2013年5月25日土曜日

着信

LINEでメッセージを送ったら、そのままメッセージを返さずに、わざわざ電話してくる人がいます。
電話というのは、こちら側の現在の状態に関係なく、かける側の都合だけで行われます。
受ける側は、電車内にいたら勿論取れませんし、運転中や、他の事で忙しい時、両手がふさがっている時などは、取ることもできないのです。
なのに何度も何度も着信が入ります。
よほど急いでいる用件でもあるのかと、車を止めてかけ直してみると、先程のこちら側が送ったメッセージの返事だったりします。
文字を打つ事がそんなに大変なのでしょうか。
それともお喋り好きなのでしょうか。
文字で返してくれれば、ほんの数秒のチラ見で済んだものを、わざわざそんな事のために車を止めさせて時間を割かせる必要があるのでしょうか。
理解に苦しみます。
さらに後でLINEを振り返った時、着信履歴表示がダーッと並んでいのを見ると、ある意味ゾーッとするのです。
仕事上の用件ですら、電話よりもメッセージを残す方が、聞き違いなどのミスも防げるので便利なのに、なかなか困ったものです。
こういう人には、時間のある時にゆっくりと、電話をかけてくる事の愚かさというものを説く必要があります。
しかし今回、ここにこうして書いたので、次回からはこのコラムを黙って送る事にします。

電車内のマナー

電車内での携帯電話の通話はマナー違反となっています。
理由は、他のお客様に迷惑がかかるからです。
隣で通話されるとうるさいので迷惑がかかるという事なのでしょう。
私自身も、その既成概念に洗脳され、電車内で平気で通話している人を見ると、なんとなく軽蔑視していました。
電車内では静かにしなければならない、ただなんとなくそう思っていたのです。

先日、とある新幹線車内で、数名のグループが楽しそうに宴会を始めました。
座席シートを回転させ、6名での楽しい旅行のようです。
皆ビールを飲み楽しそうに会話しています。
売り子が通るたびに、飛ぶようにビールが売れていきます。
宴会はどんどんエスカレートし、皆顔は真っ赤です、車両内には大声が響き渡り、他の乗客全員が、彼らの会話を聞きたくなくても聞こえてくるので、黙って聞いています。
寝ている人も勿論いましたが、しかしこれは明らかに携帯電話の通話よりも迷惑です。
何故これは許されて、電話はダメなのでしょうか。

在来線でも、宴会までは無いにしても、こんな光景はよく目にします。
特に終電近くともなると、数名のグループが大声で会話していますが、誰も注意なんてしませんし、逆にどんどん喋っても良い事になっています。
そう考えると会話の相手がそこに居る場合は許されて、そこに居ない場合はマナー違反という事になります。
これは明らかに変です。
鉄道各社はこの件について、再度検討し直す必要があるのではないでしょうか。

願掛け

人はなぜ願掛けをするのでしょうか。
願掛けなんてしないという人も中にはいるのかもわかりませんが、私はメチャクチャ願掛けします。
しかも1日に何度も何度も、朝から晩まで願掛けです。
私の人生は願掛け人生なのかもわかりません。
考えてみれば、それは幼少期の頃から始まっていました。
小学3年生の頃、通学ルートの曲がり角で、壁にキックして曲がったある日、好きな女子から告白されたのです。
その日から小学校を卒業するまでの4年間、毎朝そのキックが日課となりました。
キックしたらいい事がある、きっとそう思ったのでしょう。
いや逆に、キックしないと不安だったのかもわかりません。
あれからもう何十年と経過していますが、なに一つ変わらずそんな毎日を送っているのだから、願掛け人生と呼んでもおかしくはないはずです。
シャワーで洗う順番は、頭、顔、左手、右手、腹、背中、尻、足と決まっています。
この順番は変える事はできません、変えると不安なのです。
シャワー後に冷水で顔を洗い、その時に鏡に手で水をかけます。
鏡全部に水をかけないといけません、少しでも水がかかってない場所があるとダメなのです。
但し、一度で鏡全部に水をかけなくても良い決まりになっています。何度やってもよいのです、何度やってでも全体に水をかける、それができればクリアです。
そうしないと不安なのです。
身体を拭く順番も洗う順番と同じです。これもずっと同じなのです。不安なのです。
シャワー後に体重計に乗りますが、体重計を正面に置く時に必ず左足を後方に高く引き上げながら体重計を設置します、バレリーナのようなスタイルですが、これもやり続けています。不安なのです。
勿論、体重計に足を置く順番も左からと決めています。
靴下をはく順番も決まっています。
こうしてあらためて振り返ってみると、私の場合は、浴室まわりで願掛けをする事が多いようです。
別に靴をはく順番は決まっていません。靴下は重要ですが、靴はどっちゃでも良いのです。
しかしながら、こういう小さな願掛けを続けているからといって、特別良い事があるわけでもないのが悲しいところです。

