毎朝の5kmのコース上に3人のホームレスなオッチャンが居ます。
去年の夏は4人いましたが、冬に2人に減って、今現在は3人となっています。
1人は橋の下のブロックと橋の隙間から足だけが見えているオッチャン。
ここは寝室で、毎朝8時にすぐ近くの屋根付きベンチへ移動します。
ベンチ横には飲み水用の蛇口があって、彼は毎朝ここで1時間以上かけて洗濯や洗顔を行います。
見た事はありませんが、きっと毎日全身を洗っているのだと思います。
きっとこのオッチャンは綺麗好きなのでしょう。
8時以降ともなると結構な人通りがあるはずですが、皆このオッチャンから目をそらして通り過ぎて行きます。
もう1人は夏場だけ出現するオッチャン。
ホームレスなのかホームレスではないのかハッキリわかりません。
川沿いより一段上の屋根付きベンチに居ます。
このオッチャンの特徴は、常に何人かの友人らしき人物と居る事です。常時3人は居ます。
オッチャンが3人も4人も集まって何をしているのかサッパリわかりませんが、たまに皆で掃除をしていたりと、不思議な団体です。生活用品的なビニール袋がいくつも置いてあり、見る限りホームレスであると理解しています。ここの屋根付きベンチは20人ほどが座れる大きさがありますが、このオッチャンらが占領しているために、一般人は利用できません。
一度近くまで行ってみましたが、明らかに生活臭がしますので、まるで他人の家に立ち入るような錯覚に陥り、誰も中へは入れないのだと思います。
もう1人のオッチャンは、橋の下に家財道具一式と、布団のスペース等を一列に並べているオッチャンです。
昨年秋ごろから、毎朝挨拶をかわしています。
私はいつも音楽をガンガンに聞きながら通り過ぎますので、オッチャンが何を言っているのかはわかりませんが、毎朝ここに立っていて、私が通り過ぎる時に何かを言いながらペコッと会釈してくるのです。
私もペコッと会釈します。
立ち止まって会話してもいいのですが、もしもここで人間関係ができてしまったら、きっと私の性格上、毎朝何か食料を届けるようになってしまうのではないかという不安から、挨拶だけの関係を続けているのです。
彼だけは季節に関係なくいつもここにいます。
ところがここ1ヶ月間、毎日寝ているのです。もちろん寝たままなので、挨拶することもありません。
ひょっとしたら病気なのでしょうか、いやそれとも既に死んでいる?
様々な憶測が脳裏を過ぎります。
私は毎朝そんな不安にかられながらも、オッチャンの横を通り過ぎて行ったのです。
そんなある日、いつもの橋の下へさしかかった際、とても元気そうなオッチャンを見かけたのです。
しかも誰か来ています。
オッチャンは体育座りのまま笑顔でその友人らしきオッチャンと会話していました。
私はホッと胸を撫で下ろし、笑顔で通り過ぎて行ったのです。
ここのところ、なぜか早起きしていたせいで、オッチャンが目を覚ます前に通り過ぎていたのでしょう。
なんとなく安心しました。
2012年6月27日水曜日
2012年6月22日金曜日
姫路モダン
粉もの文化は地方により異なります。
お好み焼が地域によって大きく異なるように、モダン焼も地域によって様々なスタイルが存在するのです。

一般的な大阪のモダン焼は
・キャベツと卵を混ぜた生地を鉄板に流し(お好み焼のベース)焼きます。
・その上に焼そば用の麺を乗せます。
・具材(豚肉やすじ肉)
・片面が焼けたら裏返し、両面をしっかりと焼きます。

先にお好み焼を焼いてからそばを乗せますので、下半分はお好み焼となっています。

姫路モダン
・キャベツや豚肉を入れた焼そばを最初に焼きます。
・鉄板に薄く生地をひき、その上に完成した焼そばを置きます。
・上から薄く生地をかけ裏返し、両面を焼きます。
・最後に片面に卵を貼りつけ完成です。

卵を貼り付けないパターンの姫路モダン(十十)
ベースがお好み焼ではなく焼そばなので、大阪風のようにお好み焼は出てきません。

こちらは卵を貼り付けたパターンの姫路モダン(喃風)
卵を貼るか貼らないかや、キャベツのサイズの違いだけで、
基本はほぼどこのお店でも同じような姫路モダンが出てきます。
実は、この大阪風モダンも、姫路モダンも、使用している具材は
ほぼ同じなのです。
ただ、入れる順番が異なるだけなのです。
入れる順番が異なるだけで、ここまで違う商品ができるというのも
面白い話ですね。
大阪から観光で姫路へ来られた方が、お好み焼店でモダン焼を注文し
「こんなもんモダン焼ちゃう!」
と怒られたという話はしょっちゅう耳にします。
美味しいんですけどね。
姫路モダンは、姫路及び姫路周辺の地域のお好み焼店でいただけます。
お好み焼が地域によって大きく異なるように、モダン焼も地域によって様々なスタイルが存在するのです。

一般的な大阪のモダン焼は
・キャベツと卵を混ぜた生地を鉄板に流し(お好み焼のベース)焼きます。
・その上に焼そば用の麺を乗せます。
・具材(豚肉やすじ肉)
・片面が焼けたら裏返し、両面をしっかりと焼きます。

先にお好み焼を焼いてからそばを乗せますので、下半分はお好み焼となっています。
姫路モダン
・キャベツや豚肉を入れた焼そばを最初に焼きます。
・鉄板に薄く生地をひき、その上に完成した焼そばを置きます。
・上から薄く生地をかけ裏返し、両面を焼きます。
・最後に片面に卵を貼りつけ完成です。
卵を貼り付けないパターンの姫路モダン(十十)
ベースがお好み焼ではなく焼そばなので、大阪風のようにお好み焼は出てきません。

こちらは卵を貼り付けたパターンの姫路モダン(喃風)
卵を貼るか貼らないかや、キャベツのサイズの違いだけで、
基本はほぼどこのお店でも同じような姫路モダンが出てきます。
実は、この大阪風モダンも、姫路モダンも、使用している具材は
ほぼ同じなのです。
ただ、入れる順番が異なるだけなのです。
入れる順番が異なるだけで、ここまで違う商品ができるというのも
面白い話ですね。
大阪から観光で姫路へ来られた方が、お好み焼店でモダン焼を注文し
「こんなもんモダン焼ちゃう!」
と怒られたという話はしょっちゅう耳にします。
美味しいんですけどね。
姫路モダンは、姫路及び姫路周辺の地域のお好み焼店でいただけます。
2012年6月15日金曜日
嘘
人は嘘をつきます。
何故人は嘘をつくのでしょうか。
嘘をつく理由を考えてみました。
・保身のため
・見栄を張るため
・人を陥れるため
・笑いを取るため
・人を傷つけないため
「嘘をつかない正直な人が理想です」
と言う人がいますが、果たしてそうでしょうか。
人との人間関係を構築するためには、嘘も時には必要な場合が存在します。
先ほどの嘘をつく理由の最後2つに関しては、まさにそれに当たります。
笑いのための嘘
少し大げさに話を盛る事で、その場を明るくしたり、人をリラックスさせたり、笑顔が生まれたりするのであれば、そんな嘘も素敵だと思います。
人を傷つけないための嘘
何でもかんでも正直に言うことで、相手を苦しめたり傷つけたりするのであれば、相手を気遣った嘘も必要となります。
こういう嘘がつけない人は、「正直な人」というよりも、「人を気遣えない自分勝手な人」という印象の方が強くなります。
いずれも自分のためではなく、相手のためにつく嘘です。
これを否定してしまっては、良い人間関係を構築できるわけがありません。
良い嘘と悪い嘘、これらを全てひっくるめて「嘘はアカン」なんて言ってはいけないのです。
何故人は嘘をつくのでしょうか。
嘘をつく理由を考えてみました。
・保身のため
・見栄を張るため
・人を陥れるため
・笑いを取るため
・人を傷つけないため
「嘘をつかない正直な人が理想です」
と言う人がいますが、果たしてそうでしょうか。
人との人間関係を構築するためには、嘘も時には必要な場合が存在します。
先ほどの嘘をつく理由の最後2つに関しては、まさにそれに当たります。
笑いのための嘘
少し大げさに話を盛る事で、その場を明るくしたり、人をリラックスさせたり、笑顔が生まれたりするのであれば、そんな嘘も素敵だと思います。
人を傷つけないための嘘
何でもかんでも正直に言うことで、相手を苦しめたり傷つけたりするのであれば、相手を気遣った嘘も必要となります。
こういう嘘がつけない人は、「正直な人」というよりも、「人を気遣えない自分勝手な人」という印象の方が強くなります。
いずれも自分のためではなく、相手のためにつく嘘です。
これを否定してしまっては、良い人間関係を構築できるわけがありません。
良い嘘と悪い嘘、これらを全てひっくるめて「嘘はアカン」なんて言ってはいけないのです。
2012年6月5日火曜日
人間関係の始まり
人間関係の始まりは、自己紹介からといえます。
お互いが自分の名を名乗り、どこの誰であるか、簡単なプロフィールを添えて紹介するのです。
プロフィールを省略する意味も含めて、名刺を渡すという行為も、自己紹介の場に於いて非常に有効な手段です。
簡単なプロフィールの書かれたカードは、相手の手元にも残り、後日連絡を取る場合などに非常に便利なツールとなります。
仕事が絡む場合は、逆に名刺がないと失礼にあたります。
