2014年8月13日水曜日

おばあ

池袋駅の改札を出て、電話しながら歩いている時の事です。
私の左手にかけたカバンに、後方から歩いてきた腰の90度に曲がったお婆さんの頭部が激突しました。
勿論こちらは前を見て普通に歩いていただけで、何ら動かしたわけではありません。
勝手にお婆さんが後方からぶつかってきたのです。
しかも腰が90度に曲がっているので、下しか見ていないのでしょう。
ぶつかっても当然といえば当然です。
「なにやってんだ、バカヤロー」
90度に腰の曲がったお婆さんが、私を見上げて言いました。
こちらはお客さんと電話中でしたので、お婆さんには何も言えず、話しながら聞くだけです。
「バカじゃねーのか、バカ」
「どこを見て歩いてんだよバカが」
お婆さんは何度もふりかえって文句を言い続けます。
「はあ?シネやクソババア!」
とケツを思いっきり蹴り上げたい心境でしたが、結構重要な仕事の電話をしてましたので、さすがに言えず、せめてケツだけでも蹴り上げようとも思いましたが、さすがにそれで死なれてもややこしいのでグッとガマン致しました。
世の中には、今すぐにでも死んで欲しい人がいるものですね。
アーメン

さよなら

田舎道を歩いていると、小学生や中学生から、すれ違いざまに「さよならー」と挨拶をされる事があります。
私はすかさず「さよなら」と合わせて答えます。
しかしこの「さよなら」には違和感を感じています。
まずその小学生や中学生は初対面なわけです、初対面でいきなり「さよなら」は変です。
まずは「こんにちわ」です。
そして「さようなら」のはずです。
初めて出会って、ろくに挨拶もせず、最初に交わす言葉が「さようなら」はどう考えてもおかしな会話です。
ある程度の大人ならこんな挨拶はしないはずです。
子供だからこうなるのでしょう。
しかし全く知らない人に挨拶をするという行為は素晴らしいと思います。
なのでいちいち「そら日本語変やで」と指摘した事はありません。
いきなり「さよなら」でもいいじゃないですか、いいのですが、子供だと感じざるを得ないのです。
子供だからいきなり「さよなら」で良いのです。

ガーリック爺さん

京成線に乗っていますと、とある駅で白髪のお爺さんが走って乗ってきました。
白髪ヘアーは両サイドを刈り上げてあり、ブルーのシャツにブルーの半パン姿です。
私の左側には、少しボリューミーな女性が座っています。
ボリューミーなせいで、通常の1.3倍ほどのスペースを使っておられます。
私は彼女から少しだけ隙間をあけて座っておりました。
先ほどのお爺さんは、駆け足でやってきて、私の右側に無理矢理に腰を下ろしたのです。
私は慌てて左側へ詰めます。
お爺さんは容赦無くこちらへグイグイと詰めてきます。
仕方なく私は左側のボリューミーな女性に体がピタッとくっつくほどに近寄るのです。
近寄るしかないのです。
ボリューミーな女性の左側はドアがあり、ポールがありますので、彼女は身動きが取れません。
私がグイグイくっついて行く事に対して、なすがままになっています。
お爺さんの向こう側には誰も座っていません。
ならばそんなに詰めなくても良いと思うのですが、キッチリと3人目のスペースに座りたいのでしょう。
曲がった事が嫌いな方のようです。
ボリューミーな女性が1.3人分座り、お爺さんは1人分のスペースですから、間に挟まれた私は0.7のスペースに座っている事になります。
お爺さんの右側には誰も座ってないスペースがあるにも関わらず、なぜ私がこんなにも窮屈な思いをしなければならないのでしょうか。
腰を据えると、お爺さんはおもむろにバッグからおむすびを取り出し、ムシャムシャと食べ始めました。
私の右耳のすぐ近くでムシャムシャと食べるのです。
しかもやたらとニンニク臭が漂ってきます。
「このジジイ、相当ニンニク食うてきとるな」
機嫌よく座っていたのに、このお爺さんの登場で、狭いわ臭いわで地獄のような時間帯を過ごす羽目になったのです。
おむすびを完食したお爺さんは、ウトウトと眠りはじめました。
イビキがニンニク臭くて死にそうです。
次の駅に到着した時、お爺さんは飛び起き、電車を走って降りて行きました。
私はホッとして、少し右側へ、ボリューミーな女性と少し距離を開けて座り直します。
出発の時間となり、電車のドアが閉まりかけた瞬間、またお爺さんが走って戻ってきました。
どうやら降りる駅を間違えたようです。
焦った私は、とっさに少し右へ座り直します。
スペースが0.7しかあいていない事を察知したお爺さんは、向かい側の空いている席に座りました。
「勝った」
私は心の中でガッツポーズをしました。

