2015年3月27日金曜日

姫路駅

JR姫路駅が大きく変化しつつあります。
プリエやプリモやらという、やたらプリプリしたネーミングのショッピング施設が出来たり、駅前のロータリーが西側へ移動し、駅ビル自体も派手で粋なデザインとりなりました。
しかし駅の機能として便利になったかというと、殆ど変わりはありません。
改札は、以前と同様に中央改札と東口改札しかありませんし、ホームへ上がる階段も増えていません。
特に新幹線の改札からは1ヶ所しかホームへ上がるところがなく、1号車や16号車に席を取ってしまうと、恐ろしいほどに歩かなければならないのです。
ちょうど16号車の位置がハーベスト学園のあたりでしょうか、そちら方向から歩いてきた場合、ものすごく嫌な気分になるのです。
いっそのこと、東は旧朝日橋の筋、西は将軍橋の筋までを姫路駅ビルとし、新たに改札をその付近に作ってはどうでしょうか?
姫路駅ステーションビルを横へ長くする訳です。
新幹線ホームは、1号車と16号車のあたりに階段を作り、3ヶ所から上がれるようにします。
こうなると非常に便利です。
新たな改札から今の駅ビルまで、駅ビルを長くしますので、そこへテナントをガンガン入れて、ショッピングセンターを作るのです。
当然、新たな西口、東口周辺には、人が集まるようになり、新たな街ができるでしょう。
駅を長くする事で、駅前、駅南と呼ばれる地域もグッと増えます。
ちなみに現在は、東側と西側の高架下は柱だけで何もありません。
あんな空き地にしているぐらいなら、是非全部駅ビルにしていただきたいものです。

声が小さい

近鉄電車に揺られている時、左側隣のカップルの楽しそうな笑い声が聞こえてきました。
まだ付き合い始めか、それこそまだ付き合うまではいっていないながらも、今後そういう展開になる2人なのかは知りませんが、いずれにしても楽しそうな笑い声です。
しかし、聞こえて来る会話はほんの一部だけで、98%は何を言って盛り上がっているのかはわかりません。
「どんなけ声ちいさいねん!」
別に聞きたいわけではありません。
正直何を喋っているのかなんてどうでも良いのです。
どうでも良いのですが、隣に座っているのに聞こえないというのは声が小さすぎて心配になります。
その証拠に、向かい側の3~4人斜め向こうのカップルの声はハッキリ聞こえています。
距離にすると2~3mは離れているのにです。
なのにすぐ隣のカップルの声はほとんど聞こえないのです。
向かいに座ってる女子の、イヤホンから漏れる音楽は聞こえているのにです。
しかも、カップルなのだから、せめてどちらか1人の声が聞こえてきてもいいはずなのに、どちらの声もほとんど聞こえないのです。
あまりにも気になるので、目を閉じ、呼吸を最小限にし、心臓の鼓動を60%まで減らし、血液の流れも半分以下にし、右側の耳の機能を完全に停止し、左側の耳を少し膨張させ、さらにそこに全神経を集中させ、邪念を全て捨てた状態で、彼らの話を聞いてみました。
すると話している2人の向こう側の人の呼吸が聞こえてくるのに、2人の声はほとんど聞き取れなかったのです。
2人は決してコソコソ喋っているわけではありません。
2人とも本当に声が小さいのです。

声が小さい人は確かに存在します。
しかしそのほとんどは、人から注目を浴びたいという邪念から、あえてボリュームを落としている人達です。
大きい声も出るくせに、わざと小さくしているのですから、だいたいは嫌われています。
また相手が聞こえ辛いのではないかという配慮が出来ない、自己中心的な人も同じです。
自分の事しか考えていませんから、当然こういう人も嫌われています。
しかしながら、大きな声を出したくても出せないという人も存在しています。
一般的な人よりも、声帯が極端に小さいとか、腹筋があまりにも少ないとか、人の何倍も聴力があって、聞こえすぎてしまうなど、なんらかの身体的な理由により、大きな声を出せない人。
また、なんらかのトラウマによって、大きな声を出す事に恐怖心を抱いている人。
こういった人達なら、前述の自己中心的な人とは別に、仕方のない話です。
電車内の彼らは、どんな理由で2人とも声が小さいのかはわかりません。
しかし2人ともに非常に聴力が優れていて、お互いの声が聞こえているのですから、素晴らしい関係だと思います。

