2015年12月22日火曜日

世界で一番美味い唐揚げ

世界で一番美味い唐揚げがみつかりました。
偶然が重なって、運良く世界で一番美味い唐揚げを食べる事ができたのです。
食べながら「死ぬまでにこんなに美味しい唐揚げを食べる事ができてほんまに良かった」と心から思いました。
南島原の「鶏の白石」というお店です。

長崎最後の夜、たまたま市内の繁華街で友人と再会し、そこでその彼から聞いた唐揚げの美味しいお店「鶏の白石」。
早速翌日、いつもなら長崎から多比良へ出て、フェリーで長洲へと渡るルートを行くのですが、この日はたまたま口之津から天草へ戻り、そこから熊本市内へ行く予定でいましたので、少し遠回りして雲仙を越え、南島原へ向かったのです。

「サーセン!ぶつ切りともも定食くざさい!」





















パクッ ウマアァァァ――――――――(゚д゚;)―――――――――――ッ!
うまああああああああああああああああああ!
むっさうまあああああああああああああああ!

■鶏の白石 南島原本店
住所:長崎県南島原市布津町乙1487-7
電話:0957-72-3369
営業:10:00~20:00
席数:テーブル12席、お座敷16席
駐車:あり
交通:島鉄本社前駅から427m
HP:http://tori-shiraishi.jp/

ベビーカー

街を歩いていると、ベビーカーを押している主婦をよく見かけます。
沢山の荷物を持ってベビーカーまで押して、子供がギャーギャー言うと荷物を置いて抱っこしてと、見ているだけで嫌になるほどに大変そうです。
いつも思うのですが、ベビーカーを押している時、正面から何かにぶつかるとか、正面から何かが飛んで来た場合、最初にぶつかるのは母親ではなくベビーとなります。
現在市販のベビーカーのほとんどは、ベビーが前向きに進行方向を向いて座っているので、ベビーがあまりにも無防備すぎるのです。
そんな事を考えながらベビーカーを見ているだけで、こっちがハラハラしてくるのです。
蜂や、カメムシや、ゴルフボールや、ホーガン投げのホーガンが飛んできたらと思うとハラハラして仕方がないのです。
せめてベビーは後ろ向きにすべきです。
何のためにベビーを前向きに乗せる構造になっているのでしょうか。
進行方向なんて、ベビーには理解できないはずです。
ベビーは「後ろ向きにすすむのん気持ち悪いねん」なんて言わないのです。
彼らはどっちゃでも良いのです。
どっちゃでも良いのに何故か危険な前向きの構造が一般的なのですから、おかしなものです。
しかも後ろ向きならば、母親とたまに目が合ってニコッと微笑んだりもできるわけです。
たまに品のある気取った感じの母親なのに、ベビーカーのベビーが鼻くそをほじくっているのを見かけますが、いまの構造では母親からベビーの顔は見れないので、母親はそれに気づかないのです。
こう考えるともう前向きのベビーカーを選ぶ理由すら見つからないのです。

2015年12月11日金曜日

電話

LINEが浸透した現在、果たして電話は必要でしょうか。
もう電話は必要ないと思います。
もう電話は廃止しても良いと思います。
私が連絡を取る人で、携帯のEメールの人はもうほとんどいません。
全員をLINE化するために働きかけ、数人を残してほぼLINEに招待したからです。
何より携帯のEメールは、迷惑メールがあまりにも多すぎて、もう開かなくなりました。
楽天トラベルに会員登録した瞬間から、山のように迷惑メールが届くようになり、それがうっとおしくてLINEに流れた人も多いはずです。
その数人のEメールの人は、今だに意地でもLINEをやらないという化石のような人です。
しかもお互いに迷惑メール対策で、何度かアドレス変更してますので、今現在の正しいアドレスなんて全くわかりません。
なのでもうEメールを開く事すらなくなりました。
ですので彼らに連絡を取りたい場合は電話をかけるかショートメールするかしかありません。
ショートメールはまだ許せます。
ところが、電話は大変です。
電話ほどに一方通行な連絡手段はないと言えるほどに、どちらかが都合が悪ければ繋がりません。
よくこんな事があります。
こちらから電話をかけても、都合が悪いのか、相手が出ない。
今度は、向こうがかけてきても、こちらが都合悪くて出られない。
そんな事を何度か繰り返し、そしてその日、夜になって時間が遅くなれば、電話をかける事が失礼ではないかと躊躇し、翌日に繰り越してしまいます。
また翌日同じようにタイミングが合わず。
こんな事を何度も何度も繰り返し、結局数日経ってしまい、忘れてしまうというような事が何度もありました。
こんな事があるたびに、なんでLINEせーへんねん!と思います。
LINEなら、思った時にメッセージし、こちらがそれを忘れてしまっても文字として残っています。
そして相手は自分のタイミングで返事すれば良いのです。
こんな便利でスムーズな連絡手段があるのに、何故にあんなに不便な電話という時代遅れなツールを使い続けるのでしょうか。
他にも、LINEをやってる人でも何故か電話をかけてくる人がいます。
こちらが電車や飛行機での移動中に電話をかけてきて、電車を降りたタイミングでかけても、今度は向こうが出ない。
そしてまた次乗ったタイミングでまたかけてくる。
空港へ着いて、かけても出ない。
飛行機に乗って機内モードにしてからまたかけてくる。
LINEがあるのに、永遠こんな事を繰り返すのです。
そして、この相手の立場が、もしも自分より上だった場合、次に繋がった時に文句を言われ、こちらが何故か謝罪しなければならないという、非常にナンセンスで理不尽な状態となるわけです。
LINEがあるのだから、電話が繋がらないならLINEしてくれれば良いのです。
私なんて殆ど移動か人と喋っているのですから、電話なんて99.9%出れません。
という事は、移動中に途中下車するか、人を待たせるかしないと電話できないわけです。
もしくは深夜の時間帯か。
その点LINEなら、移動中はもちろん、極端な話、誰かと会話中でも返せます。
何故そんな便利なツールを持っているのに、それを使わず電話という不条理な物を使い続けるのでしょうか。
文字を入力するのが面倒くさいのでしょか。
よく電車内で堂々と大声で電話しているオッサンやオバハンを見かけます。
周りから冷ややかな目で見られ、会話の全てを聞かれ、腹の中で「アホやこいつ、はよシネ」と思われているのに、一切の躊躇もなく会話し続けているのです。
その会話の内容のほとんどは、今どこにいて、もうすぐ着くというものです。
毎回思いますが、いま電車にいると言っているのに、電話の相手はなぜ切ろうとしないのでしょうか。
そればかりか、ベラベラとくだらない話を長々とするのです。
長々と話したとしても、会話のメインとなるものの殆どは、今どこでもうすぐ着くというものなのです。
もしもLINEなら「10分でつく」で終わります。
電話の場合、それだけでは終われないのです。
「いま大丈夫?」
相手の今の状況に配慮した言葉がいります。
「先日はありがとう」
先日何かあったのならその時のお礼が必要です。
「いま電車なんだけど」
今現在の自分の置かれた状況を言います。
「あと10分ぐらいで着くので」
もうすぐ待合せの駅に着くというメインの内容です。
「もう少しまっててね」
あなたの待ち時間はたった10分だという安心感を与える言葉です。
「ごめんなさいね」
でもあと10分も待たせて申し訳ないという謙虚な姿勢をアピールします。
これを最低限とし、これにプラスどうでも良い会話をダラダラとするわけです。
今から会うのなら今ここで喋る必要なんて全くないと思うのですが。
皆聞きながら「アホやなぁ」とつくづく思っているのです。
電話を廃止してしまえば、こういうオッサンやオバハンも絶滅します。
電話を廃止してしまえば、電話に出ないからと文句を言われる事もなくなります。
電話を廃止してしまえば、相手が電話に出ないからと言って、腹が立つ事もなくなるのです。
どれだけ平和で過ごしやすい快適な世界となるのか想像してみてください。

飛行機

年間に40回ほど飛行機に乗りますが、決して快適な移動手段だとは思いません。
狭い、窮屈、ネット対応してない、遠い、待ち時間が長い、電源がない、払い戻し不可など、とてもストレスの多い乗り物と言えます。
ただ単に価格が安いというだけで、乗っている乗り物なのです。
航空会社によって、後方席から先に案内する企業と、窓側席から先に案内する企業とがありますが、どちらが良いかは一長一短ありますが、いずれも乗客をスムーズに、そしてスピーディに着席させるための配慮です。
ところが、そのせっかくの配慮を台無しにする連中がいるのです。
しかも結構な割合で存在します。
先日、熊本空港出発の便に乗る際の事です。
後方席からの案内というメッセージが流れ、後方席のチケットを持った人がぞろぞろと並びました。
私の前はカップルが並んでいます。
そのカップルの順番が来て、彼の方が受付でチケットを見せてこう言うのです。
「後方席じゃないんですけど」
いまは後方席の人からの案内です。
前方席の人はまだ待合で待っているはずです。
なんなんや、なんで待てへんねや!
すると受付スタッフがこう言ったのです。
「今回はオッケーですよ」
はあ?なんなんそのオッケーて、キミがオッケーでも迷惑すんのは後方席の客やで実際。
後方席の客にオッケーがどうか聞きーや!
そうして受付を切り抜けた2人は、少し歩いて顔を見合わせてこう言いました。
「うまくいったね!」
はあ?計画的なん?こいつら確信犯やん実際問題。
そんな連中なので、案の定、大きなスーツケースを荷物棚に入れるのに通路を占領し、私を含む後方席の人達は、それを待って渋滞となりました。
なんかもうここは中国なのかと思うほどに、自分さえよければいいという恥ずかしい日本人を見た気がします。

石が入りやすい靴

最近購入した靴は、これまで私が購入してきた靴とは大きく異なる靴です。
これまでは、基本的にデザイン重視だったのですが、今回の靴は毎朝1時間歩く事を想定した靴なので、機能性や軽さ、履き心地などが優先し、デザインはその次となっています。
その靴の事で実は最近悩んでいるのです。
実はその靴、すぐに石ころが入るのです。
砂利道を歩いている時は勿論、それ以外のアスファルトの道路を歩いていても、いつの間にか小石が入っているのです。
石ころぐらいええがなと友人達は言います。
いや別にいいのです。
いいのですが、それが1日に何度もあるから恐ろしいのです。
何度も何度もあって、そしてそのたびに靴を脱いで逆さまに向け、小さな石ころを取り出しているのです。
これまでの人生において、こんなことは滅多にありません。
靴1足に対して、石ころが入って取り出す行為など、1回あるかないかそんな確率なのです。
ところがこの靴、既に20回以上、石ころを取り出しています。
こんな靴は初めてなのです。
ひょっとしたら小石に呪われた靴なのかもしれませんん。
いやきっと呪われています。
アーメン

2015年12月10日木曜日

迷惑な運転手

歩いていて横断歩道に差し掛かった時、わざわざこちらを待ってくれる車(右折車)がいます。
全然行けるのに待つのです。
偽善者なのか何なのかわかりませんが、こちらを見て微笑んだりしています。
待たれると申し訳ないので小走りになります。
これが面倒なのです。
こちらはこちらのペースで歩いているわけで、何故見ず知らずの人のために走らないといけないのでしょうか。
夏場は極力汗をかかないように、省電力モードで歩いています。そんな時にこういう風に待たれると、無駄な汗をかくことになるわけです。
あれは本当に迷惑です。
親切でもなんでもなく、本当に迷惑な行為だという事を認識してほしいものです。
なんなら法律で違反にしてほしいぐらいです。
罰金3万ぐらい取ってください。

2015年11月24日火曜日

猫舌ちゃん

とある居酒屋で1人カウンターで飲んでいた時の事です。
隣のテーブル席の女子2人組の会話が聞こえてきました。
聞くつもりはないのですが、聞こえてくるのだから仕方ありません。
「あつっ」
「大丈夫?」
「熱いよぅ!これ、」
「ここに置いて冷ましなよ」
「冷めたらやだ」
「どっちなの」
「猫舌だから熱いのはやだけど冷めてもやなの」
「じゃあどうするのよ」
「熱いの次の段階がいい」
「次の段階てなに?」
「少し熱い」
「オッケー」

わかったんかいっっ!!!
次の段階て!全部で何段階あんねんっっ!!!

海苔を入れたがる

たまにラーメン屋で、丼に大きな海苔が刺さって出て来る事があります。
その海苔に店名や名言が書かれていたりして、なんとなく派手に見えるというか、勢い的なものを感じます。
ところがいざそれを食べるとなると、非常に食べ辛いのです。
仮にそのラーメンが、海苔を入れる事で完成する味付けであればまだ理解できるのです。
ところが、ほとんどのラーメン屋では味付け目的では使用してないのです。
ただの飾りなのです。
仮に、もしも味付けとするのならば、あんな大きな1枚ものの海苔を使用せず、刻み海苔を使用するはずです。
刻み海苔ならば理解できるのです。
はっきり言ってあんな大きな海苔は迷惑です。邪魔です。
抜き取って破り捨てたい衝動にかられます。
海苔は1枚なので、何口か食べるうちの、たった1回だけ海苔の味になります。そんな1回いらないのです。
さらにそれだけでなく、安い海苔で少しでも豪華に見せようとする店主のセコさが見え隠れし、非常に腹立たしく思えます。
ごくまれに、ラーメン屋で誕生会をやってくれる客がいて、その人のためだけに海苔におめでとうと書いて出す程度ならまだ許せます。
それ以外で、あんな海苔1枚に頼るようなやり方は辞めていただきたいものです。
しかも丼の向こう側にドーンと立てたりして、あんなもの子供の頃の弁当の蓋で弁当を隠して食っていた根暗なヤツを思い出させるだけのものでしかありません。
どうせなら海苔に四コマ漫画が書かれていたり、連載物の小説などが書いてあれば、食べながら読むことも出来、暇つぶしにぐらいにはなるでしょう。
そんな気の利いた演出すらできないのであれば、即刻やめていただきたいものです。

先日、三重県のとある田舎町で、たまたま通りかかって入ったラーメン屋での出来事です。
メニューを見ていると、トッピングメニューの中に、海苔という表記を見つけました。
は?海苔?海苔をトッピングする奴なんかおらんやろ実際問題。
そう思っていると、隣に座った男性が海苔トッピングを注文したのです。
するんかいっっ!!!
そして隣に出てきたラーメンは、麺が見えないほどの海苔で覆われていました。
それを美味しそうに食べる姿を見ながら、世の中には色んな人がおんねんなと、つくづく思うのでした。
案外ニーズあんねんね海苔。

シケモク大将

南海電鉄のとある駅に、シケモク大将は居ました。
うつむきながらキョロキョロと何かを物色しながら歩き、誰かがポイ捨てした吸い殻を見つけると、おもむろに拾いあげ、持っていたライターで火をつけ、一口二口吸っては持っていた缶に入れるのです。
一口か二口というのは、それほどまでに吸える箇所が少ないわけで、長いものを見つけた時は、少し嬉しそうな表情を見せるのです。
やっている事は、駅周辺の美化活動です。
ポイ捨てされたタバコの吸い殻を拾い集めているのですから。
ただ、拾って缶に入れる途中、一瞬だけ火をつけて吸っているだけなのです。
彼は決してタバコが吸いたいのに、買うお金がないからやっているわけではないのです。
駅周辺を綺麗にしたいだけなのです。
だからシケモク大将とは呼ばないであげてください。

マヨネーズ

ポテトフライをマヨネーズにつけながら食べていた時の事です。
時折、ポテト本体よりもマヨネーズの量の方が多い時があったりして。
それがまた美味いのです。
これポテトいらんやん!
酒のアテ、マヨネーズだけでええやん!

