2011年6月12日日曜日

植物虐待

ある枯れかけた観葉植物の鉢に、「元気」「幸せ」「ハッピー」「ありがとう」等、ポジティブな言葉を書いた紙を貼り付けていると、植物が元気に生き生きと蘇った。

 2つの同じ植物に、それぞれポジティブな言葉を書いた紙を貼ったものと、ネガティブな言葉を書いた紙を貼ったものとを同時に同じ環境で育てた場合、ポジティブなものの方が大きく実をつけ花が咲いたが、ネガティブな方は花が咲かなかった。

 毎日庭に咲く花に「おはよう」と挨拶し、「今日もキレイだね」とポジティブな言葉をかけていると、そうしてない花よりもキレイで大きな花が咲いた。

いずれも植物に関する不思議な実話です。
どの事例も、まるで植物が会話できる、または文字が読めるのではないかと考えてしまう話です。
以前何かの本で読みましたが、植物は自身の身に危険を察知した場合、揮発性の化学物質を放出し、その物質を感知した他の植物がダメージを受ける前に防御機能を発現させるそうです。
根が生えてますので逃げることはできませんが、植物間同士でも会話している事が科学的に実証されているというから驚きます。
木も花も草も野菜も、みんな生きていて、しかも動物と同様に感じる能力があるようです。

先日、とある店舗周辺の草引きを行いました。
なんとなく雑草が大きく目立ったので、自ら率先し行ったのです。
小さな雑草はもちろんですが、これまで見たことの無いような大きくて奇妙な草も大量に生えていました。
触ると生暖かく、少し毛が生えているような植物、柔らかくまるで爬虫類のような感触の気持ち悪い植物。
当初は、草木周辺にいる虫やミミズなどに抵抗を感じてはいたのですが、やっているうちにその奇妙な植物達の方が怖くなってきたのです。
しかも、前述で述べたような ”生きている” 感を物凄く感じたのです。
素手で触るのが怖くなって、途中手袋をはきました。
最初は軍手でしたが、途中からもっと怖くなってきてゴム手袋をはきました。
そのうちもっともっと怖くなってきて、剪定ばさみで粉々に切り刻んでから手でつかみました。
いくら小さく刻んでも、いくらゴム手袋をはいていても、その大きく奇妙で爬虫類のような植物の死骸を手でつかむのは恐ろしいので、他の小さな雑草の束と一緒に手でつかみます。
しかし心が痛みます。
残酷すぎます。
私が剪定ばさみで切り刻んでいる時、きっと向こうでこっちを見ている他の植物達は、危機感を感じてざわついていたのでしょう。
仲間が切り刻まれている姿を見ながら。
草引きをしている時、小さな虫達が私を攻撃してきました。
これもきっと殺されている植物達が、虫達に信号を発し、私を攻撃するように伝えたのでしょう。
心が痛みました。
「ごめんな、ごめんな」
心の中でつぶやきました。
草を引き抜く際(草を殺す瞬間)は、目を閉じました。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
そうつぶやきながら草達を殺害しました。
これまでに何度も草刈りは行ってきましたが、あくまでも電動草刈り機を使用しての草刈りでした。
その時はこんな感覚にはならなかったのです。
しかし今回は、草刈りではなく手による草引きなのです。
初めて植物を殺している感覚を実感したのです。
特に薄い形状の草や、硬い木とは違う、柔らかく大きな動物に近い植物に関しては、本当にそれを実感させられました。

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