2010年12月30日木曜日

マヨラー

マヨラーとは、マヨネーズを好物とする人を指す新語。マヨネーズを大量にかけて食べたり、あらゆる食品にマヨネーズを使用する人に対して用いられる。また、ゲテモノ食い、味おんちの意味が込められることもある。俗語。『現代用語の基礎知識1998年版』に若者用語として掲載された。既製品のマヨネーズの風味や味はマヨネーズメーカーによって異なる。そのため、キユーピー派やピュアセレクト派など、マヨラーを細分化することもある。  
マヨラーは野菜が見えなくなるほど大量にマヨネーズをかける。「脳と味覚」の著者山本隆の説によると、マヨネーズに含まれる大量の油分がもととなって快楽物質であるβ-エンドルフィンが出るため、マヨラーが生まれるとのこと。

俺はマヨラーなのか。
ちょっとしたきっかけでそう思った。つい先日のことである。
生の食パンにマヨネーズとクレイジーソルトをふりかけて食べたらめためた美味かった。
あんまし美味いので3枚食べた。
千切りキャベツには醤油のみ、とずっと思って生きてきたけれど、醤油とマヨネーズをかけたらめためた美味いと最近思うようになった。
白ご飯にマヨネーズとクレイジーソルトをふりかけて食べたらめためた美味かった。
これだけでご飯3杯食べれるやんと真剣に思った。
さらに海老にも合う、魚にも合う、卵料理にも合う。あらゆるものにマヨネーズは合う。
今まで何も思ったことはないけれど、実は俺はマヨラーなんじゃないかとつくづく思うようになったのだ。

前述のように、Wikipediaではマヨラーは味音痴的な事が書いてある。
確かにかけすぎは良くないけれど、美味いもんは美味い。
さすがに粉もん、特にたこ焼や焼そばにはマヨネーズはかけたくはない。(お好み焼は可)
ソースの風味を楽しみたい。マヨネーズが完全にソースに勝ってしまうからだ。

そういえば幼少期、もう殆どなくなったマヨネーズの容器をハサミで切り開いて、残ったマヨネーズを指ですくって舐めていた。
ポテトチップス等のお菓子にそれをつけて食べていた。
するめにもつけた。たくあんにもつけた。
やはり俺はきっとマヨラーなのだ。
この歳になってやっと自覚した。

2010年12月28日火曜日

オカンのクリームシチュー

死んだオカンのクリームシチューが食べたくてアチコチ探し歩いたことがある。
オカンのクリームシチューは少し変わっていて、通常の白いものではなく、半透明なクリームシチューだった。
俺は幼少期からそれで育っていたので(逆に白いクリームシチューは食べたことがなかった)何も疑わずにその半透明なクリームシチューが好きだった。
大人になって白いクリームシチューを食べる機会が何度となくあったけれど、これとあれとは全く別物だと思っていた。

2年前の1月31日、オカンの誕生日だったその日、俺はあの半透明のクリームシチューが無性に食べたくなり、アチコチの洋食店に電話し、クリームシチューをやってるお店を訪問し食べ歩いた。けれど、どこも白いクリームシチューばかりで、オカンの半透明なクリームシチューは存在しなかった。
どこで聞いてもそんな半透明なクリームシチューなんて聞いたことないと言われた。
 夜22時頃になって、もう今日中にオカンのそのクリームシチューは食べられないと諦めかけた時、友人で居酒屋を経営している宮代が「作ったるから材料買って店に来い」と行ってくれた。
俺は近所のスーパーで買出しし、彼のお店へ向かったのだ。

その時の模様→ 殿のblog 2008年2月1日 とり料理 宮代

実は結局この時もやはり白いクリームシチューだった。
オカンの半透明なクリームシチューは食べることができなかった。
しかし、完食後に宮代がこんな事を言った
「せやけどこれひょっとしたらお前のオカンのことやから牛乳じゃなくて水で作っとったんちゃーうんか」
「えっっ!!」「ええーーーっっ!!」
絶対にそうだと思った。目からウロコが落ちた。
典型的なO型のオカンの事や、間違いなくそうだと確信した。
手抜きなのか、節約なのか、いずれにしろ牛乳を使わずに水で作っていたのなら納得がいく。
しかもあのオカンのやりそうな事である。