昔、先輩で自己中心的に声の小さい人がいました。
その先輩から飲みに誘われるのが苦痛で、よく理由をつけては断ったものです。
それは彼が喋る事の95%は聞こえないからです。
初めのうちは何度も聞き直していましたが、何度も何度も聞き直してもそれでもハッキリと聞き取れず、それは彼がこちらが聞こえないと言っているのに、ボリュームを一切変えないからであって、そのうち怒りだすので、聞き直す事をやめ、聞こえているフリをしていました。
聞こえているフリだけで何時間も飲みの相手をするのは、本当に辛いものです。
聞き取れないので、彼の表情を見て直感だけで、それに合ったリアクションや返事をしなければなりません。
それはそれは苦痛な時間です。
もしも電車内の彼らのうちどちらかが、聞こえていないのに合わせているだけなのなら、これはただの悲劇としか言いようがありません。
これに関しては、本人にしかわからない事なので、我々が心配しても仕方ない事です。
もしもそうだった場合、いつか「声が小さい」というワードを検索し、このコラムを読むはずです。
その時のために、この文章を書き残す事にしました。

アロンガメントジナミコ

あらゆるスポーツを行う際に、ウォーミングアップとしてストレッチを
行います。
運動前に、筋肉や筋を充分に伸ばすことで、筋肉や身体への負担を減らす効果があると思われてきたからです。
ところが最近になって、このストレッチが逆効果である事が判明したそうです。
従来のストレッチ(静的ストレッチ)によって、伸ばした腱が元に戻るのに2時間もかかるらしいのです。
それにより、本来考えられてきた怪我防止効果などは一切なく、逆に捻挫しやすくなる上に、筋力が確実に落ちるというから恐ろしい話です。
しかも実際にジャンプ力が落ちたというデータも取れています。
本来は、こういうストレッチ(静的ストレッチ)は運動前ではなく、運動後や寝る前にやると効果が発揮できるそうです。
運動前に効果的なのは静的ストレッチとは真逆の、動的ストレッチ(アロンガメントジナミコ)だそうです。
従来の静的ストレッチは、時間をかけて負荷を与えながら筋肉全体を伸ばすというものですが、この動的ストレッチは可動範囲の8割程度で関節を繰り返し動かすのです。
伸ばすのではなく、繰り返し動かすのです。
繰り返し動かす事で、筋肉の繊維が発熱し体温が上昇し、筋肉に柔軟性が得られるのです。

アロンガメントジナミコ
https://m.youtube.com/watch?v=2LrNdh2m0-w

日本でも古くから存在するラジオ体操はこの動的ストレッチです。

ラジオ体操
https://m.youtube.com/watch?v=xS92XkVKM0Q

また広島の前田健太のマエケン体操も動的ストレッチと言えます。

マエケン体操
https://m.youtube.com/watch?v=rE7TxgEXick&autoplay=1

これは現在スポーツをやっている全ての人達に一刻も早く教える必要があります。
そこでバスケットボールの試合前だという16歳の女子に、すぐにLINEしてみました。以下

「ストレッチしたらジャンプ力落ちるらしーから試合前にストレッチしなや、するならアロンガメントジナミコをしいや、な、な」
「はい?」
「普通のストレッチしたらジャンプ力落ちるらしいねん」
「だからなに( ´∵`) 」
「は?やれや」
「あはい、」

なかなか日本人に浸透させるのは時間がかかりそうです。

パンチラ

なぜ男性はパンチラが好きなのでしょうか。
パンチラなんて、たかかパンツがチラッと見えるだけの事なのです。
しかもパンツなんてただの布きれなのです。
布きれを見て何故興奮するのでしょうか。
そこには理性や感情が大きく関わっているように思います。
女性は、パンツを見られる事が恥ずかしい、だから見られないように隠す、男性は隠しているものが見えた時に嬉しいとなるわけです。
それが好意を寄せていたり、憧れている女性の場合なら、その感情はもっともっと大きくなるわけです。
しかし冷静に考えてみれば、ただの布きれが見えただけの事なのですが、なかなか冷静にはなれないのが男性です。
男性は視覚からの情報で、エロティシズムを感じる生き物なのですから。
では逆に、好みでない女性だったらどうでしょうか。
いくら恥ずかしそうにされても、何とも思わないのではないでしょうか。
まず好みでない場合は、たとえ裸体を見ても興味がわかないはずです。
それこそ、男性のパンチラを見たぐらいの感覚だと思います。
では、一切恥ずかしがらずに、堂々とパンツを見せてこられた場合はどうでしょうか?
そこにエロティシズムを感じるでしょうか。
勿論、人にもよりますが、殆どの男性は何とも思わないはずです。
堂々と見せられたら、そこに恥じらいなど一切感じ取れないのですからエロは微塵も存在しないのです。
ドエムは別ですが。
やはりエロティシズムとは、非常にデリケートで間口の狭いもののようです。
パンチラは男性特有のエロティシズムの象徴なのでしょう。

