2012年1月19日木曜日

恋愛相談 50代男性編 【続編】

以前、恋愛相談を受けた50歳代男性から、その後も何度となく同じ相談を受けてまいりましたが、あれから8ヶ月が経過しました。
あれから彼は、すっかりファッションリーダーとなってしまったのです。
彼は毎月毎月メンズファッション雑誌を4冊購入しています。
そして隅から隅まで読破し続けています。
今では私の方がファッションについて教えてもらっている状態です。
そして毎日1時間のトレーニングを怠らず、15kgのダイエットに成功。
アランミクリの眼鏡をTPOに合わせてかけ(4個を使い分けています)
全身ポールスミスでコーディネイト。
裏地が花柄のスーツに身を包み、これまで地味めなタイしか自分には合わないと主張していた8ヶ月前が嘘のように、派手なネクタイをつけています。
ランコムのクリームを毎日塗りたくって美白も怠りません。
エステにだって通っています。
外へ出るときは日焼け止めクリームを怠りません。

私 「しゃーけどすっかりファッションリーダーですやんか」
彼 「そんなことあるかいな」
私 「去年のセンセとは別人ですやん」
彼 「明日はバーニーズ・ニューヨークに買いもん行くねん」
私 「ファッションリーダーやなあ、しゃーけど実際かっこええですわセンセ」
彼 「自分ぐらいやでそんなんゆーてくれるのん」
私 「んなことないでしょ」
彼 「ほんまやがな、痩せてもなんもええことないわ」
私 「みんな痩せたなゆーて言うでしょ」
彼 「だーれもゆーてくれるかいな、オバハンぐらいやがな」
私 「オバハンでも言われたら嬉しいやんか」
彼 「イランわ、なんも嬉しないわ」
私 「誰にゆーてほしいん」
彼 「そら20代の女子やがな」
私 「まだそれゆーてますのん」
彼 「そなことゆーたかて言われたいんやもん、しゃないがな」
私 「ゆわんでもみんな思ってるて」
彼 「あーあ、痩せても服変えてもだーれも声かけてくれんわ」

すっかり外見は別人になりましたが、どうやら中身は何も変わってないようです。
しかも20代の女子からの逆ナン待ちというから凄い人です。

私 「そなもん自分から声かけんと20代女子が来るわけないですやん」
彼 「それができたら苦労せーへんちゅーねん」

いくら痩せてオシャレになっても、自分自身に自信がない為に、自分の好みである20代女性からのアプローチを待ち続けていると言います。
そもそも若いイケメンでもそう女性から声をかけられるものでもありません。

彼 「あーあ、お祓いでもいこかな」
私 「なんですのお祓いて、そなもん神社の金儲けでしょ」
彼 「こないだボクの知り合いが2人もお祓いしてもーて幸せになっとんねや」
私 「なんやて?」
彼 「あれごっつ効くらしで」
私 「ほんまですの、センセ行って良かったら俺かていくわお祓い」

結局どっちが相談しているのかわからなくなってきたので、この辺で恋愛層相談は終了しました。
今後の彼の変化に注目です。


殿にチップ→ 19A7a15L8ZHdfeBjwW8TM82cHiBKxu7YPB

2012年1月18日水曜日

味覚

人によって味覚は大きく異なります。
同じものを食べても美味しいと感じる人もいれば、不味いと感じる人もいます。
天下一品のこってりラーメンに対する反応は、その分かりやすい例です。
あれほど好き嫌いのハッキリわかれるモノは無いと思うのです。
それはまるで喫煙者と非喫煙者とのバトルにも似ています。
意見がわかれる事は理解しているものの、やはり不味いと言われるとガッカリしますので、初テンイチの人と一緒に、こってりを食べる時は緊張します。
そして「美味しい」と言われると歓喜し、同じ感性(味覚)であった事に感謝するのです。

先日、とある友人とたまたま通りかかって入った中華料理店。
780円のランチメニューをいただきました。
しかしあまり私達の口には合わず、完食せずに店を出たのです。
完食せずに店を出るという事は滅多にないのですが、この時はさすがに全部食べる事ができなかったのです。
店を出た後、友人が言いました。
「ひどかったな、もう二度とイカン」
「まぁまぁええがな、そんな時もある。せやけど中国人の店主は一生懸命やったがな」
「あの味はアカンやろ、つぶれたらええのに」
「かめへんがな、オッチャン頑張っとったがな」
別に接客が悪かったわけでもなく、料理が遅かったわけでもなく、ぼったくられたわけでもなく、店が汚かったわけでもありません。
ただ単に味が口に合わなかっただけなのです。
むしろ店主の接客は、カタコトの日本語で一生懸命頑張ってる姿に好感さえ持てました。
単純に口に合わなかっただけで店がつぶれたらいいと願う心理が私には理解できません。
いやお店側からこちらに対して悪意でもない限り、つぶれて欲しいなんて思わないのが普通ではないでしょうか。
嫌ならもう行かなければいいだけの話なのです。
逆に、もしも機会があれば(迷惑でなければ)私なりに色々とアドバイスしてあげたいとさえ思います。
 飲食店の繁盛するしないの理由は、味だけではありません。
居心地の良さであったり、立地、価格、接客サービスなど様々な要因によって決まります。
お店は、繁盛とまでいかなくても、維持継続するだけでも家賃や仕入れ、人件費、光熱費など、莫大な費用がかかります。
このお店は少なくともこの場所で数年は営業しています。
という事は、よほど蓄えがある場合を除いて、維持継続できるだけのお客様が入っているという事になります。
であれば、味だけではない(味も好みなので一概には言えませんが)他の何か理由があると考えられるのです。
なのに一個人が口に合わなかっただけで、簡単にそんな事を言うべきではないという事です。