名刺も渡さずに、名前を名乗られたとしても、ハッキリ言って覚えられません。
なのに名刺もなく名前さえも名乗らない相手となんて絶対に仕事なんてしたくありません。
それくらい、初対面の相手との常識、礼儀として、自己紹介は重要なプロセスなのです。
勿論例外もあります。先に意気投合してしまって、後から自己紹介をする。
同じ境遇に置かれた人達が、名を明かさぬままに過ごす事も珍しくはありません。が、その場合も必ず後から自己紹介という行為に至り、その後親交が深まる、人間関係が構築されるわけです。
いずれにしろ、順番が前後する場合もありますが、他人と付き合いをしていくのであれば、必ず通らなければならない行為である事は間違いありません。
私は友人・知人と複数名で同席する場合、この紹介というプロセスを非常に重要視しています。
他人と他人の間に入って仲を取り持つわけですから、最初が肝心です。
これまでにも何百人という人達を紹介してきました。
友人を人に紹介する場合、少しティーアップしたメッセージを添えて紹介するようにしています。
その方が、紹介される側が気持ちいい(心地よい)からです。
また紹介された側も、この出会いの期待度が上がりますし、会話も弾みやすくなるからです。
ところが、この紹介という事をしない人がいます。
なぜ紹介しないのか私には全く理解できません。
紹介をしないという事は、基本的にこちらに紹介したくないのかと思ってしまいます。(本当にそうかもしれません)もしくは紹介できない何か複雑な理由があるのかもしれません。
もしくはただの気のきかない無能な人なのでしょう。
カップルで歩いている時に、彼(彼女)の知人に道端でばったり遭遇した場合、そこで自分を紹介されなかったら、会話中に一体どんな対応をすればいいのか物凄く困ります。逆に何故自分を彼(彼女)だと紹介できないのかと相手に不信感を抱く原因にもなります。
カップルでなくても、友人の関係でもこういう事は結構起こり得ます。
紹介したくないのであれば、わざわざこちらから会話する必要もありませんし、会話したいとも思いません。
紹介されないまま、お互いに距離を縮められないままの関係。
実は、そんな人が今、私の周囲に何人か居ます。
やはりある知人を通じて紹介されないまま知り合った人達です。
1度も紹介されぬままに、何度も顔を合わせているうちに、見慣れてしまった不思議な関係です。
勿論名前も何も知りません。
往々にして相手は私の名前を知っている事は多いのですが、こちらは紹介もされていないので、わかるはずもありません。
何回も顔を合わせているので、自然と会話もします(こちらからは絶対にしませんが)が、毎回「誰やねん」と思いながら会話するのです。
そもそも誰かわからないままに会話するのは非常に苦痛です。非常に疲れるのです。
なので極力会話はしたくはありません。会いたくもありません。
今更自己紹介なんてしたくもありませんから、今後一生その人と人間関係が深まる事はないでしょう。
こういった問題を引き起こした一番の要因は、最初の出会いなのです。
最初に紹介者が、一言お互いを紹介し、自己紹介の場面を作ってくれていれば、こんな事にはならなかったはずです。
そのたった一言が足りないばっかりに、2人の人間関係が成立しない事を決定付けてしまったわけです。
この事の重要性が解らない大人が存在することに腹立たしさを覚えます。
きっと社会経験が無い、または無いに等しい、もしくは複数での人付き合いの経験が無い人なのでしょう。
紹介というプロセスを踏まない事で、相手がどんな気持ちになるか理解できない人。
すなわち人の気持ちがわからない人。
私はそういう人達をこういう風にカテゴリわけをしています。
お互いが自分の名を名乗り、どこの誰であるか、簡単なプロフィールを添えて紹介するのです。
プロフィールを省略する意味も含めて、名刺を渡すという行為も、自己紹介の場に於いて非常に有効な手段です。
簡単なプロフィールの書かれたカードは、相手の手元にも残り、後日連絡を取る場合などに非常に便利なツールとなります。
仕事が絡む場合は、逆に名刺がないと失礼にあたります。
名刺も渡さずに、名前を名乗られたとしても、ハッキリ言って覚えられません。
なのに名刺もなく名前さえも名乗らない相手となんて絶対に仕事なんてしたくありません。
それくらい、初対面の相手との常識、礼儀として、自己紹介は重要なプロセスなのです。
勿論例外もあります。先に意気投合してしまって、後から自己紹介をする。
同じ境遇に置かれた人達が、名を明かさぬままに過ごす事も珍しくはありません。が、その場合も必ず後から自己紹介という行為に至り、その後親交が深まる、人間関係が構築されるわけです。
いずれにしろ、順番が前後する場合もありますが、他人と付き合いをしていくのであれば、必ず通らなければならない行為である事は間違いありません。
私は友人・知人と複数名で同席する場合、この紹介というプロセスを非常に重要視しています。
他人と他人の間に入って仲を取り持つわけですから、最初が肝心です。
これまでにも何百人という人達を紹介してきました。
友人を人に紹介する場合、少しティーアップしたメッセージを添えて紹介するようにしています。
その方が、紹介される側が気持ちいい(心地よい)からです。
また紹介された側も、この出会いの期待度が上がりますし、会話も弾みやすくなるからです。
ところが、この紹介という事をしない人がいます。
なぜ紹介しないのか私には全く理解できません。
紹介をしないという事は、基本的にこちらに紹介したくないのかと思ってしまいます。(本当にそうかもしれません)もしくは紹介できない何か複雑な理由があるのかもしれません。
もしくはただの気のきかない無能な人なのでしょう。
カップルで歩いている時に、彼(彼女)の知人に道端でばったり遭遇した場合、そこで自分を紹介されなかったら、会話中に一体どんな対応をすればいいのか物凄く困ります。逆に何故自分を彼(彼女)だと紹介できないのかと相手に不信感を抱く原因にもなります。
カップルでなくても、友人の関係でもこういう事は結構起こり得ます。
紹介したくないのであれば、わざわざこちらから会話する必要もありませんし、会話したいとも思いません。
紹介されないまま、お互いに距離を縮められないままの関係。
実は、そんな人が今、私の周囲に何人か居ます。
やはりある知人を通じて紹介されないまま知り合った人達です。
1度も紹介されぬままに、何度も顔を合わせているうちに、見慣れてしまった不思議な関係です。
勿論名前も何も知りません。
往々にして相手は私の名前を知っている事は多いのですが、こちらは紹介もされていないので、わかるはずもありません。
何回も顔を合わせているので、自然と会話もします(こちらからは絶対にしませんが)が、毎回「誰やねん」と思いながら会話するのです。
そもそも誰かわからないままに会話するのは非常に苦痛です。非常に疲れるのです。
なので極力会話はしたくはありません。会いたくもありません。
今更自己紹介なんてしたくもありませんから、今後一生その人と人間関係が深まる事はないでしょう。
こういった問題を引き起こした一番の要因は、最初の出会いなのです。
最初に紹介者が、一言お互いを紹介し、自己紹介の場面を作ってくれていれば、こんな事にはならなかったはずです。
そのたった一言が足りないばっかりに、2人の人間関係が成立しない事を決定付けてしまったわけです。
この事の重要性が解らない大人が存在することに腹立たしさを覚えます。
きっと社会経験が無い、または無いに等しい、もしくは複数での人付き合いの経験が無い人なのでしょう。
紹介というプロセスを踏まない事で、相手がどんな気持ちになるか理解できない人。
すなわち人の気持ちがわからない人。
私はそういう人達をこういう風にカテゴリわけをしています。
2012年5月28日月曜日
立ちション禁止 推進編
以前、立ちション禁止というコラムを書きました。
立ちションは軽犯罪法違反となる行為であるという内容でした。
参考→ 殿のコラム:立ちション禁止
ところが、今回は、私が立ちションを推進してしまったというお話です。
先日、いつものコースを走っていると、前方に、半笑顔でこちらを見て口をパクパクさせている60歳前後のオッチャンが見えました。
私はいつも、音楽をガンガンに聴きながら走っていますので、何を言っているのかはわかりませんでしたが、明らかに私に向かって何かを言っているようです。
私は誰か他の人に話しかけているのではないかと後方を確認し、私である事を確信した後に、イヤホンを外し、オッチャンの話を聞くことにしました。
お 「すみませんすみません」
私 「あはい」
お 「どっかこのへんにトイレはないですか」
私 「トイレ?」
お 「もう限界なんです」
私 「あー、あの向こうに見えてる2本目の橋のへんにあったかも」
お 「遠いですね」
私 「せやね」
お 「もう限界なんです」
私 「ほならあっこらへんでしい、な、な、」
お 「え?いいんですか?」
私 「そなもんしゃないがな、限界やろ?」
お 「限界です」
