねり焼であるという事に気づいておられないと思いますが、
製法はまったく上記のねり焼レシピと同じでした。

ぐじゃ焼
住所:兵庫県神崎郡福崎町西治245-3
電話:0790-22-6339
営業:11:00~14:00、18:00~22:00
定休:木曜日(不定休)
席数:カウンター6席、お座敷8席
駐車:4台
交通:JR福崎駅から徒歩20分
http://blog.livedoor.jp/h8739/archives/51338154.html

そしてもう一つ、どろ焼というお好み焼も存在します。

















ねり焼やぐじゃ焼と大きく異なるのは、生地に玉子が入っているという点です。
そして明石焼のように和風だしにつけていただきます。
和風だしにつけるために、箸ではくずれるのでスプーンでいただきます。
どろ焼は喃風発祥です。
姫路市内9軒を含む全国45店舗の喃風と、姫路市内数軒のお好み焼店でいただけます。

どろ焼き・お好み焼 喃風宮西店
住所:兵庫県姫路市宮西町4-21
電話:079-224-4311
営業:11:30~24:00
定休:無休
席数:124席
駐車:あり
交通:JR京口駅から徒歩15分
http://blog.livedoor.jp/h8739/archives/50375699.html

もともと姫路では生地に出汁を混ぜたやわらかいお好み焼が好んで食べられてきた歴史もあり(姫路焼と総称します)、これに更に輪をかけて出汁の量を増やしたものが、上記のねり焼やぐじゃ焼、どろ焼という事になります。
大阪で一般的な硬いお好み焼を好む人は、姫路市内で食べられるやわらかいお好み焼なんてお好み焼では無いと平気で文句を言いますが、逆に姫路の人は、大阪の硬いお好み焼は、硬い上に出汁の隠し味も入ってないので不味いと思っています。(事実、出汁の有無を考えると、物理的に考えても姫路焼のほうが美味しいのですが)

いずれにしても、ねり焼・ぐじゃ焼・どろ焼は、限られたお店でしか味わえません。
市内どこのお好み焼店でも食べることができる粉物のB級グルメと考えると、出汁入りのお好み焼である姫路焼か、焼そばと焼うどんのミックスであるチャンポン焼、普通に焼そばを焼いてから生地をかける姫路モダンの3品でしょうか。

そもそも姫路の人はお好み焼もモダン焼もこれが普通と思てますし、チャンポンもテレビでやるまでは全国区だと思ってたのです。

是非、こういう食文化は途切れることなく受け継がれていって欲しいものです。
また、ねり焼がいただけるお店の情報もお待ちしております。

2011年5月4日水曜日

愛情表現の種類

愛情表現には大きく分けて2つの表現方法があります。

1つは愛情を意識して行う表現。
2つ目は無意識に行う表現。

恋愛をスムーズに、いつまでも継続して良好な関係を築く為には、やはり意識した愛情表現が必要ではないでしょうか。
しかしこの愛情表現とは、人それぞれ性格や育った環境によって全く異なるものです。

いくつか一般的な愛情表現をあげてみます。

・相手を褒める
・相手の話に共感する
・相手を信頼する
・思いやりをもって優しく接する
・贈り物をする
・メールなどで連絡を取り合う
・スキンシップする
・手料理を作る
・記念日などにお祝いする
・肉体的な関係をもつ

しかしこれに当てはまらない愛情表現も無数に存在します。
代表的なものを例にあげてみます。

・相手をいじめる
これは小学生男子が好きな女子に行う愛情表現として知られていますが、男女問わず大人になってもやる人はいます。

・相手を奴隷のように扱う
上記と似ていますが、サディストな男女が行います。もちろん相手がそれを喜んでいる場合にのみ成立します。
お互いがサディストな場合には喧嘩になります。

・ワガママを言う
無理難題を相手に言い、相手がそれを聞いてくれる事で愛情を確かめる方法です。
これに関しては自身の愛情表現ではなく、相手の愛情を確かめる方法ですが、これしか出来ないという人も多く存在します。

・相手に尽くす
若い男女に多く見られる愛情表現ですが、必ずしも相手がそれを喜んで(求めて)いるかは不明です。
特に度を越した場合、尽くされて愛情を確かめる人には通用しますが、それを重荷(ウザイ)と感じる人も多く存在しますので、難しいところです。