焼肉ラーメンうどんそば

走行中、お店の看板を見ていると、「焼肉ラーメンうどんそば」などと、何でも書いてあるお店を見かけます。
ここ何屋やねん!とツッコミたくなります。
正直「うどんそば」というだけでも入る気がしないのに、さらに焼肉とラーメンまで表記されていると、158000%入る気がしません。
店側は、間口を広げて、焼肉を食べたい人もラーメンを食べたい人も、うどんを食べたい人も、蕎麦を食べたい人も、とにかく全部来てもらえるようにと書いているのでしょうが、正直何でもかんでもあるお店は、専門店と比べて味が落ちる気がするのです。
専門店は、それだけで勝負していますから、焼肉なら焼肉に集中して美味しいものを提供してくれそうに思うわけです。
なんでもあると、広く浅くという風な料理しか出来ないのではないかと思ってしまうのです。
実際は食べてみないとわかりませんが、看板を見ただけで入る気がしないのですから、食べる機会がありません。
先日、熊本で
「ちゃんぽん、カレー、鰻丼、ラーメン、うどん、だご汁」という看板を見かけました。
「どんなけすんねん!!」
思わず声に出してしまいました。
別に色々あっても良いのです。
あっても良いのですが、看板には1つだけ1番自信のあるものを表記して下さい。
その方が絶対に売上は上がります。

禁煙の旅

九州の旅では、毎回レンタカーを借りていますが、たまに禁煙車両しか用意できないと言われる事があります。
しかしあまり気にせずに借りるのですが、今回は違いました。
「新車なのでくれぐれも吸わないようにお願いします」
と念押しされたのです。
念押しされてしまうとどうも守りたくなります。
根っからのバカ真面目なのです。
ある友人は、自分がタバコを吸うくせに、ホテルやレンタカーはタバコの臭いが嫌だからと、あえて禁煙車両や禁煙ルームを選ぶそうです。
そして平気でタバコを吸うのだと言います。
不良です。根っからの不良なのです。
罪悪感は感じないのでしょうか。
それとももう泊まる事がないのでどうでもいいと言うのでしょうか。
以前、窓も開かない、換気扇もない、喫煙場所は建物の外という環境の部屋に1週間も泊まった際には、さすがに悪いと思いながらも、風呂場の換気扇の下で吸いました。
これでもバカ真面目な私にとっては、非常に罪悪感を感じる出来事だったのです。

満腹中枢

いつも食事中に悩むのは、ご飯のおかわりをするかしないかという事です。
単純に料理が美味しくて、しかもまだまだ食べたいという欲求も出てくるのですから、おかわりはしたくなるのは当然です。
しかしながら、食べてしまうと太るのではないかと、心配する感情も出てきて、食べるべきではないと自身を制御しようともするのです。
そして毎回悩んでしまうのです。
先日、ご飯をあと2杯は食べれると思いつつも、おかわりをオーダーしていたら電車に乗り遅れそうな時間だった事もあって、1杯しか食べずに店を後にしました。
ところが10分ほど経って、自分が満腹である事に気付きました。
あの時はあと2杯は軽くいけると思っていたのに、今は満腹なのです。
人は、腹八分目でも、時間が経過すると満腹を感じるようになるものです。
そんな事はずっと以前から知っています。
でも食べている最中には、そんな事などすっかり忘れてしまっていて、食べたい食べたいとなるから厄介なのです。

百合

富田林駅付近を歩いていて、通りかかったマンションから出てきた女性が従兄妹の百合とソックリでした。
いや絶対に百合だと思ったのです。
すれ違いざまに
「あいつ市内に住んでるとおもてたけど、富田林におったんかいな」
と思い、振り返って声をかけようとした瞬間、3年前に百合が死んだ事を思い出し、踏みとどまったのです。
当然ですが、たまたま似ていただけで、本人ではなかったわけです。
しかし似ていました。
母親の葬式以来会ってませんので、もうかれこれ15年近くはご無沙汰です。
幼少期は、近くに住んでいたという事もあって、本当の妹のように、しょっちゅう遊んでいました。
母が入院した時は、大阪からかけつけてくれ、私を励ましてくれました。
お互いが大人になってからは、滅多に顔を合わせる機会はありませんでしたが、会わなくても兄妹のように分かり合えるヤツでした。
通り過ぎた女性は、あの時の百合からちょうど15年ほど経過させた雰囲気に見えたのです。
15年ぶりですから、思わず声をかけそうになるのも理解できるはずです。
しかし、もう彼女は死んでしまったので、会いたくても会うことはできません。
死んでから、半年以上も経過してから聞きましたので、葬儀にも出席していません。
百合に会いたいです。

