2015年12月22日火曜日

世界で一番美味い唐揚げ

世界で一番美味い唐揚げがみつかりました。
偶然が重なって、運良く世界で一番美味い唐揚げを食べる事ができたのです。
食べながら「死ぬまでにこんなに美味しい唐揚げを食べる事ができてほんまに良かった」と心から思いました。
南島原の「鶏の白石」というお店です。

長崎最後の夜、たまたま市内の繁華街で友人と再会し、そこでその彼から聞いた唐揚げの美味しいお店「鶏の白石」。
早速翌日、いつもなら長崎から多比良へ出て、フェリーで長洲へと渡るルートを行くのですが、この日はたまたま口之津から天草へ戻り、そこから熊本市内へ行く予定でいましたので、少し遠回りして雲仙を越え、南島原へ向かったのです。

「サーセン!ぶつ切りともも定食くざさい!」





















パクッ ウマアァァァ――――――――(゚д゚;)―――――――――――ッ!
うまああああああああああああああああああ!
むっさうまあああああああああああああああ!

■鶏の白石 南島原本店
住所:長崎県南島原市布津町乙1487-7
電話:0957-72-3369
営業:10:00~20:00
席数:テーブル12席、お座敷16席
駐車:あり
交通:島鉄本社前駅から427m
HP:http://tori-shiraishi.jp/

ベビーカー

街を歩いていると、ベビーカーを押している主婦をよく見かけます。
沢山の荷物を持ってベビーカーまで押して、子供がギャーギャー言うと荷物を置いて抱っこしてと、見ているだけで嫌になるほどに大変そうです。
いつも思うのですが、ベビーカーを押している時、正面から何かにぶつかるとか、正面から何かが飛んで来た場合、最初にぶつかるのは母親ではなくベビーとなります。
現在市販のベビーカーのほとんどは、ベビーが前向きに進行方向を向いて座っているので、ベビーがあまりにも無防備すぎるのです。
そんな事を考えながらベビーカーを見ているだけで、こっちがハラハラしてくるのです。
蜂や、カメムシや、ゴルフボールや、ホーガン投げのホーガンが飛んできたらと思うとハラハラして仕方がないのです。
せめてベビーは後ろ向きにすべきです。
何のためにベビーを前向きに乗せる構造になっているのでしょうか。
進行方向なんて、ベビーには理解できないはずです。
ベビーは「後ろ向きにすすむのん気持ち悪いねん」なんて言わないのです。
彼らはどっちゃでも良いのです。
どっちゃでも良いのに何故か危険な前向きの構造が一般的なのですから、おかしなものです。
しかも後ろ向きならば、母親とたまに目が合ってニコッと微笑んだりもできるわけです。
たまに品のある気取った感じの母親なのに、ベビーカーのベビーが鼻くそをほじくっているのを見かけますが、いまの構造では母親からベビーの顔は見れないので、母親はそれに気づかないのです。
こう考えるともう前向きのベビーカーを選ぶ理由すら見つからないのです。