食事中のマナー

食事中にうんこの話をする事はタブーとなっています。
特にカレーを食べている時はご法度だそうです。
Twitterでもうんこの話で盛り上がっていると、必ず誰かが「いま食事中なのでやめてくざさい、気持ち悪くなります」と言ってきます。
何故なのでしょうか?
私はいくら食事中であろうと、例えそれがカレーであろうと、うんこの話が出ただけで、気持ち悪くなんてなった事がありません。
どんなけ想像力が豊かなのでしょうか。
臭いや顔を近づけた際の肌に感じる温度までをも想像してしまうのでしょうか。私は顔を近づけた事なんてありませんが、でもそれぐらいの想像をしないと、気持ち悪くなんてならないはずなのですが。
それとも今食べているカレーがうんこだと想像してしまうのでしょうか。
カレーとうんこがソックリだなんて、小学生の発想です。
いい大人になっているのに、カレーとうんこの見分けがつかないようなら少し脳に問題があるようにも思います。
ずっと疑問だったので、ある知人に聞いてみました。
私「なんでメシ食うてる時にうんこの話したらあかんのやろな」
知人「マナーやからやん」
私「マナーだけなん」
知人「せや」
もしもマナーだけの問題なのなら、気持ち悪くまではならないらはずです。
それとも嫌味を言っているだけなのでしょうか。
世の中にはまだまだ不思議な事がたくさんあるようです。

2013年5月20日月曜日

叱る

人を叱るのは大変難しいものです。
怒る事と叱る事がごっちゃになっている人もいますが、それは全く異なる行為といえます。
怒るという行為は、ただ感情に任せて相手に文句を言う事。
すなわち相手の事は関係なく、こちらの言い分を言葉や態度で相手に伝え、威圧する行為です。
叱るという行為は、相手の間違いを正してあげる為のものです。
そこには愛があるのです。
相手の事を思うからこそ叱るのです。
怒るように叱る人、教え諭すように叱る人、叱り方は人それぞれ個性があります。
また、1度叱っても聞かない相手に対し、何度も何度もしつこく叱る事のできる人、逆に何度か叱って、それで変化のない人に対しては、簡単に見放してしまう人もいます。
いきなり怒鳴る人もいます。