2011年12月30日金曜日

低脳な人物

思いつきだけで行動する人を「低脳な人物」と呼んでいます。
確かにパッと思いついた事をすぐに行動に移せるという事は良いことだと思います。
いつまでも悩んでばかりでなかなか行動に移さない人を見ると、非常にもったいないと感じます。
ピッと思いついた事をすぐにパッと行動にうつせる、これを「ピッパの法則」と呼びます。
世の成功者と呼ばれる人達の殆どが、こういうスタンスで生きています。
しかし冒頭で述べた「低脳な人物」とこの「ピッパの法則」とは全く異なります。
低脳な人物は、パッと思いついた事の真意のわからぬままに、人にそれを求めます。
その事で人に迷惑がかかったり、不平不満が出たり、困る人がいないかという事までイメージせずに思いつきだけで人に求めます。
低脳な人物は、自己都合だけでそれを実行しようとします。
そしてそれに対して反論しても決して納得しないのです。強行突破です。
自分のパッと思いついた自分にとって都合の良い自分勝手な事柄が、何人何百人に迷惑がかかろうとも、その通りにならないと腹を立てるのです。
だから低脳なのです。
「ピッパの法則」は自己のアクションです。
「低脳な人物」は自分ではなく周囲の人にアクションを求めます。
だから低脳なのです。
きっと脳の一部が欠けているか腐っているのでしょう。
更年期でしょうか、中年女性に多いようです。

2011年12月28日水曜日

一歩前へ

男子トイレに必ず貼ってある注意書き
「一歩前へ」
様々な表現方法はありますが、これは便器手前にこぼれる尿を防ぐために、もう一歩前へ進んで排尿しましょうという意味の注意書きです。
















では何故便器内に全部排出せず、手前にこぼしてしまう人がいるのでしょうか。
理由はいくつか考えられます。

1、明らかにコントロールミス。入ると思っていたけれど完全なミスによる垂れこぼし。
 まさにもう一歩前へ進んでいれば防げた初歩的なミスといえます。
2、真性包茎による尿コントロール不能状態の人。
 いくら手で向きを定めても、尿道口に覆いかぶさる皮が邪魔をしてコントロール不能
 となります。
 垂れこぼしだけでなく、自身の足にも被害が及ぶ場合も考えられます。
 防止方法は包茎手術、または自身の手による一時的な仮性包茎状態にする事です。
3、ビキニやボクサーなどの締め付けの大きい下着による圧迫で尿道口の
 一時的な変形によるコントロールミス。
 出口が一時的に変形している事によるコントロール不能状態ですので、排尿の初期の
 段階のみコントロールを失います。
 予防策として排尿前にマッサージするなどが考えられますが、あくまでも机上論です。
4、老化によるキレの悪さから生じる垂れ流し。
 キレが悪くなると、排尿の終了時にこぼしてしまう事があります。
 これももう一歩前へ前進する事で防止できます。
5、上記1~4の理由で、既に誰かがこぼしている為に、一歩前へ進めない状態での排尿。
 ほとんどの人はこの理由により、垂れこぼしの上書きを行っているはずです。
 これを防止するには、便器の手前、両足の部分をグレーチングにするなどして、
 前の人のこぼした尿を踏まない(踏みにくい)ようにするしかありません。
 ただグレーチングにしても踏みつける部分を軽減する程度の予防策
 としかなりませんので、完璧を求めるのであれば、便器の水洗と同時に、足元にも
 水が流れるようにするしかないと思います。

このように、5つの理由をあげましたが、基本的にもう一歩前へ進んでいれば防げるものばかりです。
最近は、便器内に的を設置し、男性の心理にうったえる予防策も多く見られます。
















的に尿を当てると色が変化するなど、工夫が見られます。
















古典的ですが、便器内に氷が配置されている場合もあります。
これは1回の排尿で、何個の氷を溶かす事ができるのかと、チャレンジ心を煽ります。
氷以外でも、ゴミや汚れが付着している場合、排尿によりその汚れを取りたいという心理が働きます。
そうすると必然的に一歩前へ進んでいますので、結果的に垂れこぼしの防止にもなっている事があります。