オバチャンらしいトーク

ある日、電車に揺られていると、隣に座っていたオバチャンが話しかけてきましした。
「この電車って次の駅から各駅に停まるんですか?」
「そですよ」
「では特急が停まらない駅も停まるんですよね」
「そうなりますね」
「いや普段JRしか乗らないから何も知らないんです」
「あはい、」
この最後のセリフは完全にオバチャン特有のセリフです。
こちらは何も聞いていないのに、何故こんな質問をしたのかという理由を勝手に言っているのです。
こちらから「知らないんですか?」と聞いたならまだ理解できます。
しかしながら一言も聞いていないのです。
聞かなくても質問をしてきた時点で知らない事ぐらいはわかります。
知ってて聞く人なんて居ませんし、そんな言い訳がましいセリフは必要ありません。
何故オバチャンという生物は、こういう事を言うのでしょうか。
若い時は可愛くてクールだった女子も、ある時期を境にみんなオバチャンに生まれ変わり、こういう聞いてもない言い訳を言うようになるのです。
こんな事を言われたら「あはい」以外に言いようがありません。
そんな言い訳よりも「ありがとうございます」と言うだけで、とても気持ちの良い会話になるのです。
なんなら席を立つ際には、お互いに会釈をして下車するような関係となるはずです。
それをこんな聞いてもない言い訳をしたばっかりに、後味の悪い別れ方をしなければならなくなるのです。

ローソンで珈琲

とある田舎町を走っていると、無性に珈琲が飲みたくなったので、ローソンに立ち寄りました。
ローソンの珈琲の紙カップは、他のコンビニエンスと違って表面に滑らないタイプの加工が施されていて、車内のドリンクホルダーに入れてしまうと、取り出すのに大変苦労するので、極力買わないようにしているのですが、田舎という事もあり、すぐにコンビニがない可能性もあるので、妥協して買う事にしたのです。
レジで100円を出し「珈琲」と言うと、すぐに「珈琲やってないんです」との返事。
「や、やってない?」
「はい」
珈琲やってない店舗あるんですねローソン。ビックリしました。
仕方ないので出しかけた100円を握りしめたまま車に乗り込みます。
しかし考えてみると、段々と腹が立ってきました。
車を停め、レジまで行って、しかもわざわざ少し並び、やっと順番が来て注文しているのに、堂々と無いものは無い的な態度を取られると、何か違う気がするのです。
車を停めた時点ですぐに見えるところに「このローソンには珈琲はありません」的な表示を貼っているのならこの態度でも理解できます。
でもそんな表示すらないのであれば、もう少し店員も申し訳なさそうにして断って欲しいものです。
「今日もまた珈琲がない事を知らんアホな客がまた来よったで、あははは!アホや!あいつアホや!」
と言われている気がしてならないのです。
そんな事を考えながら、10分ほど走っていると、コンビニがありました。
またローソンです。
少し嫌な予感はしましたが、まさか2件続けて珈琲がないなんて、さすがにあり得ないでしょうし、気にせずに車を停め、店内に入ります。
店内に入ると、すぐに珈琲マシンの前で何やらゴソゴソとやってる男性が目に入りました。
それをチラ見しながらレジの女性に「珈琲」と告げ、握りしめたままの暖かい100円を差し出します。
するとその女性店員が言います。
「珈琲はメンテナンス中です」
確かに見ればわかります。
「メ、メンテナンス?」
「はい」
「無理なの?」
「はい」
店員は、私の出した暖かい100円を受け取ろうともせず、キッパリとそう言い放ちました。
先程のローソンの店員と同様に、申し訳なさそうなそぶりは一切ありません。
もう少しで終わるとか、そんな案内も一切ありません。
申し訳ないなんて微塵も思ってないようです。
メンテナンスするなら深夜にやった方が良いと思います。
どうしても昼間にやりたいのなら、セブンイレブンのように、珈琲マシンをもう1台増設して、メンテナンス中の客に備えるべきです。
それをしないのなら、せめて申し訳なさそうに丁寧にお断りするという接客マナーを教えるできです。
今回の件で、ローソンは珈琲を売る気が全く無いという事がよく解りました。

骨を食べる

魚を食べている時など、年齢と共に、何故かいちいち骨を出す事が面倒になってきました。
骨だけでなく、蟹や海老などの甲殻類もそうです。
面倒くさいのです。
年齢と共に歯が強くなったわけではありません。
逆に恐ろしく弱くなっています。
なのにそれに反比例して、骨や甲殻をバリバリと食べるようになってしまったのです。
これまでは、鯵や秋刀魚などの小骨がある小さめの魚でも、慎重にそして丁寧に、骨を食べないように心がけて生きてきました。
最近ではバリバリと全部食っています。
先日、長崎県の小浜を訪れた際、海辺の料理屋で食べた丼入りの味噌汁に、蟹が甲羅ごと入っていました。
以前の私なら、面倒でもいちいち丁寧に身を取り食べていたでしょう。
ところが今回は、バリバリと殻ごと食べたのです。
口は痛いわ、身よりも殻が多くて美味しくないわで散々でした。
でもそれ以上に、身を取る労力は避けたかったのです。
そんは私を人は野生児と呼びます。

幸せを感じる時

皆さんはどんな時に幸せを感じるのでしょうか。
私が幸せを感じるのは、おかずを口に入れた後、残量を気にせず大量にご飯を口に入れる事ができる瞬間です。
一般的には、ご飯の量には限りがありますので、残量を気にしながら食べなければなりません。
出てきた定食などで、ご飯の量が少なかった時など、限られたご飯を切り詰めて切り詰めて、少しずつ遠慮しながら口に入れなければなりません。
そういった時は逆に物凄いストレスを感じるのです。
ご飯の量は多けれは多いほど、最高に幸せを感じます。

リュック

まさか自分がリュックを買うなんて、想像もしませんでしたが、世の中何が起きるかわからない時代です。
結局私がリュックを買い、そして背負って歩いているのですから。
長年の肩こりと腰痛が、もしかしたら重いバッグのせいではないかという疑問が、脳裏を横切った時点から、ずっと買うか悩んでいました。
まずスーツが基本という私には、ファッション的に合わないのではないかというところが、その悩み続けた大きな要因です。
しかもこの年齢、この体型です。
オタクのオッサンに見られるのは嫌ですし、山下清にも見られたくないのです。
あとは、昔からなんでもすぐに取り出せるトートタイプのバッグばかりを選んでいましたので、荷物を取り出しづらいばかりか、それを背負ってしまう事への抵抗もかなりありました。
しかし肩こりは年々酷くなり、そうも言っていられない事態となり、先月意を決して購入したのです。
購入後、3日間背負いました。
そして3日目、電車内でのリュックの扱いで、疑問が生じたのです。
リュック界のマナーとして、電車内ではリュックを背中ではなく片腕だったり、お腹側にひっかけたりします。
それは後ろの人への配慮です。
しかし背負わないのであれば、リュックにした意味がないわけです。
お腹側にひっかけるなんて、そんなの絶対に嫌ですし、座る際に膝に乗せるのも絶対に嫌です。
しかも小物を取り出す事にも大変労力を要します。
結局、リュックは3日で放り出してしまいました。
そして今回の旅、長崎でボストンバッグを購入いたしました。
ボストンも初めてですが、非常に肩にかけやすく結構気に入っています。

2015年11月7日土曜日

脱祭

今年も祭のシーズンとなり、周囲がザワザワと騒がしくなってまいりました。
市民の大半が熱狂的な祭の信者のような町に生まれてしまうと、本当は祭なんて全く興味がなかったとしても、祭信者のフリをしなければ生きて行けないというのが現状となります。

一般的な祭信者の特徴として
・遠くから太鼓の音が聞こえて来ると、いても立ってもいられなくなって、家の外へ飛び出してしまう。
・人生設計は祭を中心に考えているので、仕事なんて二の次。
・祭休暇をもらえない会社なんて、すぐに退職します。
・祭が終わった1秒後からは、来年の祭の事を考えている。
・祭好きの人としか結婚は勿論、交際もしない。
などがあげられます。

既に祭が途絶えてしまい、街から祭が消滅してしまった地域出身の人からすると、あの熱狂的な祭に対する思いは理解できないものがあります。
ところが、そんな祭中心の地域出身の人でも、実は理解できず、理解しているフリをして生きているという人が存在しているのです。
興味がないのに興味があるフリをするというのは、それはそれは大変な事です。
毎年このシーズンの祭信者のフリに疲れ果て、そっと人知れず街を出てしまう人もいるでしょう。
それが最も楽になるための、簡単な方法かもわかりません。

政党、宗教、そして祭、こういった事に対しては、そのまっただ中に身を置いた場合、言いたくでも自由に発言できないというのが本音のようです。
福岡の居酒屋に設置されたテレビで、阪神vsソフトバンクの日本シリーズを、そっと見ている阪神ファンのようなものなのです。

個人的に

なんでもかんでも「個人的に」とつける人がいます。
先日、その個人に個人的な質問をぶつけてみました。すると
「うーん、せやな、まぁ個人的な見解やけど私はこう思うで、な、な、」
と言うのです。
はなっから個人に個人的な意見を求めているのに、あくまでもこれは一般論ではなく個人的な意見として回答してきたのです。
そんな事はわかっとる。
個人的な意見に決まっとる。
そもそもあなたは個人なのです。
単なる一個人。
こっちは一般論をわざわざあなたに聞く必要なんてありませんし、求めていません。
だからいちいち「個人的に」とか言わなくてもよいのです。

一応くん

なんでもかんでも「一応」とつける人がいます。

上司 「なぁ、あれやっといてくれた?」
部下 「一応やっときました」
上司 「はぁ?一応てなんやねん一応て」

そもそも「一応」という事は「やりたくないけれど念のためにやった」と受け取れますから、この上司が言う事も理解できます。

彼女 「ねぇ、着いたら電話ちょうだいね」
彼氏 「うん、一応電話するわ」
彼女 「一応てなんなん一応て」
 
そもそも「一応」という事は「しなくても良いけれど念のためにやった」と受け取れますから、この彼女が言う事も理解できます。

べつにわざわざつけなくても良いのに、癖なのか何なのか、ついついなんでも「一応」とつけてしまう人なのです。
そんな人を、我々は「一応くん」と呼んでいます。

2015年11月6日金曜日

宴会

1人で食事をしていると、聞きたくなくても勝手に他の席の話し声が聞こえてきます。
特に宴会ともなると、テンションの高さに比例して、自然に声も大きくなり、少しぐらい離れた席に座っていても、全てが聞こえてしまうのです。
しかしながら、やはり宴会ですので、たくさんの笑い声と共に、楽しそうな会話が聞こえてくるのですから、べつに嫌な気にはなりません。
やはり1人で黙って食べているよりも、気の合う人と、あーだこーだ言いながら騒がしく食べた方が美味しいに決まってますし、栄養の吸収率も高い事が証明されています。
ところが、中には例外もあって、聞いていてとても辛そうな宴会もあります。
仕切る人がいなくてダラダラとしてしまっている宴会や、偉そうな上司が1人武勇伝を語り続けている宴会、仕切るリーダー格が喋る内容がくだらなくてしんどすぎる宴会、偉そうな上司がゴマスリ部下ばかりを集めて実施した宴会等々。
しかし、どちらかというと、こちらまで楽しい気分になってくるような宴会の方が多いような気がします。
人は皆、宴会が好きなのです。
できれば毎日でも宴会したいものなのです。

宴会を検索してみますと、、

「飲食を共にすることによりお互いのコミュニケーションを深める行為をいう。通常2~3人程度で行うものは宴会とはいわず、ある程度まとまった人数で行う場合に宴会という。
類義語としては、宴、饗宴、飲み会、パーティなど。」

宴会の定義は4人以上のようです。
3人なら全く同じ行為をしていても宴会とは呼ばないとの事です。
会食とでも呼ぶのでしょうか。
2人ならさすがに宴会と呼べないでしょうが、3人以上ならもうそれは宴会だと思うのですが。
4人以上なんて勝手な定義を決めないでもらいたいものです。
いっそのこと2人以上なら、もうそれは宴会だと定義づけて欲しいものです。

熊本県天草市の人々

先日、三重県の友人たちと、熊本県天草市を旅した時の事です。
キリシタン館に到着して駐車場に車を停めると、そこにいたおっちゃんと目が合い、ペコッと会釈してきたのです。
「なに?知り合い?」
友人が聞いてきます。
ところがあんなおっちゃん知りません。
「誰かと間違えたんちゃうの?」
そう言うと、私は気にせずに車を降りました。
次に、友人がアーケードを見たいと言うので、銀天街へ行く事にしました。
近くに車を停め、歩いて銀天街へ向かっていると、郵便局の前に立っていた可愛らしい女の子と目が合い、またこちらにペコッと会釈してきたのです。
「なに?また知り合い?」
「だから知らんし」
銀天街をトボトボと歩いていると、靴屋のところにいたオバチャンと目が合いました。
するとオバチャンもこちらにペコッと会釈してきました。
この街はどこへ行っても、全く知らない人だとしても、必ず誰もが会釈する事になっているようです。
そういえば、以前、初対面の子供が、すれ違いざまに何人もこちらに挨拶して来た事を思い出しました。
なんという気持ちの良い街なのでしょう。
夜中まで飲んで、酔っ払って街を歩き、その辺でたむろしている連中でさえすぐに友達になってしまうような街なのです。
挨拶は人と人とのコミュニケーションのきっかけとなります。
年齢に関係なく、誰もが躊躇なくこのように挨拶ができるという環境は、まさに理想のスタイルなのではないでしょうか。