キャラクター変更

誰しも複数のキャラクターを演じて生きています。
親に対する子としてのキャラクター、友人とのキャラクター、会社でのキャラクター、恋人とのキャラクター、また子に対する親としてのキャラクター、ネット上のキャラクター、バイト先のキャラクターなどなど。
こういった、生活の中でのキャラクターの変更には、あまりエネルギーを使わないかもしれません。

複数の仕事を掛け持ちしてる場合、その職場によって役職が異なったりすると必然的にキャラクターが変わってきます。そうなると職場によってもキャラクターを使い分けざるを得なくなります。
例えば、A社で社長をやっている人が、訳あってB社でアルバイトとして働く場合などは、社長っぽい態度でアルバイトはできないからです。
やはりアルバイトらしいキャラクターを演じないと、そこはうまく立ち回れないはずなのです。
こういう仕事上でのキャラクター変更には、エネルギーを消費するものです。
人によっては、パッとその場で切り替えられないという人もいるのではないでしょうか。
勿論、いつでもどこでもキャラクターの変更などしないという人もいます。
しかしそれはごく稀なケースで、協調性のない人なのか、それともB型なのかも知れません。
もしもあなたが、キャラクターの変更にストレスを感じている。
またそれによって環境の変化を望まないような状態になっているのであれば、なるべく区切りの良い24時間、1日単位でのキャラクター設定とした方が良いと思います。
そして早め早めに準備しておくと良いでしょう。
前日のうちに、翌日のキャラクターになっておくのです。
そして当日は最初から最後まで、そのキャラクターで通すのです。
通せるようなスケジュールを組むのです。
1日に何度もキャラクターを変えなければならないような状況はなるべく作らず、スケジュールを組む段階で、自身にストレスのかからないような予定を立てておけば、こういった問題は克服できます。

暑い眼鏡

眼鏡が暑い。
眼鏡をかけるようになって、初めての夏がやって来ました。
暑い日を過ごすうちに、眼鏡が暑いと思うようになったのです。
鼻の上の部分と耳にかかる部分。
そこが暑いのです。
そこに汗をかくのです。
ハンケチで顔の汗を拭う時は、眼鏡のその部分に付着した汗も拭うのです。
眼鏡歴が何十年という眼鏡の先輩に聞いてみました。
「眼鏡暑ないか?」
「え?いいえ」
「は?うそやな」
「ほんまですって」
やはり眼鏡歴がまだ1年にも満たない私だからそう感じるのでしょうか。
次に小学校の頃から牛乳瓶の底眼鏡をかけているという女子にも聞いてみました。
「眼鏡暑ないか?」
「暑いよ眼鏡」
「暑いよな眼鏡」
「うん暑い」
少しホッとしました。
私と同様に暑いと感じている人がいたのです。
「暑いからコンタクトにしてん」
なるほど、そういう理由でコンタクトにする人もいるのですね。
その後も複数の眼鏡歴が長い男性に聞いてみましたが、皆「暑くない」と言います。
結局「暑い暑い」と愚痴りながら眼鏡をかけているのは私だけのようです。