結局この件は解決したかのように思われたが、実はまだ牛乳を使わずにクリームシチューを作ってみた事がない。
あくまでも想像だけで、試作・試食はしていないのだから、本当にそうなのかという確証はないのだ。
先日、12月10日はオカンの命日だった。
来年1月31日のオカンの誕生日までには実践してみようと思っている。

2010年12月25日土曜日

三角食べ

三角食べは、和食を食べる時に飯と味噌汁とおかずを順序よく食べる方法。
例) おかず→ご飯→味噌汁、おかず→パン→牛乳
もともと、1970年代頃に日本の一部の学校で給食の指導として広められた言葉だという。
「和食をおいしく味わうため」として指導が行われたけれど、一部の学校では、本来の三角食べの趣旨を逸脱し、児童・生徒を管理するための手段として利用されたり、生徒間で給食の食べ方を監視しあったり、三角食べに従わない者には教員が体罰を行ったりするなど、三角食べそのものが一人歩きし、指導がエスカレートしていったという。
また、子供がご飯に牛乳をかけて食べるなどの弊害も現れたらしい。
1970年代生まれの世代が他の世代に比べ極端に給食嫌いが多いのはこのためだというデータもある。
これらの行為は学校・教師の教育権の範囲を逸脱して公務員職権濫用罪(刑法193条)に該当し違法であるとして、三角食べの指導は行なわれなくなっている。
また、汁や飲み物でご飯などを押し流す形になりかねず、咀嚼がおろそかになったり、唾液の分泌に異常が生じ、口腔乾燥症になる可能性があると主張する歯科医いるという。
そのため、近年では、ご飯とおかずを順序良く食べることは指導されるものの、「三角食べ」として指導されることはほとんどないらしい。

というかご飯に牛乳をかけて食べるという行為は、三角食べのせいでは無い気がしますが。
本来の三角食べの意味がずれてしまっているのでしょうか。
俺は三角食べを推奨しているが、実際実践しているかというと、若干ズレもある。
俺の場合は、おかず→ご飯→おかず→ご飯と来て、ラストに味噌汁等の水分を一気に取る。
正確な三角食べではないけれど、このときのおかずの食べ終わるタイミングとご飯の食べ終わるタイミングがピッタリとなるように食べないとストレスが溜まる。
なのでおかずが多い場合は必然的にご飯も多くし、ちょうど終わるように自然と調整しているようだ。

しかし、もっと変わった人も存在する。
例えば最初にご飯から口に運ぶ人。俺にはその意味が理解できない。
本来ご飯の役割は、味のあるおかずを薄める(表現が変かもしれないが)又はやわらげるような存在、パンとカレーと同様に、パンがご飯でカレーがおかずだ。カレーを食ってからすぐパンを食べる。
なのに最初にご飯を口に入れてしまっては、ご飯の味しかしない。
おかずばっかりでご飯を食べない人もいる。もちろんその逆も少なからずある。
人それぞれ食べ方なんて自由かも知れないが、俺は絶対に譲れない。

以前、両手に大火傷をおって入院したときの事、知人の紹介でやって来たヘルパーさんが、俺と、この食べ方(順序)が全く合わず困った経験がある。
当然両手に大火傷をおっているので、食事は完全にそのヘルパーさんが食べさせてくれる。
しかしそのヘルパーさんは、こちらが指示しないと最初にご飯を口に運んでくるのだ。
次に味噌汁、そしておかずという順で口に運んで来るのである。
「おかしいやろ!」
思わず文句を言ってしまった記憶がある。
きっと彼女はそういう順番で食事をとっていたのだ。
しかもおかずも数種類あるので、その順番も人によっては大きく異なる。
その後俺は一口食べるたびに次何を食べるかを指示した。もちろん申し訳ないという思いもあるので、入院中の食事の時間は、ものすごくストレスの溜まる時間となった。

むかし欽ちゃんの番組で、タレントがどの順番に食べたかを当てるというものがあって、好んで見ていた。
人それぞれ食べたい順番なんて異なるので、それがクイズとなりうる。
自分と順番が同じタレントにはやはり好意をもったものだ。

よくラーメン店で、最初にスープ、そして麺という順番が語られるけれど、俺はあくまでも上記の通り水分は最後に一気にとりたい。
麺を完食してスープを飲む。もちろん途中でも多少はスープも飲むけれど、最初は麺を食べたいのだ。
九州のどこかのラーメン店で、最初にスープを飲まない客に、店主がキレて罵倒し追い出すというお店があるらしいけれど、人それぞれ食べたい順番があるのだから、押し付けるのはよくないと思う。
もちろん俺がその店に行ったら追い出される事になるので行かない。