最近の男性は、自宅では洋式便器に座って排尿する人が増えています。
これは上記のような理由による垂れこぼし防止策といえるでしょう。
公衆トイレは自分の手を汚す事はありませんから、垂れこぼししても気にしませんが、自宅の場合ですと掃除するのは自分です。
それが嫌なので絶対に失敗のない座式排尿を行うのです。

2011年11月22日火曜日

立ちション禁止

朝いつものコースを走っていると、前方で立小便、すなわち立ちションをしているオッサンが見えました。

最近は、高速道路脇に車を止めて、その車の陰でこっそりする人をたまに見かける程度で、めっきり見る事も減った感のあるあの立ちションです。
コンビニのトイレが開放されてからというもの、路地裏でも見かける事はなくなりました。
子供の頃 「立ちションしたら罰金や」 とよく脅されたものです。
実際に、立ちションという行為は軽犯罪法違反となります。
場所によっては刑法142条の「浄水汚染」(付近に飲料水として使用されている井戸などがあった場合)、同第261条「器物損壊等」(他人の所有物などに放尿した場合)、同第174条「公然わいせつ」(人々が集合したり往来のある場所などで陰部を露出して放尿した場合)によって処断される可能性もあり、更に公衆衛生上も好ましくないため、男女性別を問わず認められる行為ではないとされています。
 私の周辺に、立ちションで逮捕された人は存在しませんし、それが犯罪という確固たる意識はありませんでした。
何となく 「してはいけないもの」 程度の認識で、犯罪というよりも 「他人に見られたら恥ずかしい行為」 という感覚の方が大きいような気がします。

冒頭のオッサンも、同様に違反という事よりも、私に見られる事が恥ずかしいと思ったのでしょう。
私が走ってくる事に気付いたのか、少し焦りが見えます。
チラチラとこちらに目をやりながら、でも朝からこんな場所でしなければならなかった程に溜まっていた尿は、そんな簡単には終わってくれないのでしょう、私が近づくにつれ、完全に焦っているのが伝わってきます。
私は、なぜ朝からあのオッサンに気をつかわなければいけないのかと思いながらも、少しスピードを緩めます。
「はよ終わってくれ」
これは私と見知らぬオッサン、2人の脳に同時に過ったセリフです。
このいつもの川沿いのコースは、何本かかかる橋の横に抜け道があるだけで、オッサンの位置はその抜け道からも少し離れています。仮にオッサンの排尿が終了したとしても、私の方向に5mほど来ないと抜け道へ出られません。
ということは、こちらとしても、排尿を終了し、5m手前の抜け道へオッサンが駆け抜けるまでの時間を予測し、そのペース配分で走らなければならないわけです。
それより早くその地点に到達してしまうと、オッサンとすれ違う、又はもっと早い場合には、オッサンの排尿している真横を見知らぬ顔をして通過しなければならなくなってしまいます。
これは避けたい、いや私自身は何ともないのですが、物凄く恥ずかしい思いをするオッサンが可哀想です。
朝からそんなオッサンを見たくありません。ちゅーかなんでそんなとこで立ちションしとんねん!
そんな事を考えながら、ゆっくりと時間調整し、何とか彼の希望通り(推測ですが)、オッサンが抜け道へ駆け上がって行く姿を見た後に問題の現場を通過いたしました。
5mほど行くと、彼の残した排尿跡が見えました。
私の走行するコースを完全に遮断する形で、流れています。
見たくはありませんが、ちゃんと見ないと踏んでしまいます。
私は大きくジャンプし、彼の残した形跡を飛び越えたのです。

