2013年4月24日水曜日

人間としての成長

人間としての成長、それはずばり経験です。
良い事も悪い事も、幸せな事も不幸な事も、嬉しい事も悲しい事も、すべての経験の量が、その人の成長につながるのです。
経験値が多いと、人に幅ができます。
大きな視野で人や物を見れるようになります。
器が大きくなります。
いくら若くしてビジネスで成功し、大金を得たとしても、経験値が少ないと、幼稚な物の捉え方しかできません。
若いうちからあらゆる事に興味を持ち、チャレンジし、成功し、失敗をし、様々な経験を積む事が大切なのです。
毎日同じ道を通るのではなく、違う道も通ってみるのです。
そうすれば新しい発見や、新しい出会いもあるかもわかりません。

人間関係が上手くいかない、それも経験です。
喧嘩して負けた、それも経験です。
人にいじめられた、それも経験です。
ビジネスで失敗した、それも経験です。
あらゆる経験を忘れるのではなく、次にいかせるのです。
いやその時はわからなくても、必ずその経験をいかせる時が来るのです。
ちょくちょく「人として成長するためのセミナー」たるものがありますが、セミナーを受けたからといって成長するわけがありません。
そもそも有料のセミナーは単に商売、お金儲けです。
セミナーを受講して成長した人なんて見た事がありません。
受講してモチベーションを上げて、それで行動を起こすためのものなのです。
行動すれば経験値が増えます、その繰り返しで人として成長するわけです。

ただしいくら経験値が多くても、学ばない人には成長はありません。
成功して学ぶ、失敗して学ぶ。
必ず経験したらその答えから学ぶ事です。

すべての事柄が、人としての成長につながるのですから、何も恐れる事はありません。
失敗してもまたチャレンジすれば良いのです。
今目の前にある問題や壁は、将来の自分のための投資だと思ってください。

人は、いや少なくとも男性は、相手の顔(この場合女性の)でその人の様々な要素を想像します。
いや勿論それは、顔そのものだけではなく、化粧の仕方やヘアスタイルなども含まれます。
品のある顔の相手なら、品のある人だと思います。
下品な顔の相手なら、下品な人なんだと勝手に判断するのです。
美人なら足の裏でさえいい香りがしそうだと思い、不細工ならば臭そうだと思うのです。
美人のオナラは臭いと思わず、不細工なら臭いと思うのです。
しかしこれは大きな間違いです。
いくら美人だとしても、それはたまたま顔の構造が整っているだけで、顔から下はみんな同じ、不細工な顔の人と同じなのです。
言わば表面的な作りが整っているだけで、成分は皆同じだという事なのです。
足の裏もオナラもみんな臭いのです。
美人が清潔で、不細工が不潔という事はないのです。
男性は、女性に対して神秘的な妄想を持ち、最高の美人と恋愛したいと思うものです。
しかしいくら最高の美人と付き合ったとしても、結局は顔以外はみんな同じ、人間なのです。
美人が特別良い香りがするわけでもありませんし、臭いオナラもするのです。
顔の表面には無数の細菌もいます。これは美人でも不細工でも同じなのです。口の中の菌の量も同じ事です。
みんな人間なのです。
みんな同じ成分でできているのです。

子供用トイレ


子供用の男子便器、あれいるのでしょうか?
正直いらんと思います。
要するに小さい子供は、大人とは足の長さが異なりますので、GLからの高さが問題となります。
便器の長さや大きさ、すなわち上は全く関係がないのです。
なんならGLからの高ささえ低めに設定すれば、大人も子供も同じ便器を使用できるのです。
なのにちょくちょく子供用らしき、小さな小便器をみかけます。
友人とトイレ内でたまたま一緒になった場合、あえてあれを使用して笑わせたりはしますが、正直便器メーカーが儲ける為だけに作っているような気がしてならないのです。
確かにあれにむかって小便している子供は可愛らしいのですが、しかしたいがい子供用は1個しか設置されていません。
子供の団体が来た場合、大人はスイスイいけるのに、子供だけが行列となってしまいます。それは可哀想です。
便器メーカーが儲けたいのならば、大人用とは別にもう一軒、子供用のトイレを建設したら良いのではないでしょうか?
子供用のトイレには、保護者用に大人用便器を1個設ければ良いではないですか。
1軒分となるとこれは結構儲かるはずです。
是非施主に提案してみて下さい。

キャラ設定が間違っている

明らかに親子に見えないキャスティングの家族が登場する番組をみた場合、みなさんはどんな心境でそのシーンを見るのでしょうか。
私はムシズを走らせながら見ています。
「んなわけないがな」
思わず口ずさむ事すらあるほどです。
こういうキャスティングのミスは、ディレクター本人の感性で決まるとは思うのですが、しかしながら制作に携わる沢山の人がいるはずですから、ある程度は完成度の高いものにはなってくるはずなのです。
なのに完全に親子に見えないキャスティングであったり、親子に見えない演出で撮り終えてしまうというのは、他に何か意図があるとしか思えないわけです。
しかしながら、その意図を想像してはみるのですが、全くその答えを見つけ出す事はできませんでした。
おそらく、視聴者は誰もそんな事には気付かないだろうという考えなのだと思います。
おそらくこのコラムを読んだとしても
「そこ、どーでもえーやん」
ときっと逆ギレするのでしょう。
しかし私は、リアリティのないものには全く興味がわかないのです。
いや逆に、リアリティのないものはムシズが走るのです。
フィクションでもリアリティさえあれば素晴らしい作品と思うのです。
プロレスファンには申し訳ないのですが、深夜のプロレス番組を見ていると、何度となく「んなわけないやん」と口ずさんでしまいます。
K-1やPRIDEを見ていた時は、リアリティに興奮しましたが、プロレスはリアリティがなさすぎるのです。
いずれにしろ見るのですが。
結局はリアリティのないものでも、文句を言いながら見るのが好きなのですが。