2012年6月27日水曜日

ホームレスのオッチャン

毎朝の5kmのコース上に3人のホームレスなオッチャンが居ます。
去年の夏は4人いましたが、冬に2人に減って、今現在は3人となっています。

1人は橋の下のブロックと橋の隙間から足だけが見えているオッチャン。
ここは寝室で、毎朝8時にすぐ近くの屋根付きベンチへ移動します。
ベンチ横には飲み水用の蛇口があって、彼は毎朝ここで1時間以上かけて洗濯や洗顔を行います。
見た事はありませんが、きっと毎日全身を洗っているのだと思います。
きっとこのオッチャンは綺麗好きなのでしょう。
8時以降ともなると結構な人通りがあるはずですが、皆このオッチャンから目をそらして通り過ぎて行きます。

もう1人は夏場だけ出現するオッチャン。
ホームレスなのかホームレスではないのかハッキリわかりません。
川沿いより一段上の屋根付きベンチに居ます。
このオッチャンの特徴は、常に何人かの友人らしき人物と居る事です。常時3人は居ます。
オッチャンが3人も4人も集まって何をしているのかサッパリわかりませんが、たまに皆で掃除をしていたりと、不思議な団体です。生活用品的なビニール袋がいくつも置いてあり、見る限りホームレスであると理解しています。ここの屋根付きベンチは20人ほどが座れる大きさがありますが、このオッチャンらが占領しているために、一般人は利用できません。
一度近くまで行ってみましたが、明らかに生活臭がしますので、まるで他人の家に立ち入るような錯覚に陥り、誰も中へは入れないのだと思います。

もう1人のオッチャンは、橋の下に家財道具一式と、布団のスペース等を一列に並べているオッチャンです。





















昨年秋ごろから、毎朝挨拶をかわしています。
私はいつも音楽をガンガンに聞きながら通り過ぎますので、オッチャンが何を言っているのかはわかりませんが、毎朝ここに立っていて、私が通り過ぎる時に何かを言いながらペコッと会釈してくるのです。
私もペコッと会釈します。
立ち止まって会話してもいいのですが、もしもここで人間関係ができてしまったら、きっと私の性格上、毎朝何か食料を届けるようになってしまうのではないかという不安から、挨拶だけの関係を続けているのです。
彼だけは季節に関係なくいつもここにいます。
ところがここ1ヶ月間、毎日寝ているのです。もちろん寝たままなので、挨拶することもありません。
ひょっとしたら病気なのでしょうか、いやそれとも既に死んでいる?
様々な憶測が脳裏を過ぎります。
私は毎朝そんな不安にかられながらも、オッチャンの横を通り過ぎて行ったのです。

そんなある日、いつもの橋の下へさしかかった際、とても元気そうなオッチャンを見かけたのです。





















しかも誰か来ています。
オッチャンは体育座りのまま笑顔でその友人らしきオッチャンと会話していました。
私はホッと胸を撫で下ろし、笑顔で通り過ぎて行ったのです。
ここのところ、なぜか早起きしていたせいで、オッチャンが目を覚ます前に通り過ぎていたのでしょう。
なんとなく安心しました。








2012年6月22日金曜日

姫路モダン

粉もの文化は地方により異なります。
お好み焼が地域によって大きく異なるように、モダン焼も地域によって様々なスタイルが存在するのです。


















一般的な大阪のモダン焼は
・キャベツと卵を混ぜた生地を鉄板に流し(お好み焼のベース)焼きます。
・その上に焼そば用の麺を乗せます。
・具材(豚肉やすじ肉)
・片面が焼けたら裏返し、両面をしっかりと焼きます。

















先にお好み焼を焼いてからそばを乗せますので、下半分はお好み焼となっています。


















姫路モダン
・キャベツや豚肉を入れた焼そばを最初に焼きます。
・鉄板に薄く生地をひき、その上に完成した焼そばを置きます。
・上から薄く生地をかけ裏返し、両面を焼きます。
・最後に片面に卵を貼りつけ完成です。


















卵を貼り付けないパターンの姫路モダン(十十)
ベースがお好み焼ではなく焼そばなので、大阪風のようにお好み焼は出てきません。















こちらは卵を貼り付けたパターンの姫路モダン(喃風)

卵を貼るか貼らないかや、キャベツのサイズの違いだけで、
基本はほぼどこのお店でも同じような姫路モダンが出てきます。
実は、この大阪風モダンも、姫路モダンも、使用している具材は
ほぼ同じなのです。
ただ、入れる順番が異なるだけなのです。
入れる順番が異なるだけで、ここまで違う商品ができるというのも
面白い話ですね。
大阪から観光で姫路へ来られた方が、お好み焼店でモダン焼を注文し
「こんなもんモダン焼ちゃう!」
と怒られたという話はしょっちゅう耳にします。
美味しいんですけどね。

姫路モダンは、姫路及び姫路周辺の地域のお好み焼店でいただけます。




2012年6月15日金曜日

人は嘘をつきます。
何故人は嘘をつくのでしょうか。
嘘をつく理由を考えてみました。
・保身のため
・見栄を張るため
・人を陥れるため
・笑いを取るため
・人を傷つけないため