先日友人から聞いた話です。
新入社員の教育で、知識のない相手に対して、なめられないようにといきなり怒鳴る人がいるというのです。
相手は初めてなのだから、1度目は教える段階です。それで出来なければ2度目は叱るというのなら理解できます。
なのに1度目から叱る。いや怒るのです。怒鳴るのです。
たまにこういう人を見かけますが、頭が悪いとしか思えません。
いや頭が悪いのです。
怒鳴られた側は、何故怒鳴られているのかがサッパリわからず、ただその人の事を恐れるか、または嫌いになるだけなのです。
それを指摘すると、こういう人達は決まってこう言います。
「嫌われ役も必要なんや」
薄々自分が嫌われている事には気付いていて、それを正当化する為にこう言うのです。
嫌われ役が必要という台詞は、これまでにもう何十回と耳にしましたが、私は一度もそれが必要だと思った事がありません。
またこういう人達に限って、上司にはペコペコで、部下には偉そうにする人が多いようです。
上司の前では全く別人なので、上司からは評価されていたりするので厄介です。
もちろん怒られ続けている新人スタッフは、早く辞める事ばかり考えるでしょう。
仕事にも身が入りませんので、業績も勿論上がらないわけです。
するとまたそれを怒られます。
いずれ新人スタッフは退職します、会社は求人を打ち、また新人スタッフが入社しますが、同じ事が延々と繰り返されます。
会社は求人広告費だけでなく、延々と無駄な人件費を支払う事になります。
しかし単純に怒る事と叱る事がごっちゃになっている人の存在に、気づいていない会社が悪いので、自業自得なのですが。

そんな怒るだけの人を「あの人は厳しい人だ」と比喩する人もいますが、これは厳しいと言うのではなく、頭が悪いだけなのです。
また厳しいなんて言う人自体が人の本質を見抜けない低脳な人としか思えないのです。

今現在、上司から理由もなくいきなり怒られている人がいるのなら、黙って耐えていないで、すぐにその上司に相談するべきです。
その上司も信用できないなら、社長に言うべきです。
それでも理解してもらえないなら、その会社はダメです。
そういう人が評価される会社なのです、未来はありません。すぐにでも退社すべきだと思います。

コンビニエンスの人達

これまで、この事は書くまい書くまいと、ずっと我慢してまいりましたが、ついに堪忍袋の尾が切れましたのでペンを取らせていただきます。乱筆お許し下さいませ。

世間には様々な人がいるように、コンビニエンスストアの店員にも様々な人がいます。
しかし以下に当てはまる人が多すぎませんか?コンビニエンスストア。

喫煙者のタスポ所有率が20%以下という統計がでておりますが、やはり皆さんコンビニエンスストアにてタバコを購入されるようです。
コンビニエンスストアでのタバコの売上は大幅に増加しております。(あくまでも売上)
しかし、このタバコを買うためだけにコンビニエンスストアへ行き、タバコを買うだけなのにとても嫌な思いをしたという人も少なくないのではないでしょうか?
私は毎日嫌な思いをしています。

1、時間がかかりすぎる。
タバコ1個を買うだけに、10分以上かかってしまう事があります。
まず、店員が2人いるのにレジは1つしか開けておらず、1人は棚の整理をしている。そのために1つのレジに大勢の客が並んでいるという時です。
客は皆、棚の整理をしている店員の方を向いて大げさに咳払いなどをしますが、店員2人とも脳に欠陥があるのか、何の反応もありません。まして並んでいる客の中に電気料金などの支払いをする人がいたら大変な事になります。
さらにレジ店員から棚整理店員に声をかけ、もう1つのレジを開けたとしても、「次お待ちのお客様どうぞ」なんて気の利いた事は言えない、いや秩序すら理解できない為にそう言う事すら知らないので、後方に並んでいる脳に欠陥のある客がダーッとそちらになだれこみます。(店員が店員なら客も客ですが)
順番は抜かされる上に、またそんな奴に限って弁当の温めなどを依頼するので、とんでもなく時間がかかってしまうわけです。