2015年10月31日土曜日

ダイソーに学ぶ

100円均一の専門店といえばダイソーです。
実際は100円以外の物も売ってますが、基本的には100円商品がメインとなっています。
他にも「セリア」や「キャンドゥ」など、アイテム数はダイソーには及びませんが、いずれも創業から 年以上の企業ばかりで、すっかり市場に定着した感があります。
この100円均一ショップは、文具店や食料品店、衣料品店、ホームセンターなどのアイテム別に取り揃えた他の一般的な店舗とは異なり、100円であれば何でも揃えるという異色な取り扱いとなっています。
基準は100円というところであり、品目ではないのです。
そのうち100円の雑誌やCD、DVD、ビデオレンタル、100円の酒、ハンバーガー、ドーナツ、珈琲、100円の寿司なども販売されるかもわかりません。
なんといっても100円均一ショップなのですから。

という考えでいけば、例えば赤色均一ショップがあっても良いわけです。
価格ではなく色で分別し、赤色のものばかりを販売するお店です。
赤い米、赤い文具、赤い日用品、赤い食器、赤い靴、赤いフンドシに赤いどん兵衛などなど。
鉛筆も赤鉛筆、ペンは赤ペン、クレヨンも絵の具も赤色しか売ってません。
赤チンだって買えるわけです。

1kg専門のお店があっても良いのです。
取り扱い商品がすべて1kg単位、お米1kg、鉛筆1kg、洗剤1kgにどん兵衛1kgなどなど。


硬いもの専門ショップも良いでしょう。
硬いご飯、硬い鉛筆、硬い煎餅に硬い水、硬いバスタオルなどなど。

こうやって考えていくと、まだまだ商売には可能性がありますね。


順番通り並べない世代

JR姫路駅のホームで、新快速を待っていた時の事です。
私は2番目に立っていました。
私の後方には4〜5人が並んでいます。
すると20歳ぐらいの女子2人が、ベラベラと喋りながら私の横に並んだのです。
明らかに後方の4〜5人は無視です。
「こ、こいつら完全に順番抜かしやんけ」
しかも後方の4〜5人をまるで小石か雑草かのごとく、完全にスルーして並んだのです。
な、なんちゅうやつらやねん!!
ところが、会話に夢中なのか無神経なのか、それとも中国人なのか、ハタマタ計画的なのか。
スルーされた後方の人達も、呆れてものが言えない様子です。
見る限りそんな事をしそうには見ない2人なのですが、その後、電車が到着するや、私やその前の人さえも追い越して、先頭で電車に乗って行きました。

南海堺駅ホームで電車を待っていると、電車の到着と同時に3〜4人並んでいた列を一気に追い越した20歳ぐらいの男子が、先頭で電車に乗っていきました。

JR三宮駅ホームで普通電車を待っていると、今度はまた別の20歳ぐらいの女子2人が、姫路駅と全く同じ手口で、今度は一番先頭に並んだのです。
それまでに並んでいたのは私を含め3人、4番目に来て一気に先頭を奪ったわけです。
会話を聞くと日本人です。中国人ではありません。
顔にはハロウィン用の化粧をしています。
なんなんでしょうかこの世代は、順番通りに並ぶという教育を受けていないのでしょうか。
さすがに1日に3組もこんな光景を見てしまうと、なにも言わないわけにはいきません。
「ちょーちょー、順番抜かしたらあかんのちゃん」
「え?は?抜かしてませんけど」
「はあ?」(3人ハモり)
私を含め、抜かされた3人が同時に言いました。
彼女らの言い分として、先にいた3人は1列になっており、このホームの正しい待ち方は2列なので、単に2列目になっただけで、間違った事はしていないというものでした。
確かにそういえば、ここ三宮駅でも南海堺駅でも、姫路駅でも、みんな1列になって並んでいました。
だから2列目として前に来ても問題がないという事なのでしょう。
しかしながら、自分たちより何分も前から並んでいた人達よりも、先に電車に乗り込む事をなんとも思わないのでしょうか。
心が痛まないのでしょうか。
彼女らのハロウィンメイクは、口元が裂け、こめかみには怒りのマークが書いてあります。
そのせいで物凄く怒っているように見えるのです。
そしてその顔でこう言います。
「ちゃんと2列になって並んでいないそっちが悪いんじゃないでしょうか」
私を含め追い越された3人が、20歳ぐらいのハロウィンメイク女子に責められ始めています。
そんなやりとりをしていると、電車が到着し、彼女らはさっさと乗り込んでしまいました。

私達3人は、次からは絶対に2列に並ぼうと強く決意しながら、少し遅れて電車に乗り込んだのでした。

2015年9月30日水曜日

銀シャリ屋 ゲコ亭

南海堺駅周辺は、布団太鼓のお祭りとやらで昨夜から賑わっており、今朝もそこらじゅうで布団太鼓の音が響いておりました。




















そんな布団太鼓の子供神輿と共に、宿院あたりをトボトボと歩いておりますと「銀シャリ屋 ゲコ亭」という看板が目に飛び込んでまいりました。
銀シャリ屋ゲコ亭といえば、裸でメシを炊くおっちゃんで有名なあの店です。

そんな有名な店の前をたまたま通りかかったのですから、インしないと申し訳ありません。
私はお店に駆け寄り扉を開けようとしました、すると
「ちゃうねんちゃうねん、その角曲がったとこに入り口あるわ、店かわっとんねん」
どうやら店が近くに移転したようです。先ほどの祭りのおっちゃんらが親切に教えてくれました。
きっとこのおっちゃんらも銀シャリ屋ゲコ亭の常連なのでしょう。
なんとなくですが、銀シャリ屋ゲコ亭が地元で愛されている気がしました。

角を曲がると数人の人がお店から溢れるように出てまいりましたので、すぐにわかりました。
開放された入り口を入ると、店内は人で溢れています。




















「お盆持ってこっち並んでね、順番やさかいに」
親切そうな店のおばちゃんが教えてくれます。





















まるでパン屋のように、入るとすぐに設置してあるアルミのトレイを持って、好きな惣菜を取りながら進みます。
角皿が500円、丸皿は200~250円と決まっています。
私は角皿の塩鯖、丸皿はちりめんおろし、高野豆腐、肉じゃがを選びました。

最後のところにはご飯を入れてくれるおっちゃんが居て、ご飯を粧いながら味噌汁が豆腐だと聞いてくれ、入れてくれるのです。
その奥にはあの有名な裸のおっちゃんがメシを炊いています。

店員は誰1人帽子もかぶっていませんし、制服も着ておりませんが、テキパキと気持ち良く働いています。
しかもよく客席を見ていて、ヤカンのお茶が少なくなると、何も言わなくてもすぐに持ってきてくれます。
親切な店のおっちゃんやおばちゃんらは、見ていて本当に気持ちいいですし、何よりも皆お客さんとの会話が物凄く多いのです。
近所の顔見知りなのか、常連すぎて仲良くなったのか、諸事情はわかりませんが、とにかくお客さんの方からやたらと店員に話しかけるシーンを見かけます。
なんという素晴らしいお店でしょうか。
きょうびの飲食チェーンなら、帽子や制服だけでなく、厨房で裸のおっちゃんがメシを炊いていたら間違いなくそれだけでクレームになりそうです。
しかしながら、やはりこういう人に味のあるお店が、実は最高に美味いわけです。
料理一品一品の味がどうとか、そういう問題ではありません。
この空気なのです。





















私は店員の動きやお客さんの様子を見ながら、久しぶりにゆっくりと料理をいただきました。
そして、このお店を世界一の大衆食堂だと思いました。
絶対にまた来たいと思いました。
そして良いものが理解できる沢山の友人にこの空気を味合わせてあげたいと真剣に思いました。





















食事を終え、たまたまネットで「銀シャリ屋ゲコ亭」を調べてみると、食べログの口コミに「わざわざ県外から食べに来るほどのものではありません」と誰かが書いていました。
きっとこの人は良いものが理解できない人なのだと思いました。
しかしながら、良いものを理解できない人が、いくらネットに悪口を書いても、良いものを理解できる人達でお店は溢れています。
そもそもここにいるお客さんの大多数は、ネットで調べて食べにきている人達ではなく、近所のおっちゃんやおばちゃんなのです。
私は県外から来ましたが、本当に来て良かったと思いました。
わざわざ県外から食べにくる価値のあるお店だと、真剣に思いました。

知ったかぶり

山手線に揺られていますと、目の前にいるカップルの話し声が聞こえてまいりました。

男「お酒なに飲むの?」
女「ビールとかハイボールかな」
男「え?ハイボール飲むんだ」
女「うん」
男「えー、あんなの絶対無理」
女「え?ビールより飲みやすいよ」
男「そんなことないでしょ、そもそもハイボールて何なの?」
女「なにって?」
男「あれって原液なの?」
女「え、あうん、そうだよ」
男「何かで割ってあるとかじゃなく?」
女「う、うん」
男「カルピスでいう原液?そのまま?」
女「そ、そうだよ」
男「そうなんだ」

2人ともハイボールについての知識が全くないようです。
しかし彼女もなんでそこ知ったかぶりしたんでしょう。
なんで知らんなら知らんとゆわんのでしょうか。
わからんならググりなさい。
あとでバレたらアホやと思われるだけやん

2015年8月25日火曜日

ビー玉小学生のエロティシズム

地下鉄丸の内線の車内での出来事です。
小学1年生ぐらいの可愛らしい少年2人が、電車内でビー玉遊びをしています。
床にビー玉を置くと、コロコロ転がります。
それを2人はキャッキャッ言いながら追いかけるのです。
もう可愛すぎるというか、なんというのでしょうか、愛くるしいとでも言うのでしょうか、とても笑顔が可愛らしい2人の姿を見ていると、こちらまで笑顔になってしまいます。
とても微笑ましい光景でした。
電車内の全ての人が、そんな彼らを見て微笑んでいます。
しかし、彼らをよく観察していますと、ある法則に気付いたのです。
おそらくそれに気付いたのは、私だけだと思います。
彼らは、毎回毎回、必ずミニスカートのお姉さんのところへビー玉を転がすのです。
そしてお姉さんの足元まで転がったビー玉を追いかけ、チラッと股間を見ながらビー玉を拾うのです。
「な、なんちゅうチビらやねん!」
ミニスカートのお姉さん以外へは、絶対にビー玉は転がらないのですから、これは確信犯と言えます。
ミニスカートのお姉さん達は、自分の股間が覗かれている事など気付きもせず、彼らに笑顔を見せています。
なんという事でしょうか。
こんなに愛くるしい、無邪気な子供が、こんなにもエロティックな事をするのですから、人間とは恐ろしいものだと痛感致しました。

順番を守れない大人たち

とある田舎町の、行列の和食ランチ。
3000円はしそうなお膳が、先着20人は1000円でいただけるという事もあって、毎日その特別仕様ランチを求め人が並びます。
私も過去に数回並びましたが、いずれも20人以降であったために、その特別なランチはいまだに未経験でした。

先日、午前10:30、たまたま前を通りかかると行列が16人でしたので、そのまま17人目に並びました。
私より前列の奥様方は、いずれも2人連れのようで、2列になってベラベラと会話に夢中のようです。
私は本でも読んで待つことにしました。

10分ほど並んだ時に、1人のオバチャンがやってきて、私にこう言いました。
「並んでおられますか?」
はあ?並んでるに決まってるやん、他に何に見えるっちゅうねん!!!
私はそう思いながら「はい」と答えました。
すると、なにを思ったのか、そのオバチャンは、私と横並びとなるように2列に並んで立っています。
しかも少し私より前に立っているのです。
まぁオバチャンが割り込んだところで私は18人目です、特別なランチはいただけるのです。
私は気にせずに本を読んでいました。

5分ほど経過して、向こうから3人が近寄ってきます。
すると先ほどのオバチャンが手を振ってその3人を呼びます。
「こっちこっち~!」
どうららオバチャンの旦那とその子供夫婦のようです。
悪い予感がしました。
もしもこの今の状態で3人が私の前に入ると、私は21人目となり、特別なランチを逃してしまいます。
ちょ、ちょっと、、
さすがにそれは許せないので、オバチャンにこう言いました。
「すみません、ちゃんと来た順番に俺より後ろに並んでくれません?」
するとオバチャンは
「いや皆さんが2列に並んでおられたので私も2列になっただけです」
「2列でも1列でもええから俺より前に立つのはやめてくれませんか」
「いや、でも、、」
オバチャンはそう言い残し私の後方へ移動しました。その一家も私より後方に並び、事なきを得ました。
しかしなぜ後から来たくせに、何事もなかったかのように人の前に立てるのでしょうか。
どんな神経をしているのでしょう。
その後のその一家の会話を一部始終聞いてみましたが、そのオバチャンは特別あつかましいようにも感じられず、普通の人でした。
ボーッとしていて何も考えずに私の前に立っただけだったのでしょうか。
いやその前に私に並んでいるのかと聞いてきました。
ではやはり一家全員が20人以内となるように割り込んだのでしょうか。
クワバラクワバラ、ナンマイダナンマイダ、アーメン

朝食問題

ここ最近、真剣に朝食を抜くべきか悩んでいます。
これまで、朝食を抜くなんて絶対に考えられませんでしたが、ここ何回か、どうしても朝食を食べる時間かなく、結果的に抜かざるを得なかった日があったのですが、何故か食べた日との差を感じず、別に食べなくても良いのではないかと思い始めたからです。
しかしながら、これまでの私自身の朝食に対する位置づけが、空腹を満たすというものよりも、精神的な満足感を得るための行為であったことも事実なのです。
起きてすぐに食べるという行為自体に、心底喜びを感じるのです。

