2016年8月2日火曜日

友達の彼女

JR湖西線に揺られている時の事です。
隣のボックス席に1人座っていた女子高生の元へ、2人の男子高校生がやってきました。
どうやら2人の男子高校生のうち、1人がその女子高生の彼氏のようです。
彼氏は彼女の隣に、その友達は向かいに1人座りました。
私が窓の外をぼーっと眺めていますと、何やら強烈な視線を感じたので、その4人掛けの席に目をやると、先ほどの2人の男子高校生のうちのカップルでない1人が、つまらなそうにこちらを見ているのです。
私と目が合うと、彼は視線をずらしました。
どうやら彼の友人とその彼女らしき女子高生との会話に入れないらしく、彼は1人ぼーっとこちらを見ていたようです。
こちらと言っても、私を見ていたわけではなく、目の前に座っている友人とその彼女から目線を外すためにこちらを見ていたようなのです。
彼がただ単に2人の会話に入れないのか、それとも2人が、3人での会話をしようとせず、自分たちだけにしかわからない会話をしているのか、いずれにしても彼にとっては、物凄く苦痛な時間となっているようなのです。
こういうカップルは割と存在します。
2人の会話をするのなら、2人の時にすれば良いのであって、そこに第三者が加わった3人以上の場合は、皆がわかる会話をしないといけません。
仮にわからないにしても、皆と会話をするのが基本的なマナーです。
1人ポツンとさせてしまっては、もう今後は一緒に帰ったり、一緒に行動する意味すらないと判断されてしまう可能性があります。
見ていて痛々しいので「こっちきーな」とこちらへ呼んであげたくなりましたが、さすがに父親以上のオッサンと喋るのも苦痛だろうと思い、やめておきました。

もうかれこれ何分が経過したでしょうか、今だに彼は1人蚊帳の外です。
あれから一言も喋っていません。
そしてその友人とその彼女も、あれから一回も目の前の友人に喋りかける事はありませんでした。
何駅かが過ぎ、3人は降りて行きました。
降りてからのホームでの3人を目で追いましたが、友達は最後まで1人ぼっちでした。
「そんなヤツ友達やめとけーー!!」
もしこの瞬間、窓が開いていたのなら、間違いなく窓から顔を出して大声で叫んでいたでしょう。

2016年8月1日月曜日

食事における幸せ

先日、友人の天ぷら屋へ食べに行った際に、とある事がきっかけで、食事における幸せというものが何なのかという、昔からの疑問が解決した気がしました。
それは大根おろしです。
友人の天ぷら屋は、天ぷらと一緒にお茶碗1杯程の大根おろしが出てくるのです。
天つゆもわざわざ店員に依頼せずとも、各テーブルにポットで設置されています。
私は天ぷらを食べる際、大量に天つゆと大根おろしを使用します。
いや使用したいと願っています。
これまでに様々な天ぷら屋へ行きましたが、いつも天つゆと大根おろしが足りなくなります。
店員へ依頼すれば足してはくれるのですが、そう何度も何度も依頼するのは申し訳ないですし、またセコい客だと思われても嫌です。
だから天ぷらに大量に大根おろしを乗せてかぶりつきたい衝動を必死で我慢し、少しずつ少しずつ食べてきたのです。
いくら「天つゆ大根おろしおかわり自由」と書いてあったとしても、人間の心理とはそんなものです。
ところが、友人の天ぷら屋は、わざわざ店員に依頼しなくても、各テーブルに大量に設置されているのですから素晴らしいお店です。
私だけかも知れませんが、その点だけでも「この店ば流行る」と確信致しました。
(既にあちこちに出店しており流行っていますが)
以前、口に運ぶ1回のご飯の量を、残量を気にせずに大量に入れる事が最高の幸せだとここに書いた事がありますが、更にそれを超えるのが大根おろしだったわけです。

つい先日、自分で好きな惣菜を選んで最後にご飯と味噌汁を注文するタイプの大衆食堂へ行った時の事です。
私は、天ぷら盛合せ、出し巻き卵、ご飯大盛、味噌汁、そしてちりめん大根おろしをチョイスしました。
天ぷら盛合せは勿論、出し巻き卵もこの大根おろしを大量に乗せて食べる事が出来、最高の幸せを感じたわけです。
ご飯はおかわり自由でしたが、わざわざ店員に依頼しなければならず、面倒くさいので我慢し、それでも大根おろしが大量にあったために、凄く満足のいく食事となりました。
その時に、大根おろしが最も重要であることを本当に確信できたのです。