2、タバコの銘柄を覚えていない。
現在、コンビニエンスストアで売られているタバコの種類は数百種に及びますが、何故かタバコに近い方のレジを閉めていて、遠い方を開けているコンビニエンスストアが多く、そのためタバコの番号が見えないので、銘柄を言うと100%間違えて持ってくるのです。
私「ケントワンのメンソールナノテック2個下さい」
店員「はい、1と4がありますが」
私「いやだからワンゆーてるやん」
店員「イチですか?」
私「ワンや」
店員「1個ですね」
私「2個や」
このやりとりは、どこのコンビニエンスストアへ行っても8割以上の確率で交わされます。
ケントの1ミリをケントワンと称する事を知らないのでしょうが、ではケントの4ミリはケントワンフォーと呼ぶのでしょうか?
少し考えればわかるはずなのですが、これがわからない店員があまりにも多すぎます。
2chに、コンビニ店員から「タバコの番号を言わずに銘柄を言ってくる客なんなの?」というスレッドが立てられていますが、それを言うなら見える側のレジを常に開けておいて欲しいものです。

あと付け加えさせていただくなら、ローソン、セブンイレブン、サークルKサンクスでは、タバコを購入する際に年齢認証ボタンを押さなければなりませんが、あきらかに成人している人まで押す必要があるのでしょうか?
先日、私の前に並んでいたおじいちゃんがボタンを押していましたが、あれはどう見ても滑稽です。

そして極めつけは、レジを売った商品を客に渡さずに真下に置く店員。
これは本当に多いです。
せめて客側に置くのならまだしも、自分の真下に置くのですから理解に苦しみます。
客はわざわざ手を伸ばして、購入した商品を取らなければなりません。
人の気持ちが理解できる、また親切心が少しでもあるのなら、こういう事は絶対にしないはずです。
こんな事を誰かが教えないとできないというのは、狂っているとしか思えないのです。

コンビニエンスストアというものは、もう二度と行かんと決めても、便利なので行ってしまいます。
これがスタッフ教育をしない一番の理由ではないでしょうか。
どんなに頭の悪い店員でも、またどんなに店の営業に無関心なオーナーのお店だったとしても、普通に営業できてしまうのですから。
常に良い接客を求められる飲食店の批判ばかりしていないで、誰かコンビニの口コミサイトでも作って欲しいものです。
ネーミングは「買いログ」で。

ヘアスタイル

自身で髪を切るようになって20年以上となりますが、やはりその髪型が似合っているのかどうかは常に気になるところです。
例え1人のヘアスタイリストが「似合いますよ」と言ってくれるだけでも、それは大きな自信となりますし、安心材料となるのですが、自分でやっているとその1人の意見もないわけで、なかなか不安なわけです。
なのでいつも、軽く切って周囲の反応を見ながら、徐々にカットしていくという手法を取っています。
今回も既に3回に渡ってカットしています。
しかしながら、髪型に関しては、人によって全く異なる反応なので厄介なのです。
ある人は、短い方が似合うと言うし、またある人は長い方が良いと言うのです。
完全にその人の好みなのでしょうが、それをいちいち真に受けているわけにもいきませんので、様々な人の意見を参考にしながら、鏡に写る姿を見て、自分で最終決定するしかありません。

髪を切った後、誰かにその事を言われると嬉しいものです。
これは男性でも女性でも同じです。
「髪を切ったのに誰にも気付かれなかった」
とお嘆きの方もおられますが、実は皆気付いています。
気付いてはいるのですが、あなたを異性と見ていない、もしくは同性の場合は、無関心なのでわざわざ言うのが面倒なだけなのです。
もしも人から言われたければ、常にあなたが周囲の人に言うべきです。
無関心な相手でも、興味がなくても言い続けるのです。
すると何人かの人がこちらのヘアーに気付いて言ってくれるようになります。
人は皆モチツモタレツなのです。
人にして欲しい事は、まずは自分からする。これが鉄則です。