私 「だーれもけーへんか見といたるわ、な、な、」
お 「すみませんすみません」
私は、その場でだれも来ないかを監視しながら、用を足すオッチャンの背中を見守り続けました。
私 「ながっっ」
お 「すみませんすみません」
立ちションは軽犯罪法違反となる行為であるという内容でした。
参考→ 殿のコラム:立ちション禁止
ところが、今回は、私が立ちションを推進してしまったというお話です。
先日、いつものコースを走っていると、前方に、半笑顔でこちらを見て口をパクパクさせている60歳前後のオッチャンが見えました。
私はいつも、音楽をガンガンに聴きながら走っていますので、何を言っているのかはわかりませんでしたが、明らかに私に向かって何かを言っているようです。
私は誰か他の人に話しかけているのではないかと後方を確認し、私である事を確信した後に、イヤホンを外し、オッチャンの話を聞くことにしました。
お 「すみませんすみません」
私 「あはい」
お 「どっかこのへんにトイレはないですか」
私 「トイレ?」
お 「もう限界なんです」
私 「あー、あの向こうに見えてる2本目の橋のへんにあったかも」
お 「遠いですね」
私 「せやね」
お 「もう限界なんです」
私 「ほならあっこらへんでしい、な、な、」
お 「え?いいんですか?」
私 「そなもんしゃないがな、限界やろ?」
お 「限界です」
私 「だーれもけーへんか見といたるわ、な、な、」
お 「すみませんすみません」
私は、その場でだれも来ないかを監視しながら、用を足すオッチャンの背中を見守り続けました。
私 「ながっっ」
お 「すみませんすみません」
2012年5月23日水曜日
ええかげんな人
ええかげんな人=いいかげんな人。適当な人。曖昧な人。
世間では、この「ええかげんな人」は信用されなかったり、相手にしてもらえなかったりと、あまり良い印象はもたれていません。
しかし何事に対してもええかげんな人って、果たして存在するのでしょうか。
何でもキッチリしておかないと気がすまないという人でも、どこかええかげんな部分があるのではないでしょうか。
逆に、どこかええかげんな部分がないと疲れてしまいますし、人間らしさがないような気がします。
人はそれぞれ「ええかげんな部分」や「キッチリしている部分」「可愛い部分」「厳しい部分」など、沢山の表情を持ち合わせている生き物です。
その部分の比率によって、その人の全体的な印象が決まるのではないでしょうか。
例えば、キッチリ度90%、ええかげん度10%を持ち合わせている人が居たとして、たまたま10%しかないええかげんさが露出したシーンを目撃した人は、その人をええかげんな人と捉えるでしょう。しかし実際は、キッチリ度が90%もあるので、多くの人はキッチリした人と受け取っているはずです。
深い付き合いのない人間関係に於いて、人によって受ける印象が大きく異なるというのは、こういった事が原因と考えられます。
どんな人でも深い付き合いをしてみないと、実際はどんな人物なのか判断できないという事です。
では、深い付き合いとは一体どんな付き合いなのでしょうか。
「毎月1回、飲みの席で会う人。もう5年以上の付き合いになる。」
これは深い付き合いとは言えません。
いくら5年以上の付き合いがあったとしても、同じシチュエーションで何回も会うだけでは、他の側面は見えてきません。
よく、いくら仲の良い友人だったとしても、一緒に働いたり同居すると嫌な部分が見えてくると言いますが、まさにこれです。
5年以上酒の席で意気投合した仲間だったとしても、一緒に仕事をしたり、一緒に何かプロジェクトを実行したりしてみないと、本当の姿は見えてこないわけです。
仲の良い恋人同士が、結婚という2人でのプロジェクトを実行する際に、今まで見えてなかった側面が露出して、破局してしまうなんてよくある事です。これも同様のことが言えます。
逆に、普段一緒に仕事をしていたり、一緒に何かに取り組んで、お互いに様々な側面を理解した上での人間関係というものは、かなり強固なものとなります。
このように、友人でも、恋人同士でも、上司と部下でも、様々なシチュエーションを経験した上で、相手がどんな人物なのかを判断すべきだという事です。
側面だけ見て「あの人はええかげんな人」と決め付けてしまうのは危険な事なのです。
世間では、この「ええかげんな人」は信用されなかったり、相手にしてもらえなかったりと、あまり良い印象はもたれていません。
しかし何事に対してもええかげんな人って、果たして存在するのでしょうか。
何でもキッチリしておかないと気がすまないという人でも、どこかええかげんな部分があるのではないでしょうか。
逆に、どこかええかげんな部分がないと疲れてしまいますし、人間らしさがないような気がします。
人はそれぞれ「ええかげんな部分」や「キッチリしている部分」「可愛い部分」「厳しい部分」など、沢山の表情を持ち合わせている生き物です。
その部分の比率によって、その人の全体的な印象が決まるのではないでしょうか。
例えば、キッチリ度90%、ええかげん度10%を持ち合わせている人が居たとして、たまたま10%しかないええかげんさが露出したシーンを目撃した人は、その人をええかげんな人と捉えるでしょう。しかし実際は、キッチリ度が90%もあるので、多くの人はキッチリした人と受け取っているはずです。
深い付き合いのない人間関係に於いて、人によって受ける印象が大きく異なるというのは、こういった事が原因と考えられます。
どんな人でも深い付き合いをしてみないと、実際はどんな人物なのか判断できないという事です。
では、深い付き合いとは一体どんな付き合いなのでしょうか。
「毎月1回、飲みの席で会う人。もう5年以上の付き合いになる。」
これは深い付き合いとは言えません。
いくら5年以上の付き合いがあったとしても、同じシチュエーションで何回も会うだけでは、他の側面は見えてきません。
よく、いくら仲の良い友人だったとしても、一緒に働いたり同居すると嫌な部分が見えてくると言いますが、まさにこれです。
5年以上酒の席で意気投合した仲間だったとしても、一緒に仕事をしたり、一緒に何かプロジェクトを実行したりしてみないと、本当の姿は見えてこないわけです。
仲の良い恋人同士が、結婚という2人でのプロジェクトを実行する際に、今まで見えてなかった側面が露出して、破局してしまうなんてよくある事です。これも同様のことが言えます。
逆に、普段一緒に仕事をしていたり、一緒に何かに取り組んで、お互いに様々な側面を理解した上での人間関係というものは、かなり強固なものとなります。
このように、友人でも、恋人同士でも、上司と部下でも、様々なシチュエーションを経験した上で、相手がどんな人物なのかを判断すべきだという事です。
側面だけ見て「あの人はええかげんな人」と決め付けてしまうのは危険な事なのです。
2012年5月16日水曜日
ハシガー
飲食店に於いて、1軒にとどまらず何軒もハシゴしたがる人種、ハシガー。
軽く1品だけ食べてサッと席を立つ。
軽く1杯だけ飲んでサッと席を立つ。
そしてそれを何軒も繰り返すのです。
彼らは決してグルメブロガーではありません。時間がないので一晩で何軒も訪れて、一晩で1週間分のネタを収集するグルメブロガーとはまた異なる人種なのです。
サッと食ってサッと帰る事にロマンを感じている人達なのです。
ハシガーは熟年層に多いのも大きな特徴です。
もしくはそんなハシガーに連れまわされた、ハシガーに憧れる30代後半以上の人達です。
そんなハシガーの1人、Mさんの同行取材に成功しました。
Mさんは現在51歳、ハシガー歴10年というベテランハシガーです。
彼との待ち合わせは20時、繁華街のコンビニ前で集合し、すぐ近くの居酒屋へ入りました。
アテ3品付きのビールセットなるものをオーダー、Mさんの「いつものやつしてや」の一言でこれが席へ運ばれてきます。
「ワシはな、この店はこれしか注文した事ないんや」
得意げに話すMさん。
するとビールを飲み干し、アテにほとんど手をつけてない状態で、早くも席を立とうとするのです。
「いこっ、次いこっ」
「しゃーけどまだ食うてませんやん」
「ええからええから、次で食うたらええから」
私たちはビールを飲んだだけで席を立ちました。
これならビールセットではなく、ビールだけを注文したら良かったのではないでしょうか。
Mさんが言います。
「ビールだけやったら悪いヤン」
なるほど、さすがに1000円ぐらいは使わないとお店に申し訳ないという考えのようです。
次に訪れたのは焼肉店、生ビール、キムチ、塩タン、ホルモンを注文。
私が肉を焼こうとすると「ええからええから」とMさんが焼いてくれます。
彼はハシガーであり焼肉ブギョーでもあったのです。
しかも食べる分だけ焼くのではなく、全部ドバッと網の上に置いてしまう方のタイプの焼肉ブギョーだったのです。
このタイプのブギョーは非常に迷惑なのですが、文句を言うと今後連れてってもらえないので、焦げないように黙ってサッサと食べなけれはなりません。
私がトイレに立った間に会計が済まされていました。この辺りのスマートさがハシガーの大きな特徴でもあるのです。