私にとって理想的な朝食の内容といえば、おかわり自由の白ご飯、焼魚もしくは煮魚、生卵もしくは卵料理、そしてお味噌汁かスープです。
しかしながら、どうしてもホテルでの朝食が多くなりますので、コンビニエンスストアで買ったカップヌードル(ノーマル)か、カップ天ぷらそばが一番多くなってしまいます。
昔から朝は汁物が食べたくなるのです。
これまで、パン、おにぎり、惣菜、スープ、コーンフレークなど、ありとあらゆる朝食を食べてきましたが、結局食べた後の満足感が高いのはカップヌードルか天ぷらそばなのです。
ホテルの無料朝食に関して言えば、100%の確率で食べた事に後悔します。
それ程に、満足度が低いのです。
無料なので文句は言いませんが、あれを食べるぐらいなら、コンビニで買ってきたものを食べる方が、よほど満足度は高いというのが私の見解です。
しかしながら、体に良いわけがありませんし、体重増加も気になるのは事実です。
しかも昼も夜も深夜にも食事を取る事が仕事ですので、1食でも抜けるものなら抜いておきたいというのが最近思う事なのです。
仕事として食べる昼と夜と深夜よりも、自分の意志で自分だけのために食べたいと思う朝食は、特別な意味があるものなのですが、逆に言うと仕事の成功を最優先するならば、完全プライベートな朝食は不要なものなのです。
そう悩み始めて1ヶ月が経過しましたが、悩みながら今はまだ嬉しそうに朝食は食べているのですが。

タバコ

「あれ?タバコやめたん?」
「タバコ?タバコって何やったっけ?」

もうこんな会話を何度繰り返したでしょうか。
私がタバコを辞めるなんて誰が想像したでしょう。
自分でも、まさか将来タバコを辞める事になるなんて想像もしませんでした。
辞める気なんてサラサラありませんでしたし、また辞める自信も全くなかったのです。

ところが、タバコを辞めてから、もうかれこれ3か月が経過しましたが、一番多くの禁煙者が断念すると言われている魔の100日目も無事に過ぎました。
この間、禁煙の為の努力というものは一切しておりません。
禁煙治療、禁煙パイポ、禁煙ガムなど、何にもせずに辞めたのです。
しかも、辞めるまで一番気にしていた手持ち無沙汰や間の持たせ方の心配は皆無といった方が良いかもわかりません。
別にタバコがなくても間はもっていますし、手持ち無沙汰など一度も感じた事はありません。
口が寂しいなんて1回も考えませんでした。
まるでこれまでの人生の殆どを喫煙して来た事が嘘のような、ずっとタバコには無縁だったような、そんな生活を送っているのです。

4ヶ月前、急に発熱し、その原因がわからないままに、日々解熱剤を飲んでは仕事をし、数週間が過ぎようとしていました。
市販の痛み止めや、歯科医でもらった解熱剤を、熱が上がると飲み、下げては仕事をする、そんな生活だったのです。
薬によって熱を下げるという行為は、あまり良くないと聞きますが、毎日が39~40度という高熱でしたので、しんどい等というレベルを越えた倦怠感と、やる気というやる気を全て失い、なにもせずに寝ておきたいという心境に陥るものでしたので、仕事をこなすためにも、毎日の解熱剤は必要だったわけです。
この期間は、もちろんタバコも美味しくはありませんでした。
そんな時、10年前に禁煙したという人の話を聞く機会がありました。
その人は、禁煙に3ヶ月も要し、苦労して苦労して、やっと禁煙に成功したらしく、もうあんな苦労は2度としたくないので、絶対にタバコは吸わないと決めているそうです。
その話を聞いた時に思いました。
「今の私なら何の苦労もなく辞めれそう」
実際に毎日高熱でしんどくて、タバコなんて1日に数本程度しか吸っていませんでしたし、いい機会だと思いその日から、私はタバコを吸うのを辞めたのです。
でもいつ禁煙を辞めるかも知れないので、1箱は未開封のタバコを常時携帯していました。
そしてタバコを辞めてから1度も吸いたいとは思わまいままに、今日に至るわけです。
これはもう完全に禁煙に成功したと言ってもいいのではないでしょうか。
いや、そろそろ良いと思うのです。
1回だけタバコを吸ってしまう夢は見ました。夢です。
1回だけ電車の待ち時間に喫煙室へ向かって歩いてしまった事もあります。引き返しました。
先月からホテルも禁煙室を予約していますし、レンタカーも禁煙車を選んでいます。
もうすっかり禁煙に成功したと言って良いと思います。

後方が全く気にならない人

先日、特急列車の切符を買うために、出雲市駅の自動券売機へ並んだ時の事です。
カードが使用可能な券売機は1台しかありません。
地味な30代ぐらいの女性が買っているその後方に並びました。
特急列車の発車時間までは10分ぐらいあります。
3分ぐらい待ったでしょうか、なんとなく前の地味な女性がトロいんちゃうかという嫌な予感がします。
手の動き全部は見えませんが、なんとなく機械に不慣れなのか、それとも悩みながら購入しているのか、ボタンを押すスピードも遅く、かなり時間がかかっているようです。
わからないのであれば、なぜ窓口で買わないのでしょう。
5分が経過しました。
さすがに発車時間が気になります。
すると自動券売機から「切符をお取りください」という音声メッセージが聞こえてきました。
ようやく発券されたようです、ホッとしてカバンから財布を取り出し、前の地味な女性が離れるのを待ちます。
ところが女性は一行に動きません。
「はぁ?なにをしとんねん!」
どうやらバックから取り出した財布などをしまっているようです。
なぜ後方に人が並んでいるのに、平気でこんな事ができるのでしょうか。
横からチラ見すると、先ほど購入した切符をバックから取り出した手帳のようなものに挟んでいます。
どうやらこの人は、今すぐ電車に乗るのではなく、数日後の切符を買いに来たようです。
私はあと4分後の特急列車の切符を買いたいのです。
「ゴホッゴホッ」
「はよせーやボケ」という意味をこめて咳払いをしてみます。
全く動く気配がありません。
もう一度チラ見すると、携帯電話に差した充電器らしきものを外し、バックへしまっています。
「はぁぁぁ?」
この人は、後方に人が並んでいる事に、今だ気づいていないのでしょうか。
気づいているのに、こんなゆっくりしているのなら、単に意地悪をしてストレスを発散しているとしか思えません。
しかし先ほどからゴホッゴホッとわざとらしい咳払いをしていますので、絶対に気づいているはずです。
ひょっとしたら耳が不自由なのかも知れません。
それなら仕方ありません、仕方ありませんが、だからといって、切符を買い終わっているのに、ノロノロ機械の前に立って、後方に並んでいる人たちの購入を邪魔をして良いわけはありません。
「まだすか?」
発車まであと3分となったので、声をかけてみます。
すると何事もなかったように去って行きました。
こちらの問いかけにも一切答える事もなく、完全に無視して去って行きました。
「今すぐ死んでくれたのむから」
心底そう思いました。

2015年7月1日水曜日

O型

人に甘えたいのに甘えられない。
甘え方がわからない。
本人は甘えてるつもりなのに、まわりから見たらケンカを売ってるようにしか思えない。
内弁慶で、身内にはとことん偉そうなのに、一旦外へ出ると、別人のようにおとなしい。
プライドが高く、絶対に自分からは謝れない、謝りたくない。
家が散らかっている事に気づかない。人からそれを指摘される事を極端に嫌う。片付けられない。
片付けられないと思われたくない。
賞味期限を気にしない。
1週間ぐらいオーバーしても良いと思っている。
人に気を使うあまり、遠慮をしてしまう。その遠慮をすることで、相手に不快感を与えてしまっているとしても遠慮をしてしまう。
もしあなたの周囲にこのような人が居たら、それはO型の人です。
死んだうちのオカンはO型でした。
しかしこういうO型の特長を把握しないでオカンと接していたため、よくケンカをしました。
こういったO型の特長をきっちりと把握して、O型との人間関係を良好に保てるように、是非役立てていただきたいと思います。
アーメン

ドアから誰かが入ってくる

毎月のように、ホテルの部屋で過ごしている時、ガチャガチャと鍵を開けて人が入ってきます。
毎月です。しかも毎回異なるホテルです。
今月は大阪、九州、千葉の3軒のホテルで各1人、合計3人入ってきました。
おそらく、勝手に部屋に人が入ってくる数でいうと、この世で私が一番多いのだと思います。
毎回ドアが開くタイミングで「おい!」と叫びます。
すると毎回、どのホテルでも「申し訳ございません!」と言って、出て行ってくれるのです。
入ってくるのはいつもホテルの従業員だからです。
朝の掃除のオバチャンの場合は「申し訳ございません」とは言いませんが、いずれにしても申し訳なさそうに出て行ってくれるのです。
私は基本的に、部屋ではほほ全裸ですので、驚いているのはいつも向こう側です。
掃除のオバチャンは大笑いで出て行きますが、若い女性スタッフの場合は、本当に申し訳なさそうに、後でまた謝罪に部屋まで来たりと、なかなか大変です。
あまりにも多いので、数ヶ月前からチェーンロックもするようにしています。
それでもガチャガチャと入ってくる人が絶えないのは一体何故なのでしょうか。
そもそも掃除のスタッフ以外にも、結構な頻度で従業員が部屋に出入りしているものなんですね、次誰か入ってきたら、どんな理由で来たのか、聞いてみます。

バイバイ

バイバイと言いながら、手を左右に振る動作をバイバイといいます。
街を歩いていると、よくオバチャンがバイバイしているシーンを見かけます。
しかし本来のバイバイとは、グッバイのバイバイなので、別れ際にバイバイして欲しいものなのですが、見かけるバイバイはいつも出会った時のバイバイなのです。
大きな違いは、帰る時のバイバイの場合、手のバイバイの動作と同時に「バイバーイ」と言うのですが、出会った時のバイバイは、手でバイバイの動作、口では「わぁぁーーい」とか「きゃぁぁあああ!」など、出会った時の言葉を使うのです。
何故、今出会ったばかりなのに、バイバイの動作か必要なのでしょうか。
これは見るたびに思います。
今度見かけたら声をかけて、なんでバイバイしているのか聞いてみたいと思います。

ストレスホテル

毎月毎月10~20軒のホテルに泊まっていますが、いずれも格安ホテルを基本としているがために、やはりストレスと戦いながら宿泊する事になります。
格安なので、ある程度のストレスは仕方ないわけです。
我慢して泊まるしかないのです。
しかしながら、その日は何とか我慢はしたけれど、次回からはもう絶対に泊まりたくないホテルもあるわけです。
今日はそんなホテルを紹介したいと思います。

・幽霊ホテル
その町では誰に聞いても知っている噂の幽霊ホテル。
各地方に必ず1軒は存在しています。
色々なんやかんやと起こるので、寝不足になり翌日大変です。
ネタの収集には大変助かりますが、体調を崩す場合もありますし、実際怖い思いをしますので、次回からは避けたいところです。

・的外れホテル
楽天トラベルの口コミに書いてある事が、全て的が外れすぎていて笑ってしまうホテル。あれは完全にサクラでしょうね。
一度驚いたのは、風呂に水を貯めるための固定タイプの水道の蛇口の先が、浴槽に完全に密着しており、蛇口をひねると水が四方八方に飛ぶのです。当然ですが浴槽に水を貯めるのに1時間以上かかってしまいました。
しかも24時を過ぎるとお湯が止まり、水しか出ません。
完全に風邪をひきました。
そのホテルの口コミは「女将さんがとても良い方でほのぼのしました」的なものばかり、いくら良い人でも設備がこれなら2度と泊まりたくはないです。

・汚れホテル
カーペット、カーテン、冷蔵庫、湯沸しポット内部、珈琲カップなど、キチンと清掃されていないホテル。
浴槽や水周りがキチンと清掃されてないホテルもよく遭遇します。
特に歯磨き粉などの汚れが、浴槽についたままのホテルなどは、もう絶対に泊まらんと決断してしまいます。
また湯沸かしポットに水を入れている際に、中にゴミが浮いていたりすると、完全に客をナメてるのだと思ってしまいます。
先日、テレビで中国の高級ホテルの掃除を隠し撮りしていて、便器を拭いた雑巾でコップを拭いていましたが、実際それぐらいの事をどこでもやっているのかもわかりません。
もう無茶苦茶ですわ。
信用できませんもん、他人なんか。

・柔らかホテル
ベッドが柔らかすぎるホテルは、寝たら寝るほど身体がおかしくなります。
安物のベッドが劣化し、完全にヘタってしまっているのですから、柔らかくて当然です。
こんなホテルに泊まっていると、いつまで経っても腰痛が治るはずはないのです。

・鳥肌ホテル
クロス、カーペット、カーテン、掛け布団カバー、窓、窓枠、ドア、全てが汚れているホテル。
全てが汚れているのです。
全て触れば手が汚れるのです。
唯一、シーツだけがクリーニングされたような形跡が見受けられます。
おそらく、シーツの下にはダニが数千匹いるのでしょう。
もう鳥肌もんです。吐きそうになります。

・サウナホテル
各部屋の空調が、それぞれに調節できないホテル。
唯一風量のみが調節可能。
真冬に暖房、真夏に冷房、これなら理解できるのですが、春や秋などの微妙なシーズンは、暑い日もあれば寒い日もあるのです。
しかも冷え性や暑がりなど、個人差もあるのです。
なのに全室が同じ温度設定というのは理解できません。
しかも何故かこういうホテルに限って、窓が開かない構造になっているのですから、もう2度と泊まりたくないと思ってしまうのも納得できるはずです。

