2011年2月25日金曜日

究極のウエストダイエット

ダイエット開始から158ヶ月、ついに辿り着きました究極のウエストダイエット
これまで様々なダイエット法に取り組んできましたが、昨年1年間続けたスクワットダイエットが最も簡単で継続できるまさに究極ではないかと、多方面にて発言し続けてまいりました。
ところが出会ってしまったのです。
もっとカンタンで、もっと継続可能なウエストサイズダウンダイエットに。
しかも1日たったの30秒。
方法はいたって簡単です。

■殿の究極のウエストダイエット
・10秒間おもっきし息を吸う。(お腹をおもっきしへこませて肺を空気で満杯にするように)
・そのまま10秒間停止。
・これを1日3回。計30秒。
















※写真はイメージです。私はどこにも写っておりません。探さないでくざさい。

私は、なんとなく上の写真のように両手を上に上げて行っております。
その方が効く気がするのです。
実はこれ、2週間前から実験的に密かにやっていたのです。
初めて実施した翌日、腹筋が痛かった事を覚えています。
その痛みで、この方法がまんざら間違っていないという事は確信しておりました。
ただこれで本当にウエストサイズがダウンするのか、それを実証しない限り発表はできないと思い、これまで黙っていたのです。言いたくて言いたくて仕方なかったのに黙っていたのです。
そして2週間が過ぎ、ウエストサイズを計測、なんと3cmダウンしていました。
2週間で3cmですので、このまま1ヶ月間実施すると6cm、半年で36cm、1年では72cmダウンする計算になります。
72cmもダウンしてしまったら、もうほとんどウエストなんて無いに等しいじゃありませんか。
コラ最高だで。
しかも寝起きの背伸びのついでに行うと、ものすごく自然に継続が可能。クセ付けると違和感なく続きます。
コラ最高級だで。な、な、な、

2011年2月9日水曜日

セックスレス

ここ最近の若者のセックスレスが社会問題となっているという。
草食系と呼ばれるセックスに執着しない人達は、別にセックスしなくても生きていけるらしい。
セックス自体に興味が無いのか、セックスに付随する様々な付属品(人付き合いや干渉など)が面倒なのか。
セックスレスは若者だけにとどまらず、40歳以上の中年層にも広がっている。
中年層に関しては、草食系というわけではなく「諦め」というのが多いと聞く。
髪の毛も薄くなり体型も中年太り、自由になるお金も無ければ時間も無い、そんな自分に言い寄ってくれる女性もいないし出会いも無い。またそんな意欲も無い。というのが本音らしい。
確かにわからないわけでもないけれど、果たしてそれでいいのだろうか。
逆に言うと、諦めているから出会いも無いわけで。
男女問わず中年好きの人も存在する。存在するのに自分磨きや行動を辞めてしまって果たしてそれで良い結果が得られるのだろうか。
人というものは、いくつになっても常に異性を意識する事で美しくなれるし老化を防げるはずである。
化粧や身なり、ファッションは異性を意識するからこそ行う行為のはずである。
セックスというものは、人間の本能である「子孫繁栄」という目的の為に、それが怠る事のないように「凄く気持ちいい行為」として作られているのだ。
気持ち悪いものなら皆やりたがらないので子孫が繁栄しない。
さらに子孫繁栄だけに留まらず、セックスには癒し効果もある。
異性との裸の触れ合いにより、お互いが自身をさらけ出す事で相手からの信頼感や安心感を得る事ができる。
もちろんストレス解消などの効果で精神的な安定も得られる。ホルモンバランスも整う。
中国には挿入したまま数時間過ごすという健康法があるというのを何かの本で読んだことがある。
セックスをしたいから仕事を頑張る、お金儲けをする。セックスをしたいから前向きに生きる、自分磨きをする。
それが人を動かす原動力であり本能ではないのか。
こんな素晴らしい事に興味を示さなかったり、面倒くさがったりしてしまってはいけない気がするのだ。