2015年12月11日金曜日

電話

LINEが浸透した現在、果たして電話は必要でしょうか。
もう電話は必要ないと思います。
もう電話は廃止しても良いと思います。
私が連絡を取る人で、携帯のEメールの人はもうほとんどいません。
全員をLINE化するために働きかけ、数人を残してほぼLINEに招待したからです。
何より携帯のEメールは、迷惑メールがあまりにも多すぎて、もう開かなくなりました。
楽天トラベルに会員登録した瞬間から、山のように迷惑メールが届くようになり、それがうっとおしくてLINEに流れた人も多いはずです。
その数人のEメールの人は、今だに意地でもLINEをやらないという化石のような人です。
しかもお互いに迷惑メール対策で、何度かアドレス変更してますので、今現在の正しいアドレスなんて全くわかりません。
なのでもうEメールを開く事すらなくなりました。
ですので彼らに連絡を取りたい場合は電話をかけるかショートメールするかしかありません。
ショートメールはまだ許せます。
ところが、電話は大変です。
電話ほどに一方通行な連絡手段はないと言えるほどに、どちらかが都合が悪ければ繋がりません。
よくこんな事があります。
こちらから電話をかけても、都合が悪いのか、相手が出ない。
今度は、向こうがかけてきても、こちらが都合悪くて出られない。
そんな事を何度か繰り返し、そしてその日、夜になって時間が遅くなれば、電話をかける事が失礼ではないかと躊躇し、翌日に繰り越してしまいます。
また翌日同じようにタイミングが合わず。
こんな事を何度も何度も繰り返し、結局数日経ってしまい、忘れてしまうというような事が何度もありました。
こんな事があるたびに、なんでLINEせーへんねん!と思います。
LINEなら、思った時にメッセージし、こちらがそれを忘れてしまっても文字として残っています。
そして相手は自分のタイミングで返事すれば良いのです。
こんな便利でスムーズな連絡手段があるのに、何故にあんなに不便な電話という時代遅れなツールを使い続けるのでしょうか。
他にも、LINEをやってる人でも何故か電話をかけてくる人がいます。
こちらが電車や飛行機での移動中に電話をかけてきて、電車を降りたタイミングでかけても、今度は向こうが出ない。
そしてまた次乗ったタイミングでまたかけてくる。
空港へ着いて、かけても出ない。
飛行機に乗って機内モードにしてからまたかけてくる。
LINEがあるのに、永遠こんな事を繰り返すのです。
そして、この相手の立場が、もしも自分より上だった場合、次に繋がった時に文句を言われ、こちらが何故か謝罪しなければならないという、非常にナンセンスで理不尽な状態となるわけです。
LINEがあるのだから、電話が繋がらないならLINEしてくれれば良いのです。
私なんて殆ど移動か人と喋っているのですから、電話なんて99.9%出れません。
という事は、移動中に途中下車するか、人を待たせるかしないと電話できないわけです。
もしくは深夜の時間帯か。
その点LINEなら、移動中はもちろん、極端な話、誰かと会話中でも返せます。
何故そんな便利なツールを持っているのに、それを使わず電話という不条理な物を使い続けるのでしょうか。
文字を入力するのが面倒くさいのでしょか。
よく電車内で堂々と大声で電話しているオッサンやオバハンを見かけます。
周りから冷ややかな目で見られ、会話の全てを聞かれ、腹の中で「アホやこいつ、はよシネ」と思われているのに、一切の躊躇もなく会話し続けているのです。
その会話の内容のほとんどは、今どこにいて、もうすぐ着くというものです。
毎回思いますが、いま電車にいると言っているのに、電話の相手はなぜ切ろうとしないのでしょうか。
そればかりか、ベラベラとくだらない話を長々とするのです。
長々と話したとしても、会話のメインとなるものの殆どは、今どこでもうすぐ着くというものなのです。
もしもLINEなら「10分でつく」で終わります。
電話の場合、それだけでは終われないのです。
「いま大丈夫?」
相手の今の状況に配慮した言葉がいります。
「先日はありがとう」
先日何かあったのならその時のお礼が必要です。
「いま電車なんだけど」
今現在の自分の置かれた状況を言います。
「あと10分ぐらいで着くので」
もうすぐ待合せの駅に着くというメインの内容です。
「もう少しまっててね」
あなたの待ち時間はたった10分だという安心感を与える言葉です。
「ごめんなさいね」
でもあと10分も待たせて申し訳ないという謙虚な姿勢をアピールします。
これを最低限とし、これにプラスどうでも良い会話をダラダラとするわけです。
今から会うのなら今ここで喋る必要なんて全くないと思うのですが。
皆聞きながら「アホやなぁ」とつくづく思っているのです。
電話を廃止してしまえば、こういうオッサンやオバハンも絶滅します。
電話を廃止してしまえば、電話に出ないからと文句を言われる事もなくなります。
電話を廃止してしまえば、相手が電話に出ないからと言って、腹が立つ事もなくなるのです。
どれだけ平和で過ごしやすい快適な世界となるのか想像してみてください。