2011年11月9日水曜日

年賀状

ここ最近、めっきり年賀ハガキを書く事がなくなりました。
もう何年書いていないでしょうか。
 奈良時代に始まったとされる新年の挨拶回りという行事が、その起源とされる日本の風習、年賀状。
平安時代に入り、貴族や公家にもその風習が広まり、挨拶ができない遠方の人への年始回りに代わるものとして文書による年始あいさつが行われるようになったのだといいます。
私自身は、小学生の頃の 「子供郵便※」 (※子供郵便参照) がその始まりです。
それから徐々に年齢を重ねるごとにその枚数は増加し、ピーク時は1000枚以上もの年賀状を出していた頃もありました。
そしてそのピークを境に、徐々に枚数を減らしていったのです。
毎年正月になると、郵便ポストに大量に届いた年賀状を、こたつに入って雑煮を食べながら読むのが習慣となっていました。そしてまたそれが嬉しかったのです。
年賀状の枚数が、自身の人気のバロメーターのように感じていたのかも知れません。
自分が出してない相手から届いた年賀状には、翌日に返送するというのが礼儀です。
こちらが、出すほどではないと判断した相手から年賀状が届くと、それはそれで申し訳ないと思う反面、相手は自分以上にこちらの事を思っていてくれたという感情がこみ上げて、なんとなく嬉しかったように記憶しています。
 1000枚も出していると、年賀状だけのお付き合いという人が結構な数存在します。
毎年毎年、年賀状には 「今年こそ一緒に食事でもしましょう」 と、お互いが書くのですが、それが現実化する事は、ほぼありませんでした。
過去に1度だけ、年賀状だけの付き合いを継続していて本当に良かったと思う出来事がありました。
当時、とある事業で全国展開をもくろんでいた時の事です。
博多に営業所を出す計画で、全くツテもコネも無い九州に、何度となく足を運んでいました。
そんな時、もう何年も年賀状だけの付き合いである友人が博多にいた事を思い出し、連絡を取ってそれが見事縁となり博多営業所を立ち上げたという事がありました。
その時は本当に年賀状って大切であると実感したのです。
しかし、1000枚出す年賀状のうち、何枚かは全くリターンの無い人も存在するという事に気付いた時、ハッと我に返ったのです。
その後、あえてこちらからは出さず、来たハガキにのみ返信するという方式を取ったのです。
すると翌年は800枚ぐらいに一気に減りました。
200人は、こちらが出すから来ていただけの人達だったのです。
その翌年は500枚ぐらいに減りました。
これは、私と同じように来た人にだけ返そうと思った人が300人ほどいたのだと思います。
そして200枚、100枚と減り、今では30枚ぐらいが届く程度になりました。
逆に、メールやSNSでの新年の挨拶というのは年々増えていっているように思います。
年賀状を書くという作業は、確かに大変といえば大変ですが、そんなに苦痛ではありませんし楽しいものです。
しかし、住所を知らない友人が徐々に増え、年賀状を出すにも送り先がわからないというのが大きな原因のように思います。
実際、親交の濃い人ほど住所を知らず、年賀状だけを毎年送り合う人達ほど親交がないというのが実情だったりします。
わざわざ住所をメールで送ってもらうぐらいなら、そのままメールで新年の挨拶をすれば良いわけです。
mixi年賀状という、住所の知らないマイミクに対して、mixiが仲介して年賀ハガキをだしてくれるというサービスも、何年か前からありますし、毎年何通か届きますが、メールで返す方が早いと思ってしまい、利用した事はありません。(毎年くださる方には申し訳ないのですが)
更に、昨今のように、正月らしさなんて全くない正月 (※正月らしさとは、家に親戚が集まって、コタツに入って雑煮やおせち料理を食べながら、かくし芸大会を見てゴロゴロと過ごす事) に、わざわざ新年の挨拶なんているのかとさえ思えてしまうのです。
昔は12月31日と1月1日とでは大きく変化があったように感じていましたが、今では昨日と今日と同じ、なんら普段とかわらないようにしか思えないのです。
ここ数年は、正月も普通に仕事をしていますので当然といえば当然なのでしょうが。
日本の文化が失われるという考えもあるかもわかりませんが、果たして本当に文化なのか、郵便局が儲かるように仕向けられた戦略や洗脳だっただけではないかと思っていまうのです。

2011年10月28日金曜日

趣向(嗜好)の変化

なぜ大多数の日本の老人は、灰色や暗めの茶色、ピンクにしてもどす黒い感じ、淡いというより汚れたような色の服を選んで着るのでしょうか。
最近は海外の影響か、少しは減ったのかもしれませんが、それでも圧倒的に多いと思います。
夕暮れや明け方などはハッキリ言って景色と同化して見えません。
コンクリートの道路とは完全に一体化してしまって、どこに居るのかさえ全くわかりません。
若い頃は派手な服を着ていた人も、歳をとるとああいう色の服を着たくなるのでしょうか。
それとも老人向けの服は、圧倒的にああいう色が多いのでしょうか。
いや、そもそも老人向けという服なんて無いような気がしますので、明らかにああいう色を選んでいるように思うのです。
確かに、70歳以上のご老人が20代のファッションをしていれば変です。
しかし色は別です。原色でもいいと思うのです。
あの人達は一体何歳からああいう灰色の服を好んで着るようになったのでしょうか。
50歳でしょうか、60歳でしょうか、70歳でしょうか。
それとも今の老人世代は、若い頃から作業服のような色の服を着ていたのでしょうか。
今度どっかの散歩してるお爺さんをつかまえて聞いてみたいと思います。