・相手を束縛する
好きであるがゆえに相手を自分だけのものにしておきたい、独り占めしたいという気持ちの表れです。
しかしこれも度を越した場合は相手に重荷になりますので難しいところです。

これらの特異な方法は、ある程度の信頼関係が築かれた上で成り立つ表現方法といえます。
いきなり信頼関係も築かれてないうちから上記のような表現方法を行うと、偶然気の合う人の場合にしか通用しない事が多いので相手を惑わせますし注意が必要です。

しかしいずれにせよ、このような表現は、わざわざ意識をして行わなくても、本当に相手のことを愛していたら無意識にしてしまうものです。
前半の一般的な愛情表現は無意識に、後半の特異な表現は意識して、というのが一番良いのではないかと思います。

2011年5月1日日曜日

美人の生まれ方

人が人を一番最初に見る部分「顔」
その顔の印象で、その人の人柄まで印象付けてしまう程の影響力がある人間の部位といえます。
もちろん顔そのものよりも、顔の表情を見ることで、ある程度その人の人柄がわかるのは確かです。
心理学を学んだ人や、数多くの人に触れた経験のある人なら、だいたいは第一印象で顔を見て、その表情からその人の人間性や人柄までが理解できてしまうものではないでしょうか。
しかし表情だけでなく、顔そのものでも、その人のセンスや生き方はある程度理解できるものです。

注)これはあくまでも”ある程度”であって、第3者による(自分のセンスでない)化粧で一時的に騙す事も可能です、特別な時や第3者によって施された仮面(化粧や服装)によって普段の自分ではない人に姿を変える事も現実問題としてあります(タレントなどのようにスタイリストが施すものは自身の本当の姿ではありません)が、しかしその化粧の仕方や頻度でも判断はできますし、何か特別な事のある場合を除く普段の姿での場合を指します。

以前、子供から大人へ変化する段階で、どんなに不細工な顔に生まれても「美」に対して目覚めるか目覚めないかで、その人が今後美人(男前)になるか否かが決まるという決定的な確信の部分に触れましたが、まさにその部分で判断が可能なのです。
異性を意識する事が一般的な人の心理とした場合、殆どの人が自身の顔やへスタイル、ファッションに対してこだわるようになります。
仮にその部分を全く意識しない人は、異性に対して良く思われたいと思っていない人と言えます。
(良くは思われたいけれど、それは重要視しなくても良いと勝手に決め付けている場合が多い)
しかし彼や彼女ができないと悩む人に限って、この根本的な部分の考え方の違いで、多くのチャンスを逃しているのではないでしょうか。
彼や彼女が欲しいなら、少しは美に対して努力しないと誰も振り向いてはくれないのが現状です。

先日、32歳の彼女いない暦5年という後輩と食事をしました。
今度初めての合コンに参加するそうです。
彼は彼女が欲しいと言います。
しかし彼はここ数年でブクブクと太り、体重は100kg近くあります。ファッションも非常にダサく、ヘアスタイルもモッサいのです。
仮に彼女が欲しいと真剣に思うのであれば、わざわざデブ専のモッサいファッションの男性が好みという少数派女子を探す事よりも、頑張ってダイエットしてそれなりの服装をした方が、よほど間口も広がりチャンスも増えると思うのです。
これはあくまでも第一印象の話です。彼は非常に人に優しく、頭も決して悪くはありません。愛嬌も良いのです。
彼にその部分を指摘しても、さほどそれが重要な事だとは理解してくれませんでした。
理解できないからこそ彼の今の現状があるのでしょうが、なかなか誰かに言われたから気づくという人も少ないように思います。誰かに無理矢理導かれないと、例えば専属のスタイリスト(うるさい彼女等)が付かない限りはわからないのかも知れません。
男女問わず友人には、身なりやファッション、化粧やヘアスタイルについて、割とズケズケと指摘する方なのですが、20代前半までに美に対して目覚めなかった人種は、その部分にはやはり全く理解は示しません。
モテる男女の総合的なポイントは、自身に興味があるか否かです。
不細工な顔の人でも(世の中の殆どの人は不細工なのですが。俺も含めて)オシャレで気が利く人はカッコイイものです。
このオシャレという言葉の中には、服装・髪型・美容・脱毛・痩身などが含まれます。
実際モデルやタレントほどにオシャレじゃなくても、その部分に気を使っている人の事を指します。
太くてもそれを理解しダイエットしている(努力している)人は可愛いのです。だから異性にモテるのです。
毛深い人でもマメに脱毛していたり、少しでもスタイルが良く見えるような服装を心がけていたり、老化を気にしてエステに通ったり、ヨガやジムに通っていたり、要は自身を少しでもよく見せようとしている人は(現実そうなっていなくても)そうでない人よりモテるのです。
反対に自分に全く興味がない人、前述の美に対して目覚めた経験のない人は、むだ毛ボーボーでも気にしない、ノーメイクでも気にしない、モッサいファッションでも平気で外へ出れる、体臭も気にしない、なのでモテないのです。
しかし何故か相手(彼や彼女)には美を求める。理想は高いのです。ギャップがあるのです。
少数派ですが、そういう人が好きという人も少なからず存在していますので、その数少ない人との出会いを待つしかないのです。
しかしこれはあくまでも第一印象の話です。結局は中身、人柄が人生を大きく左右するのですが、まず入り口の部分の大切な事を彼に伝えたかったのです。
確かに男性よりも女性は(しかもある程度の年齢に達した女性は)相手の外見にはとらわれない人が多いかもしれません。
しかし彼が求める理想の相手は20代の女性です。
それならばやはりここは重要なポイントではないでしょうか。
彼が美に目覚めた時、自分がカッコイイと(自己満足で良い)自信がついた時、自信に満ち溢れ堂々とした喋り方や態度となり、きっと女性から支持される男になるでしょう。

