2017年2月23日木曜日

ヨーグルト事件簿

朝食にと、深夜コンビニで上からストローを刺すタイプのカップタイプヨーグルトを買っておいたのですが、その日に限って何故か朝からバタバタとして、結局飲む時間もなく、空港についたら飲もうと、ボストンバッグに放り込んで、電車に飛び乗ったのです。
成田空港について、チェックインしようと機械で操作したのですが、またその日に限って機械の不備で発券されず、窓口に並ぶ事となりました。
そんなこんなで結局空港でも、ゆっくりとヨーグルトを飲む間が無く、結局バタバタと手荷物チェックへ並んだのです。
手荷物チェックでは、パソコンをバックから取り出します。
私の順番が来て、パソコンを取り出そうとバックを開けました。
すると、飲めないままのヨーグルトのフタがグジャっと潰れて、中のヨーグルト半分以上がバック内に散乱しているではありませんか。
「えーー」
見える範囲、全てヨーグルトでベチャベチャです。
しかし今から手荷物チェックです。後方にもいっぱい並んでますし、拭いてる暇など勿論ありません。
私はとりあえずヨーグルトの容器をサッと取り出して、すぐにバックのファスナーを閉めました。
そして、手荷物チェックの係りの人にそのヨーグルトを手渡しました。
「これ捨ててもらえますか?」
「念のためにチェックしていいですか?」
「えっ?あ、は、はい」
無残にもフタがグジャっとつぶれてヨーグルトが垂れまくっている容器だけのトレイと、私のバッグのトレイ、パソコンなどのトレイが順番に流れていきます。
後方の人達も、ザワザワとしながらそれを見届けています。
勿論恥ずかしいのですが、そんなことよりも、バッグの中に散乱したヨーグルトが気になって気になって仕方がありません。
しかしながら、手荷物チェックが終われば、すぐにでも飛行機に乗り込まなければ時間がありません。
関西までの飛行時間と電車移動などの時間を考えると、まだ4時間ぐらいは何もできません。
何かものすごく怖くなってきました。
関西に到着しても、バタバタと電車を乗り継ぎ現場まで何もできずに到着しました。
その間、ずっとバッグの中が気になって気になって仕方ありませんでした。
この時、ふと小学生時代の嫌な思い出が脳裏に浮かびました。

それは小学1年生が2年生だったと思います。
小学校からの帰り道で、ツバメの赤ちゃんを拾ったのです。
おそらく巣から落ちたのでしょう。
小さい私は、高いところにある巣へ戻す事もできず、ランドセルへそっと入れて、帰ることにしました。
うちに帰って、ランドセルを開けると、教科書の上に置いたツバメの赤ちゃんが見えません。
教科書やノートを恐る恐る1冊ずつ取り出します。
すると1番下に、ベチャベチャに潰れたツバメの赤ちゃんが見えました。
ランドセルの底は勿論、教科書やノートも血まみれでした。
そっとツバメを入れてから、15分ほど歩いて帰りましたので、教科書の上からランドセルの底ベ落下し、歩いたり時には走った振動で教科書に潰されたのでしょう。
私は泣きました。泣いて泣いて、そして母親に掃除してもらったのです。

今回はヨーグルトですので、泣く事はありませんが、それにしても泣きたくなるぐらいの悲しい出来事なのは間違いありません。
現場について、みんなにツバメの件を話しながら、おしぼりを10枚近く使用して、バッグの中のもの全てを拭き取りました。
夜ホテルへ帰ってからは、バッグの内側もお湯で洗い流しました。
もう絶対にバッグにはツバメとヨーグルトは入れないと決断しました。