2013年5月19日日曜日

被写体

被写体の表情には、そのカメラマンに対する思いが表れます。
モデルやタレントなど、被写体としてのプロはともかく、一般的な素人の場合は、それが顕著に表れます。
一つの恋愛が終止符を迎え、その相手との昔のスナップを見返した時、今では考えられないような笑顔でこちらを見ている恋人が写っているはずです。それを見てとても悲しくなった、というような経験は誰にでもあると思います。
その当時のカメラマンは、もちろん恋人であるあなたなので、それは最高の笑顔をこちらに向けていて当然です。
カメラマンに対する、そのままの気持ちが表情となって写るわけです。
友人を撮影する場合でも、それは全く同じです。
まだそんなに関係が築けていない相手がカメラマンならば、やはり遠慮がちな笑顔になるでしょうし、上司や先輩なら営業スマイルになるでしょう。
本当に心を許し合った相手がカメラマンなら、それは最高の笑顔となるはずです。
一般的な素人の、自然でしかも最高の笑顔を撮影したいなら、上司や先輩が撮るのではなく、心を許し合い、人間関係が構築された人がカメラマンとなって撮影するべきです。
写真を見れば、被写体とカメラマンとの関係が、上辺だけの関係なのか、それとも心底心を許しあった仲なのか、だいたいは想像できるものなのです。

2013年5月2日木曜日

人を信じる

他人を信じやすい人もいれば、なかなか信用できない人もいます。
人が人を信じるポイントとは何なのでしょうか。
・話が合う。
・共通の知人がいる。
・自分に対して好意的である。
・身元がハッキリしている。
・その分野での実績がある。
などが基本的な部分ではないでしょうか。
しかし、この信じるポイントが大きくズレている人も存在します。
例えば見なり、学歴、役職だけで信用してしまう人。
その人の中身ではなく、外見や地位だけで信用してしまう事は非常に危険な事です。
そういう人がいるから詐欺被害も減少しないのではないでしょうか。
また学歴や役職など、人の外面だけで信用してしまって、それ以外の人の事は信用しないという人もいます。こういう人は、多くの悪意ある人に騙されるだけでなく、周囲の人からも信用されなくなるという危険性があります。
人の本質を見抜く力がないと、その人自体の信用までなくしてしまうという最悪の結果になるのです。

では人の本質を見抜くにはどうすれば良いのでしょうか。
まず基本的に、その人が発する言葉です。
理想的なのはこちらに言う言動ではなく、第三者に発する言葉、利害関係のない第三者に対する言葉は、ほぼ本音だと判断できます。
その人の周囲の人からの情報を得る事は、とても重要な事といえます。
しかしこれだけを信用してしまうのも非常に危険です。
受け取る側に問題がある場合もあるからです。
相手の限りなく本質の部分を、今度は自分で引き出す事です。
その為には、こちら側が手の内を見せる事が大切になります。
聞く側が本音を話す事によって、多くの人は本音を喋りはじめます。
相手を尊重し、相手を信用し、相手を許し、相手を受け入れる事によって、本質の部分を出してもらえるのです。
疑われたり、尊重されていなかったり、信用されてない人には、決して人は心を許してくれません。
この二つを実行する上で、仕事なり何なりを一緒に経験すると、相手がどんな人なのかがハッキリとわかってきます。
逆にそこまでしないとわからないのが普通なのです。
たった1度の面接で、相手がどんな人なのかなんて判断できるはずがないのです。
もちろん面接官の経験が多いほど、わかりやすくはなりますし、確率も上がるのは確かです。しかしあくまでも確率であって、一緒に何かをやってみるまでは、なかなかわからないのが人なのです。
よく仲のよかったカップルが、結婚式という初めて一緒に取組む大きな行事を経験して、そこで気が合わないという事がわかって、破局したという話を耳にしますが、お互いをよく理解している恋人同士でもそうなのですから、全くの他人、ましてや初対面となれば大変なのもうなずけます。

どんな相手でも、まずは信じる事から始める事です。
そうする事で、人から信じてもらえ、お互いを理解しやすくなるわけです。
そして徐々に理解し、そこで心底信用できるか否かを判断すれば良いのです。