ファッション以外にも、子供の頃にいつも疑問に思っていた事の一つに、テレビ番組などの好みが年齢によって変化するのかどうかという事があります。
子供の頃、なぜ老人は時代劇を見るのか理解できませんでした。
うちの祖父や祖母はずっと時代劇を見ていたからです。何度か我慢して見てみましたが、まったく面白さが理解できず、でもきっと自分も歳をとると時代劇が見たくなるんだろうと思ってました。
相撲も同じです。
いつかは面白くなる年齢が来るんだろうと思っていたのです。
しかしこの歳になっても時代劇や相撲を見たいと思いません。
(新選組や壬生義士伝、龍馬伝などの作品は別として)

食べ物に関しても、やはり年齢とともに大きく嗜好が変化するように想像しておりましたが、実際問題ずっと昔からあまり好みに変化無く過ごしてきました。
ラーメン等も、歳とともにあっさり醤油を選ぶようになったという人もいますが、私は若い頃からあっさり醤油が好きでしたし。食べる量もさほど変化はありません。

結局年齢によって嗜好が変化するという事が、自分では理解できないのです。
年齢に関係なく、好きなものは好き、嫌なものは嫌なのです。

2011年10月19日水曜日

霊媒師

霊媒師、霊と人間とを直接に媒介することが可能な人。
兵庫県たつの市に物凄く当たる事で有名な霊媒師がいると言います。
私は、霊が見える人や、人に触れただけでその人の人となりが全て解るという人は何人か知ってますが、霊を呼び出して、しかも会話までできるという人とはこれまでに一度も会ったことがありません。
なので正直胡散臭い印象があったのです。

古くからの友人(女性)が最愛の人を亡くし、悲しみにくれる日々の中で、どーしても故人と会話したいという願望から、この有名な霊媒師に接触しようと、アチコチで情報を収集し、半年かけてやっと会う事ができたという話を聞きました。
有名な霊媒師がいるという噂は知っていても、実際に連絡先まで知っている人は少なく、しかも仮に連絡先がわかっても、予約後数ヶ月も待たされるというので、なかなか接触するにも時間がかかったようです。
予約を取り付けたある平日の夜、霊媒師を訪ねると、そこはごく普通の民家だったそうです。
霊媒師は、イメージしていた人とは大きくかけ離れた、30代ぐらいの男性でした。
彼女は、勝手に老婆だとイメージしていたので面食らったと言います。
彼女が中に入ると、ベッドのある部屋へ通されました。
目の前に何か液体が入ったコップを2つ置かれ、まずはこれを一気に飲み干すようにと言われたそうです。
躊躇していると、一気じゃなくても、少しずつでもいいので飲むようにと言われ、仕方なく少しだけ飲んだそうです。
若い男性だったという事と、ベットの部屋、そして霊媒に無関係っぽい液体、これらの事で、何か疑いをもったのでしょう。素直に飲むと何か危険な気がして、全部は飲まなかったといいます。
しかし彼女自身は悲しみに打ちひしがれています。
疑いながらも、言われるままにベッドに寝転んで、何か呪文のようなものを唱えられ、その後、故人との会話をかわしたそうです。いや、実際には会話を交わした感じではなく、霊媒師が代弁したという感じでしょうか。
しかも言っている内容が完全に的外れで、がっかりして帰ったというのです。

そんな話を聞いた数週間後、別の人から偶然同じたつの市の霊媒師の話を聞きました。
同様に物凄く当たるという話、なかなか予約が取れないという話、一緒に行った友人が霊媒師に「将来が見えない」と言われ、実際に事故で亡くなったという話。
恐ろしい話を沢山聞きました。
しかし聞いていくうちに、なんとなく以前聞いた話との相違がいくつかある事に気付いたのです。
「えっ?その霊媒師て30代ぐらいの男性やんな」
「えー、ちゃいますよ、オバチャンです」
「なんやてえ?」
なんと以前聞いた話とは別の霊媒師の話だったのです。
私は以前聞いた初めに何か飲まされる事や、ベッドのある部屋に通される事等を伝えました。
すると 「あー、それ詐欺ですわ、この前捕まってましたよ強姦罪で」
「えーーーー!なんやてええ?」
どうやら同市に本当に存在する霊媒師のフリをした詐欺まがいの霊媒師がいて、相談に来る女性に睡眠薬を飲ませて乱暴していたというのです。
しかも私の古い友人はそっちの霊媒師に相談に行っていたわけです。
睡眠薬を全部飲まなかったから良かったのか、それとも実際は眠ってしまって何も覚えていないだけなのか。
なんとも恐ろしい話です。
クワバラクワバラ、ナンマイダナンマイダ