次に入ったのは、女の子が常時10人ほど居るというそこそこ大きめのラウンジ。
ここでも水割りを1杯だけ飲んで次の店に向かいます。
本当はこのお店で歌を歌いたかったというMさん。
しかし先客が盛り上がっていたためにサッと店を出たというのです。
ハシガーは自分が主人公にならなければ面白くない人種のようです。
次のスナックはママと20代アルバイト女子の計2人の小さなお店。先客は居ませんでした。
ここでMさんは3曲を熱唱、水割りを4杯いただきました。
このお店がもっとも滞在時間の長いお店となりました。
やはり他に客が居なかった事で、自身が主人公となれた事が大きな要因だったと思います。
その後、私たちは水割り半分程度で店を出るスタイルで、スナックを2軒ハシゴし、最終ラーメン店でビールとラーメンで締めたのです。
この日実に4時間で7軒のお店をハシゴした事になります。
しかし何故こんなにも次々と店を変えるのでしょうか。
Mさんにそのあたりを聞いてみました。
私 「しゃーけどころころ店変えていそがしですね」
M 「これが俺のスタイルや」
私 「なんでころころ変えますん」
M 「そなもんたまには顔出したらな悪いヤン」
私 「悪い?」
M 「せや、ちょっとでもええから顔を出して安心さしたらなアカンがな」
どーやら定期的に少しでもいいのでお店に顔を出す事で、お店への貢献をしているというのがMさんの答えでした。
確かに短時間に数多くのお店に顔を出すためには、こういう方法しかありません。
私 「普段からずっとこんな感じなんすか?」
M 「せや」
私 「誰とでも?」
M 「誰とでもちゃう、特定の人とだけや」
どーやら後輩や部下との会食時のみ、ハシガーになるようです。
結局のところ、後輩や部下にエエカッコしたい為に取る行動というのが真理のようです。
ハシガーしている自分に酔いしれているのでしょう。
横から見ていて、そんなにカッコエエとは思わないのですが、しかし自分がハシガーとなって、後輩を連れまわすイメージをした時、何となくその気持ちもわかるような気がしました。
私も立派なハシガーになれるのでしょうか。
軽く1品だけ食べてサッと席を立つ。
軽く1杯だけ飲んでサッと席を立つ。
そしてそれを何軒も繰り返すのです。
彼らは決してグルメブロガーではありません。時間がないので一晩で何軒も訪れて、一晩で1週間分のネタを収集するグルメブロガーとはまた異なる人種なのです。
サッと食ってサッと帰る事にロマンを感じている人達なのです。
ハシガーは熟年層に多いのも大きな特徴です。
もしくはそんなハシガーに連れまわされた、ハシガーに憧れる30代後半以上の人達です。
そんなハシガーの1人、Mさんの同行取材に成功しました。
Mさんは現在51歳、ハシガー歴10年というベテランハシガーです。
彼との待ち合わせは20時、繁華街のコンビニ前で集合し、すぐ近くの居酒屋へ入りました。
アテ3品付きのビールセットなるものをオーダー、Mさんの「いつものやつしてや」の一言でこれが席へ運ばれてきます。
「ワシはな、この店はこれしか注文した事ないんや」
得意げに話すMさん。
するとビールを飲み干し、アテにほとんど手をつけてない状態で、早くも席を立とうとするのです。
「いこっ、次いこっ」
「しゃーけどまだ食うてませんやん」
「ええからええから、次で食うたらええから」
私たちはビールを飲んだだけで席を立ちました。
これならビールセットではなく、ビールだけを注文したら良かったのではないでしょうか。
Mさんが言います。
「ビールだけやったら悪いヤン」
なるほど、さすがに1000円ぐらいは使わないとお店に申し訳ないという考えのようです。
次に訪れたのは焼肉店、生ビール、キムチ、塩タン、ホルモンを注文。
私が肉を焼こうとすると「ええからええから」とMさんが焼いてくれます。
彼はハシガーであり焼肉ブギョーでもあったのです。
しかも食べる分だけ焼くのではなく、全部ドバッと網の上に置いてしまう方のタイプの焼肉ブギョーだったのです。
このタイプのブギョーは非常に迷惑なのですが、文句を言うと今後連れてってもらえないので、焦げないように黙ってサッサと食べなけれはなりません。
私がトイレに立った間に会計が済まされていました。この辺りのスマートさがハシガーの大きな特徴でもあるのです。
次に入ったのは、女の子が常時10人ほど居るというそこそこ大きめのラウンジ。
ここでも水割りを1杯だけ飲んで次の店に向かいます。
本当はこのお店で歌を歌いたかったというMさん。
しかし先客が盛り上がっていたためにサッと店を出たというのです。
ハシガーは自分が主人公にならなければ面白くない人種のようです。
次のスナックはママと20代アルバイト女子の計2人の小さなお店。先客は居ませんでした。
ここでMさんは3曲を熱唱、水割りを4杯いただきました。
このお店がもっとも滞在時間の長いお店となりました。
やはり他に客が居なかった事で、自身が主人公となれた事が大きな要因だったと思います。
その後、私たちは水割り半分程度で店を出るスタイルで、スナックを2軒ハシゴし、最終ラーメン店でビールとラーメンで締めたのです。
この日実に4時間で7軒のお店をハシゴした事になります。
しかし何故こんなにも次々と店を変えるのでしょうか。
Mさんにそのあたりを聞いてみました。
私 「しゃーけどころころ店変えていそがしですね」
M 「これが俺のスタイルや」
私 「なんでころころ変えますん」
M 「そなもんたまには顔出したらな悪いヤン」
私 「悪い?」
M 「せや、ちょっとでもええから顔を出して安心さしたらなアカンがな」
どーやら定期的に少しでもいいのでお店に顔を出す事で、お店への貢献をしているというのがMさんの答えでした。
確かに短時間に数多くのお店に顔を出すためには、こういう方法しかありません。
私 「普段からずっとこんな感じなんすか?」
M 「せや」
私 「誰とでも?」
M 「誰とでもちゃう、特定の人とだけや」
どーやら後輩や部下との会食時のみ、ハシガーになるようです。
結局のところ、後輩や部下にエエカッコしたい為に取る行動というのが真理のようです。
ハシガーしている自分に酔いしれているのでしょう。
横から見ていて、そんなにカッコエエとは思わないのですが、しかし自分がハシガーとなって、後輩を連れまわすイメージをした時、何となくその気持ちもわかるような気がしました。
私も立派なハシガーになれるのでしょうか。
2012年5月13日日曜日
クレーム営業
知人から、とある新ブランド立ち上げに際して、営業面で力を貸してしてほしいとの依頼があり、快く引き受けました。
そのブランドは、地域密着型で商品も素晴らしく、将来性も非常に高いものでした。
私のできることなんて限られていますが、それでも前向きに協力したいと強く思えるものだったのです。
お披露目会に出席して1ヶ月ほど経過したある日、ある友人から「クレーム営業されて困ってる」と相談を受けたのです。
私 「クレーム営業?なんじゃそら」
彼 「うちの○○は最低やゆーてクレーム電話があったんです」
私 「ほうほう」
彼 「だから謝罪したんです」
私 「うん」
彼 「ほんならその人「だからうちの○○を買え」ゆーんですわ」
私 「なんやて?」
彼 「サイテーでしょ」
私 「そらクソやな」
彼 「クソ以下でしょ」
私 「どんなやっちゃんねん」
彼 「○○っちゅー人ですわ」
私 「えー、」
なんと前述の新ブランドの代表者だったのです。
私はその相談してきた彼にも、以前から新ブランドの話はしていたので、物凄く恥ずかしくなりました。
そして何故か私が彼に謝罪するはめになったのです。
一体何故そんな営業をするのでしょうか。
私は新ブランドの営業マンでもなんでもありません、完全なボランティアです。
信用だけで人に紹介しているのです。
その協力者の信用を、完全に喪失させるような事をしてしまっては、協力なんて出来るはずがありません。
その後は当然ですが、全く人にはススメていません。
モノはいいのでしょうが、後で信用をなくすのが怖いのです。
営業は信用が一番です。(価格競争は別として)
信頼できる人がススメるから購買意欲が沸くのです。
信用や信頼は、時間をかけて築き上げていくものですが、崩れるときは一瞬です。
そして一度崩れた信用を取り戻すには、また膨大な時間を費やさなければならないのです。
今回の人は、そんな事は一切理解できないのでしょう。
協力を依頼してきた知人や、沢山の協力者が存在する事が、逆に彼にとってマイナスに働いているのでしょうか。(苦労なく売れるので)
いずれにしても、悲しい話です。
そのブランドは、地域密着型で商品も素晴らしく、将来性も非常に高いものでした。
私のできることなんて限られていますが、それでも前向きに協力したいと強く思えるものだったのです。
お披露目会に出席して1ヶ月ほど経過したある日、ある友人から「クレーム営業されて困ってる」と相談を受けたのです。
私 「クレーム営業?なんじゃそら」
彼 「うちの○○は最低やゆーてクレーム電話があったんです」
私 「ほうほう」
彼 「だから謝罪したんです」