・薄っぺらホテル
設置のタオルが何万回も洗濯しているために、ぺらっぺらの薄っぺらくなってしまっているホテル。
貧乏くさすぎて悲しくなります。

・排水口詰まりホテル
浴槽でシャワーを浴びていると、排水口が詰まっているためたお湯がどんどん溜まってくるホテル。
排水口ぐらいは掃除して欲しいところです。

世の中には様々なホテルが存在します。

外人のオッサン

英会話が少し出来る人は、外国人と遭遇した際に、やたらと会話をしたがる傾向にあります。
英会話ができるのだから、別に喋って当然ですし、特別どうのこうの言う事でもないと思うのですが、会話した後に、やたらと満足気な顔を見せるのです。
きっと、自分が外国人と会話できた事に対する満足感や達成感を味わっているのでしょう。
しかしながら、たまたま話す言葉か違うだけで、向こうはただのオッサンです。
ただのオッサンと喋って、何が嬉しいのでしょうか。
つい先日、快速成田エアポートに乗っている時の事です。
おそらく東南アジア系だと思うのですが、真面目そうな40才ぐらいのオッサンが、何やら雑誌のようなものを持って、乗客に話しかけています。
何かわからない事でもあるのでしょう。
しかしながら、さっきから話しかけるのは、決まってキレイめな若い女子ばかりなのです。
彼女は英会話が堪能なのか、スラスラと笑顔で答えています。
相当ややこしい事を聞いているのでしょうか、そのうち女子の隣に座り込んで、まるで恋人のように2人でその雑誌を覗き込むように顔を近づけ、彼女が英語で説明する何かを聞いています。
少しして、その彼女が電車を降りてしまいました。
オッサンは、他の乗客には目もくれず、自分の席に戻りました。
他の乗客は、オッサンとオバハンばかりです。
すると向こうは側のドアから、またこ綺麗な若い女子が乗って来たのです。
オッサンはすぐさまにその女子の元へ駆け寄り、先程の雑誌を広げて、映画で話しかけています。
「ただのナンパかいっっっ」
この車両に乗っている乗客の大半はそう思ったはずです。
寝ている人は別として、みんな彼の不審な動きをジッと見つめています。
話しかけられた女子は、ナンパだとは思わずに、真面目に答えています。
しかしその女子が降りると、オッサンやオバハンにはまた一切何も聞こうとはせず、また別の若い女子が乗ってくるのを待っているのです。
「わしらに聞かんかいっ!わしらに!!」
しかしながら、彼は絶対にオッサンやオバハンへは聞こうとはしません。
徹底しているのです。
どんなけやらしい外国人やねん。
また乗ってきた若い女子の元へ駆け寄りました。
しかしながら今度の彼女は、英会話が苦手なようです。
オッサンは適当に軽くあしらわれ、トボトボと席へ戻ってきました。
われわれ乗客一同は全員がすう~っとしました。
これでいいのだ。

ボーリング場がない街

「この街はなんもないからね、映画館もボーリング場もなくなったし、子供達が遊ぶ場所もないんです」
田舎街へ行くと、よくこんな声を耳にします。
つい先日も、人口20万人ほどの田舎街の大衆食堂で食事をしていると、店主やその奥さんと、この話になりました。
「昔はボーリング場も映画館もあったんですけどね」
奥さんは言います。
しかし、なくなったのには理由があるはずです。
結局のところ、儲からないから撤退したのでしょう。
住民が、毎週ボーリングをしに行っていたら、多分いまも残っているはずです。
みんなボーリングに飽きて、誰も行かなくなったから潰れたわけです。
映画館も同じです。
誰もボランティアではやってくれませんから、やはり商売にならなければ撤退して当然の事なのです。
今後、ラウンドワンの出店計画もなさそうですし、以前大型のショッピングセンターの計画の中に、映画館の話もあったそうですが、それも立ち消えたといいますから、ボーリング場も映画館も、この街にニーズはないのでしょう。
大半の人は、別にイランのです。
そういうところを、開発担当がキチンと調べ上げて、この街に出店しても儲からないと判断し、きっと出店しないのだと思います。
ちゃんと理由があるのです。
そんなにボーリング場が欲しいのなら、みんなで出資し合ってボーリング場をオープンさせればいいのです。
まぁ、この店主も奥さんも、見ず知らずの県外から来た客との、ただの会話なのでしょうから、ここまで真剣にならなくても良いのでしょうが。

終わりのないBEN

数あるBENの中でも、最もストレスが溜まるBENと言われているのが「終わりのないBEN」です。
終わりのないBEN、すなわち出口の見えないトンネルのようなもの。
正確に言うと、終わりの見えないBENと言った方が良いのかも知れません。
いつかは終わるのでしょうが、それが一体いつなのか、想像すらできないわけです。
いつまで続くのか、そしていつになったらこの狭い空間から出る事ができるのか、誰にもわかりません。
それどころか、自分がここから爽やかな気分で、笑顔で出ていく姿が、全くイメージできないわけです。
終わりとは、すなわち「きっかけ」のようなものですから、きっかけさえ見えれば、そこでとりあえず中断させて、出ていく事も可能なのですが、きっかけが見えないから「終わりがない」と思えるのでしょう。
水泳でいう息継ぎ、ブレス、テレビだとコマーシャルのようなもの、それが「きっかけ」です。
一般的に、早BENと言われる人達は、この「きっかけ」1つ単位でBENを中断し、出てくるから早いのです。
遅い人は、次の「きっかけ」まで、次の「きっかけ」までと、2~3回の「きっかけ」を待っています、そして全部出してから出ようとします、だから遅いのです。
終わりの見えないBENの場合、この「きっかけ」が全くないわけです。
きっかけがないので、中途半端なところで、強制的に中断しなければなりません。
そうなると、BEN自体を無理矢理肛門で切ってしまう事も充分考えられます。
そうする事で、普段よりも肛門の汚れが増すことになり、ウォシュレットではない場合等は、拭いても拭いても綺麗にならないという負の連鎖を引き起こしてしまうわけです。
一般的に、きっかけの部分はBENが切れている、または分裂、または細くなっているものです。
だからきっかけが作りやすいのです。
終わりのない、きっかけのないBENの場合、まだまだ出そうな気配があるにも関わらず、出ないのです。
なので肛門も気を抜けないわけです。油断できないのです。
そんな状態で長々と時間だけが経過するものですから、終わりが見えないという心理となってくるのでしょう。
終わりのないBEN、本当に厄介なヤツです。
これからは、終わりのないベンジャミンライナスと呼びます。

愛想笑いグループ

まだ知り合って間もない人には、やはり気を使います。
ある程度の人間関係が構築されないと、相手へどこまで踏み込んで良いものかが、わからないからです。
この気を使う期間の長さが、短い人もいれば長い人もいて、なかなかすぐには溶け込めない人を、人見知りというのかも知れません。
一般的に、まだ気を使っているうちは、相手がくだらない冗談を言っても、愛想笑いをして切り抜けます。
人間関係が構築されてないうちから、スルーはできないからです。
当然、気を使っているわけですから疲れるのですが、この愛想笑いというものが、精神的にも肉体的にも、最も疲れる行為と言えます。
基本的に愛想で笑うわけですから、面白くないのです。
いや、下手をしたら腹立たしいかも知れません。
それを笑ってあげるのですから、疲れて当然といえます。
先日、とある居酒屋で1人飲みをしていた時の事です。
隣の席に大学生の4人グループが座りました。
彼らは、おそらく4人共に、出会って間もない関係なのでしょう、全員が愛想笑いをしながら会話しているのです。
正直言って、笑える会話は何一つありませんでした。
だからわざわざ笑ってあげる必要もなかったはずなのです。
なのに今後、新たな人間関係を構築したいという気持ちの表れなのか、どんな話にも常に愛想笑いをするのです。
しかもその愛想笑いが、誰が聞いても愛想笑いとわかる、下手くそな愛想笑いなのです。
隣で聞いているだけで、とても疲れます。
あんな愛想笑いのグループに属して、楽しいのでしょうか。
私の場合は、非常に愛想笑いが上手いので、相手に愛想笑いだと気付かれた事がありません。
だから相手は、ウケていると勘違いして、どんどん気持ち良くなって、どんどん喋ります。
実はこっちは愛想笑いなので、実際は疲れるのですが、ビジネスや、良好な人間関係を築きたい場合などは、これが最も良い結果を生むのです。
しかしながら、そこまで徹底しているのならまだしも、あんな下手くそな愛想笑いをするぐらいなら、いっそのこと真顔で「おもんない」と言ってくれる方が良いと思うのですが。
まぁ、人生は自由なので、どんな付き合いをしようが勝手なのですが。

きっかけを作るだけの人

人は皆、様々な「縁」によって巡り会い、人間関係を築いて行きます。
縁は運命なのでしょうか。
とにかくきっかけがないと、人との出会いもないわけです。
人は必ず、何かしらのきっかけがあって、出会うものなのです。

私は、様々な人の出会いの「きっかけ」となる事が、何故か昔から多いように思います。
とにかく私は、すぐに誰とでも仲良くなります。
そして仲良くなったらすぐに他の友人を紹介します。
これは今に始まった事ではなく、昔からなのです。
このような事の繰り返しで、私を通じて出来た縁というものは、おそらく1000以上はあるのではないでしょうか。
そして何故か、紹介した人同士が、物凄く仲良くなるのです。
ひょっとしたら、私には、物凄く相性の良い人同士を、引き合わせる才能があるのかも知れません。
そしていつも感謝され、取り残され、単にきっかけを作っただけの人となるのです。
本来なら、単に引き合わせるだけではなく、皆で仲良く遊びたいから紹介するのです。
なのに気がつけば皆、私1人を置いて、黙ってどこかへ行ってしまうのです。
そしてたまに会うとこう言われるのです。
「殿のおかけです、ありがとうございます」
お礼なんて言われても嬉しくはありません。
しかしながら、こういった人達は、1組や2組ではなく、何百組もいるわけです。
ここまで来てしまうと、さすがに私に問題があるとしか思えないわけです。
いやきっとあるのでしょう。
でないと説明がつきません。
きっと私とは、浅い浅い、物凄く浅い関係の友人にはなれるけれど、深いところまでは付き合いたくない人物なのです。
自分ではわかりませんが、きっとややこしいのでしょう。
今度誰かに聞いてみます。
こんな事を夜中に書いていたら、なんとなくナーバスになってきました。
酒でも飲みに行ってきます。

2015年6月30日火曜日

殿のBlog

先日、大阪堺の友人から
「殿のBlog10周年ちゃうの?おめでとう!」
というメッセージをいただきました。
ちょうどlivedoorがBlogサービスを開始した10年前、全国の中小企業の社長ばかりが所属する東京のとある勉強会(異業種交流会)に参加していた当時「これからはBlogが来る」と誰かが言い出した事から、livedoorでBlogを書き始めました。
当時はみんな何を書いて良いのやらわからず、まだBlogというものの方向性や可能性もよくわからないままに、何故か殆どの人達が社長カテゴリでBlogを書いていたように思います。
殿のBlogも何故か社長カテゴリで書いておりました。
記念すべき第1回目の記事は、JR姫路駅地下のたこ焼屋さん「タコピア」でした。
その後は、毎食の食べたものや、日々の出来事を事細かく書くようになりました。
当時は、殿のBlogではなく、本名の○○○○のBlogという名前でしたので、いろんな人に毎日どこで何をやっているのかが筒抜けとなってしまい、様々な弊害が生じはじめます。
そこで、Blog名をその当時呼ばれていた殿のBlogとし、内容も食べたものを主に書くように、また1日3食書いていたのを、1食だけ書くように変更したのです。
またその半年後に、livedoorBlogランキングで、ホリエモンを抜き3位になってしまった事から、本当に周囲の人みんなが見るようになってしまい、食べたものを当日書くのではなく、1週間から10日後に書くように変更致しました。
そうしないと、お客さんからの会食のお誘いを断った翌日など、大変ややこしい事態が起きるようになってきたからです。
当時は1日5000~8000アクセスはありましたから、どこの誰が見ているかわからないという危機感に怯えていたわけです。
まだ食べログすら始まっていませんでしたから、読者の方達は殿のBlogを参考に食事に出かけるようになりました。
そして訪問したお店の店舗データを記入して欲しいとのリクエストを多数もらうようになり、店名、住所、電話、営業時間、席数、駐車、アクセス方法などを書くようになったのです。
サイドバーに、忍者ツールか何かの「殿とちょっとチャット」というチャットスペースを設けた事もありました。
これは、私がパソコンを開いて、殿のBlogを開くと同時に、閲覧者にわかるようになっていて、誰でもが私とチャットできる仕組みになっています。
毎日毎日、時間に関係なく何十人という人がチャットで話しかけてきました。
その度に丁寧に質問や問合せに答えていたのです。
しかし、掲載している飲食店の電話番号や定休日の問い合わせや、営業時間の問い合わせなどを、私にチャットで聞いてくる人達がかなりの多く、そんなものは本来自分で調べるべきであって、ワザワザ私が答える必要なんてなかったのですが、丁寧に答えていたのです。
ある日「三宮の○○ていうケーキ屋さんの番号おしえて!」「はやく!」「まだ?」とメッセージが入った時は、さすがにチャットは閉鎖しました。
その後、飲食店の悪口を、その店の記事のコメント欄に書き込む人が多いという理由で、コメント欄も削除しました。
「いつまでやってるん」
「なんで辞めへんの」
「なんのためにやってるん」
何のために続けているのか、みんな気になるのでしょう。
継続している事を何故かよく否定されます。
また、何を食っても美味い味音痴であるとか、記事がコピペで手抜きであるとか、散々陰口や悪口を言われ続けてきましたが、一応10年間も続いた事に感謝し、いつか辞めたくなるまでは続けていきたいと思います。

2015年5月28日木曜日

恋する2人

京葉線に乗っている時、55~56歳のカップルが乗って来ました。
ちょうど2人並んで座れる席がなく、2人は向かい合うカタチで座ります。
彼氏らしきオジサンは私の横に、その彼女らしきオバサンは私の向かい側に座っています。
彼女はしきりに彼氏に何かを話しかけています。
声には出さず口バクで話しかけるのです。
その表情は、とてもイキイキとしていて嬉しそうに見えます。
まるで付き合いい始めた高校生のカップルのようです。
「好きなんやろなぁ」
もう誰が見てもそう思うはずの2人です。
何駅かが過ぎ、彼女の隣に席が空いたので、彼氏が席を移ります。
座ってすぐ2人は手をつなぎました。
歳はとっていますが、とても仲の良い2人です。
少しすると、彼氏が眠り始めたのです。
彼は疲れているのでしょう、本格的に眠ってしまいました。
彼女はというと、同じように目を閉じて眠ったかのように見えるのですが、時たま目を開けて嬉しそうに彼氏の顔を見てまた目を閉じます。
その彼氏を見る表情が、もう彼氏が好きで好きでたまらないという表情なのです。
見ていてこちらがほのぼのとしてきます。
微笑ましいのです。
彼女は何度も何度も目を開けては彼の顔を見て、また眠ったふりをするのです。
「別に寝るふりせんでもえーがな!ずっと起きときーな!」
と言いたくなるのですが、彼が急に目を覚ました時に、目が合うと恥ずかしいのでしょう。
なんという可愛らしい人なのでしょうか。
この2人はきっと夫婦ではないはずです。
そんなものは見ればわかります。
この歳になってこんなラブラブな夫婦なんてあり得ないからです。
いや絶対かというと絶対ではありませんが、その確率は0.158%以下ではないでしょうか。
もし夫婦だったとしたら、拍手を送りたいと思います。