飛行機

年間に40回ほど飛行機に乗りますが、決して快適な移動手段だとは思いません。
狭い、窮屈、ネット対応してない、遠い、待ち時間が長い、電源がない、払い戻し不可など、とてもストレスの多い乗り物と言えます。
ただ単に価格が安いというだけで、乗っている乗り物なのです。
航空会社によって、後方席から先に案内する企業と、窓側席から先に案内する企業とがありますが、どちらが良いかは一長一短ありますが、いずれも乗客をスムーズに、そしてスピーディに着席させるための配慮です。
ところが、そのせっかくの配慮を台無しにする連中がいるのです。
しかも結構な割合で存在します。
先日、熊本空港出発の便に乗る際の事です。
後方席からの案内というメッセージが流れ、後方席のチケットを持った人がぞろぞろと並びました。
私の前はカップルが並んでいます。
そのカップルの順番が来て、彼の方が受付でチケットを見せてこう言うのです。
「後方席じゃないんですけど」
いまは後方席の人からの案内です。
前方席の人はまだ待合で待っているはずです。
なんなんや、なんで待てへんねや!
すると受付スタッフがこう言ったのです。
「今回はオッケーですよ」
はあ?なんなんそのオッケーて、キミがオッケーでも迷惑すんのは後方席の客やで実際。
後方席の客にオッケーがどうか聞きーや!
そうして受付を切り抜けた2人は、少し歩いて顔を見合わせてこう言いました。
「うまくいったね!」
はあ?計画的なん?こいつら確信犯やん実際問題。
そんな連中なので、案の定、大きなスーツケースを荷物棚に入れるのに通路を占領し、私を含む後方席の人達は、それを待って渋滞となりました。
なんかもうここは中国なのかと思うほどに、自分さえよければいいという恥ずかしい日本人を見た気がします。

石が入りやすい靴

最近購入した靴は、これまで私が購入してきた靴とは大きく異なる靴です。
これまでは、基本的にデザイン重視だったのですが、今回の靴は毎朝1時間歩く事を想定した靴なので、機能性や軽さ、履き心地などが優先し、デザインはその次となっています。
その靴の事で実は最近悩んでいるのです。
実はその靴、すぐに石ころが入るのです。
砂利道を歩いている時は勿論、それ以外のアスファルトの道路を歩いていても、いつの間にか小石が入っているのです。
石ころぐらいええがなと友人達は言います。
いや別にいいのです。
いいのですが、それが1日に何度もあるから恐ろしいのです。
何度も何度もあって、そしてそのたびに靴を脱いで逆さまに向け、小さな石ころを取り出しているのです。
これまでの人生において、こんなことは滅多にありません。
靴1足に対して、石ころが入って取り出す行為など、1回あるかないかそんな確率なのです。
ところがこの靴、既に20回以上、石ころを取り出しています。
こんな靴は初めてなのです。
ひょっとしたら小石に呪われた靴なのかもしれませんん。
いやきっと呪われています。
アーメン

2015年12月10日木曜日

迷惑な運転手

歩いていて横断歩道に差し掛かった時、わざわざこちらを待ってくれる車(右折車)がいます。
全然行けるのに待つのです。
偽善者なのか何なのかわかりませんが、こちらを見て微笑んだりしています。
待たれると申し訳ないので小走りになります。
これが面倒なのです。
こちらはこちらのペースで歩いているわけで、何故見ず知らずの人のために走らないといけないのでしょうか。
夏場は極力汗をかかないように、省電力モードで歩いています。そんな時にこういう風に待たれると、無駄な汗をかくことになるわけです。
あれは本当に迷惑です。
親切でもなんでもなく、本当に迷惑な行為だという事を認識してほしいものです。
なんなら法律で違反にしてほしいぐらいです。
罰金3万ぐらい取ってください。