酒を飲む場合は、酒→肴→酒→肴→締めにご飯→味噌汁となる。
この場合は完全に酒を主体に構成するので順番が多少変わる。
蕎麦の場合は、酒→肴→蕎麦→薬味→蕎麦→そば湯である。(薬味の葱や山葵は蕎麦とは別に口に運ぶ)
しかしこれも押し付けるのではなく、自由に食べていいと思う。
イタリアンなら、ワイン→前菜→パスタ→主菜→パン→ドルチェ。
これも三角食べの考えからすると、前菜とパン、パスタとパン、主菜とパンという風に(ご飯をパンとして)常にパンを食べておきたいところ。なので俺は何回もパンのお替りをする。

こういった意味で考えると、三角食べという食べ方の指導が消滅した事もうなずける。
人それぞれ食べる順序の好みもあるし、異文化も入ってきて昨今の食事情も大きく変化している。

俺の知人に、こういう事が大幅に狂っている人がいる。
彼は、おにぎり→ロールケーキ→パン→ラーメン
という異常な食べ方をする。
これは順番がどうのこうの言う前に、組み合わせもおかしい。
何故おにぎりの後にロールケーキを食べるのか、何故ロールケーキの後にパンなのか、何故その後ラーメンなのか。
全く理解できないのでそっと見守っている。

2010年12月17日金曜日

ストレス解消法

ストレス解消法は人それぞれあって、酒を飲んだり温泉行ったりカラオケ行ったり。
体内から何かを出すことがストレス解消に物凄く良いらしいので、大声で歌うカラオケ等は本当に良いのかもしれない。
最近は、部屋で大声を出しても近所迷惑にならない”壷”(壷の中に大声で文句言う)が通販サイトで人気だというから面白い。
俺自身のストレス解消法は何なのか考えてみた。

・田舎の人の少ない温泉地でボーっと過ごす。
・ホースで水を撒き、水圧で道路を完璧に掃除する。
・車で暴走する。
・美味しいものを食べ美味しい酒を飲む。
・好きな人に甘える。
・むだ毛や爪の処理、美容。

これを見ると、体内から排出するものが無い。
一体どういうことなのでしょうか。

2010年12月13日月曜日

乗り物酔い

乗り物酔い
航空機・列車・自動車・船舶・遊園地の遊具など、各種の乗り物が発する振動が原因で、体の内耳にある三半規管が体のバランスを取れなくなって引き起こす身体の諸症状。

子供の頃から車やバス移動では必ずといっていいほど車酔いした。
幼少期、親父の車で30分ほどの距離の瀬戸内海へ、潮干狩りに行ったとき、これが人生初の車酔いだった。
到着してもずっと嘔吐でまともに潮干狩りもでなかったことを克明に覚えている。
小学校へ入学し、毎年あるバス旅行でも毎年嘔吐した。
今でも鮮明に覚えているのは小学3年のときの京都・奈良旅行。
かなり我慢したけれど耐え切れなくなってバス車内で通路に嘔吐。朝食べたラーメンをぶちまけて反感をかった。
22のときに当時の担任の藤本先生を名古屋に訪ねた時に、開口一番にその思い出を語られたことを記憶している。
それほど俺を含めて周囲の人間にもショッキングな絵図らだったのだろう。
へそに梅干を貼ればいいとかノリクラという乗り物酔いの薬を飲めばいいとか、いろいろとオカンに言われて試したけれど、何をやっても効果は得られず、そのまま月日は流れた。
中学の修学旅行は九州までバスで行くというので真剣に焦った。
前述にあるように、三半規管が体のバランスを取れなくなって引き起こすということから、逆にその訓練をすればよいのではないかという情報を頼りに、旅行の3ヶ月前から毎日前転運動を実施。
くる日もくる日もクルクルクルクル回り続けて、三半規管を麻痺させようと懸命に努力したのだ。
風の便りで誰かがビスケットを食べたらいいと言うので、ビスケットも持参した。
その結果、あの長時間のバス移動にも1回も気分悪くならず、ちょっとヤバイなと思ったらビスケットをかじり、無事に乗り切ったのだ。
それからは1度だけ23のときに船酔いをしただけで乗り物酔いは無い。
しかもその船酔いはずっとゲームボーイをやっていたからであって、普通にしていれば酔わなかったはず。
見事、乗り物酔いを克服したのである。
今でも車酔いする人と出会うと、うつむいて何かをしないという事(できれば車なら運転しているつもりで前方を見るようにススメている)とビスケット療法をオススメしている。
実際ビスケットに関しては皆半信半疑で実施したということも聞いたことないけれど。