バスの運転手

熊本空港からJR熊本駅を目指すバスに乗った時の事です。
運転手はとても声が小さく、時折マイクで何かを言うのですが、サッパリ聞き取れません。
滑舌も物凄く悪い人のようです。
まぁ別になにを言っているのかなんて興味がないので、そんな事は気にせず、いつもの通り、PCを開いて映画を見ることにしました。
熊本交通センターに着いた時、結構な数の人が降りていきました。
熊本駅はもうすぐです。
熊本駅でも大勢の人が降りるはずです。
「次降ります」ボタンなど、誰かが押してくれるでしょう。
また私は集中して映画を見ておりました。
ふと頭を上げると、バスは熊本駅を通過しています。
「え?うそやろ」
振り帰るとバス車内には誰も乗っていません。
完全に私1人です。
どうやら交通センターで、私以外の全員が降りたようです。
「ちょ!ちょー!止めてーな」
私はすぐに運転手に言います。
「いえ止められません」
聞き取りにくい小さな声で運転手が答えます。
「止められませんちゃうがな、いまここで止めたらえーねんて」
「いえ、停留所でしか止められません」
「まじめか!止めろや!」
「それは不可能なのです」
「てかいま信号で止まってるやん、降りるわ」
「いいえ、危険です」
「なにが危険やねん」
「もし事故に合われたら」
「なんで止まってるバスから降りるのに事故にあうねや」
この声の小さな運転手は、やたらとまじめなのでしょう。頑なに途中下車を拒否ってきます。停留所以外では降ろしてくれそうもないのです。
「ほならわかったわ、次の停留所てどこやねん」
「5kmほど先になります」
「はあ?そこから歩けと?」
「一応決まりですので」
そんな決まり事なんてどうでもいいわけです。
まず熊本駅の次の停留所は、バスの倉庫的な場所らしいのですが、そもそもそんなところで降りる客がいるはずがないのです。
客は熊本駅で絶対に降りるものなのです。
熊本駅で降りない客は怪しいのです。
寝ているか、映画に夢中になっているかなのです。
なんでそんな基本的な事に気づかないのでしょうか。
わかっているのにストレス発散のために、あえて黙って見逃しているのしょうか。
そして焦った客の顔を見てほくそ笑んでいるのしょう。
そういう事を考えていると、だんだんと腹が立ってきました。
「運転手さんの個人的な意見を聞かせてーな」
「はい?」
「自分が後で歩いて帰る道が、どんどん長くなっているのを、黙って見ている事の虚しさ、理解できんか?」
「いえ、できるんですけども、、」
「できるんけ、理解できるんやな」
「はぁ、まぁ」
「ほなら次の信号でドア開けろや、内緒にしたるから」
「それはできません」
「はあ?どんなけ真面目やねん!」
もうこの運転手は止まる気はさらさらないのでしょう。
何を言っても通じないようです。
「おの、お客さん」
「は?」
「帰り、バスを使われたらいかがでしょうか?」
「は?」
「バスを使われたら楽なのではないのでしょうか?」
「楽かしらんけど、それ自分とこの営業やん、絶対に嫌や」
「そういう意味じゃ、、」
「タダやったら乗ったるわ、なんで金払ろて乗らなあかんねや」
腹が立っているので、何を言われても腹が立ってきます。
結局、運転手は、最終の停留所の何故か少し手前で降ろしてくれました。
最後の最後で少しだけルールを破ったのです。
最後の最後になって結局ルールを破って停留所以外で降ろすのであれば、もっと最初に、こんなところまで来る前に、降ろしてくれても良かったんじゃないのかと、真剣に思いました。
でも彼なりの、精いっぱいのルール破りだったのかも知れません。
彼なりに頑張ってくれたのです。

自転車を押す少女

先日、駅からトボトボと歩いて帰宅しておりますと、私の斜め後ろを同じようにトボトボとついてくる女子がいました。
彼女は何故か自転車を押しています。
自転車なんて乗るためのものです。
わざわざ押すぐらいなら、無い方がよっぽど楽です。
もしかしたら私が邪魔で通れないのしょうか?
それはさすがに申し訳ないので、気を利かして道を譲ってみました。
すると彼女は何も言わず、私の少し前を歩き始めたのです。
しかしながら、いまだに自転車はおしています。
「はあ?いつまでおすねん」
ひょっとしたらパンクでもしているのでしょうか、いやチェーンが外れているのかも知れません。
いずれにしても、何らかのトラブルにより、彼女の自転車は操縦不能状態なのでしょう。
そうじゃないと、こんなにいつまでも自転車を押している女子がいるはずがないのです。

それから5分は歩いたでしょうか、彼女はいまだに私の少し前方を自転車を押しながら歩いています。
次の交差点に差し掛かり、急に彼女か立ち止まりました。
「ん?」
すると彼女はおもむろに自転車にまたがり、立ち漕ぎで猛スピードで行ってしまったのです。
「え?え?なんで?」
私は呆気に取られ、その場に立ち尽くしています。
彼女の背中がドンドン小さくなっていきます。
そしてついには見えなくなってしまったのでした。
何のためにここまでずっと押し続けてきたのでしょうか。
そしてなんでここからは立ち漕ぎなのでしょうか。
全く意味がわかりませんでした。
「どないやねん!」
誰もいない夜道、結構大きな声で言ってしまいました。

2015年4月19日日曜日

死の覚悟

もうかれこれ10日間以上、毎日38~39度の高熱が続いております。
たまたま歯医者でもらった薬を飲んだら熱が下がったので、普段通りの暴飲暴食の生活をしておりましたが、さすがに薬も底をつき、熱も下がらず、そろそろ不安になってきたので、昨日たまたま通りかかった大阪堺東の病院へ行ってきました。
血液検査の結果は来週との事なので、東京帰りに寄ることにしました。
担当医いわく腎臓が怪しいらしく、下手をすると入院などと恐ろしい事を言われてしまいました。
母親の死因が腎臓だったことと、23歳の時に占い師に言われた50歳で死ぬという2つの記憶が脳裏を過ぎります。

((((;゚Д゚))))))) ヒイィィィ

さすがに怖くなって担当医に言いました。
「ちょ、ちょーまってーな嘘やろ」
「いやいやホンマです」
「オカン腎炎で死んだんやで」
「遺伝は充分あり得ます」
「ほな俺も死ぬて?」
「あり得ます」
「えーえーえー」

確かにオカンも発症時はこのような症状で「しんどいしんどい」と言っていました。
まぁずっと50で死ぬなどとネタにし笑いを取って生きてきたわけですし、しかもまだあと2年もあるわけです、ある意味あの占い師が正しかったのなら仕方ないのかも知れません。
ただ母親は発症から数ヶ月で死んでしまいました。
私は今発症してあと2年もあるのは不自然です。
ということはこれが死因ではないのかも知れません。
可能性があるなら少しでも生きたいので、生活を改める事にしました。
3.5時間だった睡眠時間を7~10時間に増やしました。
(安物のホテルのベッドは柔らかすぎで腰痛が問題なのですが、ひょっとして腰痛で死ぬとか?)
シャワーではなく湯船に浸かるようにしました。(なんとなく長生きできそうなので、それに発熱で寒いし)
煙草は1箱以下に減らしました。
(やめてもいいとさえ思えてきました、おいしくないんですもん実際)
酒は断れる相手には断るようにしました。
(断って雰囲気を壊すのは最低だと思います)
食事は食べてもこれまでの半分以下にしました。
実は、単純にタバコも酒もメシも全く欲しくないので、一切苦痛ではないのです。
いや逆にイランのです。
全く興味ないのです。
但し、それで付き合いが悪いと思われる事は避けたいので、あくまでも自己努力といったところでしょうか。
興味あるフリは今後も続けます。
しかし、これまでの私の人生の象徴でもあった「暴飲暴食」という言葉は、封印せざるを得ないようです。

2015年3月27日金曜日

姫路駅

JR姫路駅が大きく変化しつつあります。
プリエやプリモやらという、やたらプリプリしたネーミングのショッピング施設が出来たり、駅前のロータリーが西側へ移動し、駅ビル自体も派手で粋なデザインとりなりました。
しかし駅の機能として便利になったかというと、殆ど変わりはありません。
改札は、以前と同様に中央改札と東口改札しかありませんし、ホームへ上がる階段も増えていません。
特に新幹線の改札からは1ヶ所しかホームへ上がるところがなく、1号車や16号車に席を取ってしまうと、恐ろしいほどに歩かなければならないのです。
ちょうど16号車の位置がハーベスト学園のあたりでしょうか、そちら方向から歩いてきた場合、ものすごく嫌な気分になるのです。
いっそのこと、東は旧朝日橋の筋、西は将軍橋の筋までを姫路駅ビルとし、新たに改札をその付近に作ってはどうでしょうか?
姫路駅ステーションビルを横へ長くする訳です。
新幹線ホームは、1号車と16号車のあたりに階段を作り、3ヶ所から上がれるようにします。
こうなると非常に便利です。
新たな改札から今の駅ビルまで、駅ビルを長くしますので、そこへテナントをガンガン入れて、ショッピングセンターを作るのです。
当然、新たな西口、東口周辺には、人が集まるようになり、新たな街ができるでしょう。
駅を長くする事で、駅前、駅南と呼ばれる地域もグッと増えます。
ちなみに現在は、東側と西側の高架下は柱だけで何もありません。
あんな空き地にしているぐらいなら、是非全部駅ビルにしていただきたいものです。

声が小さい

近鉄電車に揺られている時、左側隣のカップルの楽しそうな笑い声が聞こえてきました。
まだ付き合い始めか、それこそまだ付き合うまではいっていないながらも、今後そういう展開になる2人なのかは知りませんが、いずれにしても楽しそうな笑い声です。
しかし、聞こえて来る会話はほんの一部だけで、98%は何を言って盛り上がっているのかはわかりません。
「どんなけ声ちいさいねん!」
別に聞きたいわけではありません。
正直何を喋っているのかなんてどうでも良いのです。
どうでも良いのですが、隣に座っているのに聞こえないというのは声が小さすぎて心配になります。
その証拠に、向かい側の3~4人斜め向こうのカップルの声はハッキリ聞こえています。
距離にすると2~3mは離れているのにです。
なのにすぐ隣のカップルの声はほとんど聞こえないのです。
向かいに座ってる女子の、イヤホンから漏れる音楽は聞こえているのにです。
しかも、カップルなのだから、せめてどちらか1人の声が聞こえてきてもいいはずなのに、どちらの声もほとんど聞こえないのです。
あまりにも気になるので、目を閉じ、呼吸を最小限にし、心臓の鼓動を60%まで減らし、血液の流れも半分以下にし、右側の耳の機能を完全に停止し、左側の耳を少し膨張させ、さらにそこに全神経を集中させ、邪念を全て捨てた状態で、彼らの話を聞いてみました。
すると話している2人の向こう側の人の呼吸が聞こえてくるのに、2人の声はほとんど聞き取れなかったのです。
2人は決してコソコソ喋っているわけではありません。
2人とも本当に声が小さいのです。

声が小さい人は確かに存在します。
しかしそのほとんどは、人から注目を浴びたいという邪念から、あえてボリュームを落としている人達です。
大きい声も出るくせに、わざと小さくしているのですから、だいたいは嫌われています。
また相手が聞こえ辛いのではないかという配慮が出来ない、自己中心的な人も同じです。
自分の事しか考えていませんから、当然こういう人も嫌われています。
しかしながら、大きな声を出したくても出せないという人も存在しています。
一般的な人よりも、声帯が極端に小さいとか、腹筋があまりにも少ないとか、人の何倍も聴力があって、聞こえすぎてしまうなど、なんらかの身体的な理由により、大きな声を出せない人。
また、なんらかのトラウマによって、大きな声を出す事に恐怖心を抱いている人。
こういった人達なら、前述の自己中心的な人とは別に、仕方のない話です。
電車内の彼らは、どんな理由で2人とも声が小さいのかはわかりません。
しかし2人ともに非常に聴力が優れていて、お互いの声が聞こえているのですから、素晴らしい関係だと思います。

昔、先輩で自己中心的に声の小さい人がいました。
その先輩から飲みに誘われるのが苦痛で、よく理由をつけては断ったものです。
それは彼が喋る事の95%は聞こえないからです。
初めのうちは何度も聞き直していましたが、何度も何度も聞き直してもそれでもハッキリと聞き取れず、それは彼がこちらが聞こえないと言っているのに、ボリュームを一切変えないからであって、そのうち怒りだすので、聞き直す事をやめ、聞こえているフリをしていました。
聞こえているフリだけで何時間も飲みの相手をするのは、本当に辛いものです。
聞き取れないので、彼の表情を見て直感だけで、それに合ったリアクションや返事をしなければなりません。
それはそれは苦痛な時間です。
もしも電車内の彼らのうちどちらかが、聞こえていないのに合わせているだけなのなら、これはただの悲劇としか言いようがありません。
これに関しては、本人にしかわからない事なので、我々が心配しても仕方ない事です。
もしもそうだった場合、いつか「声が小さい」というワードを検索し、このコラムを読むはずです。
その時のために、この文章を書き残す事にしました。

アロンガメントジナミコ

あらゆるスポーツを行う際に、ウォーミングアップとしてストレッチを
行います。
運動前に、筋肉や筋を充分に伸ばすことで、筋肉や身体への負担を減らす効果があると思われてきたからです。
ところが最近になって、このストレッチが逆効果である事が判明したそうです。
従来のストレッチ(静的ストレッチ)によって、伸ばした腱が元に戻るのに2時間もかかるらしいのです。
それにより、本来考えられてきた怪我防止効果などは一切なく、逆に捻挫しやすくなる上に、筋力が確実に落ちるというから恐ろしい話です。
しかも実際にジャンプ力が落ちたというデータも取れています。
本来は、こういうストレッチ(静的ストレッチ)は運動前ではなく、運動後や寝る前にやると効果が発揮できるそうです。
運動前に効果的なのは静的ストレッチとは真逆の、動的ストレッチ(アロンガメントジナミコ)だそうです。
従来の静的ストレッチは、時間をかけて負荷を与えながら筋肉全体を伸ばすというものですが、この動的ストレッチは可動範囲の8割程度で関節を繰り返し動かすのです。
伸ばすのではなく、繰り返し動かすのです。
繰り返し動かす事で、筋肉の繊維が発熱し体温が上昇し、筋肉に柔軟性が得られるのです。

