2011年11月9日水曜日

年賀状

ここ最近、めっきり年賀ハガキを書く事がなくなりました。
もう何年書いていないでしょうか。
 奈良時代に始まったとされる新年の挨拶回りという行事が、その起源とされる日本の風習、年賀状。
平安時代に入り、貴族や公家にもその風習が広まり、挨拶ができない遠方の人への年始回りに代わるものとして文書による年始あいさつが行われるようになったのだといいます。
私自身は、小学生の頃の 「子供郵便※」 (※子供郵便参照) がその始まりです。
それから徐々に年齢を重ねるごとにその枚数は増加し、ピーク時は1000枚以上もの年賀状を出していた頃もありました。
そしてそのピークを境に、徐々に枚数を減らしていったのです。
毎年正月になると、郵便ポストに大量に届いた年賀状を、こたつに入って雑煮を食べながら読むのが習慣となっていました。そしてまたそれが嬉しかったのです。
年賀状の枚数が、自身の人気のバロメーターのように感じていたのかも知れません。
自分が出してない相手から届いた年賀状には、翌日に返送するというのが礼儀です。
こちらが、出すほどではないと判断した相手から年賀状が届くと、それはそれで申し訳ないと思う反面、相手は自分以上にこちらの事を思っていてくれたという感情がこみ上げて、なんとなく嬉しかったように記憶しています。
 1000枚も出していると、年賀状だけのお付き合いという人が結構な数存在します。
毎年毎年、年賀状には 「今年こそ一緒に食事でもしましょう」 と、お互いが書くのですが、それが現実化する事は、ほぼありませんでした。
過去に1度だけ、年賀状だけの付き合いを継続していて本当に良かったと思う出来事がありました。
当時、とある事業で全国展開をもくろんでいた時の事です。
博多に営業所を出す計画で、全くツテもコネも無い九州に、何度となく足を運んでいました。
そんな時、もう何年も年賀状だけの付き合いである友人が博多にいた事を思い出し、連絡を取ってそれが見事縁となり博多営業所を立ち上げたという事がありました。
その時は本当に年賀状って大切であると実感したのです。
しかし、1000枚出す年賀状のうち、何枚かは全くリターンの無い人も存在するという事に気付いた時、ハッと我に返ったのです。
その後、あえてこちらからは出さず、来たハガキにのみ返信するという方式を取ったのです。
すると翌年は800枚ぐらいに一気に減りました。
200人は、こちらが出すから来ていただけの人達だったのです。
その翌年は500枚ぐらいに減りました。
これは、私と同じように来た人にだけ返そうと思った人が300人ほどいたのだと思います。
そして200枚、100枚と減り、今では30枚ぐらいが届く程度になりました。
逆に、メールやSNSでの新年の挨拶というのは年々増えていっているように思います。
年賀状を書くという作業は、確かに大変といえば大変ですが、そんなに苦痛ではありませんし楽しいものです。
しかし、住所を知らない友人が徐々に増え、年賀状を出すにも送り先がわからないというのが大きな原因のように思います。
実際、親交の濃い人ほど住所を知らず、年賀状だけを毎年送り合う人達ほど親交がないというのが実情だったりします。
わざわざ住所をメールで送ってもらうぐらいなら、そのままメールで新年の挨拶をすれば良いわけです。
mixi年賀状という、住所の知らないマイミクに対して、mixiが仲介して年賀ハガキをだしてくれるというサービスも、何年か前からありますし、毎年何通か届きますが、メールで返す方が早いと思ってしまい、利用した事はありません。(毎年くださる方には申し訳ないのですが)
更に、昨今のように、正月らしさなんて全くない正月 (※正月らしさとは、家に親戚が集まって、コタツに入って雑煮やおせち料理を食べながら、かくし芸大会を見てゴロゴロと過ごす事) に、わざわざ新年の挨拶なんているのかとさえ思えてしまうのです。
昔は12月31日と1月1日とでは大きく変化があったように感じていましたが、今では昨日と今日と同じ、なんら普段とかわらないようにしか思えないのです。
ここ数年は、正月も普通に仕事をしていますので当然といえば当然なのでしょうが。
日本の文化が失われるという考えもあるかもわかりませんが、果たして本当に文化なのか、郵便局が儲かるように仕向けられた戦略や洗脳だっただけではないかと思っていまうのです。

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