調べてみると以下の事をやれば良いと書いてある。

1,脂肪分の多い食事をとらない
2,空腹はだめ。食べ過ぎず、適度な食事を
3,乗る前に排便を済ませる。便秘は要注意
4,厚着をしない
5,寝不足は大敵。前日は十分に睡眠をとる
6,きついネクタイやベルト、体を圧迫する下着は避ける
7,乗り物内で読書しない。なるべく遠くの景色を眺める
8,後ろ向きの座席を避け、進行方向が見える前の方に座る
9,気分をリラックスさせ、呼吸は深くゆっくりと
10,不安が強い人は、事前に酔い止めの薬を服用する
11,乗り物内では、頭をぐらぐら揺らさない
12,気分が悪くなったら、早めにシートを倒すか横になる
13,窓を開けて風を浴びる。船なら甲板に出て空気を吸う

しゃーけど逆におもっきし寝不足で行って、ずっと爆睡してたらええような気もする。

2010年12月12日日曜日

サンタクロース

あるお店の常連客である保育園の保母さん達から、保育園のクリスマス会のサンタクロース役がいなくて困ってると相談を受けた。
男性スタッフがいない上に、子供達の親から選出するとしたら、その子供の夢を壊してしまうということで、毎年全くの他人に頼んでいるらしい。
正直まったく誰も知らない場所で、しかもうまくサンタクロースが演じきれるのか迷いはあったが、引き受けることとした。



早速午後から保育園の担当保母さんとの打合せ。
衣装も試着した。
サイズは全く合わなかったが、数時間のことなので我慢することにした。
夢を壊すようなことはできないので、くれぐれもサンタクロースになりきってほしいとのこと。
スケジュールとセリフなどの打合せが終わり、ますます不安になった。
全く知り合いがいない状態で、ディズニーランドのスタッフのように演じきらなければならない。
しかもカメラマンもいない。監督もいない。マネージャーもいない。
そんなことが果たしてできるのだろうか・・・。

「サーセン、トナカイは?トナカイもいるんちゃいますん?」
「トナカイですか?確かに毎年子供達にトナカイさんは?と聞かれるんですよね」
「でしょ?ほならトナカイもやりましょーよ、衣装あるんですか?」
「いや衣装は売ってると思うんで探してみます」

なんとかうまくもう1役追加できるかもしれない。
早速クージーに言うと、「トナカイやります!やります!」と軽く返事してくれたので
トナカイの衣装さえ揃えば2人で行くこととなった。
よかった。
2人やったら演じきれそうな気がする。

2010年12月7日火曜日

甲府とりもつ煮

今年のB級ご当地グルメ「B-1グランプリ」で見事チャンピオンとなった甲府とりもつ煮が話題の街だ。



戦後まもない昭和25年(1950年)頃に、「鳥のもつが捨てられていてもったいない。なにか安くて美味しいものができないものか」と甲府市内の蕎麦屋で考案。その後、蕎麦屋から飲食店に広がっていき、今では、ほうとう、煮貝と並ぶ甲府独自の食文化となった鳥もつ煮。



汁気のある一般的な鳥の肝煮とは違い甲府鳥もつ煮は少量のタレを使い強火で短時間のうちに照り煮する。
水気が飛んで飴状になったタレで鳥のもつをコーティングし旨味をぎゅっと閉じ込めて照りを出す。
発祥のお蕎麦屋さんは交通の便が悪く行けなかったけれど、市内のアチコチでいただけるので早速食べてみました。
上の写真のスタイルが一般的ですが、このように肝だけを出すお店もあって、あちこちで個性ある鳥もつがいただける。



価格は均一化しているのか、どこも1人前525円だった。



甲府駅前の大衆中華料理店でもつ煮というメニューがあったので、鳥もつを期待してオーダーすると牛もつ煮だった。



これは「桜もつ煮」という馬のもつ煮。
実は本来は甲府のご当地グルメはこの桜もつ煮だったという。
お店のオバチャンがゆーとった。
しかもこの桜もつ煮が一番美味しかった。
鳥もつ煮はフツーの鳥の肝煮だった。