基本的に信じる、それを0地点とすると、後は信じる度合いが10なのか50なのか100なのかという考え方です。

2013年5月1日水曜日

LINE POP

毎日毎日「POPやPOPや」と、時間さえあればPOPPOPPOPPOPゆーてる人がいますが、結局LINE POPの魅力とは、週間ランキングで、友人知人に抜いた抜かれたと競う事にあります。
これは数年前のmixiの時と同じ、ゲームの内容よりも友人知人に勝ちたい一心で皆頑張るのです。
特にLINE POPのように単純な内容のものは、誰でも簡単にできますので参加人口も多く、大いに盛り上がります。
この誰かと勝負して勝つという喜びを感じないでいると、途中で飽きてしまい、アプリを削除してしまうという人も少なくありません。
何人かそんな人に「俺と勝負しよや」と再インストールしてもらいましたが、今では皆200万点後半を叩き出す神の域に達するほど、大いに盛り上がっています。

当初はどんなに頑張っても30万点程度しか到達しなかった人達も、継続するうちに100万点をこえるようになってきます。
もっと継続すると、200万点もこえるようになってくるのです。
当初、200万点以上いってる友人は神にしか見えませんでしたし、心の底から尊敬したものです。
ところが何か特別な事をやったわけでもなく、ただ単にいつも通りやっていると200万点をこえる日がやってくるのです。
私の現在の最高得点は2328150点です。
すると週がかわっても、自分は232万点いけるという自信がありますので、簡単にそれに近い数字が出るわけです。
しかし300万点は無理だと思っています。要するに、自分で限界を決めているわけです。
実際300万点以上いってる人もいるのですから、不可能ではないとは思っているのですが、左手親指1本でやってるから無理なんじゃないかとか、肘をついてやった方がいいんじゃないかとか、指にクリームを塗った方が滑りが良くなっていいんじゃないかとか、まあ結局未知の点数を出すまでは、それが100万点だろうと300万点だろうと、みな同じ事を考えているのです。
しかし一度達成してしまうと、その感覚が脳裏に残っていて、そこまではできるという妙な自信がつくのです。
この現象は、ビジネスの世界とよく似ています。
例えば営業の世界では、月に1000万なんて絶対に売れないと思い込んでいた人でも、一度達成してしまうと、次からは簡単にそれをこえる事ができるのと同じ現象なのです。
ここ最近は、薬局では目薬が飛ぶように売れていると聞きます。
みなPOPしすぎで目が疲れているのでしょう。
目覚めたらまずPOP、トイレでPOP、出勤前にPOP、信号待ちでPOP、電車でPOP、バスでPOP、休憩でPOP、食事前にPOP、食後にPOP、風呂でもPOP、歯磨きでPOP、寝る前にPOP。
電車内で携帯を触る指のスピードから「あらPOPやな」と簡単に判断できる事から「何点いったの?」とPOPナンパというのも多いと聞きます。
腕が腱鞘炎になったという人が続出し、カイロプラクティックまでが繁盛しているというから凄いです。
不思議なもので、毎日ハートをくれる人の事は好きになります。
毎日バトルしている人にも情がわいてきます。
LINEを利用していない人と、なんとなく疎遠になるのと同様に、POPやっている人には親近感がわくのです。
これは単純に、毎日その人の名前を目にする事で、記憶が薄れないからだと思います。
リアルで毎日会うのと同じ効果なのでしょう。
毎日ランキングで名前を目にし、さらにいつもハートを送ってくれる人は愛おしくさえ思えてくるから不思議です。
逆にハートを送ってもリターンのない人は淋しいものです。
これはハートを送ってもらっているのに、それを開かずに溜め込んでいるので、自動ハート返信機能が作動しないからです。
しかも100通以上溜め込んでしまうとそれ以上は受け取れませんので、とりあえず一旦は承認して欲しいものです。

いずれにしてもPOPに居ない人でも、バブルに行けば会えるという人もいます。
バブルでも同じ事です。
ポッパーでもバブラーでも何でも良いので、皆さんも是非チャレンジしてみて下さい。