私 「うん」
彼 「ほんならその人「だからうちの○○を買え」ゆーんですわ」
私 「なんやて?」
彼 「サイテーでしょ」
私 「そらクソやな」
彼 「クソ以下でしょ」
私 「どんなやっちゃんねん」
彼 「○○っちゅー人ですわ」
私 「えー、」
なんと前述の新ブランドの代表者だったのです。
私はその相談してきた彼にも、以前から新ブランドの話はしていたので、物凄く恥ずかしくなりました。
そして何故か私が彼に謝罪するはめになったのです。
一体何故そんな営業をするのでしょうか。
私は新ブランドの営業マンでもなんでもありません、完全なボランティアです。
信用だけで人に紹介しているのです。
その協力者の信用を、完全に喪失させるような事をしてしまっては、協力なんて出来るはずがありません。
その後は当然ですが、全く人にはススメていません。
モノはいいのでしょうが、後で信用をなくすのが怖いのです。
営業は信用が一番です。(価格競争は別として)
信頼できる人がススメるから購買意欲が沸くのです。
信用や信頼は、時間をかけて築き上げていくものですが、崩れるときは一瞬です。
そして一度崩れた信用を取り戻すには、また膨大な時間を費やさなければならないのです。
今回の人は、そんな事は一切理解できないのでしょう。
協力を依頼してきた知人や、沢山の協力者が存在する事が、逆に彼にとってマイナスに働いているのでしょうか。(苦労なく売れるので)
いずれにしても、悲しい話です。
2012年5月1日火曜日
会議マニア
会議が好きで好きでたまりません。
会議は毎日でもやりたいです。
会議なら何時間でもできます。
会議資料作成の為に業務の殆どを費やします。
会議の為に日々仕事をしているようなものです。
そんな会議マニア、結構います。
会議病とも呼ばれているこの人種は、殆どが中小企業の社長またはそれに近い役職の人です。
会議マニアの周囲には、大勢の会議嫌いの人達がいます。
会議マニアのせいで、会議が大嫌いになってしまった可哀想な人達です。
そもそも会議は必要なのでしょうか。
業務内容により多少異なりますが、商品企画会議や営業戦略会議等のように多くの意見を集め決定するための会議は必要です。何事も1人の意見よりも、より多くの人の意見を取り入れた方が良いに決まっています。
また士気を上げるために定期的な会議を行う事も重要だと思います。
いずれも会議の目的があって、会議終了時にはその目的が達成されている事が条件となります。
前述の場合なら、商品や戦略が決定している事がゴール。
後述の場合なら、社員の士気が上がっている事がゴールとなります。
しかし以下のような目的の会議も数多く存在します。
・社長自身が安心(業績)したいために行う不安材料消去会議。
わざわざ会議にしなくても個別の報告で事足ります。
・部下に自身の知識や経験などを語りたいために行う自己満足会議。
ここ最近飲みの場にも付き合ってくれるような社員がいないので、自分の武勇伝を
聞かせる場所が無く、会議をそれに利用するパターン。物凄く迷惑です。
・部下にヤル気を起こさせるために一方的に喋る洗脳会議。
上司が一方的に喋っただけでヤル気になるような部下は、すぐにヤル気をなくします。
部下にヤル気を起こさせるには喋りではなく仕組みが必要なのです。
これも上記と同様に無駄な時間となる場合が殆どです。
私自身が、これまでの社会経験の中で、出席してきた数多くの会議の殆どが、上記のような会議でした。
部下は、一方的に喋る上司のつまらない話を延々と黙って聞くだけの会議です。
またこんな会議を行う人に限って、6時間とか8時間とか信じられないほどに長い会議を行うのです。
長い会議のほとんどは、無駄話がダラダラと続くだけの会議です。
当然つまらないので物凄く眠くなります。
眠くなってウトウトしていると、上司の目にとまり、給料の査定に影響が出ます。
しかし本来なら、そんなつまらない我慢大会のような会議を主催している側が悪いわけで、
部下がウトウトし始めたら、自分の話がつまらないという事を察しなければいけません。
うたた寝する部下が悪いと決め付ける人は何の成長もないのです。
何でも人のせいにして責任逃れするだけのつまらない人なのです。
そんな人に部下がついていくわけがないのです。
会議なんて短時間でサッと終わらせて、さっさと業務に戻った方が、よほど業績アップにつながるのに。
会議を行う事で安心するのは物凄くナンセンスな事だと思います。
しかもこんなダラダラした会議を週に何度も行うようでは、仕事をする暇さえありません。
会議マニア、本当に恐ろしい病気です。
感染しないように注意しておいてください。
見かけたらすぐに通報した方が良いでしょう。
会議は毎日でもやりたいです。
会議なら何時間でもできます。
会議資料作成の為に業務の殆どを費やします。
会議の為に日々仕事をしているようなものです。
そんな会議マニア、結構います。
会議病とも呼ばれているこの人種は、殆どが中小企業の社長またはそれに近い役職の人です。
会議マニアの周囲には、大勢の会議嫌いの人達がいます。
会議マニアのせいで、会議が大嫌いになってしまった可哀想な人達です。
そもそも会議は必要なのでしょうか。
業務内容により多少異なりますが、商品企画会議や営業戦略会議等のように多くの意見を集め決定するための会議は必要です。何事も1人の意見よりも、より多くの人の意見を取り入れた方が良いに決まっています。
また士気を上げるために定期的な会議を行う事も重要だと思います。
いずれも会議の目的があって、会議終了時にはその目的が達成されている事が条件となります。
前述の場合なら、商品や戦略が決定している事がゴール。
後述の場合なら、社員の士気が上がっている事がゴールとなります。
しかし以下のような目的の会議も数多く存在します。
・社長自身が安心(業績)したいために行う不安材料消去会議。
わざわざ会議にしなくても個別の報告で事足ります。
・部下に自身の知識や経験などを語りたいために行う自己満足会議。
ここ最近飲みの場にも付き合ってくれるような社員がいないので、自分の武勇伝を
聞かせる場所が無く、会議をそれに利用するパターン。物凄く迷惑です。
・部下にヤル気を起こさせるために一方的に喋る洗脳会議。
上司が一方的に喋っただけでヤル気になるような部下は、すぐにヤル気をなくします。
部下にヤル気を起こさせるには喋りではなく仕組みが必要なのです。
これも上記と同様に無駄な時間となる場合が殆どです。
私自身が、これまでの社会経験の中で、出席してきた数多くの会議の殆どが、上記のような会議でした。
部下は、一方的に喋る上司のつまらない話を延々と黙って聞くだけの会議です。
またこんな会議を行う人に限って、6時間とか8時間とか信じられないほどに長い会議を行うのです。
長い会議のほとんどは、無駄話がダラダラと続くだけの会議です。
当然つまらないので物凄く眠くなります。
眠くなってウトウトしていると、上司の目にとまり、給料の査定に影響が出ます。
しかし本来なら、そんなつまらない我慢大会のような会議を主催している側が悪いわけで、
部下がウトウトし始めたら、自分の話がつまらないという事を察しなければいけません。
うたた寝する部下が悪いと決め付ける人は何の成長もないのです。
何でも人のせいにして責任逃れするだけのつまらない人なのです。
そんな人に部下がついていくわけがないのです。
会議なんて短時間でサッと終わらせて、さっさと業務に戻った方が、よほど業績アップにつながるのに。
会議を行う事で安心するのは物凄くナンセンスな事だと思います。
しかもこんなダラダラした会議を週に何度も行うようでは、仕事をする暇さえありません。
会議マニア、本当に恐ろしい病気です。
感染しないように注意しておいてください。
見かけたらすぐに通報した方が良いでしょう。
2012年4月30日月曜日
流血のコンビニエンス
三宮で散々飲んだ帰り道、とぼとぼと歩道を歩いていた時のことです。
いや、かなり酔っていましたので「とぼとぼ」ではなく「ふらふら」です。
目は半分以上ふさがり(元々私の目は人の半分ほどの開口部ですので、この時は一般的な人の1/4以下の開口部に相当すると思います)真っ直ぐに歩いているつもりでも、勝手に右へ左へと足が進み、まさに千鳥足状態だったと思います。
何故か両手は「前へならえ」状態で、人から見ればキョンシー的なスタイルだったと思います。
「ミ、ミズ、ミズクレ」とぼそぼそとつぶやいていたかも知れません。
なぜそう思うのかというと、そのセリフがその時のポージングにまさにピッタリだと思うからです。
10分ほど歩いた時、事件が起こりました。
三宮の歩道には、数多く街灯が立っています。
私はその街灯に全く気付かず、真正面から激突したのです。
額を街灯に強打した私は、その場に真後ろにぶっ倒れ、後頭部を歩道に強打しました。
手は前へならえのままの状態です。
しかしあまりにも酔っていたせいか、たいした痛みも感じず、1~2分そのまま歩道に仰向けの状態で、足を交互に動かしながら倒れていました。
通行人はみんな気付かぬフリをして、チラ見しつつ通り過ぎて行きます。