「嘘をつかない正直な人が理想です」
と言う人がいますが、果たしてそうでしょうか。
人との人間関係を構築するためには、嘘も時には必要な場合が存在します。
先ほどの嘘をつく理由の最後2つに関しては、まさにそれに当たります。

笑いのための嘘
少し大げさに話を盛る事で、その場を明るくしたり、人をリラックスさせたり、笑顔が生まれたりするのであれば、そんな嘘も素敵だと思います。

人を傷つけないための嘘
何でもかんでも正直に言うことで、相手を苦しめたり傷つけたりするのであれば、相手を気遣った嘘も必要となります。
こういう嘘がつけない人は、「正直な人」というよりも、「人を気遣えない自分勝手な人」という印象の方が強くなります。

いずれも自分のためではなく、相手のためにつく嘘です。
これを否定してしまっては、良い人間関係を構築できるわけがありません。
良い嘘と悪い嘘、これらを全てひっくるめて「嘘はアカン」なんて言ってはいけないのです。

2012年6月5日火曜日

人間関係の始まり

人間関係の始まりは、自己紹介からといえます。
お互いが自分の名を名乗り、どこの誰であるか、簡単なプロフィールを添えて紹介するのです。
プロフィールを省略する意味も含めて、名刺を渡すという行為も、自己紹介の場に於いて非常に有効な手段です。
簡単なプロフィールの書かれたカードは、相手の手元にも残り、後日連絡を取る場合などに非常に便利なツールとなります。
仕事が絡む場合は、逆に名刺がないと失礼にあたります。
名刺も渡さずに、名前を名乗られたとしても、ハッキリ言って覚えられません。
なのに名刺もなく名前さえも名乗らない相手となんて絶対に仕事なんてしたくありません。
それくらい、初対面の相手との常識、礼儀として、自己紹介は重要なプロセスなのです。
勿論例外もあります。先に意気投合してしまって、後から自己紹介をする。
同じ境遇に置かれた人達が、名を明かさぬままに過ごす事も珍しくはありません。が、その場合も必ず後から自己紹介という行為に至り、その後親交が深まる、人間関係が構築されるわけです。
いずれにしろ、順番が前後する場合もありますが、他人と付き合いをしていくのであれば、必ず通らなければならない行為である事は間違いありません。

私は友人・知人と複数名で同席する場合、この紹介というプロセスを非常に重要視しています。
他人と他人の間に入って仲を取り持つわけですから、最初が肝心です。
これまでにも何百人という人達を紹介してきました。
友人を人に紹介する場合、少しティーアップしたメッセージを添えて紹介するようにしています。
その方が、紹介される側が気持ちいい(心地よい)からです。
また紹介された側も、この出会いの期待度が上がりますし、会話も弾みやすくなるからです。

ところが、この紹介という事をしない人がいます。
なぜ紹介しないのか私には全く理解できません。
紹介をしないという事は、基本的にこちらに紹介したくないのかと思ってしまいます。(本当にそうかもしれません)もしくは紹介できない何か複雑な理由があるのかもしれません。
もしくはただの気のきかない無能な人なのでしょう。
カップルで歩いている時に、彼(彼女)の知人に道端でばったり遭遇した場合、そこで自分を紹介されなかったら、会話中に一体どんな対応をすればいいのか物凄く困ります。逆に何故自分を彼(彼女)だと紹介できないのかと相手に不信感を抱く原因にもなります。
カップルでなくても、友人の関係でもこういう事は結構起こり得ます。
紹介したくないのであれば、わざわざこちらから会話する必要もありませんし、会話したいとも思いません。
紹介されないまま、お互いに距離を縮められないままの関係。
実は、そんな人が今、私の周囲に何人か居ます。
やはりある知人を通じて紹介されないまま知り合った人達です。
1度も紹介されぬままに、何度も顔を合わせているうちに、見慣れてしまった不思議な関係です。
勿論名前も何も知りません。
往々にして相手は私の名前を知っている事は多いのですが、こちらは紹介もされていないので、わかるはずもありません。
何回も顔を合わせているので、自然と会話もします(こちらからは絶対にしませんが)が、毎回「誰やねん」と思いながら会話するのです。
そもそも誰かわからないままに会話するのは非常に苦痛です。非常に疲れるのです。
なので極力会話はしたくはありません。会いたくもありません。
今更自己紹介なんてしたくもありませんから、今後一生その人と人間関係が深まる事はないでしょう。
こういった問題を引き起こした一番の要因は、最初の出会いなのです。
最初に紹介者が、一言お互いを紹介し、自己紹介の場面を作ってくれていれば、こんな事にはならなかったはずです。
そのたった一言が足りないばっかりに、2人の人間関係が成立しない事を決定付けてしまったわけです。
この事の重要性が解らない大人が存在することに腹立たしさを覚えます。
きっと社会経験が無い、または無いに等しい、もしくは複数での人付き合いの経験が無い人なのでしょう。
紹介というプロセスを踏まない事で、相手がどんな気持ちになるか理解できない人。
すなわち人の気持ちがわからない人。
私はそういう人達をこういう風にカテゴリわけをしています。