2015年11月24日火曜日

猫舌ちゃん

とある居酒屋で1人カウンターで飲んでいた時の事です。
隣のテーブル席の女子2人組の会話が聞こえてきました。
聞くつもりはないのですが、聞こえてくるのだから仕方ありません。
「あつっ」
「大丈夫?」
「熱いよぅ!これ、」
「ここに置いて冷ましなよ」
「冷めたらやだ」
「どっちなの」
「猫舌だから熱いのはやだけど冷めてもやなの」
「じゃあどうするのよ」
「熱いの次の段階がいい」
「次の段階てなに?」
「少し熱い」
「オッケー」

わかったんかいっっ!!!
次の段階て!全部で何段階あんねんっっ!!!

海苔を入れたがる

たまにラーメン屋で、丼に大きな海苔が刺さって出て来る事があります。
その海苔に店名や名言が書かれていたりして、なんとなく派手に見えるというか、勢い的なものを感じます。
ところがいざそれを食べるとなると、非常に食べ辛いのです。
仮にそのラーメンが、海苔を入れる事で完成する味付けであればまだ理解できるのです。
ところが、ほとんどのラーメン屋では味付け目的では使用してないのです。
ただの飾りなのです。
仮に、もしも味付けとするのならば、あんな大きな1枚ものの海苔を使用せず、刻み海苔を使用するはずです。
刻み海苔ならば理解できるのです。
はっきり言ってあんな大きな海苔は迷惑です。邪魔です。
抜き取って破り捨てたい衝動にかられます。
海苔は1枚なので、何口か食べるうちの、たった1回だけ海苔の味になります。そんな1回いらないのです。
さらにそれだけでなく、安い海苔で少しでも豪華に見せようとする店主のセコさが見え隠れし、非常に腹立たしく思えます。
ごくまれに、ラーメン屋で誕生会をやってくれる客がいて、その人のためだけに海苔におめでとうと書いて出す程度ならまだ許せます。
それ以外で、あんな海苔1枚に頼るようなやり方は辞めていただきたいものです。
しかも丼の向こう側にドーンと立てたりして、あんなもの子供の頃の弁当の蓋で弁当を隠して食っていた根暗なヤツを思い出させるだけのものでしかありません。
どうせなら海苔に四コマ漫画が書かれていたり、連載物の小説などが書いてあれば、食べながら読むことも出来、暇つぶしにぐらいにはなるでしょう。
そんな気の利いた演出すらできないのであれば、即刻やめていただきたいものです。

先日、三重県のとある田舎町で、たまたま通りかかって入ったラーメン屋での出来事です。
メニューを見ていると、トッピングメニューの中に、海苔という表記を見つけました。
は?海苔?海苔をトッピングする奴なんかおらんやろ実際問題。
そう思っていると、隣に座った男性が海苔トッピングを注文したのです。
するんかいっっ!!!
そして隣に出てきたラーメンは、麺が見えないほどの海苔で覆われていました。
それを美味しそうに食べる姿を見ながら、世の中には色んな人がおんねんなと、つくづく思うのでした。
案外ニーズあんねんね海苔。

シケモク大将

南海電鉄のとある駅に、シケモク大将は居ました。
うつむきながらキョロキョロと何かを物色しながら歩き、誰かがポイ捨てした吸い殻を見つけると、おもむろに拾いあげ、持っていたライターで火をつけ、一口二口吸っては持っていた缶に入れるのです。
一口か二口というのは、それほどまでに吸える箇所が少ないわけで、長いものを見つけた時は、少し嬉しそうな表情を見せるのです。
やっている事は、駅周辺の美化活動です。
ポイ捨てされたタバコの吸い殻を拾い集めているのですから。
ただ、拾って缶に入れる途中、一瞬だけ火をつけて吸っているだけなのです。
彼は決してタバコが吸いたいのに、買うお金がないからやっているわけではないのです。
駅周辺を綺麗にしたいだけなのです。
だからシケモク大将とは呼ばないであげてください。

マヨネーズ

ポテトフライをマヨネーズにつけながら食べていた時の事です。
時折、ポテト本体よりもマヨネーズの量の方が多い時があったりして。
それがまた美味いのです。
これポテトいらんやん!
酒のアテ、マヨネーズだけでええやん!