小銭入れ

小銭入れなんて、絶対に必要がないと考えて生きてきました。
小銭入れは財布の中にあるのですから、何故わざわざ別に小銭入れを持つ必要があるのでしょうか。
ずっとそう信じていたのです。
ところが、昨日ついにマルイで小銭入れを買いました。
もう何年も前から、ボストンバック1つ肩にかけて、1ヶ月の大半を全国各地を旅して過ごしている私ですが、長年重いバックを左肩にかけ続けていたせいか、左肩の肩凝りが異常に進行し、筋肉が骨のように固くなってしまっていました。
そんな肩凝りを少しでも和らげようと、昨年から絶対に嫌だったリュックを背負うようになったのです。
肩が痛すぎて、リュックが嫌などとワガママを言っていられない状況となったわけです。
リュックだと、荷物の負担が片方の肩ではなく、両肩にかかるので、左肩の肩凝りがだいぶ楽になった気がします。
ところが、駅やコンビニなどでいちいち財布を取り出す事が大変面倒なのです。
そもそもリュックでなくても、サッと必要な物が取り出せるトートバックなどを選んでいたぐらいですから、リュックは面倒すぎます。
そこでいつもポケットに小銭を入れておくようになりました。
しかし、ポケットに手を突っ込んでいると、手に小銭の臭いがついてしまって、とても嫌な気分になったのです。
そこで初めて小銭入れが必要だと思いました。
人生で初めて、小銭入れの必要性が理解できたわけです。
そしてすぐに買いに行ったのでした。
もしもリュックにしていなければ、一生小銭入れなんて買う事がなかったと思います。

ある日、小銭を出すシーンで小銭が足りなくなりました。
またある日、小銭を出すシーンでキャッシュカードが必要となりました。
またある日は、メンバーズカードが必要となりました。
そしてまたある日は、クレジットカードが必要となったのです。
そんなシーンになるたびに、メインの財布の中からお札やカード類を、小銭入れに移動させました。
そのうち、どんどん小銭入れへの移行が進行し、もう小銭入れがパンパンになって、最終的には小銭入れがメインの財布となってしまいました。
今では元々メインだった財布は、領収書入れとなっています。

子供嫌い

九州新幹線で博多から熊本へ移動中の事です。
九州新幹線といえば木目調でオシャレな車内、しかもシートも広いという事もあって、お気に入りのdenimsとiriを聴きながら快適に過ごしておりました。
斜め前のシートには、まだ小さな1歳ぐらいの赤ちゃんを連れた夫婦が座っています。
少ししてその赤ちゃんが泣き始めました。
まぁ赤ちゃんですから、泣いて当然ですし、あまり気にも止めておりませんでした。
私は窓の外をボーッと眺めながら、とにかくリラックスして座っていたのです。
10分ほどが経過したでしょうか。
何か誰かが怒ってるような声が聞こえてきます。
私はイヤホンを外しました。
赤ちゃんはまだギャーギャーと泣いています。
すると先ほどの母親が、泣き止まない赤ちゃんに対して声を荒げて怒っているのです。
10分前、赤ちゃんが泣き始めてから、常に私の視界には入っていましたが、その母親は特に抱きかかえてあやすような事もせず、ミルクをあげるなどという事もなく、オムツを替えるわけでもなく、抱きしめるというような事もありませんでした。
その後もその母親は、キレ気味な口調で「泣いダメ!」的な事を言い続けています。
「泣いたら怒られるよ」
「なんで泣くの?泣いててもわからんじゃん」
そんな事を赤ちゃんに言ってもわかるはずがありません。
「ウギャーウギャーウギャァァァァァァァァ」
赤ちゃんはもう完全にヤバイ感じです。
何か足の骨でも折れているかのように、ずーっと泣き喚き続けています。
すると父親が赤ちゃんを抱きかかえ、デッキへと出て行きました。
さすがにうるさすぎて他の乗客に悪いと思ったのでしょうか。
しかしながら、デッキからでも聞こえてくるぐらいに赤ちゃんは泣き喚き続けているのです。
15分ぐらいが経過したでしょうか、父親はまだデッキです。
赤ちゃんはまだ泣いています。
母親はというと、携帯を触っています。
ずっと泣き続けいる赤ちゃんを、デッキで1人あやしている父親をほったらかしにして、自分はずっと携帯をいじっているのです。
子供にまったく興味が湧かないでしょう。
嫌いなのかも知れません。
いやきっと嫌いなのでしょう。
自分の子供なのに、先程からの態度は酷すぎます。
いや自分の子供なのかどうかわかりませんが、それにしても、例え自分の子供ではなかったとしても、目の前で赤ちゃんが泣いていたら心配になるのが普通です。
結局、熊本へ着くまでの時間、最後まで母親は座席に座って携帯を触っていました。
父親がまだ泣き続けている赤ちゃんを連れて、座席に返ってきた時も、何ら声かけするわけでもなく、ずっとあやしていた父親に対する労りもなく、機嫌が悪いまま降りていきました。
よほど子供が嫌いなのでしょう。
ひょっとしたら自分が産んだ子供だけは好きになるかも知れない。
そんな希望を持って出産したけれど、やはり好きにはならなかった。
といったところでしょうか。
いずれにしても良い印象は受けませんでした。