その彼とは今度、彼の合コンまでに一緒に服選びに付いていく約束をしました。
ダイエットも無理なく継続できるものを紹介しました。
そして以前ここでも書いたことがある顔体操を伝授いたしました。
彼の初の合コンが成功する事を願って。
いつか彼に可愛い彼女が出来る日を夢見て。

■現役モデルが毎日やっている秘伝の顔痩せ体操
(1)頬の肉を落とす体操
・唇の右端と右目の端をくっつけるようにイメージして(実際はくっつきませんが)10秒間
・上記と同様に今度は左側
(2)目じりを上げる体操
・口と目を思い切り引き離すように、口は下へ、目は上へ同時に10秒間
(3)顎の肉を落とす体操
・舌先を鼻に届かせるように(実際は届きませんが)10秒間

※顔体操は1日1回40秒間毎日行います。
※いずれも全力で行います。非常に変顔になりますので、
 誰にも見られない場所で行いましょう。
 見られると変な人だと思われます。
 よく運転中にやって、対向車の人に変な目で見られてます。

2011年4月29日金曜日

恋愛相談 50代男性編

毎回毎回さまざまな人々の恋愛相談にのって来た私ですが、このたび初めて年上の男性から相談を受ける事となりました。
しかも年齢は53歳、とある中小企業の社長様です。
彼は俗に言う「先生」と呼ばれる職種の方で、どちらかというと堅苦しい、生真面目な印象を受けるタイプの人です。
彼の相談内容は、彼女が欲しいというものでした。
30代の頃はまだ、言い寄ってくる女性も少なからず存在したけれど、もうこの歳になってめっきりそんな浮いた話がないのだと言います。
元々職業柄でしょうか、堅い、言い方を変えれば怖い、近寄りがたい、打ち解けにくい等の印象がある上に、そんな簡単に女性に話しかける事すらままならない性格が手伝って、もう何十年も彼女が居ないと言います。
彼女が欲しい理由として、癒しが欲しいそうです。
趣味といえばクラシックを聴くことぐらいで、仕事が忙しくそれもままならない日々を過ごすうちに、ストレス発散の場所すら無くなったと嘆きます。

私 「誰か職場におらんのですか」
   「おったらこんな事言わんがな」
私 「誰か紹介しましょか」
   「してーな」
私 「どんなんがええんすか」
   「こんな不細工なオッサンでもええゆう人やったら誰でもええわ」
私 「誰でもええんすか?好みはないんすか」
   「ない事ないけど・・・。別にキレーじゃなくてええんや」
私 「ほぉ」
   「キレーより可愛い系がええわ」
私 「可愛いタイプ?何歳ぐらいで?」
   「20代かなあ」
私 「なんやてえ?20代?」
   「せや」
私 「30代は?」
   「アカン」
私 「アカンてか、どんなけ間口狭いねん」
   「せやけどしゃーないがな、好みやもん」
私 「若すぎるんちゃいますん。外見は?」
   「身長は158cmぐらいかな、中肉中背がええわ」
私 「顔は?」
   「顔か、顔は上戸彩がええわ」
私 「上戸彩、そなもんおらんわ!ちゅーかどこが誰でもええねん!」
   「せやけどキレーではないやろ?」
私 「充分キレイ、あんた失礼やなしかし」
   「それか桐谷美玲がええわ」
私 「誰ですんそれ」

気になるのでググッてみました。
















めためたキレーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!