2010年12月3日金曜日

カキノモト

初めて訪れた街、新潟市。(政令指定都市)
上越市を中心とする上越地方、長岡市を中心とする中越地方、新潟市を中心とする下越地方、佐渡市からなる佐渡地方の4地方からなる新潟県の県庁所在地である。

新潟駅前


万代シティ・レインボータワー

信濃川の萬代橋近くにある万代シティのシンボルとも言えるレインボータワー。回転式の展望台で地上100mまで360度回転しながらゆっくり上昇。約10分間の空中散歩が楽しめる。大人450円
レインボータワーから見た風景→http://www.niigata-u.com/files/ngtphoto/r_tower01.html

新潟特有の食文化といえば、魚沼産コシヒカリや、醤油だれカツ丼(タレカツ)・洋風カツ丼・醤油赤飯・のっぺ・わっぱ飯・ひこぜん・イタリアン・笹団子・ぽっぽ焼き(蒸気パン)・もも太郎(氷菓)・へぎそば・新潟ラーメン・燕三条系ラーメン・栃尾の油揚げ・ヤスダヨーグルト・かんずり・かきのもと(食用菊)などがある。


新潟駅周辺よりも、萬代橋の向こう側の本町や古町の方が人もお店も多く賑やかである。
但し向こう側には駅はない。この寂れた商店街は橋の手前側、万代の古びた商店街。

古町の商店街を歩いていて見つけたカキノモト。

カキノモト(食用菊)とは菊の一種で、特に食用として栽培されている菊を指す。食菊とも。
料理のつまに使われるつま菊などの小輪種の他、花びらのみを食用とする大輪種がある。
菊の花は、中国では不老長寿の薬草として珍重される。夏の疲れを取ったり高血圧を改善したりする効能もあるという。かつては家々の垣根の元に植えられていたから「カキノモト」と名付けられたという説もある。


これがまたみずみずしくてシャキシャキで美味い!
ほんまにクセになるとはこのことで、食べ始めると止まらないほど美味しいのだ。

その他にも美味しいものが沢山あるうえに、何といっても人が温かい。
本当に良い街だという印象を受けた。

なんと新潟は神社の数が約5000もあって全国1位だという。
知らんかった。(ちなみに2位は兵庫県の約4000社)。
また新潟行ってみたい。

2010年12月2日木曜日

晩秋の播州赤穂

播州赤穂で打合せが入ったので電車ででかけてみる事にした。
車でも1時間かかるので、電車ならほんとうに小旅行のような錯覚を覚える。
駅からトボトボ45分の距離を歩く。
バスなら15分ほどで着けるけれど、なんとなく小旅行の気分をもう少し味わいたくて、寒いけれど歩きながら町並みを感じようと思ったのだ。

赤穂城


打合せが終わり、空腹である上にあまりにも寒いのとで帰りはバスに乗ることにした。



バスに揺られながらふと大昔の記憶が蘇る
そういえば幼少期に何度もこの赤穂の地を訪れていた。
オカンの母親、お婆さんがこの赤穂の病院に長い間入院していて、何度も2人で電車に揺られバスに揺られて赤穂へ来ていた。実家からだと片道2時間以上はかかる。
お婆さんは何年もこの赤穂の病院に入院し、亡くなったのだ。
7人も兄弟がいるのに何故かお婆さんの世話はオカンだけがしていたように記憶している。
週に1回ぐらいのペースで俺はオカンに連れられてこの赤穂の地を訪れていたのだ。
停留所でオカンが缶ジュースを買い、自分が一口飲んでから俺に差し出した事、俺がその缶ジュースを飲もうと思ったらべったりと口紅がついていて物凄く抵抗を感じた事。
さらにその時の缶についた口紅の匂いなどが鮮明に蘇った。
あれは何歳ぐらいだったのだろうか、小学校低学年か、弟を連れていなかったのでひょっとしたら幼稚園かもしくはそれ以下だったのかもしれない。

病院前からバスに乗ってきた人たち。なんとなく当時のオカンとかぶる。


播州赤穂駅


駅から赤穂城まで直線に伸びるストリートは、歩道が広く大きく整備されていて、風情ある建築で揃えられた土産店や飲食店などが立ち並ぶ。
これまで何も考えずに目的地まで1直線に車で訪れていたので、こういう町並みさえ知らずにいた事がもったいないと思えた。
さらに懐かしい記憶まで思い出さしてくれたので、電車移動して良かったと思う。
また電車で訪れようと思った。