2013年5月25日土曜日

願掛け

人はなぜ願掛けをするのでしょうか。
願掛けなんてしないという人も中にはいるのかもわかりませんが、私はメチャクチャ願掛けします。
しかも1日に何度も何度も、朝から晩まで願掛けです。
私の人生は願掛け人生なのかもわかりません。
考えてみれば、それは幼少期の頃から始まっていました。
小学3年生の頃、通学ルートの曲がり角で、壁にキックして曲がったある日、好きな女子から告白されたのです。
その日から小学校を卒業するまでの4年間、毎朝そのキックが日課となりました。
キックしたらいい事がある、きっとそう思ったのでしょう。
いや逆に、キックしないと不安だったのかもわかりません。
あれからもう何十年と経過していますが、なに一つ変わらずそんな毎日を送っているのだから、願掛け人生と呼んでもおかしくはないはずです。
シャワーで洗う順番は、頭、顔、左手、右手、腹、背中、尻、足と決まっています。
この順番は変える事はできません、変えると不安なのです。
シャワー後に冷水で顔を洗い、その時に鏡に手で水をかけます。
鏡全部に水をかけないといけません、少しでも水がかかってない場所があるとダメなのです。
但し、一度で鏡全部に水をかけなくても良い決まりになっています。何度やってもよいのです、何度やってでも全体に水をかける、それができればクリアです。
そうしないと不安なのです。
身体を拭く順番も洗う順番と同じです。これもずっと同じなのです。不安なのです。
シャワー後に体重計に乗りますが、体重計を正面に置く時に必ず左足を後方に高く引き上げながら体重計を設置します、バレリーナのようなスタイルですが、これもやり続けています。不安なのです。
勿論、体重計に足を置く順番も左からと決めています。
靴下をはく順番も決まっています。
こうしてあらためて振り返ってみると、私の場合は、浴室まわりで願掛けをする事が多いようです。
別に靴をはく順番は決まっていません。靴下は重要ですが、靴はどっちゃでも良いのです。
しかしながら、こういう小さな願掛けを続けているからといって、特別良い事があるわけでもないのが悲しいところです。