2017年9月26日火曜日

食パンのミミ

子供の頃、食パンのミミの存在価値が理解できず、いつも食べずに残していました。
すると母親が、私が残した食パンのミミばかりをフライし、砂糖をふりかけて食べさせてくれたのです。
それはそれは甘くて美味しくて、私は食パンのミミとは、そのフライして砂糖をふりかけた美味しい手作りのお菓子のために存在するのだと理解したのです。

そもそも食パンとは、四角い大きなパンをカットしたものだと知ったのは、もっとずっと後の事でした。
では何故食パンのミミを食べなかったのでしょうか。
硬いから、それもあるかも知れません。
しかしそれよりも手で持つ部分だからという方が強かったと思います。
手で持つ=汚い、そんな理由だったと思うのです。
手を洗えば良い事なのですが、アホな子供ですから、そんな考えは持ち合わせていません。
例えばポッキーでも、チョコでコーティングされた部分とチョコのない部分があります。
当然チョコのない部分はポッキーの持つ部分です。
だから汚いので食べませんでした。
ソフトリームであれば、コーンの部分が持つ部分です。
だから汚いので食べないのです。
おにぎりであれば、海苔の部分を持ちますので、海苔の部分は食べません。
バナナを途中まで剥いて、皮を持って食べ、最後に皮を捨てるのと同様に、手で持つ部分は食べずに捨てるのです。
アイスキャンデーの棒を持って食べ、食べ終わると棒を捨てるのも同じです。
焼鳥の串や、フランクフルトの串を捨てるのと同じなのです。
焼トウモロコシの取っ手の部分と同じなのです。
きのこの山の茎の部分も同じです。
鶏モモステーキの骨の部分も同じです。
コーヒーカップに取っ手があるように、食パンのミミも、おにぎりの海苔も、ポッキーのチョココーティングされていない部分も、バナナの皮も、焼鳥の串も、フランクフルトの串も、きのこの山の茎も、鶏モモの骨も、みんな手が汚れないように、また手に付着した細菌が口に入らないように、存在しているのだと信じていたのです。
こういう取っ手のない食べ物を食べる場合は、汚いですし、また手も汚れます、だから箸やフォーク等といった道具が必要となります。
小枝やキットカット、カール、ポテトチップス、チョコフレークなど、持つ部分のないものは、箸やフォークで食べていました。
シュークリームのように周囲が持つ部分で、中身が食べる部分のものはなかなか大変です。
あんぱんも肉まんも同じです、持つ部分が多すぎるのです。
結局徐々に歳を重ねていき、それが持つ部分では無く食べるものということを知るのですが、今でもその当時の名残が残っていて、おにぎりは海苔の部分を最後の最後に食べますし、食パンのミミも最後の最後に珈琲に浸して食べています。
きのこの山の茎も、ポッキーのチョコのない部分も、そしてそれが案外美味しいということに気付くのです。


殿のVALU https://valu.is/15800









殿にチップ→ 19A7a15L8ZHdfeBjwW8TM82cHiBKxu7YPB

0 件のコメント:

コメントを投稿