私 「めっさキレーですやんこの子」
   「せやろ、えーやろ」
私 「ええけどこんな子めったにおりませんやん。ちゅーかどんなけ欲深いんすか」
   「こんな子紹介してーな」
私 「おるかいっっ!おってもあんたがゲットできるかいっっ!!」
   「せやねん」
私 「しかもどんなけ条件厳しいんすか」
   「やっぱりそうおもうか」
私 「・・・・・・・・・・。」

この話のゴールが全く見えてこないので、話題を変えることにしました。

私 「オッチャン好きの20代女子集めて合コンでもしたらどないですん?」
   「オッチャン好きなんかおるんけ」
私 「そらおるでしょ」
   「しかもボクなんか不細工やし太いし・・・」
私 「オッチャン好きでデブ専女子もどっかにいますて」
   「そもそも合コン行ってもよう喋らんがな」
私 「無理して喋ったらええですやん」
   「そんなキャラちゃうもんボク」
私 「キャラ変えーな」
   「そんな急に無理やて」
私 「・・・・・・・・・・。」

この話もゴールが全く見えてこないので、話題を変えることにしました。

私 「先生より5歳も年上のあの社長なんか、まだ現役で合コンやっとるで」
   「あの人はお金もあるし口も上手いやん」
私 「せやけど金じゃなくて積極性やと思いますよ」
   「ボクかてあと20年若かったら積極性も出るんやけどな」
私 「20年前は積極的やったんすか」
   「いいや」
私 「ほなら年齢関係ありませんやん」
   「ま、まあな・・」
私 「そない言うならジム行ったりエステ行ったりしたらええですやん」
   「そんな時間あるかいな」
私 「時間ないなら家で寝る前に筋トレしたり、朝歩いたりできますやん」
   「そんなもん疲れとんのに無理や無理」

結局、何を言っても否定されるので相談はこの辺で打ち切りました。
よほど自分に自信がないのでしょうか。
しかし彼の目標を達成する為には、やはり彼自身が変化しないと無理なような気がします。
仮に彼が大きく変化しても達成できるかどうかわかりません。
おそらくそれが嫌なので、はなっから努力しようという気が起きないのでしょう。

しかし彼はなぜか大満足で帰って行きました。
おそらくこれまでの人生で、こういう話を誰かとしたことが無かったのでしょう。
こういう話をできただけでも楽しかったようです。
「ありがとう、また話聞いてや」
そう言って笑顔で帰って行きました。
どないやねん

2011年4月23日土曜日

回想

正月もずっと休みなしで働いていたせいで、すっかり田舎へ帰る機会を逃してしまった。
オヤジは元気なのだろうか、何度か電話では喋ったけれど、実際に会わないと気づかない事も多いはず。
久しぶりに時間が取れたので、約半年振りに田舎へ帰ってみた。
オヤジの話題は基本的に「最近誰が死んだ」である。
このテの話は正直しんどい、しかも暗くなる。
なので今回は、オカンの遺品から結婚前のアルバムが出てきたというので、それを見ながら当時の話を聞くことにした。
聞いていると以前聞いた事がある話がほとんどだったが、初めて聞くように相槌を打ちながら心地よく喋らせる事に成功。
オヤジも楽しそうに当時を回想した。





















上はオカン(チーコ)の若かりし20代の頃の写真だ。真ん中がオカンである。
モガやモガ。※1





















時代を感じるフォトグラフィーだが、立ち方がなかなか様になっとる





















艶のある座りポージングのチーコ。





















ぶはあああああああああああああああああああああああ
コレ誰や!誰やコレ!どこのモボや!※2
聞くとこの頃のオヤジはもうモテてモテて仕方なかったらしい。
京都で働きながらスキーのインストラクターもやっていた当時、毎日ファンの女子をかきわけながら歩いていたという。ほんまかいな
まぁ話半分としてもこの写真はイキリ過ぎである。
俺でもこんな写真ないわ。





















うわっでた!俺や俺
こんな写真初めて見た。
かいらしーー

※1 モガ;モダンガールの意。
※2 モボ;モダンボーイの意。