オバチャンらしいトーク

ある日、電車に揺られていると、隣に座っていたオバチャンが話しかけてきましした。
「この電車って次の駅から各駅に停まるんですか?」
「そですよ」
「では特急が停まらない駅も停まるんですよね」
「そうなりますね」
「いや普段JRしか乗らないから何も知らないんです」
「あはい、」
この最後のセリフは完全にオバチャン特有のセリフです。
こちらは何も聞いていないのに、何故こんな質問をしたのかという理由を勝手に言っているのです。
こちらから「知らないんですか?」と聞いたならまだ理解できます。
しかしながら一言も聞いていないのです。
聞かなくても質問をしてきた時点で知らない事ぐらいはわかります。
知ってて聞く人なんて居ませんし、そんな言い訳がましいセリフは必要ありません。
何故オバチャンという生物は、こういう事を言うのでしょうか。
若い時は可愛くてクールだった女子も、ある時期を境にみんなオバチャンに生まれ変わり、こういう聞いてもない言い訳を言うようになるのです。
こんな事を言われたら「あはい」以外に言いようがありません。
そんな言い訳よりも「ありがとうございます」と言うだけで、とても気持ちの良い会話になるのです。
なんなら席を立つ際には、お互いに会釈をして下車するような関係となるはずです。
それをこんな聞いてもない言い訳をしたばっかりに、後味の悪い別れ方をしなければならなくなるのです。

ローソンで珈琲

とある田舎町を走っていると、無性に珈琲が飲みたくなったので、ローソンに立ち寄りました。
ローソンの珈琲の紙カップは、他のコンビニエンスと違って表面に滑らないタイプの加工が施されていて、車内のドリンクホルダーに入れてしまうと、取り出すのに大変苦労するので、極力買わないようにしているのですが、田舎という事もあり、すぐにコンビニがない可能性もあるので、妥協して買う事にしたのです。
レジで100円を出し「珈琲」と言うと、すぐに「珈琲やってないんです」との返事。
「や、やってない?」
「はい」
珈琲やってない店舗あるんですねローソン。ビックリしました。
仕方ないので出しかけた100円を握りしめたまま車に乗り込みます。
しかし考えてみると、段々と腹が立ってきました。
車を停め、レジまで行って、しかもわざわざ少し並び、やっと順番が来て注文しているのに、堂々と無いものは無い的な態度を取られると、何か違う気がするのです。
車を停めた時点ですぐに見えるところに「このローソンには珈琲はありません」的な表示を貼っているのならこの態度でも理解できます。
でもそんな表示すらないのであれば、もう少し店員も申し訳なさそうにして断って欲しいものです。
「今日もまた珈琲がない事を知らんアホな客がまた来よったで、あははは!アホや!あいつアホや!」
と言われている気がしてならないのです。
そんな事を考えながら、10分ほど走っていると、コンビニがありました。
またローソンです。
少し嫌な予感はしましたが、まさか2件続けて珈琲がないなんて、さすがにあり得ないでしょうし、気にせずに車を停め、店内に入ります。
店内に入ると、すぐに珈琲マシンの前で何やらゴソゴソとやってる男性が目に入りました。
それをチラ見しながらレジの女性に「珈琲」と告げ、握りしめたままの暖かい100円を差し出します。
するとその女性店員が言います。
「珈琲はメンテナンス中です」
確かに見ればわかります。
「メ、メンテナンス?」
「はい」
「無理なの?」
「はい」
店員は、私の出した暖かい100円を受け取ろうともせず、キッパリとそう言い放ちました。
先程のローソンの店員と同様に、申し訳なさそうなそぶりは一切ありません。
もう少しで終わるとか、そんな案内も一切ありません。
申し訳ないなんて微塵も思ってないようです。
メンテナンスするなら深夜にやった方が良いと思います。
どうしても昼間にやりたいのなら、セブンイレブンのように、珈琲マシンをもう1台増設して、メンテナンス中の客に備えるべきです。
それをしないのなら、せめて申し訳なさそうに丁寧にお断りするという接客マナーを教えるできです。
今回の件で、ローソンは珈琲を売る気が全く無いという事がよく解りました。