数分後、私は両手をパタリと地面に落とし、足の動きを止め、大の字となりました。
そして何事も無かったようにムクリと起き上がり、コンビニエンスストアえと向かったのです。
さすがに額が割れるように痛いので、バンドエイドを買おうと思ったのです。
5分ほど歩き、コンビニエンスストアに到着しました。
深夜とはいえ、週末のコンビニエンスは人で溢れていました。
私が入店すると、全員がこちらを凝視しました。
正確に言うと、数人が私を見てギョッとした顔をしたので、それに気付いた周囲の人が皆こちらを凝視したという感じです。全員がピタッと動きを止めていました。
まるで時間が止まったかのように感じるコンビニエンスストア。そんな印象でした。
私は日用品コーナーへ進みながら、ふと窓ガラスにうつった自身の姿に仰天したのです。
額から大量に流血し、顔は真っ赤。ワイシャツも上部は血で赤く染まっています。
その姿を見て初めて、皆がこちらを凝視している意味を理解できたのです。
理解できたと同時に、物凄く恥ずかしくなりました。
「これだけ流血しているのに、バンドエイド1個をレジへ持っていって変に思われないだろうか」
そんな思いが脳裏をよぎります。
しかし今ココで動きをやめるわけにもいきません。
逆にバンドエイドではなく、缶コーヒーやヤンジャンを買うのも変です。
私は何事もなかったかのように、バンドエイド1箱を手に取り、レジへ並びました。
そして精算を済ませると、皆の見守る中、そそくさと店を出たのです。
店を出ても、物凄い人の数の視線を、背中に感じました。
私は迷いましたが、そのまま出口すぐのゴミ箱前へ移動し、バンドエイドを1枚、箱から取り出し、額へ貼ったのです。
血ですぐに剥がれ落ちる事はわかっていましたが、貼るしかなかったのです。
いや、かなり酔っていましたので「とぼとぼ」ではなく「ふらふら」です。
目は半分以上ふさがり(元々私の目は人の半分ほどの開口部ですので、この時は一般的な人の1/4以下の開口部に相当すると思います)真っ直ぐに歩いているつもりでも、勝手に右へ左へと足が進み、まさに千鳥足状態だったと思います。
何故か両手は「前へならえ」状態で、人から見ればキョンシー的なスタイルだったと思います。
「ミ、ミズ、ミズクレ」とぼそぼそとつぶやいていたかも知れません。
なぜそう思うのかというと、そのセリフがその時のポージングにまさにピッタリだと思うからです。
10分ほど歩いた時、事件が起こりました。
三宮の歩道には、数多く街灯が立っています。
私はその街灯に全く気付かず、真正面から激突したのです。
額を街灯に強打した私は、その場に真後ろにぶっ倒れ、後頭部を歩道に強打しました。
手は前へならえのままの状態です。
しかしあまりにも酔っていたせいか、たいした痛みも感じず、1~2分そのまま歩道に仰向けの状態で、足を交互に動かしながら倒れていました。
通行人はみんな気付かぬフリをして、チラ見しつつ通り過ぎて行きます。
数分後、私は両手をパタリと地面に落とし、足の動きを止め、大の字となりました。
そして何事も無かったようにムクリと起き上がり、コンビニエンスストアえと向かったのです。
さすがに額が割れるように痛いので、バンドエイドを買おうと思ったのです。
5分ほど歩き、コンビニエンスストアに到着しました。
深夜とはいえ、週末のコンビニエンスは人で溢れていました。
私が入店すると、全員がこちらを凝視しました。
正確に言うと、数人が私を見てギョッとした顔をしたので、それに気付いた周囲の人が皆こちらを凝視したという感じです。全員がピタッと動きを止めていました。
まるで時間が止まったかのように感じるコンビニエンスストア。そんな印象でした。
私は日用品コーナーへ進みながら、ふと窓ガラスにうつった自身の姿に仰天したのです。
額から大量に流血し、顔は真っ赤。ワイシャツも上部は血で赤く染まっています。
その姿を見て初めて、皆がこちらを凝視している意味を理解できたのです。
理解できたと同時に、物凄く恥ずかしくなりました。
「これだけ流血しているのに、バンドエイド1個をレジへ持っていって変に思われないだろうか」
そんな思いが脳裏をよぎります。
しかし今ココで動きをやめるわけにもいきません。
逆にバンドエイドではなく、缶コーヒーやヤンジャンを買うのも変です。
私は何事もなかったかのように、バンドエイド1箱を手に取り、レジへ並びました。
そして精算を済ませると、皆の見守る中、そそくさと店を出たのです。
店を出ても、物凄い人の数の視線を、背中に感じました。
私は迷いましたが、そのまま出口すぐのゴミ箱前へ移動し、バンドエイドを1枚、箱から取り出し、額へ貼ったのです。
血ですぐに剥がれ落ちる事はわかっていましたが、貼るしかなかったのです。
2012年4月8日日曜日
手すりを持つ女
何故35歳を過ぎた女性は、助手席上部の手すりにつかまるのでしょうか。
昔、オカンを助手席に乗せると、必ずといっていいほどに助手席上部の手すりをシッカリと握っていました。
聞くと「あんたの運転が怖いからや」と不機嫌そうに言いましたが、他の人の運転の時でもいつも握っていたのです。
その後20年間、独自の調査を行い、35歳以上の女性は助手席の手すりにつかまることが判明したのです。
また、すれ違う車の目視による調査でも、ほぼ前述に当てはまる女性が手すりを持っていました。
老化によりホルモンのバランスが崩れ、安定感が悪くなり、車の揺れに対応できないので手すりを持つのでしょう。あくまでも仮説ですが。
どんなに綺麗でオシャレでクールな女性でも、助手席で手すりを持っていたら、それだけで笑えてきます。
決して悪い意味ではありません。何となく間抜けな感じがして笑えるのです。
以前、顔やファッションだけでは老化は隠せないというコラムを書きましたが、まさにコレも同様に、手すりを持つことで年齢がバレてしまうという事を言いたかったのです。
昔、オカンを助手席に乗せると、必ずといっていいほどに助手席上部の手すりをシッカリと握っていました。
聞くと「あんたの運転が怖いからや」と不機嫌そうに言いましたが、他の人の運転の時でもいつも握っていたのです。
その後20年間、独自の調査を行い、35歳以上の女性は助手席の手すりにつかまることが判明したのです。
また、すれ違う車の目視による調査でも、ほぼ前述に当てはまる女性が手すりを持っていました。
老化によりホルモンのバランスが崩れ、安定感が悪くなり、車の揺れに対応できないので手すりを持つのでしょう。あくまでも仮説ですが。
どんなに綺麗でオシャレでクールな女性でも、助手席で手すりを持っていたら、それだけで笑えてきます。
決して悪い意味ではありません。何となく間抜けな感じがして笑えるのです。
以前、顔やファッションだけでは老化は隠せないというコラムを書きましたが、まさにコレも同様に、手すりを持つことで年齢がバレてしまうという事を言いたかったのです。
2012年4月5日木曜日
イラチさん
いつもイライラしてせっかちな人をイラチさんと呼んでいます。
イライラはいけません、イライラする事で人に八つ当たりしてしまったり、揉め事の原因になる事が多いからです。
イラチさんがいるだけで、周囲の人まで気分が悪くなったりします。
先日、帰る方向が同じある友人と一緒に帰る事になりました。
一緒にといっても車はそれぞれ別、2台あります。
私は、いつもなら自分のいつものお気に入りルートを走行するのですが、その日は何となく友人のルートで(後方を走行して)帰ってみることにしたのです。
基本的にただ帰るだけで、別に急いでるわけではありません。
しかも時間は深夜1時、渋滞も勿論ありません。
なのにその友人は、クネクネと裏道ばかりを走行するのです。
どうやら赤信号につかまるのが物凄く嫌なようで、信号のたびに手前の路地に入るという運転を何度と無く繰り返すのです。
いつもの私のお気に入りルートなら、確かに信号は8回通過しますが、曲がるのは3回、一旦停止は0回、この時間だと5~6分で到着します。
しかし赤信号を避けてクネクネと走行する今回のルートでは、信号は4回と少ないものの、トータル9回も曲がり、一旦停止も7回と大変忙しい走行となったのです。
走行時間もひょっとしたら長かったのではないかとさえ感じたのです。
そんなに赤信号につかまるのが嫌なのでしょうか。
気になったのでメールしてみました。
「ややこしい帰り方やなキミ」
「あはは(´▽`)ノ」
「曲がりすぎや」
「たぶんそー思ってるやろとおもた」
「まっすぐかえりーな」
「寄り道はしてへんもん」
「そらそやけれども」
「やろ?(^-^)/」
「信号ぐらい多少ひっかかってもええがな」
「あは、わかってるやん」
「イラチかいな」
赤信号にひっかかる数が少ないだけで、走行距離や、停車発進数の多さから燃料の消費・タイヤの磨耗、そして走行時間まで、全てにおいて無駄なルートでした。
しかも路地裏を走行する事で、交通事故の可能性も高くなります。
やはりイラチはいけません。
基本的にイライラ予防にはホルモンバランスを整えるビタミンBやカルシウム、またカルシウムの吸収を助けるビタミンDの摂取をオススメしています。