2011年10月17日月曜日

もう1人の誰か

もう何年も前の事ですが、仕事の打合せのために、とある喫茶店へ同僚と入った時の事です。
街の小さな喫茶店、しかも15時過ぎだったせいもあって、客は我々2人だけでした。
席につくと店員の女性が水を持ってオーダーを聞きにきました。
しかし我々のテーブルに運ばれてきた水は3つだったのです。
「えっ?2人やで?」
「えっ?トイレ行かれてるんじゃないんですか?」
「誰が?」
「もう1人の方・・・」
「いや、だから2人やて」
「うそでしょ?絶対うそでしょ?」
どうやら我々と一緒にもう1人誰かが入ってきたらしいのです。
彼女はそれをハッキリと見たと言いうのです。
我々のやり取りを、奥の厨房で聞いていたマスターもやってきました。
マスターももう1人の人をハッキリ見たと言います。
スーツにネクタイ姿の40歳ぐらいの男性だったと、2人が口を揃えて言うのです。
なんだかとても恐ろしくなったと同時に、ちょっぴり嬉しかったというのが事実です。
過去に、人からこれに似たような体験談を聞いた事がありましたが、まさか自分自身にもこういう事が起きるなんて思っていませんでしたので、正直嬉しかったのです。

それから約1週間ほど経過したある日、また別のレストランに、また別の男性と入りました。
そしてそこでも全く同じ事が起きました。
先日と同じように、店員の男性が3つ水を持ってやってきたのです。
「ひょ、ひょっとしてネクタイ姿の40歳ぐらいの男性が一緒に入ってきました?」
「え?あ、はい、その方はトイレですか?」
背筋がゾーーーーーっとしました。
コラ完全に私についているようです。
さすがに怖くなって、知人の霊媒師にお祓いをしていただきました。
それ以来、こういう事は起きていませんが、ある意味ネタのためにもたまには起きてほしいというのが本音です。

2011年10月13日木曜日

世界地図

普段から見慣れた世界地図。












死んだオカンがチズ子という名前だったからでしょうか、昔から地図を見るのが好きでした。
先日、何気にボーっと世界地図を眺めながらふと思った事があります。
普段から見慣れた世界地図は上図のように日本が中心に描かれたものです。
がしかし、これはあくまでも日本人が日本人のために描いた世界地図であって、きっと他国ではそれぞれ自国を中心に描かれた世界地図が使われているのではないかという疑問です。
アメリカならアメリカが中心の世界地図、イギリスならイギリスが中心の世界地図なのではないでしょうか?
ではグリーンランドの世界地図は一体どういう風に描かれているのでしょう。
ニュージーランドを中心に描かれた世界地図を見てみたい。
そんな事を思ったので調べてみました。

・日本で日常的に用いられる世界地図は日本の国土が北半球に位置することから地図の上辺方向を北にしたものが多く、日本の位置は地図のほぼ中央に記されていることが多い。
・英国のグリニッジ天文台を経度0としていることからヨーロッパでは経度0を地図の中央に配置している。
・米大陸でも大西洋を中心とする地図が多く用いられる。












・南半球の国(オーストラリアなど)では地図の上辺を南(つまり上下が逆転した世界地図)にしているものがある。
・イスラーム世界の地図では、四方のうち南を正面と考えることに起因して南を上にしているものが多かった。















・仏教世界では西方浄土の考えから西が上になっているものが多い、また、日本の古地図行基図等では上辺方向は、まちまちである。

世界地図 - Wikipediaより抜粋

しかしさすがに西が上の世界地図は出てきませんでしたが(そもそも西が上て、地球は丸いのですから西へどんどん行けば東を通り越してしまいます)オーストラリアなど南半球の世界地図には驚きました。















日本なんてこんな状態です。
これでは酔ってしまいます。

2011年9月29日木曜日

ケツをかく

【ケツをかく】
別にケツが痒いわけではありません。
車で前の車を「あおる」事を「ケツをかく」と言います。
これは播磨地方特有の方言のようです。

急いでいる時に、前方に意味もなくトロトロトロトロ走っている車がいたら腹が立ちます。
特に高速道路で、追い越し車線をトロトロ走っている車には心底腹が立ちます。トロトロ走るなら何故左側車線を走らないのかと文句を言いたくなります。
一般道でも、意味もなく急にスピードを上げたり急にゆっくり走ったりする車の後ろを走っていると、無性に腹が立ちます。
何かを探しているのか、道路上で停止寸前のスピードまで落としてキョロキョロしている人にも無性に腹が立ちます。何故コンビニにでも入って車を停めてから探さないのでしょうか。全く後続車が気にならない人です。
そして曲がるのかと思って待っていたらまた走りはじめたり。
完全に衝突するタイミングで割り込んで来て、こちらに急ブレーキを踏ませておいて、しかもトロトロ走る人もそうです。
自分の事しか考えられない人が物凄く多いのです。
だからケツをかくのです。
ケツをかく行為には、「はよ行けやボケ」 という意味がこもっているのです。