2011年2月5日土曜日

恋愛相談

なぜか俺はよく恋愛相談を受ける。
恋愛の達人に見えるのか、それとも経験豊富に見えるのか。まったくそんなことないのに。
しかもほぼ女子。聞いてみると・・・
「大人の男性の意見が聞けそうなので」
俺は大人の男性なのか。まだまだ子供でいたいのに。
「絶対に恋愛には発展しないから」
なんという失礼な、惚れてもええがな。
「安全そう」
危険な男になりたい。俺は安全パイらしい。

先日そんなとある20代女子に同世代(20代)の男子を紹介した。
なかなかイケメンの男子で、何年か仕事で絡んでいた事もあって、とにかく真面目という印象があったからだ。
二人は意気投合し、初めての二人だけのデートを終えて、早速彼女から相談を受けた。
1軒目の待ち合わせのカフェを出た際、彼から1円単位まで珈琲代の割り勘の価格を請求されたという。
その後もランチも何もかも割り勘だったらしい。
そして彼女は、この恋は実らないと実感したという。
確かにこの内容を聞くと、俺も実らないと思った。
だいたい初めてのデートで割り勘なんて考えられない。特に俺の世代では女に金を出させるなんてという意識も強い。
100%男が出すべきとは思わないし、100%出さない女性もどうかと思うけれど、初めてのデート代ぐらいは男が出すべきでしょう。
いやせめて待ち合わせのカフェ代ぐらいは出すべきではないのか。
割り勘というのは、全く恋愛対象にない異性の友達との飲食の場合にとる行動という印象があるため、その彼女は「私には興味がない」「友達としてしか見ていない」と思ったのだ。
俺もそう思う。
早速その彼に初デートの感想を聞いてみた。すると「良かった。」のだという。
「またデートしたい。」とも言うのでビックリした。
彼は彼女を恋愛対象として充分見ているらしいのだ。
ただこれまでの人生、常に割り勘で生きてきたという。それが当たり前で、初回ですら割り勘以外やったことないというのだ。彼の周囲の人間もみんなそうしているという。
こういう事は何が正しいという事は言えないのかも知れないけれど、俺自身は恋愛トータルで割り勘であってもいいけれど、そこは曖昧な割り勘であって、モチツモタレツという関係(今回は出してもらったので次回は出すという風な)が望ましいと思うし、その彼女もけして男が奢って当然と考えているわけではないので、2人とも彼の考え方が理解できなかった。
彼には一応俺の意見を述べて後は2人に任せる事にした。

食事代をどっちが出すかという定義は、基本は誘った方が出すというのが正しいように思う。
「奢るからメシ行こうよ」という具合に。
しかしいくら奢ってもらえても、嫌な相手とは食事はしたくない。タダだからといって苦痛な時間は過ごしたくないのが心理である。(営業が絡む場合は除いて)
だから食事に誘って、それが有料だろうが無料だろうが断られる場合を除いて、確率は少しはあるという事になる。(これも営業が絡む場合は除いて)
しかし女性から誘っても男性が出すという世代と、完全割り勘という、世代による風潮もあるかも知れない。
あるかもしれないけれど、結局は受ける側がどう捉えるかによって印象は変わるので難しい話だ。


殿にチップ→ 19A7a15L8ZHdfeBjwW8TM82cHiBKxu7YPB

2011年2月3日木曜日

オカンの味噌汁

先日ラジオ出演した際に、俺のオススメのB級グルメという話になった。
姫路のB級グルメといえば、アーモンドトースト姫路おでん、姫路ちゃんぽん焼(焼そばと焼うどんのミックス)、姫路焼(軟らかいお好み焼)、ぶどうパン(ことぶき)、ソースを塗る明石風たこ焼(フェスタ地下)、硬すぎて箸が折れるイカ焼き(フェスタ地下)、カレー味のマカロニサラダ(広畑)、どろ焼(喃風)、ぐじゃ焼(森下)、四川タンタンメン(御座候)など色々ある。
でも結局は、オカンの味、それが各個人のB級グルメであり、一番美味しいのだと話した。
姫路おでんも実際問題俺は美味しいと思える。
しかしそれはオカンの関東炊き(おでん)が生姜醤油味だったから美味しいと思うのだ。
うちのオカンの料理は一風変わったものが多かった。
代表的なのはいつも言う半透明なクリームシチュー。
他にも関東炊き(おでん)は味噌味だった、味噌味のスープで煮込んで生姜醤油とからしをつけて食べる。
味噌汁は牛乳入り、これはジャガイモと玉ねぎの具材の味噌汁に最後牛乳を入れて仕上げるものだ。
これは周囲の人も皆ビックリする。ラジオでも喋ったが信じられないという声が多かった。
俺はこの牛乳入り味噌汁が好きで好きでたまらなかった。物凄く美味しいと思っている。
数年前、奈良県明日香村の飛鳥鍋と出会った時に衝撃を受けた。
まさにオカンの味噌汁と同じ考え方である。ひょっとしたらオカンがテレビか何かで飛鳥鍋を見て実践したのかもしれない。