イライラはいけません、イライラする事で人に八つ当たりしてしまったり、揉め事の原因になる事が多いからです。
イラチさんがいるだけで、周囲の人まで気分が悪くなったりします。
先日、帰る方向が同じある友人と一緒に帰る事になりました。
一緒にといっても車はそれぞれ別、2台あります。
私は、いつもなら自分のいつものお気に入りルートを走行するのですが、その日は何となく友人のルートで(後方を走行して)帰ってみることにしたのです。
基本的にただ帰るだけで、別に急いでるわけではありません。
しかも時間は深夜1時、渋滞も勿論ありません。
なのにその友人は、クネクネと裏道ばかりを走行するのです。
どうやら赤信号につかまるのが物凄く嫌なようで、信号のたびに手前の路地に入るという運転を何度と無く繰り返すのです。
いつもの私のお気に入りルートなら、確かに信号は8回通過しますが、曲がるのは3回、一旦停止は0回、この時間だと5~6分で到着します。
しかし赤信号を避けてクネクネと走行する今回のルートでは、信号は4回と少ないものの、トータル9回も曲がり、一旦停止も7回と大変忙しい走行となったのです。
走行時間もひょっとしたら長かったのではないかとさえ感じたのです。
そんなに赤信号につかまるのが嫌なのでしょうか。
気になったのでメールしてみました。
「ややこしい帰り方やなキミ」
「あはは(´▽`)ノ」
「曲がりすぎや」
「たぶんそー思ってるやろとおもた」
「まっすぐかえりーな」
「寄り道はしてへんもん」
「そらそやけれども」
「やろ?(^-^)/」
「信号ぐらい多少ひっかかってもええがな」
「あは、わかってるやん」
「イラチかいな」
赤信号にひっかかる数が少ないだけで、走行距離や、停車発進数の多さから燃料の消費・タイヤの磨耗、そして走行時間まで、全てにおいて無駄なルートでした。
しかも路地裏を走行する事で、交通事故の可能性も高くなります。
やはりイラチはいけません。
基本的にイライラ予防にはホルモンバランスを整えるビタミンBやカルシウム、またカルシウムの吸収を助けるビタミンDの摂取をオススメしています。
2012年3月15日木曜日
黒靴下の恐怖
黒い靴下。
基本的に私は黒靴下を履きます。
もうずっと黒靴下を履いています。
黒以外は履かないと決めているわけでもありませんが、黒または黒に近い濃い色の物を好んで履いているのです。
がしかし、黒靴下には副作用があります。
私は長年この副作用に悩まされ続けながら、今もなお黒靴下を履き続けているのです。
私はこれまで、この副作用について誰にも話した事はありません。
ずっと自分の胸の中に留め続けて生きてきたのです。
黒靴下を脱ぐと、必ずといっていいほど黒い毛玉が足裏に大量に付着しています。
これが副作用の正体です。
黒靴下を脱ぐシーン、例えば病院の場合。
白いシーツのベッドに黒靴下を脱いで横たわるように云われ、云われるがまま横たわった際に、シーツにベットリと足裏に付着していた黒い毛玉が付きました。
それを見た時、とても恥ずかしくなった事、今も鮮明に憶えています。
黒靴下を脱ぐシーン、例えば足つぼマッサージの場合。
友人が足つぼのマッサージ店をオープンした際、私にもマッサージをしてくれるというのでやってもらった時の事です。本来なら黒靴下を脱いでから、まず足湯に入って足裏を温め、その後マッサージが始まるのですが、その時は足湯を省略し、すぐにマッサージをしてもらったのです。その時私の足裏を見た友人が言いました。
「きったないなあ」
私は今もこの言葉が脳裏に焼きついています。
それ以来、私は黒靴下の副作用を、自分だけの悩みとして封印し続けて生きてきたのです。
帰宅後すぐにシャワーを浴びる場合を除いて、まずは服を脱ぎそして黒靴下を脱ぎます。
その際、自分の足裏の黒い毛玉が床に付着する事を恐れて、脱いですぐに足裏を洗います。
前面所でハンドソープで洗うのです。
手も同時に洗えますので、一石二鳥であると毎回実感しながら洗うのです。
しかしこの歳になって、果たしてこの抱え続けてきた悩みが、私だけの悩みなのかと思うようになりました。
ひょっとすると同じように悩んでいる人が沢山いるのではないか、そんな風に思えるようになったのです。
そこで勇気を振り絞って、何人かの友人に聞いてみました。
すると皆、恥ずかしがることなく、簡単に同意してくれたのです。
私は、長年ひとりで悩み続けてきた事が馬鹿馬鹿しく思えました。
しかし私ほどに悩んでいる人はいませんでした。
やはり私のように過去の恥ずかしい経験が、トラウマにはなっていないので、あまり気にせずに過ごしているのでしょう。
ひょっとすると、人前で黒靴下を脱ぐ経験があまり無いのかもしれません。
前回もお話致しましたが、私は酔うと靴下を半分脱ぎます。
酔うと靴下を半分脱ぐ行為、半ソックス男である事を告白いたしました。
半分だけ脱ぐのが気持ちいい、そんな風にお伝え致しましたが、実は全部脱ぐと、この黒靴下の副作用が露出してしまう恐怖から、無意識に半分に留めている、そんな可能性も実は否めないのです。
もちろん、黒靴下の素材や足裏の湿度等によって、毛玉の量には変化はあるでしょう。
長年の経験から、黒靴下が安物か高価な物かがそれを左右しているという事もありません。
私と同様に、これまで黒靴下の副作用に悩まされ続けていた皆さん。
これからは皆同じなんだと思ってください。
恥ずかしがる事はありません。
正々堂々と、自信満々に黒靴下を脱ぎましょう。
本日をもって、黒靴下の副作用は、完全に市民権を得たといっても過言ではないのです。
基本的に私は黒靴下を履きます。
もうずっと黒靴下を履いています。
黒以外は履かないと決めているわけでもありませんが、黒または黒に近い濃い色の物を好んで履いているのです。
がしかし、黒靴下には副作用があります。
私は長年この副作用に悩まされ続けながら、今もなお黒靴下を履き続けているのです。
私はこれまで、この副作用について誰にも話した事はありません。
ずっと自分の胸の中に留め続けて生きてきたのです。
黒靴下を脱ぐと、必ずといっていいほど黒い毛玉が足裏に大量に付着しています。
これが副作用の正体です。
黒靴下を脱ぐシーン、例えば病院の場合。
白いシーツのベッドに黒靴下を脱いで横たわるように云われ、云われるがまま横たわった際に、シーツにベットリと足裏に付着していた黒い毛玉が付きました。
それを見た時、とても恥ずかしくなった事、今も鮮明に憶えています。
黒靴下を脱ぐシーン、例えば足つぼマッサージの場合。
友人が足つぼのマッサージ店をオープンした際、私にもマッサージをしてくれるというのでやってもらった時の事です。本来なら黒靴下を脱いでから、まず足湯に入って足裏を温め、その後マッサージが始まるのですが、その時は足湯を省略し、すぐにマッサージをしてもらったのです。その時私の足裏を見た友人が言いました。
「きったないなあ」
私は今もこの言葉が脳裏に焼きついています。
それ以来、私は黒靴下の副作用を、自分だけの悩みとして封印し続けて生きてきたのです。
帰宅後すぐにシャワーを浴びる場合を除いて、まずは服を脱ぎそして黒靴下を脱ぎます。
その際、自分の足裏の黒い毛玉が床に付着する事を恐れて、脱いですぐに足裏を洗います。
前面所でハンドソープで洗うのです。
手も同時に洗えますので、一石二鳥であると毎回実感しながら洗うのです。
しかしこの歳になって、果たしてこの抱え続けてきた悩みが、私だけの悩みなのかと思うようになりました。
ひょっとすると同じように悩んでいる人が沢山いるのではないか、そんな風に思えるようになったのです。
そこで勇気を振り絞って、何人かの友人に聞いてみました。
すると皆、恥ずかしがることなく、簡単に同意してくれたのです。
私は、長年ひとりで悩み続けてきた事が馬鹿馬鹿しく思えました。
しかし私ほどに悩んでいる人はいませんでした。
やはり私のように過去の恥ずかしい経験が、トラウマにはなっていないので、あまり気にせずに過ごしているのでしょう。
ひょっとすると、人前で黒靴下を脱ぐ経験があまり無いのかもしれません。
前回もお話致しましたが、私は酔うと靴下を半分脱ぎます。
酔うと靴下を半分脱ぐ行為、半ソックス男である事を告白いたしました。
半分だけ脱ぐのが気持ちいい、そんな風にお伝え致しましたが、実は全部脱ぐと、この黒靴下の副作用が露出してしまう恐怖から、無意識に半分に留めている、そんな可能性も実は否めないのです。
もちろん、黒靴下の素材や足裏の湿度等によって、毛玉の量には変化はあるでしょう。
長年の経験から、黒靴下が安物か高価な物かがそれを左右しているという事もありません。
私と同様に、これまで黒靴下の副作用に悩まされ続けていた皆さん。
これからは皆同じなんだと思ってください。
恥ずかしがる事はありません。
正々堂々と、自信満々に黒靴下を脱ぎましょう。
本日をもって、黒靴下の副作用は、完全に市民権を得たといっても過言ではないのです。
2012年3月13日火曜日
メンタルマネジメントセミナー
メンタルマネジメントとは、自身の感情をコントロールし、潜在能力を引き出す事を言います。