しかしケツをかかれると腹が立ちます。
普通に走っていて、ケツをガンガンかいてくる(ガンガンあおってくる)車には無性に腹が立ちます。
「勝手に追い越せやボケ」 と思います。
私は、前述のような、意味もなく追い越し車線をトロトロ走ったりしませんし、急に割り込んでおいてトロトロ走る事もしません。
フツーに流れに乗って走っていても、ケツをかいてくる人が存在するのです。
前述のように、明らかに走行上問題のある運転の場合は、ケツをかかれても仕方がありませんが、フツーに走っている車に対してケンカを売るような行為はどうかと思います。
しかも急いでいるのなら道を譲りますが、どうもそういうわけではなく、イキッているだけのような人。
私はこれまで、ベンツや国産でもクラウンなどのクラスの車に乗っている時は、一度もケツをかかれた事がありません。逆に小型車に乗っていると1日に何回もケツをかかれます。
ということは、フツーに走っている車に意味もなくケツをかく人は、車を見て(相手を選んで)かいているとしか思えないのです。
だから腹が立つのです。

結局ケツをかく側も、かかれる側も、腹が立つのです。
ネットを見ていても 「あおる車はたとえ急いでいようが絶対に許せない」 という人がいましたが、果たしてその人の運転はどーだったのでしょうか。ドンドン話がエスカレートして、車内からあおる車に対してペンキの入った瓶を投げるべきだと恐ろしいアドバイスなども出ていましたが、自身の運転に対する反省点は無かったのでしょうか。
逆にあおる側も 「絶対に許せない」 とエアガンで前の車を撃って事件になっていたりもします。
これを見ていると、全面戦争になりかねない勢いですが、かく側もかかれる側になりえますし、かかれる側もかく側になりえるのです。
我々にできる事は、最低限のマナーを守って、そして制限速度ではなく流れに乗って、そして協調性、譲り合いの気持ちを持って運転する事だと思います。
どうしてもケツをかかれたくない人は、ベンツやセルシオを購入し、真っ黒のスモークを貼る事をオススメします。
まずかかれる事は無くなります。

2011年9月20日火曜日

外堀川(続編)

前回、外堀川のゴミ被害について少し触れましたが、その原因をつきとめることに成功しました。
















「ゴミ持ち帰り公園」
公園内にゴミ箱がありません。
ゴミは持ち帰りましょう。


これです。
これが原因です。
確かにゴミ箱がないので、素直に持ち帰る人も多いでしょう。
が、しかし、ゴミ箱が無いので捨てて帰る人も多いのです。
だから川がゴミだらけなのです。
川だけではありません。
川沿いのベンチというベンチにゴミが散乱しています。
マクドナルドの紙袋や、コンビニ弁当、ペットボトルなどがベンチごとに散乱しているのです。
皆楽しそうにピクニック気分でファーストフードを食べ、そしてゴミ箱が無いので川や周辺に捨てる。
ゴミ箱を置かない理由は、回収するコストの節約でしょうか。
しかし、後になってこれだけのゴミを拾う事のほうがコストがかかります。
いや、ゴミはずっと放置してありますので、コストはかかってないのでしょうが。
このままで良いとは正直思えません。
近いうちに、スポーツゴミ拾い大会でも企画して、外堀川をキレイな川にしたい。
そんな事を妄想しながら今日も走っています。
走りながらの乱筆をお許し下さい。

2011年9月15日木曜日

理解できない行動

人それぞれ考え方が異なりますし、育ってきた環境や文化によって、取る行動も大きく異なります。
しかし殆どの人は、そういった事とは別に、自身に不利になる行為や、手間や面倒になる行動は取らないのが普通ではないでしょうか。

先日、とあるホームセンターの駐車場での出来事。
私が車を止めてボーっと佇んでいますと、1台の車が私の車に近づいてきました。
その駐車場は100台以上の車が駐車可能な、わりと大きな駐車場です。
駐車率は30%といったところでしょうか。
正直スカスカな印象でした。
その車は何を思ったのか、私の車の助手席側真横に停めようとしています。
わざわざ横に停めなくても、そこらじゅう空いたスペースだらけなのにです。
さらに、キッチリ枠内に停めた為に、非常に降りにくそうに車を降りています。
もちろんドアだって完全には開きません。
私の車に当たらないように気遣って、おそるおそるドアを開け降りて行きました。
私にはその一連の行動が全く理解できませんでした。
何もそんな苦労して車を降りなくても、駐車場はスカスカなのだから、もっと広い位置に停めれば良かったんじゃないでしょうか。
「なんでそこに停めたんや」
思わず口ずさんでしまいました。

2011年9月11日日曜日

カッターライフ

カッターナイフで紙を裁断する作業。
一般的にはあまりカッターで紙を切る機会は少ないのかも知れませんが、私は仕事柄よく切ります。
1日平均すると158枚ぐらいは切っているのではないかと思います。
158枚と書いた時点で嘘くさいのですが、正直100枚は毎日切っていると思うのです。
今日は8200枚切りました。
複数枚の紙を裁断する場合、紙が多くなればなるほど、全部の紙を同じサイズにカットする事が難しくなります。
何も考えずに100枚同時にカットした場合、1枚目の紙と100枚目の紙のサイズが大きく異なっているという経験をした方も多いのではないでしょうか。
いくら定規を当ててカットしていても、カッターナイフの刃先がまっすぐ垂直におりていないという事が大きな原因と考えられます。