迷子のお爺さん

とある地方都市のさらに小さな町の駅での事です。
改札を入ったところで、背の高いきちっとした服装のお爺さんに声をかけられました。
「○○大学へ行きたいのですが」
私はそんな大学の事は何も知りませんでしが、Googleマップで検索してみると隣の駅が最寄り駅のようでしたので「私もそっち方面へ行くので一緒にいきますか?」と返事をしたのです。
そもそもお爺さんは、何故この駅で降りようとしたのでしょうか。
ここから歩いたら30分以上はかかります。
最寄駅である隣の駅からでさえ、徒歩10分です。
しかしながら、隣の駅からは送迎バスも出ているようです。
だから絶対に隣駅が便利です。
お爺さんは、時々こういうミスをするそうで、キチンと調べないままに、直感で電車に飛び乗ったり、降りたりするそうです。
そしていつも誰か親切な人に教えてもらって、辿りつけるのだそうです。
「今回も親切なあなたに出会えたおかげで、辿りつけますよ」
ゆっくりとした口調でそう言ってニコッと笑いました。
もう軽く80歳は超えているでしょう、ベージュのトレンチコートのよく似合う、紳士的なお爺さんとの15分ほどの時間を過ごし「またどこかでお会いしましょう」と言って別れたのです。

エロ漫画

東京の異業種交流会に入っていた時の事です。
ここは、20〜50代の日本各地の企業の社長が集まってきます。
この中で、毎回1人が自身の半生を発表するというものがありました。
ちょうど私の発表の際に、中学生時代に書いた漫画をひっぱり出して来て、資料に添付したのです。
その漫画は、私自身非常に気に入っていて、当時書きながら自分でも面白すぎて、手が笑ってまともに描けないほどの力作でした。
まぁこういうものは、いくら自分で面白いと思っても、判断するのは他人であって、他人に認められないと、世に出る事などありません。
それまでの作品でも、何度か賞を取ったりしてはいたのですが、毎回変態的な内容であったりして、集英社の人からも「もっと中学生らしい漫画かけねーのかよ」と言われていました。
そんな時、たまたま講談社の副編集と知り合った事もあって、送った作品がこれだったのです。
結局、ちゃんと届いたのかさえわからないままに、この作品を最後に、描くことをやめてしまいました。
それから20年が経過し、この異業種交流会で、この漫画がめちゃくちゃウケたのです。
あまりにも面白いので、本にしてほしいと言われ、10ページもありませんでしたが、後日100冊ほど製本して、この異業種交流会で配布しました。
その後、異業種交流会のメンバー達と銀座のクラブで飲んでいた時の事です。
誰かがその漫画冊子を10冊ほどママに手渡し、宣伝してほしいとお願いしました。
早速ママは、向こうで飲んでいた50〜60歳ぐらいの男性グループへその10冊を配布し、見るように促しました。
すると数ページ目を通したその中の一人の男性が、
「こんなの漫画じゃねーよ!」
と、急に冊子を地面に叩きつけたのです。
残りの人達もそれに影響されたのか、「俺は見ねーよ!」などと言って、見る事すらボイコットし始めたのです。
これは一体どういう事なのでしょうか。
こちらの異業種交流会ではあんなにウケたのに。
ひょっとして年齢的なものなのでしょうか。
確かに向こうの男性達は、こちら側に比べて10歳以上年配です。
もしかしたら30〜40歳ぐらいの人にしか通用しない漫画なのかもわかりません。
我々はその否定的な態度を遠目に見て、急に静かになりました。
「次いこ次」
そう言って店を後にしました。
それから5年程が経過したでしょうか、とある店で将来漫画家を目指しているという高校生の女子と知り合いました。
その彼女に、例の漫画を見てもらいました。
年齢的なもので、判断のわかれるあの漫画を見せて、高校生の女子が何と言うのか知りたかったのです。
サッと読んで彼女は真顔でこう言いました。
「ただのエロ漫画じゃないですか」
結局ただのエロ漫画だったようです。

殿の漫画 どっちが強いか名勝負