2010年7月16日金曜日

人生という舞台

人は皆、人生という舞台で状況というシナリオを片手に持って生きている

職場、恋愛、家庭、友人、知人、近所付合い、スポーツ、学生、趣味、そしてネットの世界。
その場その場、それぞれの場所で異なったキャラクターを演じきる。

 会社ではいつも受身で周りからいじられキャラだったA君が、実は友人付合いでは仕切り屋だったり、学校ではいつもツッコミ担当のB君が、実はバイト先ではボケ担当だったりと、人はその場その場、その時のポジションや人間関係によってTPOに合わせキャラを演じるのだ。
「いま業界にはこういうキャラがいないのでちょうどハマるんじゃない?」等とテレビの世界ではよく聞く話。
キャラクターをまるでパッチワークのようにはめ込むのが彼らの仕事だ。
それと同様に、会社でも近所付合いでも友人関係でもキャラクター設定は存在する。
全く180度違うキャラではなくても、少し異なるキャラを演じているはずである。
それが大人の付合い、協調性となるのである。
「あの人は二重人格だ」等と聞くが、二重どころではない、もっとあっても良いのだ。
その場の人間関係を判別し、どんなキャラクターが丁度ハマるのか、それを判断しそしてそのキャラになりきる。
それが賢い大人の(子供でもやっているが)やり方である。

・上司にはペコペコなのに、部下にはエラソーにしてる先輩。
 (これは嫌われるパターンですが)
・男子の前では可愛い子ぶっているのに、女性同士ではイヤミな友人。
 (これも割りとよく耳にする話)
・普段あんなにピシッとしてて隙のない彼女なのに、彼といる時は可愛らしい子猫ちゃんになる。
 (ギャップが良いと男性には好評)
・彼には一生懸命尽くすけれど母親の前では全くズボラな彼女。
 (母親としては甘えられて嬉しい場合もある)

これらは全てキャラの変化である。

勿論、どんな場所へ行っても全くキャラが変化しない人もいる。
全く変化のない人はある意味カッコイイと思う。
でも反面、不器用で人付き合いができない人かも知れない。
幼児はどこへ行ってもキャラクターは同じである。
それと同様に、幼児レベルのワガママな人なのかもしれない。
合わしたいけど合わせられないだけの人かもしれない。
しかしそんな人はごく一部であって、殆どの人は何かしらキャラを変化させてそれを演じているはずである。
それが人間なのだ。

良い意味でも悪い意味でも人は皆、役者であって、人生という舞台で、様々なキャラクターを演じて生きているのである。

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