アロンガメントジナミコ
https://m.youtube.com/watch?v=2LrNdh2m0-w

日本でも古くから存在するラジオ体操はこの動的ストレッチです。

ラジオ体操
https://m.youtube.com/watch?v=xS92XkVKM0Q

また広島の前田健太のマエケン体操も動的ストレッチと言えます。

マエケン体操
https://m.youtube.com/watch?v=rE7TxgEXick&autoplay=1

これは現在スポーツをやっている全ての人達に一刻も早く教える必要があります。
そこでバスケットボールの試合前だという16歳の女子に、すぐにLINEしてみました。以下

「ストレッチしたらジャンプ力落ちるらしーから試合前にストレッチしなや、するならアロンガメントジナミコをしいや、な、な」
「はい?」
「普通のストレッチしたらジャンプ力落ちるらしいねん」
「だからなに( ´∵`) 」
「は?やれや」
「あはい、」

なかなか日本人に浸透させるのは時間がかかりそうです。

パンチラ

なぜ男性はパンチラが好きなのでしょうか。
パンチラなんて、たかかパンツがチラッと見えるだけの事なのです。
しかもパンツなんてただの布きれなのです。
布きれを見て何故興奮するのでしょうか。
そこには理性や感情が大きく関わっているように思います。
女性は、パンツを見られる事が恥ずかしい、だから見られないように隠す、男性は隠しているものが見えた時に嬉しいとなるわけです。
それが好意を寄せていたり、憧れている女性の場合なら、その感情はもっともっと大きくなるわけです。
しかし冷静に考えてみれば、ただの布きれが見えただけの事なのですが、なかなか冷静にはなれないのが男性です。
男性は視覚からの情報で、エロティシズムを感じる生き物なのですから。
では逆に、好みでない女性だったらどうでしょうか。
いくら恥ずかしそうにされても、何とも思わないのではないでしょうか。
まず好みでない場合は、たとえ裸体を見ても興味がわかないはずです。
それこそ、男性のパンチラを見たぐらいの感覚だと思います。
では、一切恥ずかしがらずに、堂々とパンツを見せてこられた場合はどうでしょうか?
そこにエロティシズムを感じるでしょうか。
勿論、人にもよりますが、殆どの男性は何とも思わないはずです。
堂々と見せられたら、そこに恥じらいなど一切感じ取れないのですからエロは微塵も存在しないのです。
ドエムは別ですが。
やはりエロティシズムとは、非常にデリケートで間口の狭いもののようです。
パンチラは男性特有のエロティシズムの象徴なのでしょう。

焼肉ラーメンうどんそば

走行中、お店の看板を見ていると、「焼肉ラーメンうどんそば」などと、何でも書いてあるお店を見かけます。
ここ何屋やねん!とツッコミたくなります。
正直「うどんそば」というだけでも入る気がしないのに、さらに焼肉とラーメンまで表記されていると、158000%入る気がしません。
店側は、間口を広げて、焼肉を食べたい人もラーメンを食べたい人も、うどんを食べたい人も、蕎麦を食べたい人も、とにかく全部来てもらえるようにと書いているのでしょうが、正直何でもかんでもあるお店は、専門店と比べて味が落ちる気がするのです。
専門店は、それだけで勝負していますから、焼肉なら焼肉に集中して美味しいものを提供してくれそうに思うわけです。
なんでもあると、広く浅くという風な料理しか出来ないのではないかと思ってしまうのです。
実際は食べてみないとわかりませんが、看板を見ただけで入る気がしないのですから、食べる機会がありません。
先日、熊本で
「ちゃんぽん、カレー、鰻丼、ラーメン、うどん、だご汁」という看板を見かけました。
「どんなけすんねん!!」
思わず声に出してしまいました。
別に色々あっても良いのです。
あっても良いのですが、看板には1つだけ1番自信のあるものを表記して下さい。
その方が絶対に売上は上がります。

禁煙の旅

九州の旅では、毎回レンタカーを借りていますが、たまに禁煙車両しか用意できないと言われる事があります。
しかしあまり気にせずに借りるのですが、今回は違いました。
「新車なのでくれぐれも吸わないようにお願いします」
と念押しされたのです。
念押しされてしまうとどうも守りたくなります。
根っからのバカ真面目なのです。
ある友人は、自分がタバコを吸うくせに、ホテルやレンタカーはタバコの臭いが嫌だからと、あえて禁煙車両や禁煙ルームを選ぶそうです。
そして平気でタバコを吸うのだと言います。
不良です。根っからの不良なのです。
罪悪感は感じないのでしょうか。
それとももう泊まる事がないのでどうでもいいと言うのでしょうか。
以前、窓も開かない、換気扇もない、喫煙場所は建物の外という環境の部屋に1週間も泊まった際には、さすがに悪いと思いながらも、風呂場の換気扇の下で吸いました。
これでもバカ真面目な私にとっては、非常に罪悪感を感じる出来事だったのです。

満腹中枢

いつも食事中に悩むのは、ご飯のおかわりをするかしないかという事です。
単純に料理が美味しくて、しかもまだまだ食べたいという欲求も出てくるのですから、おかわりはしたくなるのは当然です。
しかしながら、食べてしまうと太るのではないかと、心配する感情も出てきて、食べるべきではないと自身を制御しようともするのです。
そして毎回悩んでしまうのです。
先日、ご飯をあと2杯は食べれると思いつつも、おかわりをオーダーしていたら電車に乗り遅れそうな時間だった事もあって、1杯しか食べずに店を後にしました。
ところが10分ほど経って、自分が満腹である事に気付きました。
あの時はあと2杯は軽くいけると思っていたのに、今は満腹なのです。
人は、腹八分目でも、時間が経過すると満腹を感じるようになるものです。
そんな事はずっと以前から知っています。
でも食べている最中には、そんな事などすっかり忘れてしまっていて、食べたい食べたいとなるから厄介なのです。

百合

富田林駅付近を歩いていて、通りかかったマンションから出てきた女性が従兄妹の百合とソックリでした。
いや絶対に百合だと思ったのです。
すれ違いざまに
「あいつ市内に住んでるとおもてたけど、富田林におったんかいな」
と思い、振り返って声をかけようとした瞬間、3年前に百合が死んだ事を思い出し、踏みとどまったのです。
当然ですが、たまたま似ていただけで、本人ではなかったわけです。
しかし似ていました。
母親の葬式以来会ってませんので、もうかれこれ15年近くはご無沙汰です。
幼少期は、近くに住んでいたという事もあって、本当の妹のように、しょっちゅう遊んでいました。
母が入院した時は、大阪からかけつけてくれ、私を励ましてくれました。
お互いが大人になってからは、滅多に顔を合わせる機会はありませんでしたが、会わなくても兄妹のように分かり合えるヤツでした。
通り過ぎた女性は、あの時の百合からちょうど15年ほど経過させた雰囲気に見えたのです。
15年ぶりですから、思わず声をかけそうになるのも理解できるはずです。
しかし、もう彼女は死んでしまったので、会いたくても会うことはできません。
死んでから、半年以上も経過してから聞きましたので、葬儀にも出席していません。
百合に会いたいです。

入る

「今夜から東京入りします」
「来週火曜日に福岡に入ります」

どこかの地域に行く事を「入る」という言い方をする人がいます。
確かに出るのではなく入るわけですから良いといえば良いのですが、ただなんとなくイラっとします。
別に「入る」と言わなくても「行く」でいいじゃないですか。
普通は「行く」でしょ。
たまに「イクッ」の人もいますが。
「入る」よりも「イクッ」の方が15800倍好印象です。

外国人

空港のそばのJR駅の改札前切符売場にて、切符を買うために並んでいると、すぐ目の前のカナダ人女子が話かけてきました。
どうやら天王寺へ行きたいらしく、ここに並んでいて良いのかを、私に聞きたいらしいのです。
彼女は全く日本語がわからないそうです。
当然文字も読めませんし、書けません、通貨すらどれがどれかわからないのだと言います。
切符を買うにも、日本語表記が読めなければ、まともに切符を買うこともままならないはずです。
彼女の順番がきたので、かわりにボタンを押し、彼女が財布から出してくる日本円から適切な量を券売機へ入れ買ってあげました。
サンキューーーウ!!
彼女は爽やかな笑顔でお礼を言い、去って行きました。
しかしこんな状態で天王寺へ行って大丈夫なのでしょうか。
いくら日本人がみな親切だと言っても、不親切な人もいるのですから、心配になっても当然です。
なんなら天王寺まで送ってあげても良いのです。
そんな心配をしながら彼女が歩く先を見ると、彼氏らしき男性が笑顔で待っていました。
別に良いのですが、ただなんとなく寂しい気持ちになりました。

ネーミング

人に限らず、名前を付けるという行為は非常に責任感を伴うものですが、逆に言うと非常に萌える行為でもあると言えます。
人の場合、つけられた側はその名前で今後一生を生きていくわけですから、それを考えるとプレッシャーも大きくなるのかも知れません。
しかしながら、考えて考えて、悩んで悩んでも、結局は何か一つをつけるのですから、逆に直感でパッとつけてしまっても同じ事だと思ってしまいます。
昔の人は、わりと簡単に名前をつけていたように思います。
長男だから一郎、次男だから二郎のように、生まれた順番でつけていたり、親の名前を一文字取って、秀明の息子なので秀樹とつけるなど、あまり何も考えずにつけている人が多かったように思います。
旬な芸能人の名前をそのままつけるというのも多くありました。
実際、私も幼稚園の頃、6才下の弟の名前を、仮面ライダーの本郷タケシが好きで、母親にタケシにしてくれタケシにしてくれと頼んでつけてもらった事を覚えています。
実際それでつけた親も親ですが。
ここ最近は、当て字を使用して、他に類を見ない一風変わった名前を、つける親が増加し、DQNネーム(キラキラネーム)などと呼ばれています。
DQNネームをつけられた子供が、成人(実際は15歳から可能)してから、改名する事例が非常に多いというのも皮肉なものです。
姓名判断を活用して、名付ける人も多いようです。
しかしながら、姓名判断する人(占い師など)によって(文字の画数の数え方の違いなどによって)何種類も答えが存在している事も事実です。
実際、複数の姓名判断の本を買った人ならわかると思いますが、同じ名前でも本によって異なる判断がされています。
私も25才の時に、自身で姓名判断し、改名した1人ですが、ありとあらゆる本を読破し、一番信憑性の高い本を参考に改名しました。
その後、20年の間に2回改名したのですが、つけた名前の通りの人生となったのですから本当に不思議です。
今は25才の時に自身でつけた名前に戻しています。
名前というものは、戸籍から変更しなくても、通称でも源氏名でも芸名でもニックネームでも、とにかく普段一番使う(呼ばれる)名前が重要となります。
芸能人の場合、本名よりも芸名で呼ばれる機会の方が多くなりますので、キチンと姓名判断した芸名をつけているわけです。
姓名判断的に言うと、自身の名前の意味をしっかりと理解し、サインするたびにその意味を「噛み締めながら書く」という事が重要となります。
そうする事によって、その名前の運気を呼び寄せるのだと言います。
「意識する」という事が重要だという事なのです。
ということは、いくら良い運勢の名前がついていたとしても、そのこと自体を知らなかったり、全く意識しないで生きていると、効果がないという事になります。
皆さんも、キチンと自身の名前の意味を知り、今後はその意味を噛み締めながら使うようにしてください。

2015年2月14日土曜日

傘は持たない主義

傘は持たない主義だと言い続けてきましたが、実は傘は持てないという事なのでしょうか。
バッグの軽量化を実現し、10~20日ぐらいの長旅でも手提げバッグ1つで出かけていますが、傘も所有していないので、雨が降った場合に、何度も全身びしょ濡れとなる事に、さすがに疲れ果ててしまいました。
特に冬場の雨に30~40分も打たれるのはもう嫌です。
なので、ある時期から、雨が降ると毎回コンビニで傘を買い、雨が上がると捨てるという事を繰り返しておりました。
しかし、これにも違和感を覚えはじめてきたある日、友人から折りたたみ傘を持ち歩けば良いのではないかという提案をいただきました。
最近の折りたたみ傘は、非常に軽くなっており、持ち歩いてもさほど苦痛ではないという事なのです。
傘は持たない主義だと言いながらも、さすがにもう大人なのですから、ここは静かに従うべきだと判断し、折りたたみ傘を購入しました。
しかし、旅に出かける前に、これまで軽量化ばかりを追求し続けたせいか、どうしてもその折りたたみ傘をバッグに入れる事ができず、結局雨に降られてまた折りたたみ傘を購入するという事を繰り返し、自宅に何本もの折りたたみ傘があるという最悪の状態となってしまったのです。
これではまるで、傘マニアです。人から見たら傘収集家です。
傘は持たない主義だと言いながら、自宅には何十本という傘を所有しているという。
これではさすがにダサすぎます。
そんな経験を元に、最近では常時折りたたみ傘をバッグに入れるようになりました。
もう傘と私は一心同体という状態です。

そんなある日、名古屋のホテルへチェックイン後、ある程度の荷物をバッグから出して軽量化し、仕事に出かけました。
外は晴れています。
当然、軽量化がモットーですので、折りたたみ傘もホテルの部屋へ置いて出かけます。
深夜、終電でホテルまでの最寄り駅に到着すると土砂降りでした。
駅からホテルまでは徒歩15~6分です。
12月の冬の雨は非常に辛いものがあります。
なぜ先程ホテルへ傘を置いてきてしまったのでしょうか。
つくづく傘に縁がありません。
コンビニも徒歩7~8分の位置です。
7~8分濡れるのならホテルまで行ってしまっても大差ありません。
結局、全身ずぶ濡れで部屋へ帰りました。
その数日後、尼崎のとある駅を降りた際、また雨が降ってきました。
今度はしっかりとバッグに折りたたみ傘が入っています。
改札を出て傘を取り出し、さっそうと傘を開くと「バキッ」という音と共に、傘の上部がすっぽ抜けてしまったのです。
「どないやねん!」
確かに安い傘です。安い上に軽いので壊れやすいのは納得できます、できますが、たった数回使っただけで壊れてしまうのですから、さすがに腹が立ってきます。
しかもここからコンビニまでは徒歩20分ぐらいでしょうか、結局また冬の雨に打たれながらトボトボと歩いたのでした。
しかしどんなけ傘に縁がないのでしょう。
傘なんて持たないと言い続けた天罰でしょうか。