以下に、複数枚の紙を上手にカットする条件をあげてみました。
1から順に優先順位とお考え下さい。

1、一気に複数の紙を切ろうとせず、軽い力で何回も切る。
 例えば100枚同時に切る場合、1回のスライドで2~3枚を切る程度の力で切ります。
 どうしても1度に10枚以上を切ろうとしてしまう人が多いようですが、
 無駄な力が入り、刃先がまっすぐにおりなくなるのです。
 軽く軽く、そして何回も何回もカッターをすべらせる気持ちが大切です。
 また切り始めと切り終わりの部分を同じ力加減にする事です。
2、カッターナイフの刃が新しい事。
 刃先が消耗すればするほど正しいカットは難しくなります。
 また余計な力が加わりますので、刃は新しい方が良いでしょう。
3、定規側はしっかりと力を入れて押さえる。
 カッター側は力を入れず、定規側は力を入れます。
 定規の全体(カットする部分全体)にまんべんなく力が加わるようにする事が大切です。
4、カッターの切り始めを紙よりも上にする事。
 紙の切り始めをカッターの切り始めにするのではなく、紙よりも数センチ上(早く)する事です。
 紙をスタート地点にすると、どうしても紙を切ろうとする気持ちから無駄な力が加わってしまいます。
 紙のない部分からカッターを入れ、途中から紙が始まるように切る事が大切です。
5、カットは立って行う事。
 立つというか真上から見る事が大切です。
 座った位置ではどうしても斜めに見る事になります、紙に対して垂直に
 真上から見て作業を行う事です。

上記の項目を守って紙を切ると、嘘のようにキレイにカットする事が可能となります。
これを是非マスターし、快適なカッターライフをお過ごし下さい。

2011年9月10日土曜日

外堀川

姫路城の外堀であった川、「外堀川」
姫路城北東の野里上野町で北条川から分流し、姫路城や姫路駅の東側を通って南下、飾磨区上野田で野田川と名前を変える部分までの全長約6kmが外堀川と呼ばれています。
姫路駅から北側の部分は地図でも確認できないほどの河川ですが、南側は川幅は勿論、周辺も整備されていて、桜並木やウォーキングコースなども存在します。
この外堀川のJRより南側の部分から野田川と名前を変える部分までには15本の橋がかかっています。

JR線路から南側最初の橋、北豊沢橋















姫路駅につながる線路沿いの道路です。

そのすぐ南10mのところにかかる豊沢橋















昔この2つの橋の間には、喫茶リリーがありました。
(のちに飾磨のチェスティーノへ、現在はモッチモパスタ)

カノミ歯科のあるところ、三國橋















一ノ切橋、おしまれて閉店した洋食店「かさがた」のところにかかる橋。















城陽大橋、マックスバリュと姫路キャッスルホテルの間にかかる橋。















二ノ切橋、扶桑ビル付近















この付近の水面には大量の水草(ホテイアオイでしょうか)が繁殖しており、水面が見えない状態となっています。

揚羽橋、おばけ寿司の筋















誰かが意図的に放したと見られるブラックバスや、体長1m近くもある黒い鯉が大量にいますが、水草の間で動けなくなっている姿をよく見かけます。
また水草の上に大量に浮かぶ、ペットボトルなどのゴミを見るたびに、心が痛くなります。
水面までの距離が長すぎますし、また川へ降りる部分もありませんので我々ではどうしようも出来ません。
なぜわざわざこんなところにゴミを捨てるのでしょうか。
また姫路市はこのゴミに関して何も思わないのでしょうか。
よくここで市の職員を見かけますが、何ら変化が見られません。

庄田橋、三左衛門堀の川まつりのメイン会場となる橋。















三左衛門堀橋、市役所の筋















このあたりから一気に川の雰囲気が変わります。
川だけでなく歩道も土で、人もあまり見かけません。
情緒ある景色が楽しめます。

三左衛門橋、下の三条じ橋と並んでかかる歩行者専用の橋。















三条橋、スズケンのところにかかる橋。
先ほどの三左衛門橋のすぐ横に並んでいます。















姫路バイパス北側道橋、橋の名前は無い。















姫路バイパス、これも橋と言えば橋です。















姫路バイパス南側道橋、橋の名前はありません。















三ノ切橋、ここで外堀川は野田川に名前を変えます。















最初の北豊沢橋からこの三ノ切橋までは、途中土の部分もありますが、川沿いに整備されていて、朝は散歩やウォーキングをする人達をよく見かけます。
一周で約5km、走るにも歩くにもちょうど良い距離です。