たびたびオカンはそういうチャレンジをする。手羽先のコーラ煮込みもテレビの影響だ。
世間はB級グルメB級グルメと賑わっているけれど、実際問題本当のB級グルメはオカンの味だったり、昔から食べ続けている店の味、それは雑煮の食べ方が各地で違うように、同じ料理でもちょっとした味付けの変化や調味料の違いで無限大に存在するものだ。

2011年2月2日水曜日

肖像写真

肖像写真





















こういうものを見ていていつも思うことがある。
この人らの顔て人生のうちの一瞬の顔であって、人間の顔なんて幼少期から死ぬまでの間にコロコロ変化するわけで、この肖像写真の10年前と10年後は全く顔が異なるはず。
ということはこの顔を見て、「あ、坂本竜馬!」 とか 「聖徳太子や!」 とかいう事ができても、実際その人らの知人が、その写真の20年前の友人だったとしたら 「え?だれ?」 となるかも知れないわけで。
実際問題この肖像写真はいつどのタイミングの本人なのか、遺影か、たまたま記念写真か、一番いい顔を残したのか。
もっすご気になるわけです。
おれ自身、10年前のシュッとした顔と今の顔を見比べると悲しくなる。
もし俺の肖像写真を残す事になったら、今の顔ではなく25ぐらいの時の顔を使って欲しい。
遺影ならばいくらなんでも10年以上も前の写真は無理がある、せめて5年以内の顔を使うだろう。しかし肖像写真はそういう縛りもないのではないか。

じっくり考えてみると、肖像写真を残すほどの何か偉業を成し遂げた人なのだから、その偉業を成し遂げた時点の写真を使うというのが一般的な考え方かも知れん。
そう考えると偉人の肖像写真や肖像画は、その人たちの活躍したその当時の顔なのかも知れない。
いや多分そうやと思う。
書きながら解決した。

2011年2月1日火曜日

山ちゃん

山ちゃんが亡くなった。60歳、肺がんだった。
山ちゃんは勝気なおばちゃんで、皆から恐れられていた。
筋の通らない事が大嫌いで、すぐにキレてわめき散らす。顔も怖かったので皆近寄りたがらなかった。
山ちゃんは鉄工所を経営していて、その仕事っぷりは正に男勝りだった。
くわえ煙草で従業員に指示をだす姿はまさにオッサンであった。
みんな山ちゃんが怖かったのだ。
そんな山ちゃんに何故か俺は気に入られていた。
「信用できるんはおまえだけや」
酒の席でよく山ちゃんに言われた。
11月に飲んだ時も、いつもと同じように山ちゃん節が炸裂した。
その席で山ちゃんがタバコを辞めると言った。
その時は何も思わなかったが、その1ヵ月後、山ちゃんは肺がんで入院した。
がんは全身に転移していたのだという。
ひょっとしたら自身の異変に気づいていたのかもしれない。

そして一昨日、山ちゃんは帰らぬ人となった。
通夜そして葬儀に参列したが、今にも山ちゃん節が聞こえてきそうな、そんな遺影が飾ってあった。
最後のお別れの時、棺おけの中には今まで見たことないような穏やかな顔の山ちゃんがいた。
涙が溢れて止まらなかった。

山ちゃん有難う、やすらかに眠ってほしい。