骨を食べる

魚を食べている時など、年齢と共に、何故かいちいち骨を出す事が面倒になってきました。
骨だけでなく、蟹や海老などの甲殻類もそうです。
面倒くさいのです。
年齢と共に歯が強くなったわけではありません。
逆に恐ろしく弱くなっています。
なのにそれに反比例して、骨や甲殻をバリバリと食べるようになってしまったのです。
これまでは、鯵や秋刀魚などの小骨がある小さめの魚でも、慎重にそして丁寧に、骨を食べないように心がけて生きてきました。
最近ではバリバリと全部食っています。
先日、長崎県の小浜を訪れた際、海辺の料理屋で食べた丼入りの味噌汁に、蟹が甲羅ごと入っていました。
以前の私なら、面倒でもいちいち丁寧に身を取り食べていたでしょう。
ところが今回は、バリバリと殻ごと食べたのです。
口は痛いわ、身よりも殻が多くて美味しくないわで散々でした。
でもそれ以上に、身を取る労力は避けたかったのです。
そんは私を人は野生児と呼びます。

幸せを感じる時

皆さんはどんな時に幸せを感じるのでしょうか。
私が幸せを感じるのは、おかずを口に入れた後、残量を気にせず大量にご飯を口に入れる事ができる瞬間です。
一般的には、ご飯の量には限りがありますので、残量を気にしながら食べなければなりません。
出てきた定食などで、ご飯の量が少なかった時など、限られたご飯を切り詰めて切り詰めて、少しずつ遠慮しながら口に入れなければなりません。
そういった時は逆に物凄いストレスを感じるのです。
ご飯の量は多けれは多いほど、最高に幸せを感じます。

リュック

まさか自分がリュックを買うなんて、想像もしませんでしたが、世の中何が起きるかわからない時代です。
結局私がリュックを買い、そして背負って歩いているのですから。
長年の肩こりと腰痛が、もしかしたら重いバッグのせいではないかという疑問が、脳裏を横切った時点から、ずっと買うか悩んでいました。
まずスーツが基本という私には、ファッション的に合わないのではないかというところが、その悩み続けた大きな要因です。
しかもこの年齢、この体型です。
オタクのオッサンに見られるのは嫌ですし、山下清にも見られたくないのです。
あとは、昔からなんでもすぐに取り出せるトートタイプのバッグばかりを選んでいましたので、荷物を取り出しづらいばかりか、それを背負ってしまう事への抵抗もかなりありました。
しかし肩こりは年々酷くなり、そうも言っていられない事態となり、先月意を決して購入したのです。
購入後、3日間背負いました。
そして3日目、電車内でのリュックの扱いで、疑問が生じたのです。
リュック界のマナーとして、電車内ではリュックを背中ではなく片腕だったり、お腹側にひっかけたりします。
それは後ろの人への配慮です。
しかし背負わないのであれば、リュックにした意味がないわけです。
お腹側にひっかけるなんて、そんなの絶対に嫌ですし、座る際に膝に乗せるのも絶対に嫌です。
しかも小物を取り出す事にも大変労力を要します。
結局、リュックは3日で放り出してしまいました。
そして今回の旅、長崎でボストンバッグを購入いたしました。
ボストンも初めてですが、非常に肩にかけやすく結構気に入っています。