テングうどん

長崎の友人が「とても美味しいうどん屋がある」と教えてくれたので、早速行ってみる事にしました。
彼は時々こういう情報をくれます。
こちらとしても、地元住民の貴重な口コミ情報は大変有難いものです。
また、過去にも彼から教えてもらったお店は、どこもとても美味しい印象がありましたので、信憑性も高いですし、楽しみにして行ってみたのです。
彼と別れ、車で30分ほど走ったところにお店はありました。
10台ほどの駐車場は満杯で、駐車場の空きを待っている車まであるほどでした。
そのまま30分ほど待ち、車を停めてお店に入ります。
お客さんは、品のある年配のご夫婦が多く、店内は満席です。
これほどまでに人気なのなら、さぞかし美味しいのでしょう。
アルバイトらしきホールスタッフに、1人だと告げ席を案内されます。
20席ほどあるカウンター席は満席でしたので、9席あるお座敷席へ通されました。
友人からは「天ぷらうどんが美味しい」と聞いていましたので、天ぷらぶっかけうどんを注文しました。
待っている間にも、続々とお客さんが入ってきます。
すると、先ほどのホールスタッフが近寄ってきてこう言うのです。

「カウンターが空きましたのであちらへどうぞ」

私は別にカウンター席を待っているわけではありません。
もう座っているのですから、わざわざ靴を履いてまで、席を変わりたくはありません。
見ると、入り口に3人組のお客さんが入って来たようです。
私が今座っている席は、3人掛けのお座敷カウンターです。
この席をあのお客さんに譲って欲しいのでしょう。
それならそうと言ってくれれば、ホイホイと席を変わります。
なのにあんな言い方をするなんて、まぁでも、ややこしいので黙って席を移る事にしました。
カウンター席へ移ると、ちょうど目の前に厨房が広がります。
厨房を取り囲むような、コの字型のカウンター席となっているのです。
こういうオープンキッチンのお店を見るたびに、中にいるスタッフは、ジロジロお客さんから見られてるわけですから、非常にやりずらいのだろうなと想像してしまいます。
逆に、お客さんからすると、作業全てが見えるわけですから、キチンとやってさえいれば、非常に印象も良くなるでしょうし、また暇つぶしにもなるわけです。
注文したうどんが来るまでの間、厨房内のスタッフ一人一人に目をやります。
男性は1人、残り5~6人は女性スタッフです。
もしかすると、その男性が店主でしょうか。
しかし彼は、フライヤーの前から離れず、ずっと天ぷらを揚げています。
それよりも、うどんを打って切って湯がいてしている年配の女性がいます、もしかするとその女性が店主かもわかりません。
後はアルバイトらしき若い女性ばかりでしたので、どちらかが店主でしょう。
しかし、彼らは作業に没頭しており、お客さんの方は一切見ていませんでした。
そればかりか、お客さんが入って来た時の「いらっしゃいませ」や、帰る時の「ありがとうございました」すら言わないのです。
アルバイトらしきスタッフは言っています。
しかしこの2人は、そちらを見ることもせず、一切言葉は発しませんでした。
となると、ただのアルバイトなのでしょうか。
ひょっとすると、アルバイトらしき若い女性が店主なのでしょうか。
少しすると、うどんが出て来たので、食べて店を後にしました。
私が帰る時も、レジをやってくれた若い女性だけが「ありがとうございました」と言いました。
店を後にして、少しすると、先ほどの友人からLINEが来ました。

「うどんどうでしたか?」
「うまかたで」
「でしょでしょ!店主もいい感じの愛想いいおっちゃんでしょ?」
「あー、あれ店主か、ちょっとテングなってんちゃうか」
「何かありましたか?」
「いやずっと揚げ物だけやっとって、一切ありがとうございましたもいらっしゃいませもゆわんねん」
「あぁテングなってますねそれ」
「まぁあんなけ流行ってたらテングにもなるわなそら」
「確かに」
「味は美味かっただけに残念やな」
「そですね」

人は結局、料理が美味しいというだけではなく、スタッフの接客やお店の雰囲気、居心地、価格、そして店主の人柄などで、再来店するか否かを決めています。
中でも店主の人柄というものは、一番大きな理由となるのではないでしょうか。
例え料理が普通だとしても、店主の人柄が良ければまた行くものです。
料理を食べに行くのと同時に、店主に会いに行きたいものなのです。
店主と友達になればもっともっと通うでしょう。単純なものなのです。
但し、こちら(客側)が店主を友達だと思っていたとしても、店主側は実はあくまでも仕事としか思っていなくて、ただの客だとしか見ていない場合、それが判明していまうと、もう行きたくはなくなります。
そこも単純なのです。

正しいシャワーの姿勢

長崎の友人達と飲んでいる時、シャワーについての話題となりました。
すると彼らは皆、風呂場で座った状態でシャワーを浴びているというのです。

「は?は?はあ?ほなら風呂にスケベ椅子置いてるん?」
「はい、そーです」
「えーー!やらしっっ!やっらっしっ!」

そもそもシャワーなんて、立ったまま浴びないと全身にお湯が行き渡らないと思います。
立っているからこそ、頭部に浴びたお湯がつま先まで流れ落ちるので、お湯が全身に行き渡るのです。
座った状態ですと、頭部に浴びたお湯は、臀部で終わってしまいます。
しかも背中に浴びたい時、座ったままですと回転し辛いじゃないですか。
さすがに納得できないので聞いてみました。

「いつから座ってシャワーしてるん」
「物心ついた頃からずっと座ってます」
「ほならケツどないしてんねん、ちゃんと洗うてないんちゃん」
「いや片方ずつ浮かして洗ってます」
「ほならジムの後のシャワーでも座ってるんやな、海の家のシャワールームでも座ってるんやな」
「いやシャワールームは椅子がないじゃないですか、そういう場合は立ってます」
「ほなら椅子があるかないかなんやな」
「ん、まぁそうかも知れません」

結局、ちゃんとした理由もなく、ただなんとなく椅子があれば座り、無ければ立つという、曖昧なままの状態で、これまでシャワーを浴びてきているようです。
さすがにこの2人だけでは判断は難しいと思い、その後も地域に関係なく12人の人に聞いてみました。
すると12人中9人が座ってシャワーを浴びていたのです。
しかもある高校生はこう言ったのです。

「立ってたら疲れるもん」

疲れる?
若いくせに疲れるてどないやねん、どんなけ体弱いねん
若者よ立ちなさい。
若者でなくても、シャワーの時ぐらい立って下さい。

最近の悩み

ここ最近の一番の悩みといえば、やはり風呂上がりの濡れた体をどう拭くかに尽きると思うのです。
もうかれこれ数ヶ月以上は悩んでいるでしょうか。
濡れた体を拭き取る順序は、洗う順序と同じく、頭、顔、左手、右手、胴体、背中、下腹部、臀部、左足、右足と決めています。
そして最後に足裏を拭くのがこれまでの私の順序でした。
ところが数ヶ月前にふと思ったのです。
足裏を拭く必要があるのか?
私はバスマットはタオル地の物を使用しています。
タオル地じゃないと、キチンと足裏の水分を拭き取れないからです。
ただでさえ足裏にはバリアゾーンが無いので、中まで水を含んでいるのですから、いくら拭き取った後でも湿っているものです。
これがタオル地ではなく、絨毯みたいな生地だったりすると大変です。
水分を充分に拭き取れないばかりか、なんとなく洗ったばかりの足裏をホコリなどで汚してしまいそうな気になるのです。
そういう意味では、銭湯や温泉施設は非常にストレスがたまるわけです。
勿論、タオル地でも汚れているのでは意味をなしませんが、綺麗なタオル地のバスマットなら、ストレスゼロでお風呂から出る事ができるのです。
ところが、このタオル地のバスマットを使用するのであれば、風呂上がりに足裏までワザワザ拭き取る必要が無いのではないかと、考え始めたのです。
勿論、拭かずに乗ると、その分バスマットが濡れます。
濡れますが、一晩もすればマットも乾くのではないか、乾くのであれば、朝風呂の後でもまた気持ち良くバスマットを使用できるのではないか。
そんな事をいつも考えているのです。

録画

テレビ番組を録画しておいて、後で時間のある時にゆっくり見る。
これまでの人生で、そんな事をやった事もなければ、やりたいとも思った事がないのです。
そもそも時間のある時というものがありません。
ほぼ時間は無いのです。
何かしらやる事があって、ヒマと感じる事がないのですから、録画した番組を見るヒマが無いのです。
先日、とある友人から、それは人生を無駄にしているよと言われました。
効率良く見たい番組を録画して見た方が、無駄な番組を見る事がなく、得な人生だと言うわけです。
しかし、見たいものしか見ていなければ、偏った情報しか得られないのではないでしょうか?
まるでインターネットのニュースを読むようなもので、タイトルを見て興味あるものしか開かないという事と非常に似ています。
逆に、どんな番組をやっているのかを一切調べずに、私のようにたまたま見て得た情報というものには偏りがありません。
選んでいないからです。
見たくないものの中に、後で見て良かったと思うものは沢山あるはずなのです。
しかし、見たいものを見逃してしまうのはどうかと指摘されましたが、見たくても見れないのであれば、それは縁がなかった訳ですから、仕方ないと思っています。
連続ドラマをたまたま見て「面白い、また次も見たい」と仮に思ったとしても、それが何曜日の何時からの番組なのかさえ記憶していませんから、たまたま偶然見る事がない限り、次は見れないのです。
それでいいのです。
テレビ番組にも、縁がある番組と縁のない番組というものが存在しています。
私のように非常に不規則な日々を送っていても、たまたまテレビをつけただけなのに、不思議と毎回見れる番組もあるのです。
縁のある番組というものは、他県に行っていてもたまたたま見れてしまうから本当に不思議です。

2015年1月26日月曜日

水ダイエット

数ヶ月ぶりに会った大阪を中心に活動しているミュージシャンが、かなり痩せていたので聞いてみました。
「あれ?痩せたんちゃん」
「はい、バンドで前の3人が豚やったら話なりませんもん」
「なにして痩せたん」
「水飲んで痩せました」
「は?」
「毎日水2リットル飲むんですよ」
「なんやて?」
「それだけで1週間で4~5kg痩せましたわ」
「えー」
毎日水を飲むだけで、食生活は変えずに痩せたというのです。
たったそれだけで痩せるのならと、早速やってみることにしました。
250mlのグラスなら8杯、案外軽く飲めました。
2リットルのペットボトルは苦痛ですが、小分けにすると案外軽く飲めるものです。
500mlのペットボトルならたった4本です。
「これなら俺でも痩せるはず」そう確信しました。
ダイエット開始から158ヶ月が経過し、あらゆるダイエットにチャレンジして来た私ですが、これ以上カンタンなダイエットはありません。
トイレへ行く回数はハンパなく増えますが、食生活を変えずに、こんなカンタンな方法で痩せる事ができるなんて夢のような話です。
「でもね」
「ん?」
「酒飲んだらその分水を飲まなあかんらしですわ」
「は?なんやて?」
仮に水を2リットル飲んだとしても、さらにビールを1リットル飲めば、水はプラス1リットルとなるというのです。
「そなもん腹いたなるでマジ」
「だからボクは酒やめてますもん」
さすがに付き合い上、酒をやめる事はできないので、なるべく量を飲まないように、ビールやワインではなく日本酒や焼酎を飲む事にしました。
しかも実際は2リットルではなくて、体重の4%の水を飲む事が望ましいらしいので、私なら2.96リットル、約3リットルも飲まなければならない計算になります。
しかも200mlずつ小分けにして飲む方が良いとの事、さすがにそれは難しい上に、今いくら飲んだのか忘れてしまいそうなので、ランチで1リットル、ディナーで1リットルを飲むように心がけています。
またディナーが酒の席となる場合は、朝のうちに1リットル、ランチで1リットルなどという具合です。
ダイエットだけでなく、利尿作用によるデトックス効果や代謝アップ、便秘の解消などの効果もあるという事ですので、とても素晴らしい事を教えてもらったと、デニムスのベーシスト、まっつんには日々感謝感謝し、寝る前と朝起きた時は、大阪方面に向かって手を合わせていたのです。

DENIMS(デニムス)http://denim-s.jp/
ええバンドや

ところが、今朝体重計に乗ってみたら4kg太っていたのです。
過去最高の重さになってました。
なんなんや!
なんでなんや!
どないなっとんねん!
まっつんこれどないなっとんねん

B席の所有者

新幹線のABC席のB席は一体誰のものなのでしょうか。
基本的に新幹線の指定席を取る場合は、ABC席のC席を取るようにしています。
窓側のAやEのように席を立つ際に通路側の人に気を使わなければならないのは疲れますし、またその人が寝てしまった場合、起こすのも気の毒なので、なかなか席を立ち辛いからです。
通路側のCかD席ならいつでも好きな時に立てます。
そして2人掛けのD席よりも隣が空いている確率の高いC席が快適なのです。
ABC席のB席は、よほど満車でない限り空いていますので、すぐ隣の人と肘掛の取り合いにもならず、気を使わなくて済みます。
そのC席に座った際、よく思う事があります。
それはB席の所有者についてです。
基本的に私はA席に誰か座っている場合、荷物は足元に置いています。
ところが、A席の人がB席にあつかましく荷物を置くケースが非常に多いのです。
確かにAもBも空いている場合は、私も隣に荷物を置きますが、誰かいる場合は置きません。
私がC席にいるのに、B席に荷物を置く人というのは、一体どういう神経をしているのでしょうか。
私が謙虚に足元に荷物をいるにも関わらず、自分だけ隣の席に荷物を置くのですから、完全にナメきっています。
どんなけあつかましいのでしょうか。
世の中には、そんな人があまりにも多いので、数ヶ月かけて調査観察してみました。
以下がその調査結果です。

・貧乏くさい。
・不潔そう。
・駅弁をクチャクチャ食っている。
・髪の毛ボサボサ。
・服が汚れている。
・友達少なそう。
・見るからに無神経そう。
・オタク。
・コンビニの白ビニール袋の荷物が多い。

まぁ無神経な人のイメージで見ていますから、必然的に無神経っぽく見えるのですが、30人ほど調査し、だいたい上記のイメージに当てはまる人ばかりでした。
無神経な人なのだから、人の不快感に気づくはずもありませんし。
これは以前ここに書いた「肘掛問題」と同様に、あつかましい者勝ちという事になるのだということです。
ただ、それがまかり通る事は間違ってますし、本来そんな人達は社会に不要ですし排除されるべきです。
排除されれば、きっと平和な世の中になるはずです。
是非JRは、こういう人の排除を徹底して欲しいと思います。