入る

「今夜から東京入りします」
「来週火曜日に福岡に入ります」

どこかの地域に行く事を「入る」という言い方をする人がいます。
確かに出るのではなく入るわけですから良いといえば良いのですが、ただなんとなくイラっとします。
別に「入る」と言わなくても「行く」でいいじゃないですか。
普通は「行く」でしょ。
たまに「イクッ」の人もいますが。
「入る」よりも「イクッ」の方が15800倍好印象です。

外国人

空港のそばのJR駅の改札前切符売場にて、切符を買うために並んでいると、すぐ目の前のカナダ人女子が話かけてきました。
どうやら天王寺へ行きたいらしく、ここに並んでいて良いのかを、私に聞きたいらしいのです。
彼女は全く日本語がわからないそうです。
当然文字も読めませんし、書けません、通貨すらどれがどれかわからないのだと言います。
切符を買うにも、日本語表記が読めなければ、まともに切符を買うこともままならないはずです。
彼女の順番がきたので、かわりにボタンを押し、彼女が財布から出してくる日本円から適切な量を券売機へ入れ買ってあげました。
サンキューーーウ!!
彼女は爽やかな笑顔でお礼を言い、去って行きました。
しかしこんな状態で天王寺へ行って大丈夫なのでしょうか。
いくら日本人がみな親切だと言っても、不親切な人もいるのですから、心配になっても当然です。
なんなら天王寺まで送ってあげても良いのです。
そんな心配をしながら彼女が歩く先を見ると、彼氏らしき男性が笑顔で待っていました。
別に良いのですが、ただなんとなく寂しい気持ちになりました。

ネーミング

人に限らず、名前を付けるという行為は非常に責任感を伴うものですが、逆に言うと非常に萌える行為でもあると言えます。
人の場合、つけられた側はその名前で今後一生を生きていくわけですから、それを考えるとプレッシャーも大きくなるのかも知れません。
しかしながら、考えて考えて、悩んで悩んでも、結局は何か一つをつけるのですから、逆に直感でパッとつけてしまっても同じ事だと思ってしまいます。
昔の人は、わりと簡単に名前をつけていたように思います。
長男だから一郎、次男だから二郎のように、生まれた順番でつけていたり、親の名前を一文字取って、秀明の息子なので秀樹とつけるなど、あまり何も考えずにつけている人が多かったように思います。
旬な芸能人の名前をそのままつけるというのも多くありました。
実際、私も幼稚園の頃、6才下の弟の名前を、仮面ライダーの本郷タケシが好きで、母親にタケシにしてくれタケシにしてくれと頼んでつけてもらった事を覚えています。
実際それでつけた親も親ですが。
ここ最近は、当て字を使用して、他に類を見ない一風変わった名前を、つける親が増加し、DQNネーム(キラキラネーム)などと呼ばれています。
DQNネームをつけられた子供が、成人(実際は15歳から可能)してから、改名する事例が非常に多いというのも皮肉なものです。
姓名判断を活用して、名付ける人も多いようです。
しかしながら、姓名判断する人(占い師など)によって(文字の画数の数え方の違いなどによって)何種類も答えが存在している事も事実です。
実際、複数の姓名判断の本を買った人ならわかると思いますが、同じ名前でも本によって異なる判断がされています。
私も25才の時に、自身で姓名判断し、改名した1人ですが、ありとあらゆる本を読破し、一番信憑性の高い本を参考に改名しました。
その後、20年の間に2回改名したのですが、つけた名前の通りの人生となったのですから本当に不思議です。
今は25才の時に自身でつけた名前に戻しています。
名前というものは、戸籍から変更しなくても、通称でも源氏名でも芸名でもニックネームでも、とにかく普段一番使う(呼ばれる)名前が重要となります。
芸能人の場合、本名よりも芸名で呼ばれる機会の方が多くなりますので、キチンと姓名判断した芸名をつけているわけです。
姓名判断的に言うと、自身の名前の意味をしっかりと理解し、サインするたびにその意味を「噛み締めながら書く」という事が重要となります。
そうする事によって、その名前の運気を呼び寄せるのだと言います。
「意識する」という事が重要だという事なのです。
ということは、いくら良い運勢の名前がついていたとしても、そのこと自体を知らなかったり、全く意識しないで生きていると、効果がないという事になります。
皆さんも、キチンと自身の名前の意味を知り、今後はその意味を噛み締めながら使うようにしてください。