何故か今、私の周囲には、このメンタルマネジメントセミナーに参加している又は参加したいという仕事に燃えている20代後半から30代前半の人が沢山います。
いずれも会社や上司からススメられてセミナーを受けている、又は今後受けるという人達です。
企業側からすれば、油ののってきたこの年代の人にセミナーを受けさせて、ヤル気になってくれればいいという考えなのでしょう。
私も20代前半の頃、自分の意思でですが、こういったたぐいのセミナーに散々参加いたしました。高価な参加費を支払い、日帰りだけでなく1泊や2泊以上というセミナーも受講した経験があります。
しかし、いくら参加してヤル気満々になったとしても、下界に降りてから自分でコントロールできなければ、すぐに元の生活(元の考え)に戻ってしまうものです。
紙ふうせんと同じで、何回も手で上へ弾かないとすぐに落ちてきてしまいます。
本来なら、そういったセミナーを受ける前に、自身で強い目標を掲げ、それに向かって必死に行動しているという状態があった上で、壁にぶち当たったり問題が生じて悩み苦しみ、そしてセミナーに参加して解決の糸口を掴むというのが正しいセミナーの使い方だと思うのです。
目標や夢も明確じゃないのに、単にセミナーに参加しても意味はありません。
だからみんなヤル気が維持しないのです。
本来、明確な目標があればそういったセミナーに参加せずともヤル気は維持できるものなのです。
もしも自社の社員や部下をセミナーに参加させようと思うのならば、まずは経営者や上司が、部下に明確な夢や目標を持たせるというアクションをしっかりと行った上で、参加を促すべきです。
中には毎回参加しているという人もいました。セミナーに参加することに意義を感じてしまって、頭でっかちになってしまい、行動が伴わないという人です。そんな人を山のように見てきました。
夢や目標に向かうために、自分を奮い立たすために参加するはずが、参加する事で自分が成功すると勘違いしてしまっているのです。
あくまでもセミナーの目的は自身を行動にかきたてるヤル気です。
行動を起こさなければ全く意味の無いものとなります。
もしもセミナーに参加して、ヤル気が出たのならば、まずすべき事、それはスケジュールを埋める作業です。
ヤル気があるうちに1ヶ月先までビッチリとスケジュールを埋めます。
埋めてしまえば後はヤル気があろうが無くなろうが予定をこなすだけです。
1ヶ月といわず、半年でも1年先でもかまいません。
長ければ長いほど良いと思います。
明確な目標があれば本来はヤル気はなくなりませんが、定期的に自分の目指す地点に到達している人(成功者)と会う事をオススメします。
会って同じ時間を共有するだけで充分ヤル気が出てきます。
わざわざメンタルセミナーに参加しなくても目指すゴールがしっかりしていればこれだけで明日からまた頑張れるのです。
それが自身の上司や経営者であればもっと最高です。
もっと言うと、上司や経営者が社員の目指す姿であれば、こういったセミナーに参加させる必要は全くないという事なのです。
目標となる人と一緒に働く(時間を共有する)だけで、社員はヤル気満々になるのです。
何故か今、私の周囲には、このメンタルマネジメントセミナーに参加している又は参加したいという仕事に燃えている20代後半から30代前半の人が沢山います。
いずれも会社や上司からススメられてセミナーを受けている、又は今後受けるという人達です。
企業側からすれば、油ののってきたこの年代の人にセミナーを受けさせて、ヤル気になってくれればいいという考えなのでしょう。
私も20代前半の頃、自分の意思でですが、こういったたぐいのセミナーに散々参加いたしました。高価な参加費を支払い、日帰りだけでなく1泊や2泊以上というセミナーも受講した経験があります。
しかし、いくら参加してヤル気満々になったとしても、下界に降りてから自分でコントロールできなければ、すぐに元の生活(元の考え)に戻ってしまうものです。
紙ふうせんと同じで、何回も手で上へ弾かないとすぐに落ちてきてしまいます。
本来なら、そういったセミナーを受ける前に、自身で強い目標を掲げ、それに向かって必死に行動しているという状態があった上で、壁にぶち当たったり問題が生じて悩み苦しみ、そしてセミナーに参加して解決の糸口を掴むというのが正しいセミナーの使い方だと思うのです。
目標や夢も明確じゃないのに、単にセミナーに参加しても意味はありません。
だからみんなヤル気が維持しないのです。
本来、明確な目標があればそういったセミナーに参加せずともヤル気は維持できるものなのです。
もしも自社の社員や部下をセミナーに参加させようと思うのならば、まずは経営者や上司が、部下に明確な夢や目標を持たせるというアクションをしっかりと行った上で、参加を促すべきです。
中には毎回参加しているという人もいました。セミナーに参加することに意義を感じてしまって、頭でっかちになってしまい、行動が伴わないという人です。そんな人を山のように見てきました。
夢や目標に向かうために、自分を奮い立たすために参加するはずが、参加する事で自分が成功すると勘違いしてしまっているのです。
あくまでもセミナーの目的は自身を行動にかきたてるヤル気です。
行動を起こさなければ全く意味の無いものとなります。
もしもセミナーに参加して、ヤル気が出たのならば、まずすべき事、それはスケジュールを埋める作業です。
ヤル気があるうちに1ヶ月先までビッチリとスケジュールを埋めます。
埋めてしまえば後はヤル気があろうが無くなろうが予定をこなすだけです。
1ヶ月といわず、半年でも1年先でもかまいません。
長ければ長いほど良いと思います。
明確な目標があれば本来はヤル気はなくなりませんが、定期的に自分の目指す地点に到達している人(成功者)と会う事をオススメします。
会って同じ時間を共有するだけで充分ヤル気が出てきます。
わざわざメンタルセミナーに参加しなくても目指すゴールがしっかりしていればこれだけで明日からまた頑張れるのです。
それが自身の上司や経営者であればもっと最高です。
もっと言うと、上司や経営者が社員の目指す姿であれば、こういったセミナーに参加させる必要は全くないという事なのです。
目標となる人と一緒に働く(時間を共有する)だけで、社員はヤル気満々になるのです。
2012年3月10日土曜日
半ソックス男
何故酔っ払うと靴下を脱ぎたくなるのでしょうか。
しかも半分だけ。
全部脱いでしまうのはダメなのです。全部脱いでしまうと靴下を忘れて帰る原因になりますし、次履くときに大変です。じゃーくさいのです。
だから半分だけ脱ぐのです。
半分だけ脱ぐと、靴下が前にダラーンとなります。
歩く時はお殿様のように靴下を跳ね上げて歩きます。
冷たい床に足裏半分が触れて気持ちいいのです。
お酒を呑むと血行が良くなり身体が熱くなります。
きっと足裏も熱くなって、冷たい床が恋しくなるのでしょう。
靴下の半分脱ぎ、これを半ソックスと呼びます。
自分が半ソックス男であると気付いたのは20代前半の頃。
よく人から注意を受けました。
その後何年かが経過して、同じように酔うと半分だけ靴下を脱ぐ半ソックス男が他にも存在する事を知りました。
同じような人が居るという事に深く感銘をおぼえたのです。
その後、半ソックス男を見つけるたびに、心を動かされたのです。
全部脱ぐ派も居ます。がしかし、全脱ぎ派には心を許す事はできませんでした。
やはり男は半ソックス。
隠していたが実は自分も半ソックスはであるという人は、名乗り出てください。
もう半ソックスを恥ずかしいと思わなくても良いのです。
これからは堂々と半ソックスでいいのです。
我々は既に市民権を得たのです。
しかも半分だけ。
全部脱いでしまうのはダメなのです。全部脱いでしまうと靴下を忘れて帰る原因になりますし、次履くときに大変です。じゃーくさいのです。
だから半分だけ脱ぐのです。
半分だけ脱ぐと、靴下が前にダラーンとなります。
歩く時はお殿様のように靴下を跳ね上げて歩きます。
冷たい床に足裏半分が触れて気持ちいいのです。
お酒を呑むと血行が良くなり身体が熱くなります。
きっと足裏も熱くなって、冷たい床が恋しくなるのでしょう。
靴下の半分脱ぎ、これを半ソックスと呼びます。
自分が半ソックス男であると気付いたのは20代前半の頃。
よく人から注意を受けました。
その後何年かが経過して、同じように酔うと半分だけ靴下を脱ぐ半ソックス男が他にも存在する事を知りました。
同じような人が居るという事に深く感銘をおぼえたのです。
その後、半ソックス男を見つけるたびに、心を動かされたのです。
全部脱ぐ派も居ます。がしかし、全脱ぎ派には心を許す事はできませんでした。
やはり男は半ソックス。
隠していたが実は自分も半ソックスはであるという人は、名乗り出てください。
もう半ソックスを恥ずかしいと思わなくても良いのです。
これからは堂々と半ソックスでいいのです。
我々は既に市民権を得たのです。
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